邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・43
昨日(2012年11月11日)の夜9時から、NHKテレビ・スペシャル「中国文明の謎」は――最初の漢字は、今から約3300年前から出現した殷代(いんだい)後半期の甲骨文字であるかのごとく報道した。
しかし、中国の漢字は今から約5000年前に生存した倉頡(そうきつ)から始まった。
だから、倉頡は古代の人々は“漢字の始祖”と崇拝した。
中国の五経の第一に挙げられる『易経』も繋辞下伝(けいじげでん)で「上古は結縄(けつじょう)して治める。後世の聖人これに易(か)うるに書契(しょけい)をもってし、百官もって治めた云々」と記述する。
この結縄から書契に代えた聖人が倉頡であることを、古代の中国の人々もわが国の前人たちも信じて疑わなかった。
倉頡が考案した「書契」は「契刻(けいこく)」ともいい、意味は「木に文字を刻む」であった。「木に文字を刻む」を略すると「刻木(こくぼく)」となる。ゆえに、わが国では倉頡が考案した「書契」を「刻木」と称した。
「結縄」は今から約6000年前に生存した三皇時代初頭の包犧氏が作った。
包犧氏が考案した「結縄」は万物の情(イメージ)に類似して図案する作成原理を有しない図書であった。だから、包犧氏は[結]と[縄]をあらわす図書を作るものであなかったのゆえ、「結縄」は包犧氏みずからが付けた名称ではない。
今から約5000年前に生存した“漢字の始祖”の倉頡は万物の情を表現する漢字作成原理を発明した。ゆえに、「結縄」という名は倉頡が付けた名であると考えられる。
倉頡は「万物の情にに類似して図案する、多数の漢字を生む母体となる銀河」を定めた。この銀河の形は「立ち木」の形に相似しているので、倉頡が考案した漢字は「木に文字を刻む」と意味する「書契」あるいは「刻木」と呼ばれることになった。
倉頡は小さな場となる〔妊婦の姿に相似する銀河〕を「漢字を生む母体となる銀河」と定め、この銀河よりもはるかに巨大な〔秋の銀河の西部と夏の銀河〕のさまざまな文字となるイメージを示す銀河各部から多数の漢字の子どもすなわち文字が生まれる(デザインする)ようにした。
また、「漢字を生む母体となる銀河から誕生した子に観える銀河」を[子]の字と定めた。
そいて、「漢字を生む母体となる銀河」を[宀(べん)]の字定め、この[宀](ウ冠)の下に「誕生した子に観える銀河」の[子]が加わて[字]の字が生まれた。
このような倉頡が発明した漢字作成原理は、現在の先端科学の分子生物学でDNAという小さな場に大きな情報が入っているという理論に共通する。
つまり、小さな場の「DNA」が「漢字を生む母体となる銀河」に相当し、DNAに入っている「大きな情報」は「漢字を生む母体となる銀河」よりもはるかに広大な「秋の銀河の西部と夏の銀河」に相当する。そして、「大きな情報」のおける「一つ一つの情報」をあらわした図書が「文字」となる。また、この「大きな情報」のうちの「特殊な一つの情報」が「漢字を生む母体となる銀河から生まれた子ども」ということになる。
約5000年前に倉頡は現在の先端科学の分子生物学のDNAの理論に先駆ける発明をおこなったのである。
この倉頡は1000字を越える文字を考案したものではない。しかし、倉頡が発明した作成原理によって後世の人々は基本字1400字前後、総数約5万の漢字を作成することができた。
だから、倉頡の漢字作成原理は“偉大な発明”と絶賛されたため、彼は“漢字の始祖”と崇拝された。
〔[字]という字を生んだ母〕に定められた「漢字を生む母体となる銀河」は〔立ち木〕の形にも相似し、[字]の下の〔[子]となる銀河の顔となる銀河部〕は〔立ち木に相似する銀河〕を〔見上げる〕ので、[立][木]の右側に[見]を加える字は[親]となった。
この〔立ち木〕に見立てられた「漢字を生む母体となる銀河」は〔人が歩く側身形、[大]字形に立つ人の正面形あるいは背面形〕に酷似する。そして、この頭部には「三つの輪を作る、つまり数字の[8]の上にもうひとつの輪を加える形」の銀河が隣接する。だから、この「三つの輪からなる銀河」は〔縄を三つの輪を作って結ぶ形〕に観えるので、包犧氏が考案した図書は「結縄」と呼ばれることになったのである。
次回(44回)にて「三つ輪の銀河」という銀河が登場するが、「結縄」という名になった「三つの輪の銀河」の東隣にも〔円形と二つの半円形〕で構成される〔三つ輪の形の銀河〕が一塊(ひとかまり)となる。
この「三つ輪の形の銀河」の北側には「半円形に星々が点々とならぶ輪の銀河」がある。この銀河を加えると「四つ輪の形で構成される銀河」となる。
「漢字を生む母体となる銀河の頭部」は〔中央の暗黒天体部を円形の輪(環(わ))が包囲する形〕であるから、この銀河部に「結縄」の名となった「三つの輪の銀河」を加えると「四つの輪の銀河」となる。
この東と西に隣接しあう「四つの輪の銀河」あるいは「三つ輪の銀河」となる共通性と、この銀河の形状を表現するには縄を結んだ道具を使って作ることができる文様すなわち「縄文」という発想から「結縄」という名称が生まれたと考えられる。
前述したように、2012年11月11日夜9時からNHテレビは、あたかも漢字は今から約3300年前に出現した殷代の甲骨文字から起源したかのごとく報道した。
しかし、『易経』は「殷代後半期より約2700年前の三皇時代初頭、あるいは殷代後半期より約1700年前の五帝時代初頭から漢字は起源した」と伝える。
この歴史は、中国では科学的に解明できない。
ところが、わが国においては、三皇時代の結縄、五帝時代の刻木の秘密を科学的に解明できる。というのも、甲骨文字よりも古い夏音文字の史跡・遺跡・遺物が現存するからである。
2世紀末から3世紀末のわが国の様子を記述する『魏志倭人伝』は「倭の卜辞(ぼくじ)は令亀(れいき)の如(ごと)く」、すなわち「倭の卜辞は殷代後半の甲骨文字のような卜辞であった」と記述する。そして、中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝は――702年に中国に渡った日本国の遣唐使が「後稍夏音(のち・やや・かおん)を習い云々」と中国王朝に告げた――と記述する。
つまり、『魏志倭人伝』に記載される卑弥呼はじめとする人名や小国名に用いられる文字は、NHKテレビがあたかも“最初の漢字”と指摘した殷代後半に出現した甲骨文字よりも約750年前の夏代(かだい)初頭にわが国に伝来していた夏音文字であったのである。
だから、甲骨文字は“最初の漢字”ではない。
この甲骨文字よりも古い夏音文字によって、三皇時代の結縄と五帝時代の書契(刻木)と倉頡が発明した漢字作成原理の秘密が科学的に解明することができる。
倉頡によって、【五帝時代の書契(刻木)、夏代の夏音文字、殷代前半期の文字】は【銀河各部の形状】と定められた。
私のブログの「卑弥呼の逆襲」におけるこの〔邪馬台国説が日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である〕シリーズの前回(42回)にて指摘したように、倉頡が考案した書契(刻木)と夏音文字と殷代前半期の【原初漢字】は【銀河各部の形状】であったのである。
倉頡はみずからが考案した文字は強大な政権基盤、巨万の富を得る方法、最高の名誉を得る方法であることに気づき、反体制側の人々が文字の学芸知識を手に入れたならば王朝が容易に崩壊することを心配した。ゆえに、倉頡は【すべての文字】となる【銀河各部】に名称を付けた者は死刑にすると定め、【すべての文字】が【銀河各部の形状】から作られた秘密と暴露する者も死刑にすると定め、さらに用が済んだならば書いた文字を直ちに消さない者も死刑にすると定めて、文字の学芸は王朝が独占管理して厳重な機密にするように定めた。
だから、倉頡が定めた掟によって用済みになった文字は必ず消されたたために、『魏志倭人伝』に「倭の卜辞は甲骨文字の卜辞のごとくである」と記載された夏音文字で表記された卜辞が発掘されないことになったのである。
昨日のNHKテレビのスペシャル番組「中国文明の謎」でも指摘していたように、殷帝国は甲骨文字の学芸知識を反体制側の人々が手に入れないように独占管理して厳重な機密にしていた。殷帝国においては「用済みになったならば書いた文字は直ちに消して、【文字】を【銀河各部の形状】にする」という倉頡が定めた掟を守らなかったが、その他の倉頡が定めた掟を厳重に守った。
ゆえに、今日の中国では〔すべての文字は銀河から作られたられたゆえに、銀河各部には名称が付けられなかった秘密や倉頡が発明した漢字作成原理〕が伝わらず不明となった。
甲骨文字の字形は秋の銀河の西部と夏の銀河各部の形状に類似し、各字の字義とその文字となった銀河部の形状が示すイメージが合致するので、すべての字源は銀河各部であることが察知できる。
そして、『老子』上篇(道経)の第1章に記載される「万物の母」、第6章に登場する「谷神(こくしん)」、第25章に記載される「天下の母」は上記した「漢字を生む母体となる銀河」でることが察知できるので、37の章で構成される『老子』上篇は「漢字は銀河から作られた。【すべての文字】は【銀河各部の形状】」であると後世に伝えて文献史料であることが理解でき、証明できる。
また、『老子』上篇によって字書の聖典『説文解字』が解説する【字源】は【銀河各部の形状】であることが明らかとなる。
したがって、最古の【文字】は【銀河各部の形状】ということになる。
夏王朝は容易に滅亡しないために、倉頡が定めた掟を厳重にまもって【夏音文字】を【銀河各部の形状】と定めた。
この夏音文字がわが国に伝来していた。
このために、中国でまったく不明となった倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の文」の秘密がわが国では科学的に明確に証明できる。
また、中国では証明できない【すべての文字】は【銀河各部の形状】であるという事実をも証明できる。
さらに夏音文字だけでなく、三皇時代の結縄も五帝時代の(書契)の秘密もまた科学的に解明できる。
『易経』繋辞下伝は漢字の起源について「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜を観る。(中略)。もって万物の情に類して文字を作った」と説明する。
『老子』上篇と『説文解字』と『魏志倭人伝』と『古事記』上巻にもとづくと、この『易経』繋辞下伝の漢字起源説明は「【すべての文字】は【銀河各部の形状】である」と指摘するものとなる。
そして「天象」という語は【銀河各部の形状】を意味し、「地法」は「中国の大地を西から東に黄河の水の流れ(移動)」のことである。この地法は「黄河の水の流れ」と認識すればよいことになる。「鳥獣の文」は倉頡が発明した漢字作成原理の名であり、「地宜」は「平面的に図化した地図の形」のことである。
わが国の夏音文字の史跡は「地宜の各部の形状」をもって「天象(銀河各部の形状)」をあらわし、また「地宜の各部の形状」を利用して倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の文」をあらわす。上記したように、「地法」は銀河各部の東から西への移動(運行)の逆方向の移動の「黄河の水の流れ」と記憶すればよいことになる。
したがって、我が国に現存する夏音文字の史跡のうち❸を除く6つの史跡は「地宜」で「天象と鳥獣の文」を表現する史跡である。
これゆえ、中国で不明となった殷代後半より以前の漢字の歴史が科学的に解明できる。
なお、❸の竜安寺の石庭は5群の石組と方丈の間と、そして白砂の平庭と柿葺(こけらぶき)油土塀と「知足(ちそく)の蹲(つくば)い」などで漢字となった全銀河の範囲を造形表現し、『老子』上篇と夏音文字の秘密が解明できる、いいかえると正しく解釈できる仕組みになっている。
そして、下記において、私は「地宜」を「地上絵」と表記する。
712年に元明天皇に献上された『古事記』上巻の随所に〔音〕という注がついて多数の夏音文字が記載されている。
『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に殷代後半より約750年前にわが国に伝来した夏音文字は現存し、しかも夏代初頭に相当する史跡には夏音文字が伝来した痕跡が現在も明確に残っている。
この史跡は❶秋田県鹿角(かづの)市に所在する国の特別史跡の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の万座遺跡と野中堂遺跡である。
わが国に確かに夏音文字が伝来していると科学的に立証できる史跡は、❷『魏志倭人伝』と同時代の3世紀後半に作られた、静岡県浜松市北区の細江(ほそえ)町の行政区域を表示する地図の形として現存する。この地宜は、『魏志倭人伝』と同時代の3世紀後半に作成されたちょうど1千万坪の大鳥の地上絵である。
また、❸枯山水の名園で有名な京都市に所在する竜安寺の石庭も夏音文字が伝来したと証明できる史跡である。
❹現在の滋賀県彦根市の行政区域を示す地図の形も、夏音文字が伝来したと証明できる史跡である。彦根市は「未だ夏音文字は習わず」と設計する3千万坪の大鳥の地上絵である。この大鳥の地上絵は1603年から着工して16223年に完成した。
また❺京都市に所在する桂離宮の庭園も夏音文字の史跡である。この庭園は、江戸幕府に命令された小堀遠州が1623年から1645年まで情熱を傾けて作成した。
❻京都市に所在する金閣寺の庭園、❼京都市に所在する修学院離宮の庭園もまた、夏音文字が伝来したと伝える史跡である。
前回(42回)の冒頭で指摘したように、シュリーマンはホメロスが作った英雄叙事詩『イリアス』に記述されたとおりの土地を発掘してトロイの遺跡を発掘して証明したように、古代史学には――前人が作った文献にある記述を、たとえ後世の学者たちが「この記述は絶対に間違っている。信用してはならない」と批判・否定しても、その文献に記述されたとおりの史跡・遺跡・遺物が発見されたならば、前人の記述はなんびとにも否定できない真実となり、後世の学者たちが文献批判して否定した意見は誤読の空想であり、妄想であったことがなんびとにも否定できない事実となる――このような絶対原理が存在する。
中国の正史『新唐書』日本伝には――702年に中国に到着した日本国の遣唐使が「後稍夏音を習い……」と中国王朝に語った――いう記事がある。この夏音文字は、10年後の712年に完成した『古事記』上巻の随所に〔音〕と注が付いて多数記載されて現存する。また、『魏志倭人伝』には「倭の卜辞は令亀の法の如し」と記述して、夏音文字は人名・小国名に使用されて現存する。
千賀四郎編集『日本古代史の謎3 邪馬台国』(小学館)は「卑弥呼の文字を中国漢字の魏以前の上古音で読めば〔ピミカ〕になる。また魏以前の中古音で読めば〔ピミエクゥオ〕となる」と指摘する。
卑弥呼を〔ヒミコ〕と読む漢字音は、3世紀の魏以前の上古音と中古音よりも古い字音となる。
しかし、我が国の古代史学の定説は、魏より以後の5世紀か6世紀ごろに始めて漢字を習得したと定めて、3世紀の魏の時代やそれ以前の時代にはわが国には漢字は存在しなかったと断定する。
白川静著『字統』は「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊にその音韻史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」と指摘する。
『魏志倭人伝』の「卑弥呼」を〔ヒミコ〕と読む人名・小国名は甲骨文字よりも約750年前の夏音文字であり、『古事記』上巻の〔音〕という注が付く文字も夏音文字であった。
だから、前人が作った文献に記述された夏音文字が伝来していた証言が存在し、この文献に記述されたとおりの7つの確か史跡が存在する。
だからこそ、学者たちが文献批判して夏音文字を排除した意見はまさしく誤読の空論・妄想であったことは否定できない事実となる。
このような夏音文字が伝来したと記述する確かな文献史料と7つの史跡が存在するにもかかわらず、学者たちが誤読を用いて夏音文字の伝来史をことごとく抹殺した。
このため、昨日の夜のNHKテレビは甲骨文字を最古の漢字であるかのごとく放送したのである。
次回(44回)は、7つの史跡から解明できる包犧氏の結縄について解説し、45回はわが国が中国から渡来した益氏の言葉が通じなくチンプンカンであるのになぜ夏音文字を習得できたのかを説明し、さらに46回では倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の文」について解説する。
学者たちは文献批判をもって、上記した7つの史跡に保存された前人たちが後世に残した歴史をことごとく抹殺している。
ゆえに、昨日のNHKテレビは“甲骨文字を最古の漢字である”と指摘したのである。
上記の7つの史跡は甲骨文字が出現した時代よりさらに750年前にわが国に伝来した夏音文字の秘密が科学的に解明できる史跡である。
だから、昨日のNHKのテレビ放送は誤報ということになる。
中国では倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の文」が不明となったので、甲骨文字以前の原初漢字の秘密が解明できなくなった。
このため、学者たちは「甲骨文字以前に、漢字が考案された」という『易経』の記述を文献批判で抹殺し、文献批判で倉頡伝説を荒唐無稽の話であると決めつけ、『老子』と『説文解字』と『古事記』序の「【すべての文字】は【銀河各部の形状】である」という説明がまったく理解できないのである。
しかし、わが国の7つの史跡には倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の文」の秘密が保存されているので、甲骨文字以前の三皇時代の結縄・五帝時代の刻木、そして夏音で話す言葉を理解できない縄文人がなぜ夏音文字を習得できたのかなどが科学的に解明できる。
わが国においては、夏音文字と漢字作成原理「鳥獣の文」の知識は大嘗会(だいじょうえ)が本格的に復興された1738年まで明確に保存されていた。
というのも、先人たちは日本建国の〔愛〕の理念を絶対に滅ぼすことはできないと執着したからである。
この“愛あざやかに永遠であれ”という先人たちの熱い情念は熱い魂から熱い心に受け継がれた。
強大な皇室の権力でも【銀河】は消滅することはできない。
だから、先人たちは〔【すべての文字】は【銀河各部の形状】であるという学芸〕を表示する史跡を作って、『魏志倭人伝』末部の倭女王・壱与にして『古事記』上巻の伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を後世に伝えたのである。
この“愛あざやかに永遠であれ”という先人たちの欲求が「日本」という国号となった。そして、この情念が『万葉集』に結集され、壱与・伊耶那美命をモデルとする「なよ竹のかぐや姫」をヒロインとする日本最初の小説にして反権力風刺小説の傑作の『竹取物語』が作られ、大嘗会における天皇即位礼で用いられる天皇の王冠の意匠は上の飾りで夏音文字・下の飾り(菅笠)で日本建国の〔愛〕の理念が表示されたのである。
だからこそ、1738年に大嘗会が本格的に復興された以前の、歴代天皇や7つの史跡を作った先人たちや、そして学識豊かな何人かは倉頡がなぜ“漢字の始祖”と呼ばれるのかその理由を知っており、倉頡から漢字が起源したという歴史知識をも有し、【すべての漢字】は【銀河各部の形状】である秘密をも知っていたのである。
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