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2013年1月24日 (木)

信長と家康の熱き魂の証言“よみがえれ 日本国誕生史”・10

日本人の魂を有し、熱き心を有する真に優しき人々に告ぐ

日本人として生き、誠実に生き、真理を尊び、日本人として一生を送りたい人々に告ぐ

また、世界中の人々を愛し、21世紀に誇りと尊厳を抱き、真実を大事にして人生を全うしたいと願い、一人の地球人として生きることを喜びとする人々に告ぐ

邪馬台国説と日本神話虚構説は真っ赤なウソである。

というのも、邪馬台国説と日本神話虚構説は真っ赤なウソであることが簡単に明確に証明できる史跡がわが国に現存し、この史跡は人類全体の貴重な史跡であり、世界中の人々にとって失うわけにはいかない重大な史跡であるからである。

これゆえ、邪馬台国説と日本神話虚構説が正しいと太鼓判を押す、2013年1月15日からはじめる朝日新聞の〔邪馬台国を求めて〕シリーズは、多くの人々が邪馬壱国説と日本神話虚構説が真っ赤なウソなんてことはありえないと信じることになるにちがいないので、国宝・金閣寺を炎上させた青年僧の犯罪をはるかに越える人類共通の真理を抹殺する行為であると言わざるを得ない。

邪馬台国説と日本神話虚構説は〔誤読〕を駆使してデッチあげた、日本国と日本人を滅ぼす諸悪の根源である。

『魏志倭人伝』と『古事記』上巻と『日本神話』神代紀のすべての記事は正しく、一点も“文献批判”という名の〔誤読〕を加える必要がない。

だから、邪馬台国九州説・同近畿説と日本神話虚構説は〔誤読〕を駆使してこじつけた真っ赤なウソで、両説を信じたならば――日本人の魂を有することもできず、熱き心を有しない〔愛〕を尊ばない傲慢な人間として生きることになろう。いいかえれば、日本人として生き、一生を不誠実に生き、真理に背いて生き、日本人として一生を送ることは絶対にできないことになる。また、日本人としてアイデンティティを喪失し、世界中の人々を真に愛することもできなくなり、21世紀に誇りと尊厳を抱き、真実の人生を全うすることもできず、一人の地球人として生きる喜びも失うことになる。

邪馬台国説と日本神話虚構説が〔誤読〕でデッチあげた日本国と日本人を滅ぼす空理空論であることを短時間で簡単に証明できる〔絶対的な真理〕が存在する。

わがブログ、この〔信長と家康の熱き魂の証言“よみがえれ 日本国誕生史”シリーズ〕の前回(9回)にて、邪馬台国説と日本神話虚構説が〔誤読〕の空理空論であると簡単に証明できる〔絶対的な真理〕は〔精密な天頂緯度測定〕であることを明らかにした。

この〔絶対的な真理=精密な天頂緯度測定〕の秘密を保存する史跡を列挙すると、下記のごとくなる。

前回のブログにて取り上げた、①『魏志倭人伝』と同時代の3世紀後半に作成された「卑弥呼」と設計する1千万坪の大鳥の地上絵。この地上絵は、現在の静岡県浜松市北区の細江町の行政区域を表示する地図の形として存在する。

②1603年から着工して20年後の1622年に完成した、徳川家康が井伊氏・彦根藩に命じて作成された「いまだ夏音文字の学芸は習わず」と設計する3千万坪の地上絵。この地上絵は、現在の滋賀県彦根市の行政区域を表示する地図の形として存在する。

③家康に30歳のときに小堀遠州が①の大鳥の地上絵の研究を命じられ、家康の死後(1616年)の②の地上絵が完成した翌1623年から病床に伏す1645年まで、幕府に命じられて小堀遠州が作った桂離宮の庭園(京都市)もまた、邪馬台国説と日本神話虚構説が〔誤読〕の空論で真っ赤なウソであることが直接的に科学的に証明できる史跡である。この庭園の中央にある池の東北側の庭園部の設計は①と②の史跡の設計を合体して〔「卑弥呼」と設計する大鳥の地上絵と「いまだ夏音文字の学芸は習わず」と設計する翼を失った形〕に作られている。

④江戸幕府が1655年のころから1659年にかけて後水尾(ごみずのお)上皇のために造営した修学院離宮(京都市)の庭園もまた、邪馬台国説と日本神話虚構説は日本国と日本人を滅ぼす、人類共通の敵となる真っ赤なウソであると証明できる。

➄1738年から本格的に復興した皇室最大の神事・大嘗会(だいじょうえ)において即位する天皇の頭上に高々と差し上げられる王冠・菅蓋(かんがい)の上の飾りは①の大鳥の地上絵で「夏音文字の学芸」を・下の飾りは『古事記』上巻のテーマとなる日本建国の〔愛〕の理念をデザインするものとなる。ゆえに、天皇即位式に用いられる王冠は、邪馬台国説と日本神話虚構説が〔誤読〕の空理空論であると明確に直接的に指摘する史料となる。したがって、邪馬台国説と日本神話虚構説は日本国と日本人を滅ぼし、天皇即位式の王冠を引きずりおろして踏みつぶして凌辱(りょうじょく)する真っ赤なウソとなる。

⑥竜安寺(りょうあんじ)の石庭、⑦金閣寺(鹿苑寺)の庭園でも、邪馬台国説と日本神話虚構説が〔誤読〕の空理空論であり、人類共通の敵となる真っ赤なウソであることが明確に直接的に証明できる。

⑧秋田県鹿角(かづの)市に所在する国の特別史跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)、⑨長野県茅野(ちの)市に所在する尖石(とがりいし)遺跡もまた、邪馬台国説と日本神話虚構説は〔誤読〕でデッチあげた真っ赤なウソであることが証明できる。

そして、⑩奈良県桜井市三輪町に所在する最近まで入山禁止であった山頂近くと山頂にある磐座(いわくら)によって、邪馬台国説と日本神話虚構説は〔誤読〕の空論であることは決定的となる。

 わがブログ〔信長と家康の熱き魂の証言“よみがえれ 日本国誕生史”〕の6回と7回でも解説したように、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に後期縄文時代初頭にわが国に伝来した夏音文字が多数記載されている。この多数の夏音文字を邪馬台国説と日本神話虚構説は〔誤読〕を駆使して、存在しなかった漢字であると日本国民を騙(だま)す。

『魏志倭人伝』は夏音文字について「倭には殷代の亀の甲羅に刻む甲骨文字のごとく文字があった」(「倭の卜辞は令亀(れいき)の法の如く」と記述する。この夏音文字は『魏志倭人伝』の人名・小国名に用いられる。

中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝は――702年に中国に渡った日本国の遣唐使が「後稍(のち・やや)夏音を習い……」と証言した――と記載する。

この10年後の712年に『古事記』が完成した。遣唐使が「後稍夏音を習い(復興する)」と証言した夏音文字は、『古事記』上巻の随所に記載される〔音〕という注が付く1字1音文字である。

このように、原初漢字の夏音文字は『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に多数記載されて現存し、この目で見て実際に存在すると確認することができる。だから、「夏音文字は無かった」と断定した邪馬台国説と日本神話虚構説は真っ赤なウソをついていることになる。

上記に挙げた9つの史跡と天皇即位式に用いられる王冠によって、〔夏音文字は銀河各部の形状であることが明らかとなる。また、現在のわが国の当用漢字と中国の繁体文字の字形も銀河各部の形状ということになる。というのも、当用漢字と繁体文字の字形は夏音文字となった銀河各部の形状の面影を色濃く残すからである。したがって、当用漢字と繁体文字は――夏音文字の字となり・甲骨文字・金文・篆文・隷書・楷書の字源・字形・字義となった銀河各部の形状の面影が色濃く残る文字である――から、信長や家康や井伊氏たちは〔楷書は銀河各部の形状である〕と認識していたことになる。彼等は「漢字」という語は「銀河、すなわち銀漢から創られた文字」の略称であると考えていたである。

上記の9つの史跡によって――今から約5000年前の五帝時代初頭に生存した黄帝につかえた、“漢字の始祖”と古代の人々が確定した倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」・漢字となる銀河の範囲・倉頡が“神罰が下る”と厳しく定めた掟の全貌が解明できる。

倉頡は自らが考案した漢字が最も強大な権力・莫大な富・最高の名誉を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の知識を手に入れて革命に利用したならば王朝が容易に崩壊することをおそれた。

そこで、倉頡は①文字が銀河から創られ秘密を暴露した者、②文字を容易に習得するために、銀河各部の名称をつけた者、③書いた文字が用済みなったならば、文字を直ちに消さない者また消し忘れた者など、これらの人物には“神罰が下る”と定めて必ず死刑にする掟を定めた。

殷代後半に出現した甲骨文字によって、中国においては③の掟を破られたが、殷代後半期以後の各歴代古代王朝は①と②の掟を厳重にまもった。

 わが国においては、殷代後半に甲骨文字が出現する約750年前に夏音文字が伝来したので倉頡が定めた①②③の掟は厳しくまもられた。だから、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記載された〔夏音文字は銀河各部〕ということになった。

これゆえ、夏音文字は『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記載されて実在するものの、地中から発掘されない文字となったのである。

5、6世紀には隋代に完成した楷書が伝来したので③の掟が破られ、次いで712年に完成した『古事記』上巻においても夏音文字においても③の掟が破られた。けれども、①と②の掟は厳重にまもられた。

そして楷書も現代の当用漢字も銀河各部の面影が歴然と残る文字であったので、『古事記』・『日本書紀』編纂スタッフや歴代天皇や武士政権の源頼朝・足利氏・織田信長・徳川家康・江戸幕府の歴代将軍、「卑弥呼」と設計する1千万坪の遠江・細江町の大鳥の地上絵と「いまだ夏音文字の学芸は習わず」と設計する3千万坪の近江・彦根市の大鳥の地上絵をまもる井伊氏や小堀遠州は「文字は銀河各部の形」であると認識し、現代のわれわれのごとく「文字はことばをあらわす記号」と断定するものではなかった。

密教の比叡山・天台宗は朝廷から〔漢字は銀河各部の形状である学芸〕を独占的に研究することを許されて宗教界に君臨し、浄土宗の法然・浄土真宗の親鸞・時宗の一遍・禅宗の栄西・法華宗の日蓮たちは〔漢字が銀河各部の形状である学芸〕を習得した。ゆえに、これらの各宗派の高僧たちの中には〔漢字が銀河各部の形状であること〕を知っていた人物もいたことになる。

この〔漢字が銀河各部の形状である学芸〕を基軸教義として最も熱心に研究した一派は、禅宗の臨済宗妙心寺派である。ゆえに、臨済宗妙心寺派の寺院・竜安寺に造営される石庭の5群・15個の石と白砂の平庭は明確に「文字は銀河各部の形状」であると造形するものとなる。したがって、竜安寺の石庭は「文字は銀河各部の形状である学芸」を学ぶ道場であった。この竜安寺の石庭は、現代のわれわれでも「文字は銀河各部の形状」であると目で見て理解できる。ゆえに、臨済宗妙心寺派の高僧たちは『魏志倭人伝』と朝廷が“絶対に読んではならない”と厳重に禁止する反逆の史書『古事記』上巻を密かに読んで「文字は銀河各部の形状」であることを知っていた。

夏音文字の学芸は〔絶対な真理〕の〔精密な天頂緯度測定〕を基軸にして組織される。

したがって、卑弥呼王朝・その後の大和王朝と朝廷・武家幕府の政権基盤は〔精密な天頂緯度測定〕を最も重視する〔漢字は銀河各部の形状である学芸〕であった。わが国の古代の最も強大な政権基盤は〔漢字は銀河各部の形状である学芸〕であったので、この学芸が革命に利用されて政権が崩壊することをおそれたために上記した倉頡が定めた①と②の掟は厳重にまもられた。この結果、現代の学者たちは〔漢字は銀河各部の形状である真理〕に気づかなかったのである。

『魏志倭人伝』の幾つかの記事が表示する〔南〕に伸びる転回日本列島地理は夏音文字の学芸に精通する卑弥呼が立論した実在した錯覚の地理だったのである。このことは、『魏志倭人伝』と同時代(3世紀後半)に作成された1千万坪の「卑弥呼」と明確に設計された遠江・細江町の大鳥の地上絵を検証すれば直接的に科学的に立証されて何人も否定できない真実となる。

邪馬台国九州説と同近畿説は「①倭には文字が有った、そして②日本列島は〔南〕に伸びるとする転回日本列島地理に関するすべての記述を絶対に信用してはならない」と定めて、〔文献批判〕を加える。しかし、〔精密な天頂緯度測定〕によって九州説・近畿説が〔誤読の空論〕であると簡単明瞭に科学的に証明できることは、わがブログ〔信長と家康の熱き魂の証言“よみがえれ 日本国誕生史”の8回と9回に分けて説明した。

上記した9つの史跡と天皇即位式に用いられる王冠によって、『魏志倭人伝』のすべての記述は正しいと科学的に明確に証明される。

だから、邪馬台国説と日本神話虚構説の立論基盤の〔文献批判〕は〔誤読〕だったことが絶対に否定できない事実となる。

〔精密な天頂緯度測定〕と「卑弥呼」と設計する1千万坪の細江町の大鳥の地上絵と、そして古代史家の古田武彦氏が綿密な考証によって卑弥呼が居住した女王国の名は「邪馬壱(やまい)国」が事実であったことになる。また『魏志倭人伝』には一ヵ所も「邪馬台国」と表記する箇所がないので、「邪馬台国」という国名は〔誤読〕でデッチあげた産物であるゆえ、最初(はな)から邪馬台国九州説と同近畿説はデタラメだったのである。

『古事記』上巻にも、『魏志倭人伝』と同様に〔誤読〕が加えられて日本神話虚構説が構築された。

『古事記』の序は――冒頭で〔絶対的な真理〕の〔精密な天頂緯度測定〕を基軸にした夏音文字の学芸の伝来した歴史を説明し、またこの冒頭の記事は〔文字は銀河から創られた文字である〕と説明する。この両方の事実を読者が気づくように様々に工夫する文章を続けた後に、末部にて楷書の「日下(にちげ)」は夏音文字の「玖沙訶(くさか)」、楷書の「帯(たい)」は夏音文字の「多羅斯(たらし)」であると解説する。

ゆえに、『古事記』の序は――わが国には原初漢字の夏音文字は伝来し、この夏音文字は上巻の随所に〔音〕と注が付く1字1音文字であり、この夏音文字と上巻に用いられる万葉仮名の楷書は共に銀河各部の形状である――と解説していることになる。

だから、『古事記』の序は「古事記上巻 并序」(「古事記上巻 并(あは)せて序」と読む)と表記された。つまり、この世にも珍しい特殊な「古事記上巻 并序」という序は――上巻においては〔文字を銀河の各部の形状〕と定める学芸と〔精密な天頂緯度測定〕という〔絶対的な真理〕にもとづいて読めば上古の歴史を知ることができる――と解説する、『古事記』上巻を正しく読解するための心得・方法を説明するものであったのである。

『古事記』は皇室が“絶対に聖性を汚してはならない”と崇拝する皇祖・天照大御神の聖性を汚す反逆の史書であった。

『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉(よみの)国訪問説話は――前の倭女王・伊耶那美命の徇葬(じゅんそう)禁止の遺志を無視して、卑弥呼の墓を作った時と同様に、天照大御神は伊耶那美命の陵墓(熊野本宮大社の旧社地・大斎原)に多数の青年と乙女を殺して葬る残虐きわまりない徇葬儀式を決行して陣頭指揮をした。それゆえ、愛妻・伊耶那美命の遺志をまもるために伊耶那岐命は配下の小国・日本軍の兵士とともに大斎原(おおゆのはら)に築造された伊耶那美陵から伊耶那美命の亡骸をおさめる棺を奪うクーデターを敢行した。このクーデターにおいて天照大御神が率いた倭の大軍は伊耶那岐命が率いる小国・日本軍と熊野に住む戦士たちの軍に大敗して、天照大御神は捕虜となった。天照大御神は伊耶那岐命の第2后で継母でもあった。伊耶那岐命と天照大御神は千引(ちびき)の石(いわ)・現在の和歌山県新宮市磐盾町に所在する神倉神社の御神体のごとびき岩の前で、夫婦離縁の約束を誓った。この絶妻の誓いにおいて、天照大御神は「伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を尊重する人民の母親たちの産道を狭くして、一日に千人の胎児の頭を狭い産道で絞め殺してみせる」(原文は「汝(いまし)国の人草(ひとくさ)、一日に千頭(ちがしら)(くび)り殺さむ」と呪った。この呪いに対して、伊耶那岐命は「吾は女性と男性が愛しあって一日に千五百人の胎児が生まれるように、亡き妻が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を尊重するように人民に説く政事(まつりごと)をおこなう」(原文は「吾一日に千五百の産屋立てむ」と宣誓した――と記述する。

天照大御神をそのままの名で表記すれば、直ちに『古事記』は献呈拒否されて抹殺されてしまう。そこで、編纂スタッフは「天照大御神」を「黄泉国の伊耶那美命」と解釈できる反実仮装(はんじつかそう)の方法すなわち事実に反する事柄で真実を伝える記述方法を用いた。この反実仮装の記述を元明天皇が「後世の学者たちが〔伊耶那美命が徇葬を決行した〕と解釈するにちがいない偽書をよくぞ作ってくれた」と喜んで承認すれば『古事記』は献呈許可されて正史になると、編纂スタッフは企んだ。しかし、このような反実仮装の方法でも〔後世の学識者たちは必ず黄泉国の伊耶那美命の正体は天照大御神であると解釈する〕と考えた元明天皇は怒って献呈を拒絶した。

だから、『古事記』は正史になれないばかりか、朝廷が“絶対に読んではならない”と禁じる反逆の史書となった。

『古事記』が皇祖・天照大御神の聖性をいちじるしく汚す反逆の史書であることにまったく気づかない学者たちは、『古事記』について原本が伝わらない、写本も少ない、ほとんど読む人がいなかったと指摘する。

しかし、上記した源頼朝・足利氏・織田信長・徳川家康・井伊氏、そして比叡山・天大宗の高僧や学僧、禅宗・臨済宗妙心寺派の高僧たちなど、多くの人々が隠れて密かに読んでいたのである。

武家政権は『古事記』を読んだ武士たちの朝廷への反逆と天照大御神への憎悪によって創立されて朝廷を圧倒することとなった。

『古事記』は密かに隠れて読まれる反逆の史書であり、その反逆の熱き魂と心によって、彦根の「いまだ夏音文字の学芸は習わず」と設計される3千万坪の大鳥の地上絵・桂離宮の庭園・修学院離宮の庭園・竜安寺の石庭・金閣寺の庭園などが作成された。

伊勢神宮の皇大神宮(内宮)の祭神は天照大御神である。このため、伊勢神宮は『古事記』はじめ神道系の古書の閲覧を禁じて、『古事記』に記載された天照大御神が決行した徇葬と「日本建国の〔愛〕の理念を尊重する母親たちの産道を狭くして一日に千人の胎児の頭を絞め殺す」という呪いが暴露されないようにした。

天照大御神の「一日に千人の胎児の頭を絞め殺す」という日本建国の〔愛〕を憎悪する呪いは、上記した史跡の一つ・三輪山の三つの磐座(奥津磐座・中津磐座・辺津磐座)に歴然と残っている。三輪山頂上にある石は奥津磐座であり、「一日に千人の胎児を狭い産道で絞め殺す」と天照大御神が呪った〔狭い産道と狭い産道で頭を絞め殺された胎児の無残な死骸の形〕をしている。この秘密のために、三輪山は入山禁止となった。

〔狭い産道と頭を絞め殺された胎児の姿の形〕となる三輪山の頂上に在る奥津磐座の岩は、〔狭い産道と白い蛇(狭い産道に棲んで胎児の頭を絞め殺す白い蛇)〕のようにも観える。だから、『古事記』は「櫃(ひつ)に入れられ白蛇にまもられる禁断の書物」と噂された。

三輪山の麓には大神(おみわ)神社と狭井(さい)神社が所在する。この神社名の「狭井」は「狭い産道」を意味する。

学者たちは自らの〔誤読の空論〕が暴露されることをふせぐために“そんなのはウソだ!”だと反論しても、狭井神社は天照大御神が生前はもちろん死後も「狭い産道で一日に千人の胎児を絞め殺す」と誓った呪いが存続するために作った神社であることは、「卑弥呼」と設計する1千万坪の細江町の大鳥の地上絵と『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部の記述によって事実となる。また、「いまだ夏音文字の学芸は習わず」と設計する3千万坪の彦根の大鳥の地上絵は狭井神社に対抗して、伊耶那岐命は「一日に千五百の産屋立てむ」と宣誓した広い産道を表現するものであるから、学者たちは『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話を読解する能力がゼロであったことになる。

以上のごとく、学者たちには『魏志倭人伝』と『古事記』上巻を正しく読解できる能力がまったくそなわっていない。彼等は〔文献批判〕を絶対視したがために、文献を忠実に読解することが歴史学における最も重大な原則であることに気づかなかったので、すべてが真っ赤なウソとなったのである。 

私は2011年9月7日から29日までにおいて〔ABC・アルファベットのルーツとされるワディ・エル・ホル碑文の文字〕が漢字と同じ銀河各部から作られたことを証明するブログを発表した。

また、私は2011年12月16日から2012年2月3日までの〔枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は“世界の文字は銀河から創られた”と証言する〕の43回を数えるシリーズで、古代エジプト文字のヒエログリフ(聖刻文字)もまた倉頡が定めた漢字となった同一の銀河範囲から作られたことを証明するブログを発表した。

古代エジプト文字・ヒエログリフはABC・アルファベットのルーツとされるワディ・エル・ホル碑文の文字に受け継がれ、さらに原シナイ文字・フェニニア文字・ギリシャ文字・ローマ(ラテン)文字となり現代のヨーロッパ文字となる。また、古代エジプト文字・ヒエログリフの現代ペルシア文字・現代アラビア文字・現代ヘブライ文字・現代アムハラ文字のルーツとなる。

古代エジプト王朝は、銀河各部が文字であることを示すために、銀河各部の形状をあらわす神話を考案した。ゆえに、新しく文字を増やすときには、銀河各部の形状をあらわす新しい神話を工夫して作った。

このように〔銀河の形状〕を「神」とする神話を作って字数を増やした古代エジプト王朝もまた倉頡が心配したと同様に〔文字が銀河から作られた学芸〕が反体制側に習得されて革命に利用されることを防ぐために、独占管理して厳重な機密にした。だから、世界中探しても星座より明確な形をしている銀河各部に付けた名称が存在しない。

中国とわが国同様に、世界の古代王朝にとっても最も強力の権力基盤・莫大な富・最高の名誉を手に入れる方法は〔銀河各部の形状を文字とする発明〕であった。

アンドルー・ロビンソン著/片山陽子訳『文字の起源と歴史 ヒエログリフ・アルファッベット・漢字』(創元社発行)の〚はじめに〛の冒頭の文は下記のごとくである。

「文字は人類の歴史上、最も偉大な発明品の一つである。文字がなければ歴史もなかったことを考えると最大の発明といえるかもしれない。」

文字は世界の古代王朝の権力基盤となった人類最高の発明であったのである。

だから、世界中の古代王朝は〔銀河から作られた文字の学芸〕を権力基盤にして、この学芸の秘密が洩れないように独占管理して厳重な機密にした。

この結果、銀河各部に名称を付けないということが世界共通となった。

また、権力基盤となった「文字は銀河各部の形状である」と直接的に明確に伝える史跡も作らないようにして王朝の滅亡をふせいだ。

ただし、わが国だけは上記に示したように「文字は銀河各部の形状である」と直接的に明確に科学的に証明できる史跡が多数作られて保存された。

わが国では、天照大御神が決行した徇葬と伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念への呪いを憎悪する人々の熱き魂と心によって「文字は銀河各部の形状である」と伝える史跡が作られたのである。

だから、邪馬台国説と日本神話虚構説は人類共通の敵となる。両説は人類最高の発明である文字の起源した歴史を抹殺する〔誤読の空論〕である。世界の人々が、このウソを絶対に許すはずがない。

日本人の魂を有する人々よ、熱き心を有する人々よ、人類共通の宝である文字の起源の秘密が世界で唯一、科学的に解明できる史書と史跡と天皇の王冠の史料価値を無にする〔誤読の空論〕の邪馬台国説と日本神話虚構説を退治する運動に立ちあがっていただきたい! 

“邪馬台国説と日本神話虚構説は真っ赤なウソだ”だと抗議するブログを朝日新聞に送っていただきたい。

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