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2013年1月15日 (火)

信長と家康の熱き魂の証言“よみがえれ 日本国誕生史”・5

 織田信長と徳川家康は『魏志倭人伝』の末部・『古事記』上巻・『日本書紀』神代紀に記述された日本国誕生史の復興に一生をささげた。
 信長と家康は紀元前21世紀の夏音文字も紀元前14世紀の殷代の甲骨文字も7世紀の隋代に完成した楷書も、【すべての漢字は銀河各部の形状である真実】を知っていた。
 いいかえると、信長と家康は「漢字」は「銀漢(銀河)から創られた文字」の略称であり、この結果「天にすべての文字がある」から略して「天文」という語になったことを知っていた。


 
すべての漢字】は【銀河】から創られた学理を知って『魏志倭人伝』と『古事記』上巻を読解すると、〔愛〕の理念を掲げて日本国が誕生した歴史を知ることができる。
 
しかし、今日の学者のごとく、〔文献批判〕という名の〔誤読〕を加えて憶測推断・仮説に則って『魏志倭人伝』と『古事記』の記事を無視し勝手な解釈をおこなうと、その記事が伝える日本国誕生史はじめとする上古の歴史の真実・真相をまったく知ることができなくなる。

 学者たちは〔文献批判〕を加えて様々な推断や仮説を立てるが、もしも〔文献批判〕・推断・仮説で否定した記述が科学的に事実であると実証されたときに、直ちにそれらが偽りになり、その尊厳を絶対に冒してならない日本人の命と魂の根元を凌辱(りょうじょく)するものであることをまったく認識していない。
 『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の記事は〔精密な天頂緯度測定〕の一点に視点を絞って考えればすべて歴史の真相を伝えるものであることが科学的に証明される。また、両書はわれわれが認識する「文字はことばをあらわす記号」ではなく「銀河各部の形状が文字」であった、この学理の秘密にもとづいて作成されていることを学者たちはまったく知らない。
 信長と家康は『魏志倭人伝』と『古事記』上巻を〔精密な天頂緯度測定〕という基礎知識と「銀河各部の形状が文字である」という学理にもとづいて『魏志倭人伝』と『古事記』上巻が読解するものであったので、日本人の命と魂の根元である日本国誕生史の真実を知っていたのである。

 〔文献批判〕を用いて日本国誕生史を闇に葬る日本古代史学者たちの行為は日本国を滅ぼし、日本人を虐殺する行為と言っても過言でない――だから、信長と家康は日本国誕生史の復興に一生をささげたのである。
 家康は晩年、皇室に日本国誕生史の復興を要求して、1603年から彦根藩を中心に彦根藩の近隣7ヵ国12大名に動員を命じて、3千万坪の「夏音はいまだ習わず」と設計する大鳥の地上絵の作成を命じて1616年に没した。
 この彦根の3千万坪の大鳥の地上絵は着工から20年後の1622年に完成し、現在の彦根市の行政区域をあらわす地図の形となって残っている。
 この現存する彦根市の3千万坪の大鳥の地上絵の歴史は今から約4050年まえに夏音文字が伝来した後期縄文時代初頭から『魏志倭人伝』末部に登場する壱与が『古事記』上巻に登場する伊耶那美命であった3世紀半ばを経て18世紀前半に至るまでのものとなる。
 このような彦根の大鳥の地上絵の歴史を徹底的に科学的に検証すれば、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に〔文献批判〕を加える学説(邪馬台国説と日本神話虚構説)は誤読の空論・妄想・絵空事であると断定でき、信長と家康の一生によって学説が日本国を滅ぼす行為であり、また日本人を虐殺する行為であることが手に取るように明白となる。


 『古事記』序は、その全体を通して【文字は銀河各部の形状である】と解説する。
 だから、信長と家康は『古事記』序の解説にもとづいて『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の【文字】を【銀河各部の形状】に直して、両書に記述された歴史の真実・真相を知っていた。
 現在の学者たちは「漢字」が「銀漢から創られた文字」の略称であることをまったく想像しない。これゆえ、『古事記』序を読んでもチンプンカンプンで正しく理解できる能力をまったく有していない。さらに、〔文献批判〕という名の〔誤読〕で考える方法が許可されているので、この〔誤読〕の方法で『古事記』の序を解釈するために「【すべての漢字】が【銀河各部の形状】である」と解説する記述をまったく理解できない。
 要するに、現在の学者たちには、『古事記』序を正しく読解できる能力がゼロなのである。

 今から5000年前の五帝時代初頭の黄帝につかえた史官の“漢字の始祖”と崇拝された倉頡(そうきつ)は自らが考案した漢字が最も強大な権力・莫大な王朝の富・最高の名誉を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側が文字の知識を習得して革命に利用したならば王朝は容易に崩壊すると心配した。
 アンドルー・ロビンソン著╱片山陽子訳『文字の起源と歴史 ヒエログリフ、アルファベット、漢字』(創元社)の〚はじめに〛冒頭の文は下記のごとくである。
 「文字は人類の歴史上、最も偉大な発明品の一つである。文字がなければ歴史もなかったことを考えると最大の発明といえるかもしれない。」

 文字の発明は強大な権力・莫大な富・最高の名誉を手に入れる方法であり、歴史と真理を示す人類史上最も偉大な発明だったのである。
 このため古代中国はもちろん、古代エジプトでも、すべての古代王朝は銀河から作った文字の発明を革命に利用されまいと王朝が独占管理して最高に厳重な機密としたのである。そして王朝を倒すには、文字知識を必ず手に入れる必要があり、文字知識を手に入れた人々が新しい王朝を創設した。
 だから、倉頡は王朝が容易に崩壊させないために❶文字が銀河から創られたことを暴露した者、❷用済みになった書いた文字を直ちに消さない者、また消し忘れた者、❸文字を容易に習得するために、銀河各部に名称をつけた者には神罰が下ると定めて、掟を守らない者は必ず死刑にすると定めた。
 このために、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に現存する原初漢字の夏音文字は【銀河各部の形状】が【文字】となった。
 今から約3300年前に出現した殷代後半の甲骨文字によって❷の掟は破られたが、❶と❸の掟は厳守され、歴代の各々の古代王朝は銀河から創られた文字知識を独占管理して厳重な機密とした。

 この世界同一の銀河から創られた文字の秘密は厳重な機密であったために、銀河から文字が創られたと直接に伝える史跡は世界各地では作られなかった。
 しかし、わが国では夏音文字が伝来した今から4050年前に国の特別史跡・大湯環状列石
(おおゆかんじょうれっせき)が作られて現存するだけでなく、18世紀になっても家康が命令して以後も桂離宮の庭園や修学院離宮の庭園などが作られたために、文献史料と史跡がセットでそろう銀河から文字が創られた秘密が科学的に解明できる世界唯一の貴重な国となった。

 わが国には今から約4050年前の後期縄文時代初頭に夏音文字の学芸が伝来し、この原初漢字・夏音文字は『魏志倭人伝』の人名・小国名と『古事記』上巻の〔音〕という1字1音文字として現存するので、私たちは両書の原文と対面すれば夏音文字を両目で直に見ることができる。
 だから、「夏音文字はわが国伝来していなかった」と否定することはできない。
 中国の正史『新唐書』日本伝は――702年に中国に渡った日本国の遣唐使が「後稍
(のち・やや)夏音を習い……」と中国王朝に告げた――と記述し、その10年後の712年1月28日に多数の夏音文字を記載する『古事記』が完成した。
 この点からしても、「夏音文字はわが国に伝来していなかった」と否定することができない。

 司馬遷著『史記』の五帝本紀・夏本紀に登場する名門益氏の王子(夏王朝の2代帝王の益の孫の王子)と若者たちが荒波逆巻く大海を渡って日本列島に到着して、国の特別史跡・大湯環状列石が所在する東北地方の男鹿半島・米代川流域を拠点にして夏音文字の学芸をわが国に根づかせた。
 この「益氏の大海を渡った雄姿」は「益荒男(ますらお)」「大夫(ますらお)」「大丈夫(ますらお)」の語源となった。
 名門・益氏の若者たちの男鹿地方・八郎潟東岸地域の移住は、『日本書紀』神武天皇紀の初頭部の天祖降臨説話に記述されている。「天祖」すなわち「帝益の孫の王子」である。
 『魏志倭人伝』に登場する夏音文字・卑弥呼の[卑]の字源は「益なり」であり、原字の字義は「賤
(いや)しい」ではなく「益なり」であった。
 司馬遷著『史記』五帝本紀に記述されているように益氏は五帝時代の5番目の帝舜
(しゅん)の時代に「虞(ぐ)」という重職に就いた。
 この「虞」は「五帝時代初頭の黄帝時代以来、測量調査が続行された中国全土を包みこむ海岸線のより精密な地図を作成する官職」であった。
 中国全土の海岸線の地宜(
ちぎ・平面的な地図の形)は〔虎の横顔〕に相似するので[虞]の字は[虎]の下に[呉」を加える字となった。[呉]は「西から東への移動」をあらわし、「海の波が東から西に向かって寄せるのに対して、中国の黄河や長江の水は西から東へ流れる地法や地宜(平面的な地図の形)」をあらわした。
 だから、「虞」は「中国の精密な海岸線の地図を作製する官職」であった。
 益氏が担当した「中国の海岸線地帯」は「土地が低く、海に近く湿気ある地域」であるからして[卑]の字は「卑湿」という語に用いられ、字義は「低い」となったのである。だから、[卑]の字源・原字は「益なり」であった。
 司馬遷『史記』陳杞世家
(ちんきせいか)が「帝王になった益氏の子孫はどこに封ぜられたか不明である」と記述する。このように、名門益氏を受け継ぐ若者たちは日本列島に移住して中国の歴史から忽然と消えたた。このため、中国では篆文が用いられた時代から[卑]の字義は「賤しい」に転じた。しかし、甲骨文字・金文においては[卑]の字義は「益なり」であった。
 上記したように、益氏の王子と若者たちは小舟を漕いで荒波逆巻く大海を越えた歴史は「益荒男
(ますらお)」の語源となった。つまり、「氏の王子と若者たちは波逆巻く大海を越えてきた勇猛果敢な性」を略して「益荒男」という語となったのである。

 『魏志倭人伝』には「その使中国に詣(いた)るに皆自ら大夫と称す」という記事があり、「倭国からの使者は中国に到着すると皆口をそろえて“大夫”と誇示した」と伝える。
 「大夫」は万葉仮名では「ますらを」と読み、「ますらを」は現代では「益荒男」と表記する。ゆえに、中国に到着した倭の使者は全員“天祖の益氏の王子や若者のごとく荒波逆巻く大海を越えてきた”と誇示していたことになる。
 『魏志倭人伝』には「その辞は令亀(れいき)の法の如く」という記事があり、「倭の易に用いる卜辞は殷代の亀の甲羅に刻む甲骨文字のような文字があった」と伝えるから、この「令亀の法の如く」の卜辞に用いられた文字は夏音文字であったのである。
 この『魏志倭人伝』の記事からしても、「わが国に夏音文字は伝来していなかった」と否定することはできない。

 夏音文字は倉頡が定めた掟を厳守し、神罰が下ると神聖視して畏(おそ)れ憚(はばか)れたたために、用済みになった書いた文字は必ず消された。このために、発掘されない文字となった。
 しかし、【夏音文字】は【銀河各部の形状】であり、わが国では【銀河各部の形状】が【文字】であると直接に伝える数々の史跡が作られ、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記載されて現存したゆえ、実在した文字となる。
 このような【銀河各部の形状】が【文字】となる秘密が学者たちにはまったく察知できない。
 だから、彼らは『魏志倭人伝』が「倭には殷代の甲骨文字のような文字があった」という説明や『古事記』序の「楷書はじめすべての文字は銀河各部の形状である」という解説がまったく理解できない。 

 織田家の先祖は福井県丹生(にゆう)郡織田町に所在する織田剣(つるぎ)神社の神官で、また、紀元前21世紀にわが国に伝来した原初漢字・夏音文字の学芸に精通する倭王権の祭祀を担当した忌部(いんべ)氏の血を受け継いでいた。このためであろう、信長は夏音文字の学芸にくわしく、『魏志倭人伝』の人名・小国名と『古事記』上巻の〔音〕という注が付く1字1音文字は夏音文字であることを知っていた。
 徳川家康は駿河の今川義元の人質となって義元の軍師の臨済宗妙心寺派の高僧・大原雪斎(たいげんせっさい)に、8歳から14歳までの7年間、『魏志倭人伝』や『古事記』上巻に現存する夏音文字の学芸の教育を受けた。
 
大原雪斎が属した臨済宗妙心寺派の寺院である京都市に所在する竜安寺(りょうあんじ)の石庭は、夏音文字の学芸を学ぶ道場である。
 だから、家康は雪斎に教育されて夏音文字の学芸に精通していたのである。

 世界的に有名な竜安寺の石庭は15個・5群の石組と白砂の平庭・油土塀で、現在の私たちでも【すべての文字(漢字)】は左に掲載した幻冬舎ルネッサンスから発行された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bの【秋の銀河と夏の銀河の各部の形状】であるという学理を習得できる施設である。
 
現在の中国の簡体文字と朝鮮半島のハングル文字は銀河各部の形状にまったく相似しない劇的な革命を加えた。
 しかし、わが国の当用漢字はいまだ銀河各部の形状の面影を色濃く残す文字であることは、竜安寺の石庭によって明らかとなる。
 次回は、「わが国のすべての漢字は漢字各部の形状である」ことが察知できる竜安寺の石庭について説明しようと思った。

 しかし、今日(2013年1月15日)の朝日新聞の夕刊1面の〔ニッポン 人・脈・記〕は「邪馬台国を求めて 1」である。わがブログの名は「卑弥呼の逆襲」であるので、今晩から始まる朝日新聞の「邪馬台国を求めて」のシリーズに対する意見を表示したほうが、わが「卑弥呼の逆襲」のブログを開く人には興味ぶかくまた邪馬台国説はいかなるものかもよく理解できるにちがいない。
 朝日新聞の「邪馬台国を求めて」への反論を2日から3日の間に一回づつ連続するように発表した合間を縫って、必ず竜安寺の石庭を説明する。あるいは竜安寺の石庭の説明が反論するに好都合の時もあるかもしれないゆえ、いずれにしても時を見計らって説明することを約束する。

 

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