« 信長と家康の熱き魂の証言“よみがえれ 日本国誕生史”・6 | トップページ | 信長と家康の熱き魂の証言“よみがえれ 日本国誕生史”・8 »

2013年1月18日 (金)

信長と家康の熱き魂の証言“よみがえれ 日本国誕生史”・7

『魏志倭人伝』は夏音文字について「倭の占いに用いる卜辞には令亀(れいき)の法の如く」すなわち「倭の卜辞に用いる文字は殷代の亀の甲羅に刻む甲骨文字の如く」であったと記述する。また「卑弥呼が書く文書の文字は魏都・帯方郡・諸韓国の文字と差錯(ささく)・相違していたので、卑弥呼が誤解しないように、倭の伊都(いと)国の港ですべて点検し確認していた」と説明する。

このように、前回(6回)で指摘したように卑弥呼が生存した3世紀、わが国には中国から伝来した夏音文字が保存され、夏音文字の学芸は最も強力な権力基盤・莫大な王朝の富・最高の名誉を手に入れる方法となっていた。
 だから、大和王朝の基礎を築いた女王は〔夏音文字の学芸に最も精通すること〕を明示するために「天照大御神」と名乗った(夏音文字の「夏」→夏の陽射しは天を最も強く照らすので、「天照大御神」と名乗ったのである)

 
今から約4050年前の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、わが国に夏音文字は伝来した。したがって、わが国の夏音文字は今から約3300年前に出現した殷代後半の甲骨文字よりも古い。


今から約5000年前の中国の五帝時代の黄帝につかえた史官・倉頡(そうきつ)は銀河各部の形状から多数の文字を創る漢字作成原理「鳥獣の足跡」を発明した。ゆえに、倉頡は“漢字の始祖”と崇拝された。

倉頡は自らが考案した漢字が最も強大な権力・莫大な王朝の富・最高の名誉を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の知識を習得して革命に利用したならば王朝は容易に崩壊するにちがいないと心配した。
 だから、倉頡は❶文字が銀河から創られたことを暴露した者、➋書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者また消し忘れた者、➌文字を容易に習得するために、多数の文字を創ることができる銀河全範囲の各部に名称をつけた者など、これらの人物には神罰が下ると定めて必ず死刑に処すると定めた。
 この倉頡が定めた掟は、今から3300年前の殷代後半にあらわれた甲骨文字によって、➋の掟が破られることになった。しかし、甲骨文字は❶と➌の掟は厳重にまもった。

夏音文字は『魏志倭人伝』に「令亀の法の如く(殷代の亀の甲羅に刻む甲骨文字の如く)」あるいは「魏都・帯方郡・諸韓国の文書と差錯する」と記述された。
 このような夏音文字は上記に列挙した倉頡が定めたすべての掟を厳重に守る原初文字であったので、今日発掘されて発見されない文字となった。
 しかし、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に夏音文字は記載されているので、現在のわれわれは実際に目で見て存在したと確認できる文字となった。
 学者たちは「文字はことばをあらわす記号」と考えたが、「漢字」は「銀漢から創られた文字」ではないかと想像すれば倉頡の掟によって「文字は銀漢各部の形状」となったことが察知できた。
 したがって、甲骨文字以前に夏代初頭にわが国伝来した夏音文字は倉頡が容易に王朝に崩壊するのを警戒して定めたすべての掟を厳重にまもる銀河各部の形状であった。
 だからこそ、前回(6回)末部に記載したように漢字が起源した中国では夏音文字が廃絶されたにもかかわらず、白川静著『字統』に「わが国の国語として残される字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった」と指摘されることになったのである。
 ゆえに、『魏志倭人伝』の人名・小国名と『古事記』上巻の〔音〕という注がつく1字1音読みの文字として現存する夏音文字の字音が、中国の上古音よりも古い最古の漢字音ということになった。

夏音文字は銀河の形状として存在した。
 

だから、わが国が最初の漢字を習得したのは5、6世紀であると断定する定説は『魏志倭人伝』を誤読する空理空論であり妄想となる。
 白川静著『字通』(平凡社)は【文字】は「ことばをしるす記号」と定める。
 
現代のすべての学者たちは「【文字】は銀河各部の形状である」と定義しない。
 
しかし、信長と家康と井伊氏は「【文字】は銀河各部の形状である」と認識していた。
 
というのも、現代のわが国の当用漢字は楷書であるが、この当用漢字の字形にあっても銀河各部の形状の面影が色濃く残っているからである。

銀河各部の形状に類似しない漢字は、字形の変形がいちじるしい現在の中国の簡体文字である。しかし、現代の中国の繁体文字には銀河各部の形状の面影が色濃く残る。
 だから、信長と家康と井伊氏は「ことばをしるす記号」だけでなく、「【文字】は銀漢各部の形状であるからこそ、【漢字】という名になった」と定義するものであったことになる。

前回(6回)で説明した静岡県浜松市北区の細江町の行政区域をあらわらす地図の形となって「卑弥呼」と設計し「不呼(ふこ)」と表示する1千万坪の大鳥の地上絵は、『魏志倭人伝』が作成された同じ3世紀後半に作成された史跡であり、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の全記事は直接に歴史の真実・真相を語るものであると証言する。
 「不呼」は「鳰・カイツブリ」を意味した。

夏の銀河(夏の星座が漬かる銀河)は春の銀河(春の星座が漬かる銀河)・秋の銀河(秋の星座が漬かる銀河)・冬の銀河(冬の銀河が漬かる銀河)よりも遥かに巨大である。
 
天頂にめぐってきた秋の銀河の西部と夏の銀河の各部の形状が漢字となった。
 
地上から天頂にむかって巨大にそびえる夏の銀河の全体像は、ペンギンの歩く姿のごとく鳰が直立して歩く姿に相似する。
 琵琶湖は日本列島最大の湖にして、銀河と琵琶湖の南北は逆転するが、琵琶湖の湖岸の形は銀河の鳰の直立する姿に似ている巨大な夏の銀河の全形に類似する。
 だから、古代、日本一最大の琵琶湖は“鳰の海”と呼ばれた。
 この“鳰の海”という名の由来の秘密に注目して、家康は関ヶ原合戦勝利で天下取りの目安がつくと、鳰の海・琵琶湖の東岸の彦根の地に3千万坪の「いまだ夏音文字の学芸は習わず」と表現する大鳥の地上絵を作成するよう、1千万坪の「卑弥呼」の大鳥の地上絵を約1300年の間まもってきた井伊氏を彦根藩主にして命令した。

 信長の生地の〔尾張〕は『魏志倭人伝』の「弥奴(みな)国」、家康の生地の〔三河〕は『魏志倭人伝』の「好古都(こかた)国」、彦根藩主・井伊氏の生地の〔遠江〕は『魏志倭人伝』の「不呼国」である。
 家康は、この3国の地理の秘密を融合して一体化する「いまだ夏音文字の学芸を習わず」と表現する地上絵の作成を井伊藩に命じた。
 というのも、「弥奴」は「繁殖行動するときのカンムリカイツブリの直立姿勢」に相似し、好古都国・三河の地図の形は「羽根をひろげて水面から飛び立つハジロカイツブの姿」に相似し、「不呼」は「鳰の姿」を意味しまた井伊氏は「鳰と浮巣」の形となる境界線につつまれる井伊谷に居住していたからである。
 信長と家康と井伊氏の生地の地図の形は日本で生息するカイツブリ目カイツブリ科に分類される水鳥の姿に相似したので、家康は鳰(カイツブリ)の海の東岸に3千万坪のカイツブリの地上絵を思い立ち、カンムリカイツブリ・ハジロカイツブリ・鳰の形を融合して一体化する「いまだ夏音文字の学芸は習わず」とあらわす彦根の大鳥の地上絵の完成を井伊藩に命令した。
 また、倉頡が定めたすべての漢字が作られた全範囲の秋の銀河と夏の銀河は鳰の直立する姿に観え、またすべての漢字が作られた夏の銀河には「銀河」「銀漢」の語源となり[]の字と定められた「カンムリカイツブリ」に見立てられた「北天の最輝部(さいきぶ)」がある。

 天文学における「北天の最輝部」という語は「北半球に住む人々が最も輝いて見える銀河部」の略称であり、この「北天の最輝部」はカンムリカイツブリの頸以下のすべての体下面のごとく銀白色に輝くので「銀河」「銀漢」と呼ばれたのである。銀河の大部分はハジロカイツブリの眉周囲の飾羽のごとく美しい橙黄色(照る柿の実のような橙色)に輝く。そして、倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」はハジロカイツブリの眉周囲の橙黄色の飾羽と鳰の姿が密接にかかわった。だから、倉頡が発明した漢字作成原理の名称には「鳥」の字が配された。
 
このようなカンムリカイツブリ・ハジロカイツブリ・鳰は信長と家康と井伊氏の生地の地図の形と、「漢字」は「銀漢から創られた文字であった」と直接的に伝える語であったので、鳰の海の東岸の彦根の地にカンムリカイツブリ・ハジロカイツブリ・鳰の形を一体化する大鳥の地上絵が作成された。
 さらに、中国の五経の第一に挙げられる『易経』繋辞下伝(けいじげでん)は漢字の起源の秘密を「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜(ちぎ)を観る。中略。もって神明の徳に通じ、もって万物の情に類して文字を作った」と説明した。
 この文中の「天象」は「漢字となった秋の銀河と夏の銀河」のことであり、「地法」は「中国の黄河と長江の西から東に流れる水の移動」(すべての天体は地法とは逆向きに東から西へと移動・運行する)のことであり、「鳥獣の文」は「倉頡が発明した漢字作成原理の別称」であり、「地宜」は彦根市の地図の形のごとくの「平面的な地図の形」と意味した。
 「すべての漢字が作られた秋の銀河と夏の銀河の全範囲」の「天象」と「平面的な地図の形」の「地宜」が字源となり、倉頡が定めた掟によって「秋の銀河と夏の銀河各部の形状」が字となり、字源・字形・字義となった。さらに、前述したように信長と家康と井伊氏が用いた楷書の字形はいまだ銀河各部の形状の面影を色濃く残すことを後世の人々が察知すれば、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の記述はすべて史実であることが察知できた。
 だから、〔夏音文字も隋代に完成した楷書もまた銀河各部の形状である〕と後世に伝えるために、3千万坪の「いまだ夏音文字の学芸は習わず」と表現する大鳥の地宜が作られた。

この回のブログ初頭に記載したように、朝日新聞は卑弥呼が居住した王国の名を「邪馬台国」であると記した。
 しかし、古代史研究家の古田武彦氏が綿密に証明したように、『魏志倭人伝』には「邪馬台国」という国名は何度見直しても存在せず、「邪馬壱国」と表記されている。ゆえに、「邪馬台国」は誤読の産物で捏造となる。
 静岡県浜松市北区の細江町の「卑弥呼」と設計する1千万坪の地上絵と滋賀県彦根市の「いまだ夏音文字の学芸は習わず」という3千万坪の大鳥の地上絵は『魏志倭人伝』と『古事記』上巻のすべての記事は正しいと直接的に伝える史跡であるので〔文献批判〕は一切加える必要がないと明確に示し、また両書は【銀河各部の形状】を【文字】と定義する史書であると証言する。そして、この二つの大鳥の地上絵は〔愛〕の理念が掲げられた日本国誕生史を復興するために作成された史跡である。
 いっぽう、邪馬台国説は『魏志倭人伝』と『古事記』上巻のすべての記事は信用できないから、個々の記事に対しては〔文献批判〕という名の〔誤読〕を加えなければならないと定める。このすべての記事は信用できないと科学的に直接的に証明できる史跡・遺跡・遺物はいまだ一点も発見されていない。

 ある窃盗事件が起きて容疑者Aが逮捕され、刑事たちのズサンな調査によって妄想が生まれて必ずAが真犯人であると思いこまれるようになり、Aが“犯人ではない。Bが真犯人ではないか”と語る証言が無視され排除されると冤罪事件となる。このような冤罪の取り調べの場合、窃盗事件の真相・真実は把握できなくなる。Aが証言を批判・否定・排除せずに耳をかたむけてAが述べた通りの確かな証拠物件が発見されると、Aの無罪という真実が明らかになる。さらに、Bが真犯人ではないかと述べた通りの証拠物件が発見されると窃盗事件の真相・真実が解明されることとなる。
 過去の出来事はこのように証言と証拠の一致によって証明される。
 歴史もまた過去の出来事である。だから、歴史を証言する文献史料の記述とこの記述の事柄を直接的に伝える証拠となる史跡・遺跡・遺物が発見されたならば、歴史の真相・真実が証明されて古代に作られた文献史料の記述は正確であったことになる。

 「卑弥呼」と設計する細江町の大鳥の地上絵に保存された夏音文字の学芸にもとづいて「いまだ夏音文字の学芸は習わず」と設計した彦根市の大鳥の地上絵は『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の記述はすべて正しいと直接的に伝えるために作られた史跡である。
 そうすると、朝日新聞の〔邪馬台国を求めて〕という記事で注目する邪馬台国説が主張する「すべての記事は信用できない。個々の記事に対しては必ず批判を加えなければならない」という考え方は冤罪をひきおこした刑事たちが事件の真相を語る重大な証言を無視・排除する行為となんら変わらないことになる。
 だから、すべての邪馬台国説はまさしく誤読の空理空論で妄想であったことになる。
 信長と家康は日本国誕生史が復興できなければ日本国は滅び、日本民族を最も重大な真理と命の魂の根元が廃されて滅亡すると考えた。
 ということは、邪馬台国説はまさしく日本国を滅ぼし、日本民族の命と魂の根元を抹殺するものとなる。そうすると、邪馬台国説は日本国を滅ぼし・日本民族の虐殺をはかる最も悪質の詐欺・デタラメと言っても過言でないことになる。
 こんな日本人にとって最も重大な歴史の秘密に対して朝日新聞は「謎は深いほどおもしろい」と高(たか)をくくった態度で無知・傲慢・下品たっぷりに日本誕生史の真理を愚弄する。

ジャーナリストの本分は真理を尊重することであり、学者たちの空理空論・詐欺を暴くことである。
 刑事たちの冤罪事件と同じように学者たちの歴史学における根本ルールの無視と怠慢によって生まれたすべての邪馬台国説が誤読の空論・妄想であり日本建国の理想・理念と日本人の命と魂の根元を抹殺する事実は、冤罪を夢中で暴く朝日新聞社が真っ先に発表すべき使命であって、あべこべに学界に誤魔化されてさらに真実から遠ざける行為は絶対に許されることではない。

新井白石以来280年間も『魏志倭人伝』に加える〔文献批判〕は、結局、〔誤読〕ではないかと仮説と立てれば、〔文献批判〕が〔誤読〕であることは容易に察知できた。
 というのも、『魏志倭人伝』の全文は「科学」(一定の科学現象の法則のもとに、全文が組織的・系統的に合理が成立する仕組み)が成立する仕組みになっているからである。この全文をすべて合理に統一させる科学的現象の存在に気づけば、あっけないほど簡単に『魏志倭人伝』に〔文献批判〕を加えたからこそ280年間も卑弥呼が居住した王国の所在地が不明になったことが明らかとなる。
 要するに信長・家康・井伊氏のように『魏志倭人伝』に〔文献批判〕をいっさい加えない学者たちが登場すれば、すべての邪馬台国説は誤読の空論であったことが明白になった。
 もしも邪馬台国説が誤読の空論であることに気づいていれば、わが国では〔愛〕の日本建国理念にもとづいて多数の子どもたちが誕生していたにちがいなく、現状のような高齢化はおこっていなかったことになる。
 この高齢少子化は日本衰退させ、40年後には日本の国内総生産は韓国の半分となると予測する学者や研究機関も存在する。
 信長と家康は千引の石(前回参照)の前でおこなった伊耶那岐命の〔愛〕の宣誓に背いて少子化となるならば日本国が滅び日本人は消滅したことになると断定した。このような信長と家康の意見は、彦根の3千万坪の大鳥の地上絵の明確に表現された。

だから、誤読の空論の邪馬台国説を立論した人々の苦労話や学者たちの苦労をたたえて邪馬台国こそが最も正しい意見と説得するための特集を組んで、いま、朝日新聞は日本人と日本国の滅亡をはかっていることになる。
 こんな理不尽な話は、世界中探してもない。
 このままでは、信長と家康が心配したように日本は確実に滅びる。


 甲骨文字以後も❶と➌の掟はまもられ、中国の歴代古代王朝は銀河から創られた文字の学芸知識を独占管理して厳重な機密とした。 
 このように、文字の発明は強大な確かな権力基盤となり、真理を求め正しい歴史を知ることができる人類史上最も偉大な発明であった。

 わが国においても古代朝廷は文字の学芸知識を独占管理して厳重な機密として、文字の学芸を習得した王や氏族の長や巫女や神官たちは文字が銀河から創られた秘密を暴露すると神罰が下ると倉頡が定めた掟をまもり、文字の学芸を習得した仏教の僧侶や武士たちも神罰をおそれまた実際に文字が銀河から創られた秘密を暴露すると軽蔑されて権力と富と名誉を一挙に失うことになったので倉頡の定めた❶と➌の掟はまもられた。

 「銀河」は「銀漢」ともいうので「漢字」は「銀漢から創られた文字」の略称である。ゆえに、「天に多数の文字がありき」ということで、この秘密が略されて「天文」という語が生まれた。
 「漢字」「天文」という語から「漢字は銀漢から創られた文字」である秘密が簡単にわかったにもかかわらず、歴代古代朝廷と武士政権によって倉頡が定めた❶の掟は厳重にまもられて、また今日まで天文学界は楷書や現在の当用漢字の字形に類似する➌銀河各部には名称をつけなかった。
 わが国においては漢字が銀河から創られた秘密が強大な権力・莫大な富・最高の名誉を手に入れる方法であり、倉頡の掟が保存・継続されて〔漢字=銀河各部の形状〕の秘密を厳守することになったために、天皇制が今日まで継続されたのである。
 だから、倉頡が定めた掟にもとづき星座の形よりも数段も明確な形をしている漢字となった銀河各部をあらわす名称は存在しない。
 つまり、銀河各部は文字であったから、歴代古代王朝と武士政権は銀河各部の名称をつけさせない政策をおこなって、権力と富と名誉を手に入れていたことになる。

|

« 信長と家康の熱き魂の証言“よみがえれ 日本国誕生史”・6 | トップページ | 信長と家康の熱き魂の証言“よみがえれ 日本国誕生史”・8 »

学問・資格」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

卑弥呼」カテゴリの記事

邪馬台国」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

漢字の起源」カテゴリの記事

ヒエログリフ(聖刻文字)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 信長と家康の熱き魂の証言“よみがえれ 日本国誕生史”・7:

« 信長と家康の熱き魂の証言“よみがえれ 日本国誕生史”・6 | トップページ | 信長と家康の熱き魂の証言“よみがえれ 日本国誕生史”・8 »