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2013年1月13日 (日)

信長と家康の熱き魂の証言“よみがえれ 日本国誕生史”・4

 過去の出来事や歴史の真実・真相は、その出来事や歴史が確かにおこったと証明できる絶対的な要素が成立することが必要となる。
 その歴史が絶対に事実としておこらなかったと証明される意見は、間違いなく空想・妄想となるからである

 『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の記述には、すべての記述が歴史を伝えるものであると証明できる絶対的な要素が表示されている。
 いいかえると、邪馬台国説と日本神話虚構説の正体は誤読の空論であるといとも簡単に暴露することができる絶対的な要素が表示されている。
 この絶対的要素は〔精密な天頂緯度測定(いいかえると、天頂点のキャッチ)〕である。

 2世紀末から3世紀半ばに生存した倭女王・卑弥呼が登場することで有名な『魏志倭人伝』を読んで立論する邪馬台国説は、『魏志倭人伝』の個々の記事は誤っていると批判を加える。この批判は、世に〔文献批判〕と呼ばれる。
 しかし、『魏志倭人伝』は〔精密な天頂緯度測定〕という絶対的な要素によってすべての記事が実際に歴史上におこったと証明できる仕組みになっている。
 つまり〔精密な天頂緯度測定〕の記述に則ると、すべての記事は科学が成立するだけでなく、『魏志倭人伝』の全記事は実際にこの世におこった出来事であったと証明されることになる。
 ゆえに、『魏志倭人伝』には〔文献批判〕を一点も加える必要がない。

 だから、『魏志倭人伝』に加える邪馬台国説の〔批判〕は〔誤読〕であり、すべての邪馬台国説は誤読の空論・妄想であることが暴露される。

 邪馬台国説論者が『魏志倭人伝』に加える〔批判〕は科学が成立しないばかりか、その〔批判〕によって『魏志倭人伝』の約2000字がすべて消滅して1字も存在しない白紙の状態になってしまう。
 だから、邪馬台国説は絵空事である。
 なぜならば、邪馬台国説は――『魏志倭人伝』には1字も存在しない。ただし「卑弥呼」と「邪馬台国」という7文字だけは実在する――と主張する意見となるからである。
 こんなひどい絵空事は、明らかに空論であり妄想以外の何物でもない。

 『魏志倭人伝』に一点の批判を加えないで読むと、卑弥呼が居住した王国の名は「邪馬壱(やまい)国」で、邪馬壱国は山陰出雲地方(旧国の石見・出雲・伯耆)となる。
 そして、卑弥呼王朝は、日本列島の東は中国の呉の会稽(かいけい)や東治がある南の方に伸びていると誤った転回日本列島地理を制定していたことになる。
 というのも、『魏志倭人伝』には「その道里を計るに当(まさ)に会稽の東治の東に在るべし」という記事が存在するからである。

 事実の日本列島は中国の会稽・東治から〔東北〕へと伸びる。ゆえに、『魏志倭人伝』の「当然、会稽・東治の東に在るべし」と書く記事に合致しない。
 いっぽう、『魏志倭人伝』が説明する末盧国→伊都国→奴国→不弥国→投馬国→邪馬壱国までの道里によって示される南へと伸びる転回日本列島地理は会稽・東治の東へと伸びて、『魏志倭人伝』の記述に合致する。

 〔天の北極〕を基準にすると、日本列島は東に伸びる。
 現在の国土地理院が作製する日本地図は〔天の北極〕を基準にするものであるから、日本列島は東に伸びる。
 しかし、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻のすべての記事が過去に確かに起こった出来事であると科学的に解明できる絶対的な要素である〔精密な天頂緯度測定(天頂点のキャッチ)〕に則ると『魏志倭人伝』が記載してあるとおりに、日本列島は南に伸びることになる。

 ゆえに、卑弥呼王朝は〔天の北極〕を最も重視するものであったならば、「日本列島は南へ伸びず、東へ伸びる」と『魏志倭人伝』には記述されたことになる。
 しかし、卑弥呼王朝は〔精密な天頂緯度測定〕を最も重視していて、〔天の北極〕を重視していなかった。
 だから、卑弥呼王朝は日本列島は南へ伸びると思い込む、錯覚の転回日本列島地理を制定したことになる。つまり、この転回日本列島地理は実際に起こった歴史上の出来事であったことになる。
 このため、『魏志倭人伝』の記載されるすべての方位記事は卑弥呼王朝が制定した転回日本地理に統一されることになった。

 『魏志倭人伝』は「魏や朝鮮半島に所在する魏の出張機関・帯方郡の使節は大海を越えて倭地に到着できない。しかし、倭の使節は大海を越えて魏の都(洛陽)や帯方郡に到着できた」と記述する。
 この記述は「卑弥呼王朝は〔精密な天頂緯度測定〕を最も重視し、〔天の北極〕を重視していなかった」と証言するものとなる。

 『魏志倭人伝』は、卑弥呼が統治した倭と中国の魏が国交を結んで成立した史料である。
 この魏と倭の国交は魏や帯方郡政庁の使節が大海を越えて日本列島に到着するか、倭の使節が大海を渡って魏の都や帯方郡政庁に到着できてこそ成立するものとなる。
 ところが、『魏志倭人伝』に記述されたように、当時、魏と帯方郡の使節は大海を越えて日本列島に到着することができなかった。
 けれども、わが国・倭の使節は大海を越えて魏と帯方郡政庁に到着できた。
 だから、3世紀(280~289年)に著作された『魏志倭人伝』は倭の使節が大海を越えることができたという事実によって成立した文献史料となる。

 魏と帯方郡の使節と同様に倭の使節も大海を往来することができなかったならば『魏志倭人伝』はこの世に存在しなかった史料となるので、この仮説にもとづく意見は絵空事となる。
 したがって空論や妄想にならないためには――倭の使節が大海を往来して倭と魏が国交を結ぶことができたゆえ『魏志倭人伝』が著作されることになったと考えるべきことになる。
 
だから、『魏志倭人伝』の「魏と帯方郡の使節や大海を渡って倭地に到着できなかった。しかし、倭の使節は大海を往来できた」という証言は、『魏志倭人伝』を成立させる絶対的な要素を示すものとなる。
 この絶対的な要素が〔精密な天頂緯度測定〕である。

 中国においては、紀元前1世紀に天の北極を最も重視するシナ天文が完成した。
 このため、卑弥呼が生存した当時(2世紀末から3世紀半ばまで)、魏と帯方郡では〔シナ天文〕以前に存続していた〔精密に天頂緯度を測定する学術と習慣〕が失われていた。
 シナ天文が最も重視する〔天の北極の高度を緯度に換算する方法〕だと、緯度と子午軸が精確に測量できない。
 このため〔天の北極〕を羅針盤にする方法だと、大海で隔てる日本列島へ到着できなかった。それというのも、〔天の北極の高度を緯度に換算する方法〕だと大海に入った途端に位置と子午軸の測量が狂いはじめ、大海を漂流して命を落とすことになるからである。
 中国・朝鮮半島と日本列島の中間に所在する大海は〔精密な天頂緯度測定〕によってのみ渡ることができた。

  〔文献批判〕を絶対視する邪馬台国説論者たちが苦しまぎれれに“〔天の北極の高度を緯度に換算する方法〕でも中国・朝鮮半島と日本列島を隔てる大海を渡ることができる”と主張しても、この主張は絵空事であって絶対に事実ではない――このことは科学事典や科学の専門書に記載されている。
 〔天の北極の高度を緯度に換算する方法〕では絶対に大海を渡ることができない――これは事実であり真実である。
 科学事典や科学の専門書は「天頂点をキャッチできれば精密に緯度と子午軸を測定できる。しかし、〔天の北極の高度を緯度に換算する方法〕だと緯度と子午軸が精確に測量できない」と説明する――この事実は邪馬台国学者はじめなんびとにも“間違っている”と証明することができない、絶対的な事実である。
 だから、『魏志倭人伝』の「魏と帯方郡の使節は大海を渡ることができなかった」という記述は「魏と帯方郡においては、〔天の北極を最も重視するシナ天文〕のために旧来の〔天頂点をキャッチする技能を最も重視する学術と習慣〕が失われていた」と指摘していることになる。
 また、『魏志倭人伝』の「倭の使節は大海を往来できた」という記述は「倭においては〔天頂点をキャッチする技能を最も重視する学術と習慣〕が存続して栄えていた」と証言するものとなる。

 国土地理院が作成する日本地図は〔天の北極〕を基準にして日本列島は東に伸びると表示するが、この精密日本列島地図の経緯度原点は〔精密な天頂緯度測定〕によって設置されている。
 精密日本列島地図の経緯度原点は東京都港区麻布飯倉3-18の旧東京天文台の子午儀の中心であり、この子午儀の中心の天頂緯度と子午軸を精密に測定して設置されている。
 〔天の北極の高度で緯度に換算する方法〕では精密日本列島地図は作製できない。
 だからか、精密に天頂緯度と子午軸を測量して経緯度原点を旧東京天文台の子午儀の中心と定めて精密日本列島地図は作製される。
 もしも〔天の北極の高度を緯度換算する方法〕で精密日本列島地図を作製できるものであるならば、わざわざ〔精密な天頂緯度測定〕をおこなって旧東京天文台の子午儀の中心に地図作製の基準となる経緯度原点を設置する必要がまったくない。
 3世紀、迷って漂流して落命せずに大海を渡るには精密な緯度と子午軸が測量しなければならなかった。
 だから、シナ天文の完成によって〔精密に天頂緯度測定する習慣・鍛錬〕を失った中国の人々が〔緯度と子午軸が精密に測量できない・天の北極〕を羅針盤にすると大海を渡って日本列島に到着できなくなったのである。 

 『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話の末部にも『魏志倭人伝』に記載された転回日本列島地理の秘密が記載され、この転回日本列島地理の西端の緯度基点は宗像(むなかた)の三女神が鎮座する沖ノ島と大島であると表示される。

 福岡県宗像市に所在する宗像三女神は玄海灘に浮かぶ➀沖ノ島と➁大島と➂田島に所在する宮殿に鎮座する。
 日本列島の西端となる宗像市沖ノ島の北端は北緯34度15分であり、宗像市大島に所在する中津宮は北緯33度54分である。
 日本列島の東の端には伊豆諸島の神津島が所在する。
 この神津島は沖ノ島とおよそ同緯度の海上に浮かび、神津島中央には物忌奈命(ものいみなみこと)神社が所在する。
 この神津島の物忌奈神社は北緯34度13分であるので、宗像大社の中津宮(北緯33度54分)とわずか19分しか相違しないから同緯度となる。
 日本地図を開けば、日本列島の西端にある沖ノ島・中津宮と東端にある神津島・物忌奈神社は同緯度であることが明示されている。
 つまり、〔精密に天頂緯度を測定できる技能〕を最も重視する卑弥呼王朝は日本列島の両端にある沖ノ島と神津島の天頂緯度が同じであることに注目して、転回日本列島地理を制定したのである。

 卑弥呼王朝では〔天の北極〕を重視されず、〔肉眼で精密に天頂緯度を測定する技能〕が日々鍛錬されて最も重視されていた。
 沖の島が浮かぶ玄海灘の[玄〕の原字・字源は「肉眼で精密に緯度と子午軸ができる天頂緯度線」である。
 だから、卑弥呼王朝は「玄」と呼ばれる「精密に測定した天頂緯度線」によって玄海灘に浮かぶ沖ノ島と神津島がほぼ同緯度であることを知っていたのである。

 沖ノ島は冬に雪が降る。しかし、亜熱帯地区の神津島には冬に雪が降らない。
 これゆえ、沖ノ島・神津島の同緯度においいては、西(沖ノ島)は冷たい地・東(神津島)は暖かい地となる。これを“西冷東暖”と表現する。
 いっぽう、中国北部(華北)の山東半島の気候は冷たく、中国南部(華南)の会稽・東治は暖かい。ゆえに、中国大陸は“北冷南暖”ということになる。
 中国大陸の北と日本列島の西端は冷たい気候で合致し、中国の南の会稽・東治と日本列島の東端は暖かい気候で合致する。
 だから、卑弥呼王朝は「中国の北と日本列島の西端(沖ノ島)が合致し、中国の南の会稽・東治と日本列島の東端(神津島)が合致するので、王国・邪馬壱国は沖ノ島の南に所在し、日本列島は中国海岸線の南の方に伸びているにちがいない」と考えたのである。
 この卑弥呼王朝の転回日本地理を明確に示す記述が上記した「その道里を計るに当に会稽の東治の東に在るべし」である。

 『魏志倭人伝』は――倭の使節は事実に反して日本列島は南に伸びることになる〔精密な天頂緯度測定〕を最も重視して大海を往来した――と記述し、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部は――転回日本列島地理が立論されることになった〔精密な天頂緯度測定〕が卑弥呼王朝における最も強力な権力基盤であった――と記述する。
 このように、邪馬台国説がその存在を否定する『魏志倭人伝』に記述された転回日本列島地理を証言する比較文献は存在する。この比較文献となる『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話の末部に転回日本列島地理は記述され、玄海灘の[玄]の字源・原字の秘密となって現存する。

 邪馬台国説の考えだと倭の使節は卑弥呼王朝が重視した〔天の北極〕を羅針盤にして大海を渡ったことになるのですべてが絵空事となり、邪馬台国説は空論・妄想であることが決定的となり、〔文献批判〕は〔誤読〕であることになる。
 〔天の北極〕を羅針盤にすると倭の使節は大海を渡れなかったので、〔天の北極〕を基準にすれば日本列島は東に伸びることになると反論して転回日本列島地理を否定する邪馬台国説は直ちに空論・妄想・絵空事となる。

 同様に、〔精密な天頂緯度測定〕の一点に視点を絞って考えると『古事記』上巻のすべての記述は歴史を伝えるものと化すので、戦後に津田左右吉によって確立された日本神話虚構説は誤読の空論であり妄想であったことが決定的となる。
 というのも『古事記』上巻のすべての記事を〔精密な天頂緯度測定〕にもとづいて読解すれば歴史が表示される仕組みになっているからである。
 つまり、津田左右吉は『古事記』上巻の記事を正確に読解できる能力をまったく有するものでないことが証明され、彼が提唱した日本神話虚構説は誤読の空論・デタラメであったことが手に取るように明白となるからである。

 中国の正史『後漢書』倭伝の末部は――シナ天文が確立されていなかった紀元前3世紀において方士(天文学者)の徐福一行は日本列島に到着して定住した。この徐福一行が定住して子孫が栄えていた地は卑弥呼が統治する倭に隣接する東鯷人(とうていじん)国である。卑弥呼が生存した3世紀、東鯷人は定期的に呉の会稽に到着して交易をしていたが、この東鯷人たちが往来する海の道は中国の人々には遥かに遠くて途中で道が絶えていることになるので往来することはできない――と記述する。
 この記事が示すように――卑弥呼が生存した当時、日本列島ではシナ天文は習得されておらず、徐福が生存した紀元前3世紀において廃絶していなかった〔精密な天頂緯度測定〕が存続して栄えていたので徐福一行は大海を越えて日本列島に到着できたのである。その後、中国では紀元前1世紀に〔天の北極〕を最も重視するシナ天文が完成したので、卑弥呼が生存した3世紀になると、中国の人々は〔精密に天頂緯度測定する習慣〕を失ったために大海を越えて日本列島に到着できなくなった。
 このように科学事典や科学の専門書は――〔天の北極の高度を緯度に換算する方法〕は不正確であって大海を渡ることができないと示し、天頂点をキャッチすれば精密に緯度が測定できるので大海を渡ることができた――と説明する。
 これゆえ、〔精密な天頂緯度測定〕の一点に絞って考えれば〔文献批判〕を加える邪馬台国説と日本神話虚構説は完全なる空想であり妄想であることが簡単に解明できる。

 『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の記述は〔精密な天頂緯度測定〕によってすべて信用できる仕組みになっている。
 この〔精密な天頂緯度測定〕を最も重視する学芸に則って、織田信長と徳川家康は『古事記』上巻に記述された日本国誕生史の復興に一生をささげた。
 『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部は「日本国は伊耶那美命(3世紀半ばに生存した、『魏志倭人伝』末部に記載される倭女王・壱与)が提唱した〔愛〕の理念のもとに誕生したが、この日本建国の〔愛〕の理念を伊耶那美命・壱与の後を継いで倭女王となった天照大御神は敵視して憎悪した」と書く。
 信長と家康は日本国誕生史の真実と真相を復興するに一生をささげたのは、日本建国の〔愛〕の理念が日本民族の命と魂の根元であり、アイデンティティであったからにほかならない。
 これゆえ、日本国誕生史の真実を失うことは日本人としての心を失い、強い意思をもって真の日本人として生きる信念を失い、その結果おのずと未来・子孫への希望も失うことになるから、結局、日本国誕生史を復興しないと日本国と日本民族は近い将来に滅亡するにちがいないと信長と家康は考えたのである。

 上記に示した『魏志倭人伝』と『古事記』上巻が過去に作られた史書として成立させることができる絶対的な要素は〔精密な天頂緯度測定〕であると究明できる、この思考方法はいわゆる“超合理”の考え方である。
 1980年代に入ると先端科学者たちは“デカルトなんかいらない。西欧近代科学の合理の考え方は傲慢な単純化をする、無秩序から秩序を創造できない、複雑な事物・事象を複雑にあつかうことができないなど幾つの誤りや欠点がある。西欧近代科学よりも東洋の神秘思想の合理の上のさらなる合理を探求する超合理の考え方のほうが優れている”といくつかの国際会議を開いて警告した。
 この先端科学者たちの運動は21世紀の在り方を示すものであるにちがいなく、21世紀は1980年代から始まっていたのである。
 ゆえにかつてデカルトが提唱した西欧近代科学の方法論が栄えた時代は1980年代で終わり、21世紀は先端科学者たちが注目した東洋の神秘思想の超合理の考え方を基礎に大きく発展する時代になった。
 というのも、先端科学者たちは超合理の考え方をもって世界を支配しはじめており、西欧近代科学の考え方には陰りがはっきりと見えるからである。
 『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記述された歴史は西欧近代科学の傲慢な単純化の産物である〔文献批判〕ではキャッチできない。しかし、信長や家康が有していた東洋の神秘思想の超合理によって見出される〔精密な天頂緯度測定〕の一点に絞って考えれば歴史が手に取るように明白となる。
 だから、西欧近代科学の考え方は信用できないうえに、21世紀においては西欧近代科学の考え方を優先すると国家が立ち行かなくなるにちがいない。
 先端科学者たちが如実に示しているように、誤読の空論の邪馬台国説と日本神話虚構説を生んだ西欧近代科学の考えでは国力も経済も繁栄・発展しなくなった時代が到来したのである。

 1980年代までは西欧近代科学の考え方を基礎に大きく発展して輝かしい成果を上げることができたので、空論・妄想の基盤となる〔文献批判〕を正しいとする力学は通用した。
 しかし、1980年代以降は西欧近代科学の考え方は国力や経済を衰退させる原因となるものとなった。このために西欧近代科学が起源したヨーロッパ経済は衰退し、古い西欧近代科学の合理と新しい超合理の考え方が入り混じって世界中が混乱する状況になった。
 先端科学者たちが道筋を示したように、21世紀は西欧近代科学の合理思考は衰退し、われら先祖たちが有していた超合理の考えが世界を席巻することになったのである。
 超合理の考え方をすれば、邪馬台国説と日本神話虚構説が空想・妄想であることはいとも簡単に解明できる。
 超合理の考え方をすれば〔愛〕の理念が掲げられた日本国誕生史の真実と真相が手に取るように解明でき、なぜ信長と家康は日本国誕生史の復興に命をささげたのかも明らかとなる。
 邪馬台国説と日本神話虚構説とおさらばする時代が到来したのである。

 邪馬台国説と日本神話虚構説がウソ八百の絵空事であるという解明も大事であるが、この解明よりさらに大事なのは21世紀は超合理が世界を支配するという、この点である。
 今や超合理の考え方が市民権を得なければ、国家と民族は衰退することになった。
 英国の「エコノミスト」誌は――2050年の日本の姿は超高齢化の末に世界への影響力をも失って豊かさも失った、並以下の国になる――と予測する。
 しかし、先端科学者たちは日本の先祖たちが有していた超合理の考え方で世界の経済までも支配しだしている。
 このことからして、超合理の考えにもとづいて『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記述された日本国誕生史の真相を復興することができるならば英「エコノミスト」誌の予測ははずれるにちがいない。
 英「エコノミスト」誌の予測は西欧近代科学の考え方にもとづくものであり、英国は西欧近代科学の考え方に支配されているために経済が衰退したことに気づいていない。
 今や先端科学者たちはわが国の先祖たち(西欧近代科学の考え方を取り入れた新井白石以前の先祖たち)の超合理の考え方を用いて数々の輝かしい発明や成果を上げている。
 だから、わが国は新井白石以前の先祖たちが有していた超合理の考え方を復興して日本国誕生史の真実を蘇らせれば、21世紀には数々の発明がなされ輝やかしい成果にめぐまれて繁栄することが約束されている。
 現在の日本が直面する課題は邪馬台国説と日本神話虚構説は誤読の空論であると指摘して排除しなければならなくなったのである。そして、先端科学の状況からして21世紀は白石以前の先祖たちが確立していた超合理の考え方を復興すれば豊かさと繁栄を手に入れることができるようになったと気づかねばならなくなったのである。
 今や邪馬台国説と日本神話虚構説をこのまま放置すれば、英「エコノミスト」誌が予測したとおりにわが国は貧窮して並以下の国となる状況となったのである。

――だから、空想・妄想であるにもかかわらず邪馬台国国説と日本神話虚構説が正論のごとく厚かましく威張りくさっている現況を、日本誕生史の復興に一生をささげた信長と家康は草場の陰で泣いているにちがいない。

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