G-T0XYQT12LL 卑弥呼の金印の隠し場所の夢・1: 卑弥呼の逆襲

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2013年5月 9日 (木)

卑弥呼の金印の隠し場所の夢・1

約280年前の新井白石以来、学者たちは「『魏志倭人伝』の記事は全面的に信用してはならない。個々の記事に必ず批判を加えなければならない」と定める。
この考え方は〔文献批判〕と呼ばれ、学者たちは絶対的に誤っていない正しい考え方であるとと信じている。
しかし、この〔文献批判〕の正体は「誤読」である。
だから、『魏志倭人伝』が倭女王・卑弥呼が居住した王国の名「邪馬壱国(やまいこく)」を勝手に〔邪馬台国〕と改める邪馬台国説は誤読の産物・空理空論・妄想であることは何人にも否定できない事実となる。

当時、魏や帯方郡(朝鮮半島の一角に所在した魏の出張機関の政庁が朝鮮半島の一角にあった郡)の使節は大海を渡ることができなかった。他方、倭の使節や船乗りは大海を往来できた。
したがって、倭の使節や船乗りが大海を往来できたから魏と倭が国交を結ぶことができたために、『魏志倭人伝』という史料が現存することになったのである。
倭の使節と船乗りたちは天頂緯度線と[玄](天頂点と南または北の目印となる銀河部位や恒星を結んで形成される子午線)をキャッチできる眼力と技(わざ)を鍛錬するものであったからこそ、大海を往来することができたのである。
一方、紀元前1世紀に天の北極を最も重視するシナ天文が完成したため、2世紀~3世紀になると中国の人々は天頂緯度線と[玄](子午線)をキャッチする眼力と技を鍛錬する習慣が廃絶されたので大海を渡ることができなくなった。

天の北極の高度で緯度換算する方法の場合、緯度と子午線の測量は不正確となる。
これゆえ、大海に入ると直ぐに緯度(位置)と方位(子午線)が皆目わからなくなって海の藻屑(もくず)となって命を落とした。
当時における大海を往来する方法は位置と方位が精密に測量できる天頂緯度線と[玄]のキャッチする方法――この方法しか存在しなかった。
大海を往来できる方法はたった一つ、天頂緯度線と[玄]のキャッチする方法しか存在しなかったのである。
だから、早い話が[玄]のキャッチ、この一点に絞って考えると邪馬台国説は真っ赤なウソであると1時間もすれば断定できまた確信できる。
だから、白石以来約280年も費やしても未だ解決に至らない邪馬台国説学者たちにはウンザリである。
それゆえ、私が夜な夜な見る夢に登場する卑弥呼の金印の隠し場所について、今日から伝えることにした。

シナ天文のごとく天の北極を最も重視すると大海を往来できなくなるが、日本列島は東へ伸びると断定することができる。
ところが、日本列島の西端には玄海灘に浮かぶ沖ノ島が所在し、日本列島の東端には伊豆諸島の神津島が所在する。この沖ノ島と神津島は同緯度である(北緯34度15分)。西の沖ノ島は冬に雪が降るが、亜熱帯地区の神津島は冬になっても雪が降らない。ゆえに、日本列島は“西の沖ノ島は冷たい気候区、東の神津島は暖かい気候区”であるからして、“西冷東暖”ということになる。
中国大陸の海岸線地帯と気候の様子は“北の海岸線地帯の気候は冷たく、南の海岸線地帯の気候は暖かい”ので“北冷南暖”となる。
ゆえに、卑弥呼王朝は中国の“北冷”と日本列島の“西冷”が合致し、中国の“南暖”と日本列島の“東暖”が合致するので、中国の海岸線の南のほうに日本列島は伸びていると錯覚する転回日本列島地理を制定した。
『魏志倭人伝』は最も多くの記事で「日本列島は中国海岸線の南の方へ伸びる」と錯覚した卑弥呼王朝の錯覚の転回日本列島について証言する。
この錯覚の転回日本列島地理の西のポイントとなる沖ノ島は玄海灘に浮かぶ。「玄海灘」の[玄]の字源・原字は「天頂緯度線の中央にある天頂点と南または北の目星となる銀河部位や恒星とを結ぶ子午線」であった。
倭の使節は大海を往来できたから[玄]をキャッチできたことは何人にも否定できない事実となる。だから、卑弥呼王朝は同緯度の玄海灘の沖ノ島と伊豆諸島の神津島における[玄]のキャッチに基づく錯覚の転回日本列島地理を制定していたことになる。
この転回日本列島地理はウソだと邪馬台国説学者たちは断定するが、この錯覚の転回日本列島地理は728年まで実在した地理であったことは、我こそが日本古代史学者で最も権威ある学者であると鼻にかける大先生にあっても、古代史学界を牛耳る学士連が食ってかかって否定しても、何人にも否定できない絶対的な事実となる。
もしも日本列島が東に伸びると卑弥呼王朝が実際の日本列島地理を制定していたならば、倭の使節は大海を越えて魏都に到着できなかったことになるので『魏志倭人伝』は1字も文字が書かれていなかい白紙だったことになる――このように、学者たちが主張する邪馬台国説の場合は『魏志倭人伝』は1字も文字が書かれていない白紙だったという結論となる。
だから、「玄海灘」の[玄]の字の一点に絞って考えると、邪馬台国説は荒唐無稽(こうとうむけい)の空想・空理空論であることが何人にも否定できない事実であることが簡単に証明できる。
邪馬台国学説は鼻くそ目くそよりも価値のない、どうでもよい実の無い無駄話ということになる。
だから、私が今日から開設する卑弥呼の金印の在り処を話題とするブログのほうが、邪馬台国学説よりもずっとはるかに面白い真面目な話ということになる。

『魏志倭人伝』は「倭の易の卜辞に用いる文字は令亀(れいき)の法の如く」と記述して、今から約3300年前の殷代後半から出現した甲骨文字よりも古い原初漢字が伝来していたと証言する。
『魏志倭人伝』に記載される人名・小国名に使われる文字は「倭に甲骨文字が出現した時よりも750年前の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)において、日本列島に夏音(かおん)文字が伝来していた」と科学的に証明できる証拠となる。
『魏志倭人伝』は「卑弥呼が書く文書の文字は魏の都・帯方郡・諸韓国が使用する楷書と差錯(ささく・相違)する文字であったので、倭の伊都国の港では誤解によって国交に支障が生じないように点検し、確認して間違いがないようにしていた」と記述する。
卑弥呼が使用する夏音文字は「銀河各部の形状」が「文字」となる原初漢字であった。
だから、『魏志倭人伝』が証言するように実在する文字であったが、遺跡から出土しない文字となった。
ゆえに、学者たちは『魏志倭人伝』の「倭には文字があった」という記述はまったく信用できないと勝手に決め込んだのである。
夏音文字は〔書いた文字が用済みになったならば、必ず文字を消さなければならない。文字を消さない者または消し忘れた者は即刻死刑に処する〕と定める厳しい掟によって「漢字は銀河から創られた秘密」を守っていた。
「銀河」の別名は「天漢」または「銀漢」であったので、「銀漢から創られた文字」を略して「漢字」と称したのである。もちろん、「漢の文字」を略して「漢字」となったのではない。
「銀河各部の形状」は「文字」であったために、〔天に多数の文字ありき〕となった。この〔天に多数の文字ありき〕を略して、「天」は「天文」と称されることになった。
学者たちは『魏志倭人伝』を読めば簡単に原初漢字の実体が解明できる「漢字」「天文」の語源の秘密をまったく知らない。
これゆえ、『魏志倭人伝』は邪馬台国説学者たちの想像力はゼロ、彼らの真実の察知力もゼロ、とその正体を遠慮お構いなく徹底的に暴く書物である。

中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝には――702年に中国に渡った日本国の遣唐使が「後稍(のちやや)夏音を習う」と中国王朝に伝えた――と証言する記事がある。
この「後稍夏音を習う」という語句は「壬申の乱の後、本辞(先代の旧辞。旧辞)に書かれている夏音文字のすべてを使用しないで、稍々(やや)すなわち一部だけを楷書に変換して復興する史書編纂が企画された」と意味した。
10年後の712年に『古事記』が完成し、遣唐使が中国王朝に「稍夏音を習う(楷書に変換して夏音文字を復興する)」と伝えたとおり、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く1字1音文字の夏音文字が記載されている。
日本列島に伝来した後期縄文時代初頭以来、夏音文字は〔銀河各部の形状から文字が創られたことを秘密厳守して、この秘密を暴露する者は即刻死刑にする文字〕であったが、『魏志倭人伝』に記述されているとおり三国時代以来夏音文字は楷書で表記することが定式となった。
ゆえに、『魏志倭人伝』と同じく『古事記』上巻には多数の夏音文字が楷書で記載されることになったのである。

「卑弥呼」の3字を「ヒミコ」と読むのは夏音文字の字音であり、夏音文字の「ヒミコ」を楷書に変換すると「卑弥呼」となったのである。
中国で現存する最古の漢字音は卑弥呼が生存した魏より以前の上古音である。この上古音で「卑弥呼」を読むと「ピミカ」となる。
「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む字音は、中国の上古・殷代後半の甲骨文字の字音より古いものとなる。
ゆえに、「卑弥呼」を「ヒミコ」と読むと、殷代後半の甲骨文字よりも約750年前の今から約4050年前の夏代初頭の漢字音となる。
わが国の中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)は「わが国の漢字音」と題して「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊にその音韻史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレーンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」と指摘する。

白石から始まる邪馬台国説学者たちは「卑弥呼」を「ヒミコ」と夏音文字の字音で読む。
ということは、邪馬台国説を主張する学者たちは「もちろんわが国には夏音文字があったにちがいない。でも、夏音文字が無いと断定しないと邪馬台国説が荒唐無稽のウソ八百であることが容易にわかってしまう。だから、オタンコナスのマスコミやジャーナリストはじめボケナスの国民の頭では、我らの詐欺・偽りは絶対に察知することはできっこないので、邪馬台国説は永遠に不滅である!」と嘯(うそぶ)いていることになる。
このような横柄きわまりない邪馬台国説学者の正体を見破ったせいか、今日このごろ、私が夜な夜な見る夢に「文字」となった「壮麗な銀河」の光景が現れて、『魏志倭人伝』が「魏帝が卑弥呼に授けた」と書く金印の隠し場所を指し示す。
こういう次第でありますので、邪馬台国説学者たちのウソ八百を暴きながら、私が夜な夜な見る――卑弥呼の金印の在り処を示す夢について語り続けることにした。
この夢は正夢か幻想かは不明であるが、しかしながら邪馬台国学説よりも遥かに信憑性があることは確かなことである。

  

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