« 卑弥呼の金印の隠し場所・10 | トップページ | 卑弥呼の金印の隠し場所・12 »

2013年6月16日 (日)

卑弥呼の金印の隠し場所・11

 新井白石から始まる約280年におよぶ学者たちの邪馬台国説研究の『魏志倭人伝』に加える〔文献批判〕の正体は〔誤読〕である。
 したがって、学者たちの邪馬台国説は〔誤読の空理空論〕・〔誤読の産物〕ということになる。
 ゆえに、朝日新聞出版が7月30日に発行する予定の週刊誌『日本の歴史 邪馬台国と卑弥呼の謎』における「邪馬台国は畿内説が最有力」という主張・意見は〔誤読の空理空論〕となり、根拠・理由がゼロの真っ赤なウソということになる。
 学者たちが主張する邪馬台国説は錯覚であり・妄想であると断定しなければならない。

 『魏志倭人伝』は最も多くの記事をもって「日本列島は南に伸びる」と説明する。
 日本列島地理を定める方法となる〔緯度と子午線の測定〕は➀天の北極の高度で緯度に換算する方法と、これ以外にもう一つ存在して➁〔[玄]をキャッチする方法〕が存在する。
 学者たちは、日本列島地理を定める方法について➀天の北極の高度で緯度を換算する方法のみ一つしか存在しないと想定して、『魏志倭人伝』に〔誤読(文献批判)〕を加える。

 白石から始まる学者たちの邪馬台国説は「日本列島地理を定める方法は、天の北極を基準にする方法のみしか存在しない」というトリック(誤魔化し)を用いて、〔誤読の空論〕をわれわれ国民に押し付け、朝日新聞出版のごとく明確に〔誤読の産物〕である妄想をあたかも正当な意見のごとくに偽装して金もうけに奔走する。

 現在の学者たちの邪馬台国説が“文献批判”という名の〔誤読〕で立論する錯覚であると同じく、上記した➁の〔[玄]のキャッチ〕を権力基盤とした卑弥呼王朝は「日本列島は中国の海岸線地域の南の方に伸びる」と錯覚する転回日本列島地理を制定した。
 このため、『魏志倭人伝』に方位に関するすべての記事は、下の上図に示す方位が90度時計回りに転回する日本列島地理にもとづいて、この転回日本列島地理のもとに全記事は合理が成立し一点の矛盾点も一か所の不合理な記事も存在せず、しかもその各部の記事も互いに合理が成立する仕組みになっている。
 それに対して、朝日新聞出版が週刊誌『日本の歴史 邪馬台国と卑弥呼の謎』にて得意満面に国民に語りかけて洗脳しようとはたらきかけた畿内説は13ヵ所の矛盾点・不合理な点を有する。
 また、学者たちが立論する邪馬台国九州説も同様に13ヵ所の矛盾点・不合理な点を有する。
 邪馬台国説畿内説と九州説が有する13ヵ所の矛盾点・不合理な点は大したことではないかと思うかもしれないが、約2000字(400字詰めの原稿用紙のマスに1字ずつ記入すると、わずか5枚ですむことになる)で構成される『魏志倭人伝』においては、そのほとんどの記事が誤っていることになってしまうことになる。

 卑弥呼王朝をささえる権力基盤は、下に示す上図の記入した「玄海灘」の先頭字の[玄]の字の秘密、すなわち〔[玄]をキャッチする方法〕であった。
 この[玄]は「精密に測量できる天頂緯度線と子午線」、つまり「精密に測量できる天頂緯度と、天頂緯度線上の天頂点と90度の方角にある北あるいは南の目星を結んで形成される子午線」をあらわすものであった。
 ゆえに、楷書形[玄]の上部の[亠(とう)]の下の[一]は「天頂緯度線」をあらわし、[中央の短い縦線]は「天頂点と北あるいは南の目星を結ぶ、子午線」をあらわした。

 下に示す上図において、日本列島に西端の玄海灘に浮かぶ沖ノ島と、日本列島の東端にある伊豆初頭の神津島は共に北緯34度15分で同緯度であり、卑弥呼王朝の権力基盤である〔[玄]をキャッチする方法〕ならば沖ノ島と神津島が同緯度であることが測定できた。
 西端の沖ノ島は冬になると雪が降るので〔西冷〕となり、東端の亜熱帯地区の神津島は冬でも雪が降らないので〔東暖〕となる。
 中国の華北地方の海岸線地域は冷たい気候区であるので〔北冷〕となり、華南地方の海岸線地域は暖かい気候区であるから〔南暖〕となる。
 ゆえに下にある上図に示したごとく、中国の〔北冷〕と日本列島の〔西冷〕が合致し、中国の〔南暖〕と日本列島の〔東暖〕が適合するので、卑弥呼王朝は日本列島は南に伸びると錯覚したのである。
 『魏志倭人伝』のすべての方角に関する記述は、下にある上図に示した錯覚の転回日本列島地理を説明する貴重な実在した歴史証言である。
 この卑弥呼王朝が制定した転回日本列島地理に則ると、倭女王・卑弥呼が居住した王国の邪馬壱(やまい)国は旧国の出雲、現在の島根県東部となる。
 (『魏志』倭人伝は卑弥呼が居住した王国の名を「邪馬壱国」と記載する。学者たちは「邪馬台国」は誤読によるものである)

 下の下図に、出雲(島根県東部)の八束(やつか)郡島根町に所在する「加賀(かか)の潜戸(くけど)の新潜戸」を図示した。
 下の下図に示すように、加賀の潜戸の新潜戸の「東戸―西戸」の洞窟と「北戸」からの洞窟の形は、[亠]の字形に合致する。
 [玄]の[亠]の下は[幺(よう)]であり、漢字の字源を説明する字書の聖典である『説文解字』は[幺]の字源を「小なり。子の初生の形に象(かたど)る」と解説する。
 『出雲国風土記』にある〔加賀の新潜戸伝説〕は「佐太大神が誕生した」と語る、[幺]の字源解説と合致するものとなる。
 だから、〔加賀の新潜戸伝説〕は、上図の「玄海灘」の先頭字の[玄]の字の秘密を今日伝えるものとなる。

 学者たちの邪馬台国説の立論基盤となるる➀天の北極を基準にすると、緯度と子午線の測量が不精確となったので、海に入ると途端に位置と方角が不明となって玄海灘を渡ることができなくなり、家族が待つ家に帰還できずに海をさ迷って落命した。
 精密に緯度と子午線が測量できる〔[玄]をキャッチする方法〕ならば、玄海灘を往来することができて家族が待つ家に帰ることができた。
 中国では紀元前1世紀に〔天の北極〕を最も重視するシナ天文が完成したため、紀元前1世紀より以前に栄えていた〔[玄]をキャッチする眼力と技(わざ)を鍛錬する習慣〕が廃絶されたため、卑弥呼が生存した3世紀になると、魏の使節もまた魏の出張機関がある帯方郡の使節も玄海灘を渡ることができなくなって、日本列島に到着できなかった。
 しかし、日本列島においては〔天の北極〕を重視する天文地理学はまったく確立されていなかった。
 日本列島では〔[玄]をキャッチする眼力と技を鍛錬する習慣〕が栄えていた。
 というのも、この〔[玄]をキャッチする天文地理学〕によって『魏志倭人伝』に記載された転回日本列島地理が立論されたように、〔[玄]をキャッチできる能力〕が強力な権力、莫大な富、名声・名誉を手に入れる方法であったからである。
 したがって、魏と帯方郡の使節が玄海灘を渡ることができなくても、倭の使節は玄海灘を渡ることができて帯方郡政庁と魏の都に到着できたので魏と倭は国交を結ぶことができたため、『魏志倭人伝』が著作されたことになる。
 〔天の北極〕を基準にすれば日本列島は東に伸びて、南に伸びるはずがない。ゆえに、『魏志倭人伝』のすべての方角記事は正しいと絶対に信用してはならない――と主張する学者たちの邪馬台国説の場合、倭の使節もまた玄海灘を往来できなかったことになる。
 そうすると「約2000字で構成される『魏志倭人伝』は1字も文字が書かれていない白紙であった」という結論になる学者たちの邪馬台国説は、結局、“『魏志倭人伝』の全記事はウソであった”という奇怪きわまりない非現実的な事態となる。
 学者たちが主張する邪馬台国説の実体は――説論事体がまったく成立しない空理空論であって、無意味な不条理・不正・非理となる、真面目に話に付き合うと思わず噴き出してしまう馬鹿げた笑い話なのである。

 『魏志倭人伝』に記載された卑弥呼王朝が〔[玄]のキャッチ〕にもとづいて制定した転回日本列島地理は、〔天の北極〕を最も重視するシナ天文が習得された聖武(しょうむ)天皇の時世の738年に〔日本列島は東に伸びる〕と改定された。
 したがって、卑弥呼が生存した3世紀から738年までのおよそ450年間は、転回日本列島地理は歴史上に実在した錯覚の地理論だったのである。
 この転回日本列島地理の経緯度原理が存在する子午儀に相当するのが、邪馬壱国の加賀の潜戸の新潜戸であったのである。
 下に示す下図に示す[亠]の字形となる加賀の新潜戸の洞窟は、精密にいうと東戸・西戸は同緯度ではなく、東戸のほうがわずか緯度が高い。
 加賀の新潜戸から誕生した佐太大神が鎮座する佐太神社は島根県八束郡の鹿島町に所在する。
 この出雲の鹿島町の佐太神社のはるか遠くの太平洋に面する東方、茨城県鹿島郡には鹿島神宮が鎮座する。
 西の出雲鹿島町の佐太神社は北緯35度30分、本州東端の鹿島郡の鹿島神宮は北緯35度58分であるゆえ、加賀の新潜戸の[亠]の洞窟に合致して、東の鹿島神宮は28分だけ緯度が高い。
 卑弥呼王朝が制定した転回日本列島地理の子午儀は加賀の新潜戸であったので、中国の正史『隋書』倭国伝には「その地勢は、東が高く西が低い」という記事が存在する――この記事は「東の鹿島神宮は緯度が高く、西の鹿島に鎮座する佐太神社の緯度は低い」と指摘するものであったにちがいない。

 以上からして、『魏志倭人伝』が「魏の明帝が倭女王・卑弥呼に与えることにした」と記載する金印は、転回日本列島地理の子午儀となった加賀の新潜戸における西戸の洞窟の入り口付近に隠されたと考えられる。
 西戸の洞内に入ってすぐ左上に白木の鳥居があり、佐太大神が生まれた伝わる誕生岩の棚岩(広さ1間ばかりの少し凹んだ滑らかな岩場)、この誕生岩の奥処にある岩の下が卑弥呼の金印を隠す場所として最もふさわしいと考えられる。
 この卑弥呼の金印の隠し場所は、「『魏志倭人伝』のすべての記事が正しい」と信用することによって解明できる仕組みになっている。また、
 『魏志倭人伝』の全記事は正しいと証明できる確かな史跡・遺跡・遺物は10以上の多数存在するゆえ、『魏志倭人伝』の記述に対して13ヵ所の矛盾点と不合理な点を有する学者たちの邪馬台国説は〔誤読の空理空論〕であることは朝日新聞がこの事実を否定しても否定することができない絶対的な事実なのである。
 なお、現在の国土地理院が行う精密日本列島地図は〔[玄]のキャッチ(精密な天頂緯度と子午線の測量)〕を作成原理とする。
 だから、地図の作成原理は〔[玄]をキャッチする方法〕を優先されることになるので、学者たちの邪馬台国説のように〔[玄]をキャッチする方法〕を排除する考え方は、根本からも初歩的な心得からしてもまったく間違っていることになる。

Image

|

« 卑弥呼の金印の隠し場所・10 | トップページ | 卑弥呼の金印の隠し場所・12 »

学問・資格」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

卑弥呼」カテゴリの記事

邪馬台国」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

漢字の起源」カテゴリの記事

ヒエログリフ(聖刻文字)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 卑弥呼の金印の隠し場所・11:

« 卑弥呼の金印の隠し場所・10 | トップページ | 卑弥呼の金印の隠し場所・12 »