日本が滅びる・4
◆学者たちが主張する邪馬台国説の実体は〔誤読〕の空理空論である――学者たちの邪馬台国説が〔誤読〕の産物であることは、下に示すA図の「卑弥呼」の地上絵とB図の彦根の鳰の地上絵によって証明される。
このA図とB図の巨大な大鳥の地上絵は先人たちの“日本人の命と魂の根元にして日本国家の尊厳であるべき日本建国の〔愛〕の理念を絶対に失うことはできない。これを失うは日本国と日本民族が滅びることである!”と胸の奥に秘められた激しい情念と決意によって作成された。
◆C図に示すように、A図の「卑弥呼」の地上絵の全長を8.5cm、翼長を9cmに縮小する同じ倍率でナスカの最大の鳥の地上絵(C図左下の地上絵)を縮小すると、その全長は0.3cm(3mm)、翼長は0.09cm(0.9mm)となる。
ナスカの地上絵は先ず2m四方ほどの面積に原画を描き、あとは支柱と綱を使って、その原画を比例の方法で拡大したとされる。ナスカの地上絵はA図の「卑弥呼」の地上絵よりもはるかに小さく平地に描くものであったから、比例の方法で作成できた。
しかし、「卑弥呼」の地上絵は綱をピーンと張ることができない森・山・谷・川などがあるうえに、何キロメートルも綱をピーンと張ることは絶対にできないので、比例の方法では1千万坪の地上絵は作成することは絶対に不可能である。
したがって、B図の3千万坪の彦根の鳰の地上絵もまた比例の方法では作成することができない。
◆A図の「卑弥呼」の地上絵とB図の彦根の鳰の地上絵は、D図に示す「玄海灘」の先頭字の[玄]の字源「天頂緯度線と子午線をキャッチする方法」で経緯度原点地を設置して、この経緯度原点地を基に三角形の網や鎖を形作る方法で作成された――この「卑弥呼」の地上絵の作成方法を示す三角測量基点はA図に示す地域内に現在も明確に残っている。
したがって、B図の彦根の鳰の地上絵もA図の「卑弥呼」の地上絵と同じ方法で作成されたことになる。A図とB図の巨大な鳥の地上絵の方法は、現在の国土地理院の精密日本列島地図の作成方法の原理と同じである。
現在の国土地理院が作成する精密な日本列島地図の経緯度原点は旧東京天文台の子午儀の中心(東京都港区麻布飯倉3-18 東経139度44分 北緯35度39分)に所在する。この経緯度原点を基に三角形の網や鎖を形作って、その頂に標石(三角点)を埋設し、この三角点とその他の基準点を基にして精密地図が作成される。
◆〔地図を作成する方法〕には(1)精密に天頂緯度と子午線が測量できる〔[玄]をキャッチする方法〕と、(2)〔天の北極の基準にする方法〕がある。
上記の国土地理院の地図作製方法が示すように、A図とB図の巨大な鳥の地上絵の作成に用いられた(1)の〔[玄]をキャッチする方法〕が正式であり、(2)の〔天の北極を基準にする方法〕は簡便的な略式の方法となる。
ゆえに、『魏志倭人伝』における日本列島地理問題は(1)の〔[玄]をキャッチする方法〕で真っ先に考えるべきことになる。にもかかわらず、学者たちは真っ先に(2)の〔天の北極を基準にする方法〕で考えて(1)の方法をまったく無視する。ゆえに、学者たちは邪馬台国説が〔誤読〕を駆使した空理空論であることにまったく気づかない。
◆「歳差(さいさ)」という天文現象によって、天の北極の位置は黄道の中心から描かれる大円上を約2万6000年で一周する。このため、今日のごとく北極星が天の北極と重なる状況はきわめて稀(まれ)で、ほとんどの時代において天の北極は真っ暗な闇に包まれ、北極星は遠く隔たっていた。このような天の北極の高度を緯度に換算して遠くの地や大海を旅すると家族が待つ家へ帰還することはできなかった。だから、中国の紀元前1世紀以前やわが国の縄文時代や弥生時代古代においては、〔天の北極〕はまったく重視されなかった。
卑弥呼が生存した3世紀、北極星は天の北極から遠く離れて位置したために、天の北極の高度を緯度に換算する方法で大海に入ると直ぐに位置(緯度)と方角が不明になって、家族が待つ家に帰ることができず海の藻屑(もくず)となった。
このことからも、『魏志倭人伝』の日本列島問題は〔天の北極〕を真っ先に思い浮かべて〔[玄]のキャッチ〕をまったく思い浮かべない学者たちの考え方は根本的に誤っていることになる。
◆D図に示す「玄海灘」はその名のとおり〔[玄]をキャッチして往来した風波が荒い大海原〕であった。
中国の上古にはA図の「卑弥呼」の地上絵の作成原理となった〔[玄]をキャッチする眼力と技(わざ)を鍛錬する習慣〕が栄えていたが、紀元前1世紀に〔天の北極〕を最も重視するシナ天文が完成した。これゆえ、卑弥呼が生存した3世紀になると中国や中国と陸続きの朝鮮半島では〔[玄]をキャッチする眼力と技を鍛える習慣〕が廃(すた)れた。このため、魏の使節も、魏の出張機関を設営した朝鮮半島の帯方郡の使節も、〔[玄]をキャッチして往来する大海〕である玄海灘を往来できなくなった。一方、倭国では〔[玄]をキャッチできる才能〕が権力と富と名声を手に入れる方法となって〔[玄]をキャッチする眼力と技を鍛える習慣〕が栄えていたので、倭の使節が玄海灘を往来して魏と倭の国交を結ぶことになった。だから、『魏志倭人伝』が著作されたのである。
学者たちは倭国でも〔天の北極〕を重視していたにちがいないと考えて、「『魏志倭人伝』の「日本列島は南に伸びる」と説明する記述は絶対に信用してはならない」と定める。この考え方だと、魏・帯方郡と同じく倭の使節も〔[玄]をキャッチする眼力と技〕を有するものでなかったゆえ玄海灘を渡ることができなかったことになる。そうすると、魏と倭は国交を結ぶことができなかったことになるので『魏志倭人伝』そのものがこの世に存在しないことになって、つまり約2000字で構成される『魏志倭人伝』は文字が1字も書かれていない白紙であったことになる。
このように、学者たちの意見は“『魏志倭人伝』は1字も書かれていない白紙であった”となるのでまったく現実性も合理性もない空理空論となる。
◆実際は東に伸びる日本列島を、『魏志倭人伝』はD図に示すように「日本列島は南に伸びる」と説明する。
D図に示すように、玄海灘には日本列島の西端となる沖ノ島が所在し、日本列島の東端には沖ノ島と同緯度(北緯34度15分)の伊豆諸島の神津島が所在する。この沖ノ島と神津島の同緯度は〔[玄]のキャッチ〕によって測量できる。
西の沖ノ島では冬に雪が降るが、東の亜熱帯地区の神津島では冬になっても雪が降らない。この気候区の様子を要約すると〔西冷東暖〕となる。
中国の海岸線地域における華北地方は冷たい気候区であり、華南地方は暖かい気候区である。そうすると、中国の海岸線地域の気候区は〔北冷南暖〕となる。
だから、中国の〔北冷〕と日本列島の〔西冷〕が合致し、中国の〔南暖〕と日本列島の〔東暖〕が合致するので、D図に示すように卑弥呼王朝は「日本列島は中国の海岸線の南の方に伸びる」と考えたのである。
『魏志倭人伝』は最も多くの記事で日本列島はD図のように南に伸びていると説明する。このD図のような転回日本列島地理の解釈だと、すべての記事が合理で統一され、一点の矛盾もなく不合理な点もない。この合理的認識で組織される転回日本列島地理の西端に所在する「玄海灘」という名称は倭国では〔[玄]をキャッチする眼力と技を鍛錬する習慣〕が存続していたことを示し、これについてはA図の「卑弥呼」の地上絵で科学的に事実であったと証明することができる。
だから、卑弥呼王朝は錯覚の転回日本列島地理を制定したことは信用すべき確かな事実となる。他方、学者たちの邪馬台国説は非現実的で不条理きわまりない多数の矛盾点と不合理を有する論理がまったく完結しない空理空論である。
◆A図の「卑弥呼」の地上絵は『魏志倭人伝』が著作された時代と同じ3世紀後半に作成された。この「卑弥呼」の地上絵は現在の静岡県浜松市北区細江(ほそえ)町の行政区域を表示する地図の形として現存する。
●A図の「卑弥呼」の地上絵の経緯度原点地は、[卑]の字(字源・字形・字義)を表示する。●「卑弥呼」の大鳥の地上絵の頭部は[弥]の字源「カンムリカイツブリの頭の形」に設計される。●A図下部の「龍潭寺(りょうたんじ)」が所在する・井伊氏が居住した引佐(いなさ)町東部と細江町との境界線は[呼]の字源「鳰(にお・カイツブリ)と浮巣」の形に設計される。
だから、私はA図の大鳥の地上絵を“「卑弥呼」の地上絵”と呼ぶことにした。◆「卑弥呼」の地上絵は『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部に登場する「遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の先祖の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)」が作成した。
『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話においては、玄海灘に浮かぶ沖ノ島が登場して『魏志倭人伝』が「日本列島は南に伸びる」と記述する錯覚の転回日本列島地理について語られる。そして、A図の「卑弥呼」の地上絵によって『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話にて共に説明される転回日本列島地理は卑弥呼王朝が制定した錯覚の日本列島地理であったことが科学的に証明できる。
ゆえに、『魏志倭人伝』に記述された転回日本列島地理は『古事記』上巻にも記述され、この両史料の記述は『魏志倭人伝』と同時代に作成された「卑弥呼」の地上絵にも合致するので、転回日本列島地理は歴史上の事実であったことになる。
◆E図に示す「琵琶湖」の古称は「鳰の海」である。B図の彦根の鳰の地上絵は、鳰の海の東岸に作成された。というのも、彦根の大鳥の地上絵は日本に生息する3種のカイツブリの合体形であることを後世の人々が容易に察知できるようにするために鳰の海・琵琶湖の東岸に作成することになったのである。
彦根の鳰の地上絵にE図に示す「安土城」を居城とした織田信長の胸に秘めた熱き情念が秘められる。信長の生地は旧国・尾張(現在の愛知県西部)であり、『魏志倭人伝』は尾張の小国名を「弥奴(みな)国」であったと記す。〔尾張の地図の形〕は〔カンムリカイツブリの雌雄が水面に直立する姿勢となって頭振り・水草くわえなどをおこなう繁殖行動する姿〕に相似し、「弥奴」の[弥]の字源は、上記したようにA図の頭部が[弥]の字源を示して「カンムリカツブリ」であると指摘した。また「弥奴」は「繁殖行動するときのカンムリカイツブリが強い力で体を持ち上げて水面に直立となる」とあらわすことになった。
徳川家康の生地の三河(愛知県東部)の渥美半島の「渥美」は「渥(久しく水に漬かって浮かぶ半島)にして美(ハジロカイツブリの顔と金栗色の美しい飾羽(かざりばね)」ということになり、「渥美半島はハジロカイツブリの美しい飾羽がある顔と首、渥美半島より北部の三河の地図の形はハジロカイツブリの胴体の形に相似する」とあらわすものとなる。また、B図の彦根の鳰の地上絵の頭部はハジロカイツブリの頭部に相似する形に設計される。
彦根藩主の井伊氏が居住したA図の引佐町東部(金指・井伊谷の両地区)は、上記したように、[呼]の字源の「鳰(カイツブリ)と浮巣」の形に設計されている。
このように、彦根の大鳥の地上絵は信長の生地をあらわす「カンムリカイツブリ」、家康の生地をあらわす「ハジロカイツブリ」、井伊氏の菩提寺の龍潭寺がある故郷・遠江の引佐町東部をあらわす「鳰(カイツブリ)」の3種のカイツブリをあらわすものであったゆえ、A図の「卑弥呼」の地上絵の3倍の3千万坪に作成されたのである。
次回のブログにおいても、このような彦根の鳰の地上絵の秘密を追加説明する。
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