卑弥呼の金印の隠し場所・8
わがブログ「卑弥呼の金印の隠し場所」の2013年の5月31日の5回、6月1日の6回、6月3日の7回にて詳細に解説し証明したように――学者たちは“文献批判”という名で誤魔化(ごまか)すところの、ほんとうは「完全な誤読」を呼ぶべき手段を用いて倭女王・卑弥呼の居住した王国の名を「邪馬台国」であったとマスコミやジャーナリストたちを騙(だま)して国民に信じこませて、邪馬台国は九州にあったとか大和の箸墓古墳であったとか嘯(うそぶ)く。
しかし、この世にはウソを告げる神がいて、この神は――学者たちの詐欺をゆるさず、『魏志倭人伝』のすべての記事を忠実に読解すると、倭女王・卑弥呼が居住した王国・邪馬壱(やまい)国の中心地は出雲・現在の島根県東部であったと一点の矛盾点もなく不合理な点も存在せずに真実を知ることができる――『魏志倭人伝』全体の仕組みを審(つまび)らかに表示して教えてくれる。
したがって、邪馬台国九州説や畿内大和説や箸墓説などで世間を誑(たぶら)かす学者たちは「誤読」で日本民族を抹殺する詐欺師である。
なんのことはない、学者たちの立論の屋台骨となる「誤読」を否定すれば、『魏志倭人伝』は「倭女王・卑弥呼は山陰出雲地方(石見・出雲・伯耆」の中央の出雲に居住していた」と明確に書いてあることになる。
学問を鼻にかける諸先生方は「誤読」で日本建国の〔愛〕の理念を命と魂の根元とする日本民族を虐殺する御仁たちである。
『魏志倭人伝』は「誤読=文献批判」無用のすべての記事が正しい第一級の良史であったのである。
ゆえに、卑弥呼が居住した王国・邪馬壱(やまい)の中心地は島根県東部の出雲であったと断定すべきことになる。
ということは、もしかしたならば陰暦の10月の名称の由来は「農作業が暇となる10月に、諸国の王や女王や氏族の長や妻や巫女(みこ)や神官たちが出雲に集合した」ために、諸国では「神無月」と言い、出雲では「神有月」というようになったことなのかもしれない。
日本の古代史学者たちの考え方は全世界・全人類で定められる古代史学の初歩的心得を無視し、排除するものとなる。
また、日本の古代史学者たちは『魏志倭人伝』に加える「誤読=文献批判」が全世界における古代史学の初歩的心得・基礎原理であることを知らないと言うことなる。
したがって、彼らは最初から古代史を正しく語ることができる基礎知識を有していないことになる。
『魏志倭人伝』は「卑弥呼が居住した王国の中心地は現在の島根県東部の出雲であった」と明記する。
それゆえ、『魏志倭人伝』が「魏の明帝から卑弥呼が授かった」と記述する「親魏倭王」の金印は、下の図に示す島根県東部の八束(やつか)郡島根町に所在する「加賀(かか)の潜戸(くけど)の新潜戸」に保存されたと考えられる。
『出雲国風土記』に記載される〔加賀の潜戸の新潜戸伝説〕は「佐太(さだ)神社(島根県八束郡鹿島町)の祭神の佐太大神(さだのおおかみ)が誕生した地である」と伝える。
この伝説は現代の象徴詩人が作った詩のごとく象徴と暗喩(あんゆ)を用いて「卑弥呼の金印は加賀の潜戸の新潜戸の洞窟に隠した」と表現していると考えられる。
なぜ、卑弥呼の金印の隠し場所を象徴と暗喩で表現したかと言えば、前回(6月3日の7回)のブログので末部でも理由を述べたように
⑴ 「新潜戸の祭神・佐太大神」は『魏志倭人伝』が最も多くの記事で説明する転回日本列島地理の経度と緯度の測量を示す天文地理学の基礎となる核心をあらわすものであった。ゆえに、この秘密は卑弥呼王朝をささえる政権基盤となる学芸を示すものであり、この学芸は卑弥呼王朝が独占管理して厳重な機密とするものであった。だから、加賀の新潜戸伝説は〔卑弥呼王朝の政権基盤となった学芸の核心〕が具体的に明白にならないように象徴と暗喩で表現されたのである
⑵ 卑弥呼の金印は『魏志倭人伝』が記述するように――魏の明帝が「汝(卑弥呼)は倭の人民を綏撫(すいぶ)せよ(安んじていたわれ)」と述べて与えた宝物であった。ゆえに、魏帝の詔令(しょうれい)に応えて人民を綏撫するために「金印の強力な呪力によって、倭が豊作に恵まれて栄えて反乱も起きず平和が保たれて人民が楽しく幸せであるように」と表示する必要があったので、「卑弥呼の金印は転回日本列島地理(佐太大神)が誕生した新潜戸に保存された」と象徴と暗喩をもって表現されることになったのである
⑶ 卑弥呼の金印は倭国の繁栄と安泰をもたらす強力な呪力(じゅりょく)を有する最高級の宝物であったので、盗掘を防ぐために「卑弥呼の金印を新潜戸に保存された」と明確に語ることができなかった。だから、金印が新潜戸に隠したことを気づかれないように象徴と暗喩で表現されることになったのである。
以上からして、天と地の鬼神に卑弥呼の金印を隠した聖地(新潜戸)の呪力で倭国の繁栄と安泰を祈願するものが、加賀の新潜戸伝説であったと考えられる。
この『出雲国風土記』に記載される「加賀の新潜戸伝説」は下記のごとくである。
――加賀の神崎(かんさき)には岩窟がある。高さは十丈ほどあり、周囲は五百二歩ほどである。その洞窟は東西に抜け、また北へも抜けている。ここは、いわゆる佐太大神が産まれた場所である(『魏志倭人伝』に記述される転回日本列島地理の経度と緯度の測量基準地となった場所である)。佐太大神が生まれようとする時に、弓箭(ゆみや)を亡くした。その時に、親神の神魂命の御子である枳佐加比売命(きさかひめのみこと)は「わたくしの御子が、もしも麻須羅神(ますらがみ・雄々しい神)の御子であられるなら、亡くなった弓箭は出てこい」とお願いをされた。その時に、角(つの)の弓箭が洞窟の水の流れに従って流れ出てきた。その時に、母神が弓を手に取って詔(の)りたまわったことには「この弓はわたくしの弓箭ではない」と述べて、角の弓箭を投げ捨てられた。また今度は、金の弓箭が流れ出てきた。金の弓箭が出て来るのを待っていた母神は、早速、手に取って坐って「なんて暗い岩窟でしょう」とおしゃって、その箭で岩窟を射通(いとお)した。そして、そのまま、母神の支佐加比売命(きさかひめのみこと)の社は、ここに坐すことになった。今の人がこの岩窟のあたりを行く時の掟は、必ず大声を岩窟に反響させて行かねばならないことになっている。もしも静かに行くと、鬼神があらわれて旋風(つむじかぜ)がおこり、乗っている船は必ずひっくりかえることになっている。
この説話では、「卑弥呼の金印」を「金の弓箭」と表現するものと考えられる。
それというのも、魏帝が卑弥呼に金印を与えると約束した当時の状況は下記のごとくであったからである。
238年当時、蜀の名臣・諸葛孔明(しょかつこうめい)は死去していたので、魏を倒して天下を二分しようと軍事同盟を結んだ蜀と呉は、呉の皇帝の孫権(そんけん)に率いられていた。
ゆえに、当時は魏と蜀・呉が対立して中国を統治する覇権(はけん)を争っていたが、四番目の勢力として魏の背後には公孫淵(こうそんえん)が治める燕(えん)が存在した。
呉の孫権は魏を倒すために、魏の明帝に服従する燕の公孫淵に燕王の地位を与えると約束して、呉と蜀の天下二分連合国の味方になるように密使をおくって説得した。
しかし、公孫淵はこの密約が知られると、魏と軍事同盟を結ぶ東夷の大国・倭の軍に背後から攻撃され魏軍には前から攻撃されて燕は挟み撃ちになって滅亡すると心配して、呉の密使の説得に応じなかった。
ところが、呉の密使のうち周賀(しゅうが)のひきいる者たちは魏の山東半島で拿捕(だほ)されて、孫権の魏を滅亡させる軍事計画が知られることになった。
そこで、魏軍は背後の脅威(きょうい)となる燕の公孫淵を討伐することになった。
問題なのは、魏の大軍が公孫淵を討伐するために出兵すると、魏都を守護する軍兵が手薄になるゆえ、孫権が呉・蜀の両軍をひきいて魏都を襲撃すれば魏帝は討たれて滅亡する可能性があった。
そこで、公孫淵を討伐することになった魏軍のエースの司馬懿(しばい)は、病床にあって謁見(えっけん)できない魏の明帝に倭の使節の一行が拝謁(はいえつ)すると偽装する作戦を立てた。
この「倭の使節は難升米(なしめ)を長官と一行であった」と『魏志倭人伝』は記述する。
中国において最も優秀な軍事戦略家と評される蜀の諸葛孔明と対等に渡りあった英才の孫権ならば、直ちに蜀・呉の両軍を出動させて魏都を攻撃することにせずに、慎重にかまえて中国の天下取りの争いに参加してきた倭ははたして大国であるのかと必ず調査するにちがいないと――司馬懿は考えたのである。
孫権が倭の国力の調査に費やしている間に、司馬懿は公孫淵の首を討ち取った。
これゆえ、魏は倭女王・卑弥呼に外国の王に与える最高の爵位の「親魏倭王」の金印紫綬(しじゅ)を与えて、魏と軍事同盟を結ぶ倭王に任命することにしたのである。
だから、卑弥呼が派遣した倭の使節・難升米一行が重病で床から立ちあがることができなかった明帝に拝謁したと見せかけた偽装は、魏の滅亡を救った戦功となった。
『魏志倭人伝』の魏の景初2年(238年)に記述されるように、卑弥呼は親魏倭王に任命されるものであったから、卑弥呼に与えられた金印は軍事の功績によるものだったのである。
したがって、加賀の新潜戸伝説に登場する「金の弓箭」の「弓箭」は戦いに用いられる武器であるゆえ、「金の弓箭」は「卑弥呼の金印」を象徴・暗喩するものとなったのである。
下図に示す西戸から射放った箭は東戸を貫通して、箭が当たる「的」の字を配する的島の洞窟を射通すように一列になって3つの岩窟がならぶ。
この三つの洞窟の形は鏃(やじり・箭の先端に付く敵兵に突きささる部分)の形に相似する。
ゆえに、〔鏃の形に相似する西戸の洞窟の窟から射る箭〕を〔司馬懿が率いた魏の遠征軍〕に見立てると、〔的島〕は〔魏の東方の燕地の襄平(じょうへい)城で斬首された公孫淵〕をあらわすことになる。
| 固定リンク
「学問・資格」カテゴリの記事
- 漢字の起源と発明を解明す・6(2024.04.17)
- 邪馬台国説はサギ・騙されるな・9 (2021.04.15)
- 新刊『日本国誕生史の証明』9月14日発売!(2019.09.12)
- 邪馬台国説は人類の尊厳と英知を抹殺するサギ(2019.05.11)
- NHKBSテレビ「壬申の乱」の放送は日本人の尊厳を侮辱するウソ八百・最悪の俗悪番組であった(2018.10.16)
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 邪馬台国説は人類の尊厳と英知を抹殺するサギ(2019.05.11)
- NHKBSテレビ「壬申の乱」の放送は日本人の尊厳を侮辱するウソ八百・最悪の俗悪番組であった(2018.10.16)
- 日本嘆き訶(うた)(2018.07.15)
- 漢字習得定説のウソ・18(2018.06.26)
- 纏向遺跡邪馬台国説の実体は【誤読の空論」であると断定できる(2018.06.21)
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- 邪馬台国説は人類の尊厳と英知を抹殺するサギ(2019.05.11)
- NHKBSテレビ「壬申の乱」の放送は日本人の尊厳を侮辱するウソ八百・最悪の俗悪番組であった(2018.10.16)
- 日本嘆き訶(うた)(2018.07.15)
- 漢字習得定説のウソ・18(2018.06.26)
- 纏向遺跡邪馬台国説の実体は【誤読の空論」であると断定できる(2018.06.21)
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 邪馬台国説はサギ・騙されるな・21(2021.06.13)
- 新刊『日本国誕生史の証明』9月14日発売!(2019.09.12)
- NHKBSテレビ「壬申の乱」の放送は日本人の尊厳を侮辱するウソ八百・最悪の俗悪番組であった(2018.10.16)
- 日本嘆き訶(うた)(2018.07.15)
- 漢字習得定説のウソ・18(2018.06.26)
「卑弥呼」カテゴリの記事
- 漢字の起源と発明を解明す・41ー2(2025.07.07)
- 漢字の起源と発明を解明す・41ー1(2025.06.11)
- 漢字の起源と発明を解明す・40ー2(2025.04.21)
- 漢字の起源と発明を解明す・39(2025.03.09)
- 漢字の起源と発明を解明す・38(2025.02.14)
「邪馬台国」カテゴリの記事
- 漢字の起源と発明を解明す・41ー2(2025.07.07)
- 漢字の起源と発明を解明す・41ー1(2025.06.11)
- 漢字の起源と発明を解明す・40ー2(2025.04.21)
- 漢字の起源と発明を解明す・40ー1(2025.04.13)
- 漢字の起源と発明を解明す・39(2025.03.09)
「歴史」カテゴリの記事
- 漢字の起源と発明を解明す・41ー2(2025.07.07)
- 漢字の起源と発明を解明す・41ー1(2025.06.11)
- 漢字の起源と発明を解明す・40ー2(2025.04.21)
- 漢字の起源と発明を解明す・40ー1(2025.04.13)
- 漢字の起源と発明を解明す・39(2025.03.09)
「漢字の起源」カテゴリの記事
- 漢字の起源と発明を解明す・41ー2(2025.07.07)
- 『漢字の起源と発明を解明す・1~5』(2025.07.02)
- 漢字の起源と発明を解明す・41ー1(2025.06.11)
- 漢字の起源と発明を解明す・40ー2(2025.04.21)
- 漢字の起源と発明を解明す・40ー1(2025.04.13)
「ヒエログリフ(聖刻文字)」カテゴリの記事
- 漢字の起源と発明を解明す・41ー2(2025.07.07)
- 漢字の起源と発明を解明す・40ー1(2025.04.13)
- 漢字の起源と発明を解明す・35(2024.10.15)
- 漢字の起源と発明を解明す・34(2024.10.07)
- 漢字の起源と発明を解明す・32(2024.09.21)



コメント