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2013年6月 3日 (月)

卑弥呼の金印の隠し場所・7

  『魏志倭人伝』は――魏の明帝は倭女王・卑弥呼に「親魏倭王」の金印を授けた」と記述する。
 この卑弥呼に与えられた金印は、下の図の島根県八束(やつか)郡島根町に所在する加賀(かか)の潜戸(くけど)の新潜戸の洞窟に隠されていると考えられる。
 というのも、加賀の潜戸の新潜戸は『魏志倭人伝』が卑弥呼が居住した王国・邪馬壱(やまい)国の地所の一角であり、卑弥呼王朝が制定した日本列島地理の誕生地となる聖域であったと考えられるからである。
 これゆえ、加賀の潜戸のうちの新潜戸の洞窟に魏帝から授かった金印に隠すと、新潜戸の洞窟と金印の強力な呪力(じゅりょく)が互いに作用しあって、倭国の国力は天と地の鬼神(きじん)に護られて栄えて平安がをもたらされるとされたのである。

 天文には「歳差(さいさ)」と呼ばれる現象があり、卑弥呼が生存した2世紀末~3世紀半ば、魏の都の洛陽と倭の都の所在地の邪馬壱国の天頂(頭上)には、「金の印鑑」と「加賀の潜戸の洞窟」の形に相似する銀河、“びっくり仰天 玉手箱!”と思わず叫びたくなるような銀河がめぐってきた。
 だから、倭の国力を強大にして栄えるためには、天頂にめぐってきて天と地の鬼神に祝福される「金の印鑑」に観える銀河と同じ形状をした「加賀の潜戸の洞窟」に卑弥呼の金印が隠されたと考えられる。

 下の図に示すように、加賀の潜戸には古来より名づけられた「旧潜戸」と「新潜戸」がある。
 わが国の古代中国文字の研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)は[金]の周代に用いられた金文の字形は「銅塊などを鋳こんだ形」と解説し、「[金]の原字は青銅であった」と指摘する。
 ゆえに、旧来の[金]は「銅」であったものを、新しく[金]の字は「黄金」を意味することになったのである。
 卑弥呼が生存した時代には、いわゆる“青銅祭器”と呼ばれる銅鐸や銅剣・銅矛・銅戈(どうか)などが製作され使用されていた。
 したがって、卑弥呼が生存した当時、「旧潜戸」の[旧]は「青銅」を意味し、「新潜戸」の[]は「黄金」を意味したので「金の印鑑」をあらわした。
 だから、加賀の潜戸の「潜戸」に〔卑弥呼の金印〕が隠されたと考えられる。

 6月3日、朝日新聞出版の『新発見! 週刊 日本の歴史』(全50冊)・6月11日創刊する折り込みチラシが入っていたが、この8号は『邪馬台国と卑弥呼の謎』と題するが、朝日新聞たる大新聞系列の出版社が恥さらしにも堂々と「邪馬台国」とミスプリントしている。
 いよいよ、「総勢500人の研究者による最新日本史の決定版」と自画自賛するところの朝日新聞出版が日本古代史を大々的に捏造(ねつぞう)する日本民族の虐殺と、日本古代史によって世界の文字の起源が科学的に解明できる日本古代史を抹殺する人類共通の敵となる愚劣きわまりない行為が始まる予感がする。

 学者たちは〔誤読〕にもとづき卑弥呼が居住した王国の名は「邪馬台国」であったと断定する。
 しかし、古代史研究家の古田武彦氏が『「邪馬台国」はなかった』(朝日新聞)を著作して『三国志』全体に出てくる[壹(壱)]86個、〔臺(台)]56個の文字を逐一調べて、[壹]と[臺]の誤記が1例もないことを証明した。
 このように『三国志』魏書東夷伝の倭人条=『魏志倭人伝』は「邪馬壱国」と表記するゆえ、卑弥呼が居住した王国の名は「邪馬壱国」であった。

 6月3日の折り込みチラシの『新発見! 週刊 日本の歴史』の8号『邪馬台国と卑弥呼の謎』の書名は、上記したように朝日新聞出版の赤面もののと完全なるミスプリントである。
 朝日新聞出版は〔加賀の潜戸の新潜戸〕によって、「邪馬台国」の[台]の原字の字義は「胎児」であり、「邪馬壱国」の[壹]の原字の字義は「誕生する出産第2期・娩出期(べんしゅつき)の頭が誕生する新生児」であることが科学的に証明できることを知らない。
 そして、[壱]の正字の[壹]の下にある[豆]は〔誕生する新生児の〔頭]をあらわす初字〕であり、[豆]の上部が「子宮・骨盤・子宮の頸部(けいぶ)・産道(膣)」をあらわす図案となる。
 なお、「加賀の潜戸の新潜戸」は[壱(壹)]の字源の秘密を明確に今日に伝える史跡である。

 古代史学者や日本古代史研究家たちは「邪馬台国」と誤読するだけでなく、『魏志倭人伝』において最も多くの記事を用いて証言する卑弥呼王朝が制定した錯覚の日本列島地理の記事をも誤読する。
 このように「誤読」が邪馬台国学説の屋台骨(立論基盤)であるため、学者たちは――『魏志倭人伝』の「日本列島は南に伸びる」と説明する記事を絶対に信じてはならない――と禁止する。
 この「〔日本列島が南に伸びる〕と説明する記述を必ず誤読せよ」と指示する学者たちの「誤読」を、彼らは「文献批判」と別名で呼ぶ。
 しかし、別名「文献批判」の正体は完全なる正真正銘の「誤読」である。

 このような学者たちによる真実の歴史を拉致(らち)する「誤読」を真っ向からきっぱりと否定して――1億2千万人の人が『魏志倭人伝』の「日本列島は南に伸びる」と説明するすべての記事を忠実に読み、個々の記事が互いに合理が成立し、しかも個々の記事がすべて合理となって全体を構成するように、一点の矛盾点も不合理な点も存在しないことになる卑弥呼が居住した王国の位置を求めると――1億2千万の人々は一様に卑弥呼は旧国の出雲・現在の島根県東部に居住していたと解答することになる。

 だから、学者たちの「誤読〕を立論基盤とする出鱈目(でたらめ)・迷妄(めいもう)に愛想を尽かして否定して、古代史学の初歩的な心得に則って『魏志倭人伝』のすべての記事を忠実に読解すると、卑弥呼が居住した邪馬壱国は出雲・島根県東部となる。
 この結果、島根県東部の八束郡島根町の「邪馬壱国」の[壱]の字を表示する「加賀の潜戸の新潜戸」に卑弥呼の金印は隠されたと考えられるようになる。 

 『出雲国風土記』には「加賀の潜戸の新潜戸」の伝説が記載された。
 この伝説は、東に伸びる日本列島を『魏志倭人伝』が最も多くの記事を割(さ)いて「日本列島は南に伸びる」と説明する――錯覚の転回日本列島地理を佐太大神(さだのおおかみ)の生誕に託して語るとともに卑弥呼の金印の隠し場所を表現するものであると考えられる。

 卑弥呼が立論した転回日本列島地理は738年の聖武(しょうむ)天皇の時世に天の北極を最も重視するシナ天文を習得して〔日本は東に伸びる〕と改定された。
 ゆえに、古代の天文地理学から誕生した転回日本列島地理について説明する加賀の潜戸の新潜戸が秘める経度と緯度測量の秘密は2世紀末から8世紀初頭まで、倭国における最も強力な政権基盤であったために、厳重な機密にして国家が独占管理するものであった。
 だから、加賀の潜戸の新潜戸から誕生した佐太大神の伝説は現代の象徴詩人が作る詩のごとく象徴と暗喩(あんゆ)で表現されて、深く思索しなければ理解できないようにむずかしく語られることとなったのである。
 また、卑弥呼の金印は『魏志倭人伝』において魏の明帝が「汝(卑弥呼)は倭の人民を綏撫(すいぶ)せよ(安んじていたわれ)」と述べて与えた宝物であった。ゆえに、魏帝の詔令(しょうれい)にしたがって「金印を新潜戸に所蔵して保存した」と応える必要があったので、象徴と暗喩を用いて金印の隠し場所を容易に察知できないように表現する必要があった。
 また、卑弥呼の金印は倭国の安泰と繁栄の強力な呪力を有する最高級の宝物であったので、「卑弥呼の金印を新潜戸に隠した」と明確に語ることができるはずもなかったので、象徴と暗喩で表現されることとなったのである。

 次回(8回)は、卑弥呼の金印の隠し場所を示していると考えられる『出雲国風土記』に記載される加賀の新潜戸の伝説を紹介する。

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