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2013年7月 8日 (月)

日本が滅びる・10

◆朝日新聞出版は、7月の下旬に発刊すると予告する週刊『新発見! 日本の歴史』の8号で「邪馬台国は畿内説が最有力である」と読者を説得するつもりであろうが――この邪馬台国畿内説は明確に〔誤読〕の産物である。また76日のわがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・9」にて〔【科学】だと思いこむ錯覚の産物〕でもあることを証明した。
 そして、邪馬台国畿内説の根拠となる箸墓(はしはか)を卑弥呼の墓とする事実誤認の暴論は日本人の命と魂の根元・日本国の尊厳・〔愛〕の理念を掲げて建国された日本誕生史を抹殺して滅ぼす“悪魔のささやき”である。

朝日新聞社は2009年の529日の記事で、国立歴史民俗博物館が放射性炭素年代測定して奈良県桜井市に所在する箸墓古墳が作成された年代と卑弥呼の死亡時期(250年ごろ)と重なるので、箸墓の東北に所在する纏向(まきむく)遺跡が邪馬台国であると思い込む学者たちの意見を鵜のみにする。
◆『魏志倭人伝』は幾つかの記事で「(1)日本列島は南に伸びる (2)倭には文字があった」と証言する。この二つの記事を学者たちは“絶対に信用してはならない”と排除する。
 しかし、学者たちは(1)日本列島地理の方角を定める方法は〔天の北極〕を基準にする方法しか存在しないと思い込む。ところが、このブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の2(626日から7(73)で繰り返して指摘したように、実際には〔天頂緯度と子午線のキャッチ〕すなわち〔[]をキャッチする方法〕が存在し、この〔[]をキャッチする方法〕を注目すると卑弥呼王朝は「日本列島は南に伸びる」と錯覚した転回日本列島地理を制定していた事実が簡単明瞭に解明できる。
 また、「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」8(75)のブログで紹介したように、わが国の古代漢字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)10頁の初頭で「わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであるが明らかになった」と指摘する。だから、『魏志倭人伝』の人名・小国名を記す文字は今から約3300年前の殷代後半に出現した甲骨文字よりも古い夏代(かだい)に中国から伝来した夏音(かおん)文字であったことになる。「卑弥呼」を3世紀の魏以前の上古音で読むと「ピミカ」、魏以前の中古音だと「ピミエクゥオ」となり、「ヒミコ」と1字1音で読むと現存する最古の夏音文字の字音となる。このように、「わが国が最初に漢字を習得したのは56世紀である」とする定説よりも古い夏音文字の字音が残存する。だから、『魏志倭人伝』の「(2)倭には文字があった」という記述もまた事実を伝えるものであったのである。

◆『魏志倭人伝』の「(1)日本列島は南に伸びる (2)倭には夏音文字があった」という二つの記述を“絶対に信用してはならない”と排除する〔文献批判〕の実体は〔誤読〕であるが――学者たちは絶対に正しいと考えて、邪馬台国畿内説と九州説を立論する。
 しかし、上記の『魏志倭人伝』の二つの記述は〔文献批判〕をいっさい加える必要が無い歴史的事実である。だから、邪馬台国畿内説・同九州説の実体は〔誤読〕の空論である。

◆だいいち、『魏志倭人伝』には「邪馬台国」という国名はどこにも記載されてい

ない。

 古代史研究家の古田武彦氏が『魏志倭人伝』が記す卑弥呼が居住した王国の名は「邪馬壱国(やまいこく)」であることを証明した。
 『魏志倭人伝』が記述する各小国の方角や距離数を示す邪馬壱国までの旅程をあらわすと、A図のごとくなる。
 日本地図上にA図の各小国の位置を忠実に記入してゆくと、卑弥呼が居住した邪馬壱国は旧国の石見・出雲・伯耆(現在の島根県と鳥取県西部)であったことになる――だから、邪馬台国畿内説と九州説は、歴史学の初歩的な心得[先入観を排除して、文献を忠実に読解する原則]を無視した最初から根本的に誤る〔誤読〕の空論だったのである。
◆学者たちは『魏志倭人伝』が最も多くの記事で「日本列島は南に伸びる」と証言する記事を排除する。それというのも、〔天の北極〕を基準にすれば日本列島は東に伸びると断定できるからだと主張する――しかし、この主張によって、邪馬台国畿内説と九州説は〔誤読〕の空理空論・100パーセントすべてが真っ赤なウソであることが決定的となる。
 〔天の北極〕を基準にする航法は緯度と子午線が不精確に測量されたので、B図に示す玄海灘に入るや直ぐに位置や方角がまったく不明になって、旅人は命を落として家族が待つ家に帰ることができなくなった。玄海灘のような大海は、精密に緯度と子午線が測量することができる〔[]をキャッチする方法〕ならば渡ることができた――だから、中国の幾つかの正史に登場する「大夫」と名乗った倭の使者や『魏志倭人伝』に登場する倭の使節たちが〔[]をキャッチする方法〕で往来した海は「玄海灘」と名づけられたのである。
 C図に示すように、玄海灘に浮かぶ日本列島の西端にある沖ノ島と日本列島の東端にある伊豆諸島の神津島は同緯度である。西の沖ノ島は冬に雪が降る冷たい気候区、東の亜熱帯地区の神津島は冬に雪が降らない暖かい気候区となるので、要するに〔西冷東暖〕となる。

B図に示すように、中国の海岸線地域の華北地方は冷たい気候区であり、華南地方は暖かい気候区であるので、〔北冷南暖〕となる。ゆえに、中国の〔北冷〕と日本列島の〔西冷〕が合致し、中国の〔南暖〕と日本列島の〔東暖〕が〔暖〕で一致するので、卑弥呼王朝は「中国の海岸線の南のほうに、日本列島は伸びている」と錯覚したのである。
 中国では紀元前1世紀に〔天の北極〕を最も重視するシナ天文が完成したので、3世紀になると〔[]をキャッチする眼力と技を鍛錬する習慣〕が廃(すた)れたため、魏と帯方郡の使節は玄海灘を渡って倭地に到着できなくなった。邪馬台国畿内説と九州説を立論する学者たちの考えだと、卑弥呼王朝は〔天の北極〕を重視していたことになるので、魏・帯方郡の使節と同じく倭の使節もまた玄海灘を渡ることができなかったことになる。そうすると、魏と倭と国交を結ぶことが出来なかったことになるので、約2000字で構成される『魏志倭人伝』は文字が1字も書かれていなかった白紙となってしまう。このように、奇妙奇天烈な結論となるので邪馬台国畿内説と九州説は〔誤読〕の空論・100パーセントすべて真っ赤なウソであると証明される。

◆D図に概略図で示す、15世紀初頭に作られた「混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)(龍谷大学図書館所蔵)には『魏志倭人伝』が証言する通りの転回日本列島地図が描かれる。この『魏志倭人伝』の全方位記事の矛盾が解消される「混一疆理歴代国都之図」の転回日本地図は、戦後、古代史家の肥後(ひご)和男氏が発見し、次いで民俗学者の和歌森太郎氏も気づいた。肥後氏も和歌森氏は邪馬台国畿内説と九州説の正体が〔誤読〕の空論であることに見抜けず、〔文献批判〕はあくまで正しいと思い込み、「この日本地図は、中国人が古くから日本地理についてもっていた考え方かもしれない。これゆえ、『魏志倭人伝』の著者もこのような地理観をもっていて、それにわずらわされて倭国の中心である邪馬台国への道程を南のほうに求めたのであろう」と推論した。この両氏の推論によって、転回日本列島地理は著者の陳寿(ちんじゅ)の誤解であると確定された。
◆しかし、D図にて表示した『魏志倭人伝』全方位記事の矛盾が解消される転回日本地図を「著者の誤解によるもの」と弁解する邪馬台国説の主張は正しい意見ではなく、誤っていたのである――というのも、E図に示す松浦・彼杵(そのぎ)地方には現在も転回方位をあらわす地名が現存するからである。
 多くの学者たちが『魏志倭人伝』に記載される末盧(まつろ)国は、E図に示す松浦地方であったと指摘する。この松浦地方には「東松浦」「北松浦」「西松浦」という方位名を冠する地名がある。この松浦に冠する「東」「北」「西」は、B図とD図が示す「西→北」とする転回方位だと合理となるが、現在方位だと矛盾する。また、「東彼杵」とその南の「西彼杵」も転回方位だと合理であるが、現在方位だと矛盾する。
 E図に示すように、西松浦の東側に岩戸山古墳がある。『筑後国風土記』は岩戸山古墳の規模を「南北各六十丈、東西各四十丈」と記載するが、この古墳を詳細に研究した森貞次郎氏は「規模の記述は数字に至るまで実際に正確に一致しておるが、ただ方位の記述の東西と南北だけが入れ違っている」指摘した。ゆえに、『筑後国風土記』はB図とD図の転回方位を基に岩戸山古墳の規模を記載したことになる。

◆A図を日本地図上にあわすと、F図のごとくなり卑弥呼が居住した邪馬壱国は現在の島根県と鳥取県西部(旧国の石見・出雲・伯耆)となる。
 『魏志倭人伝』には「女王国より以北の諸国(A図の末盧国・伊都国・奴国・不弥国・投馬国)について、それぞれの戸数・道里の概略を記載したが、その旁(かたわら)には余白となる国が存在するが、邪馬壱国から遠絶しているので詳細を記載することができない」という記事がある。この余白となった地域は、邪馬壱国出雲地方説の場合はF図に「北の旁国」と記す現在の九州東部・南部地域であったことになる。
 しかし、邪馬台国畿内説と九州説話の場合は、上記の記事に合致する余白地域が存在しない。ゆえに、両説は矛盾する。

◆『魏志倭人伝』には「女王国の東、海を渡ること千余里にして、また国有り。皆倭種なり」という記事がある。邪馬壱国出雲地方説ではF図に示す隠岐群島が「皆倭種なり」という文にぴったりと合致する4つの大島と約180の小島からなる。
 他方、邪馬台国畿内説と九州説は「皆倭種なり」という文に合致する海に浮かぶ島々が存在しないので、これまた矛盾する。

◆『魏志倭人伝』は「その道里を計るに当(まさ)に会稽(かいけい)・東治(とうじ)の東に在るべし」と記述するように、「日本列島は中国海岸線地域にある会稽・東治の東に位置する」と証言する。B図の転回日本列島地理は会稽・東治の東に所在するので合理となる。
 一方、邪馬台国畿内説と九州説は会稽・東治の東北にある現在の日本地図を立論基盤とするのでまったく不合理である。
 このように、B図・D図・F図の転回日本列島地理にもとづくと、『魏志倭人伝』の全方位記事が合理となるので、学者たちが加える〔文献批判〕の正体は〔誤読〕だったのである。

 さらに、上記で指摘したように、邪馬台国畿内説と九州説にもとづくと魏と帯方郡の使節と同じく倭の使節もまた玄海灘を渡れなかったことになり、魏と倭は国交を結ぶことができなかったので『魏志倭人伝』は文字が1字も書かれていなかった白紙であったことになる。このように邪馬台国説は現実に絶対にありえない雲をつかむような戯言(たわごと)となるので、100パーセントのウソとなり、〔誤読〕の空論であったことになる。
 箸墓を卑弥呼の墓と強引に決めつけて纏向遺跡は邪馬台国であったとこじつける100%ウソ八百の邪馬台国説を、朝日新聞出版は“邪馬台国説の最有力説である”と誇示して一般市民に売りつけようとするが、この行為は立派な詐欺行為ではあるまいか。というのも、10%のズワイガニの肉()90%の下等なベニズワイガニの肉を混入させた缶詰(かんづめ)を「100%のズワイガニの缶詰」と偽って販売する行為、あるいは汚染米を混ぜた米を酒造会社に売りさばく行為は「詐欺」という犯罪行為と法律で定まっているからである。100%のウソであると証明できる空論を「邪馬台国説の最有力説」と宣伝して売りつける行為は、偽物のズワイガニや汚染米を売りさばくと行為より、さらにもっと悪質な詐欺ではあるまいか?

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