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2013年7月12日 (金)

日本が滅びる・12

◆下のA図を掲載して、一昨日(710)の朝日新聞は「2003年~2006年、中国の浙江省北部の荘橋墳遺跡で行われた考古学調査で出土した石おのに、旗や魚、虫などをかたどる紋様に加えて[]に似た記号が二つ含まれる6つの図書が刻まれていたので、文章のように見える文字列を構成するとみなして、今月の6日に現地で行われた専門家の検討会で、中国最古の文字であると認められることになったという。このたに発見された文字は約5000年以上前のものとみられている。これまでは、今から約3600年前ごろから栄えた殷の時代の甲骨文字が中国最古の文字とされていた」という記事を報じた。

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◆中国最初の農耕民による新石器文化は「仰韻(ヤンシャオ)文化」と呼ばれ――この仰韻文化は今から約7000年前~約5000年前まで、黄河中流地域を中心に栄えた。
 この仰韻文化を代表するのが、陝西省(せんせいしょう)西安(せいあん)市郊外の丘陵地帯から発見された半坡(はんぱ)遺跡である。
 陳舜臣(ちんしゅんしん)著『中国の歴史 第1巻』(平凡社)47頁は「半坡遺跡の放射性炭素年代測定値は6080(±110)から5600(105)である」と記述する。
 この6000年前から約5600年前まで栄えた半坡遺跡から出土した彩陶(さいとう)の破片には、1個の破片に1個だけの記号が刻まれ、複数個の記号は同一の破片上に刻まれたものは1例も発見されなかった。ゆえに、これらの記号は“文字列(複数の文字の連なり)”が成立しないため、〔紋様〕とみなされて「陶文」と呼ばれることとなった。
 B図が半坡遺跡の陶文の一例を示すものであり、半坡遺跡の陶文は22種である。
 半坡遺跡のほかに、陝西省臨潼(りんどう)県の姜寨(きょうさい)遺跡から半坡の倍以上のC図に示す陶文が出土し、青海(せいかい)省楽都(がくと)県の柳湾(りゅうわん)遺跡からD図に示す52種類にのぼる陶文が出土した。
 半坡よりも姜寨、姜寨よりも柳湾の陶文のほうが種類は多い。半坡と姜寨の陶文の形や特徴はきわめて似ており、姜寨の陶文のほうが複雑に組み合わさる形となるものがある。したがって、半坡のほうが古く、姜寨のほうが新しいということになる。柳湾と半坡および姜寨の陶文はよく似ている。しかし、柳湾の陶文のほうが半坡や姜寨よりも解読しやすく、殷代の甲骨文字によく似ている。だから、柳湾の陶文がいちばん新しいとされた。
◆仰韻文化は約5000年前に滅びたので、いちばん新しい柳湾集落の終末は約5000年前ということになる。放射性炭素年代測定で半坡集落の終末は約5600年前と算出された。これゆえ、半坡より新しい姜寨集落は約5600年前から始まったことになる。したがって、約5600年前から約5000年前までの600年間において姜寨集落が栄えて滅び次に柳湾集落が栄えて滅んだことになる。この600年間を二分して、約5600年前~約5300年までを姜寨集落時代、約5300年前~約5000年前までを柳湾集落時代であったと考え、「歳差(さいさ)」を基に半坡・姜寨・柳湾の各集落の天頂にめぐってきた銀河を調べることにした。
◆天の北極と春分点は黄道の北極を中心にして25800年で一周する。これを「歳差」という。この歳差のために、各銀河部や星たちの緯度は現在と古代では異なる。
 円周は360度であるから、25800年割る360度は71.666年となる。したがって、天の北極と春分点は71.7年ごとに黄道の北極を中心とする円周上を角距離で1度ずつ移動していることになる。ゆえに、その古代は現在から何年前かを計算し、その差額年数を71.7で割れば、その古代・現在の天の北極とその古代・現在の春分点が離れている円周上の度数(黄道の北極を中心とする角距離)が算出できる。たとえば、6000年前の天の北極と春分点は6000÷71.783.68度と算出される。ということは、6000年前の天の北極と春分点は現在の天の北極と春分点から各々84度過去のほうにもどった円周上にあることになる。
 世界中探しても銀河各部の名称は存在しないで、E図の女体に似る銀河を私は「十字の銀河」と名づけた。この「十字の銀河」は、75日の「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・8」の資料Bの左上にある。「十字の銀河」は〔秋の銀河の西部〕に所属する。
 天体の緯度を示すものには「赤緯(せきい)」という方法があり、この赤緯は〔北緯90度の北極点〕の天頂は〔+赤緯90度〕、〔北緯0度の赤道上〕の天頂は〔+赤緯0度〕、〔北緯34度〕の天頂は〔+赤緯34度〕と定まる。ゆえに、「赤緯」を用いると、土地の緯度と天頂緯度の数値は同一であるので便利である。
(1)
 半坡遺跡(集落)は北緯3416分、その天頂緯度は+赤緯3416分である
(2)
 姜寨遺跡(集落)は北緯3422分、その天頂緯度は+赤緯3422分である
(3)
 柳湾遺跡(集落)は北緯3616分、その天頂緯度は+赤緯3616分である
 F図に、約6000年前の半坡・約5600年前の姜寨・約5300年前の柳湾の3集落の天頂緯度線をあらわした。F図が示すように、半坡・姜寨・柳湾の集落が栄え滅んだ今から6000年~約5000年前の仰韻文化の時代、「十字の銀河の頭部」が3集落に天頂を通過した。
 F図は三皇時代の天頂緯度線を表示するものとなる。「三皇」とは「包犧(ほうぎ)氏」、「女媧(じょか)氏」、「神農氏」である。したがって、半坡集落は包犧氏が居住した本拠地(王都)、姜寨集落は女媧氏が居住した本拠地(王都)、柳湾集落は神農氏が居住した本拠地(王都)であったと考えられる――この証明は、G図によって確かなこととなる。
◆約5000年前に滅びた黄河中流地域を中心にして栄えた仰殷文化は中国南方の揚子江周辺地域まで波及していなかった。黄河中流地域の文化が華南地方の揚子江周辺地域まで波及するようになったのは、今から約5000年前からである。
 司馬遷(しばせん)著『史記』五帝本紀は「黄帝軍は東の海辺まで至り、山東半島から揚子江周辺まで遠征した」、また「黄帝が没すると橋山(きょうざん)に葬った」と記述する。このような『史記』の黄帝軍の遠征記事は中国の古代史学の考えに一致し、また『史記』の黄帝の死亡記事に合致して陝西省黄陵(こうりょう)県の橋山に黄帝を祀る廟とその墓とされる黄帝陵がある。黄帝陵は北緯3530分である。ゆえに、黄帝陵の天頂緯度は+赤緯3530分である。黄帝軍が遠征した揚子江の南に、北緯31度に位置する太湖(たいこ)があり、太湖南岸の天頂は+赤緯31度となる。
 G図に、(1)6000年前の三皇時代初頭の半坡遺跡の天頂緯度線、(2)5000年前の五帝時代初頭の黄帝陵の天頂緯度線、(3)黄帝軍が遠征した太湖南岸の天頂緯度を示した。
◆“漢字の始祖”は五帝時代初頭の黄帝に仕えた史官の倉頡(そうきつ)である。
 漢字の起源の秘密を語る倉頡伝説は――黄帝の時代に、倉頡という“四つ目の怪人”がいて、鳥獣の足跡からヒントを得て、はじめて文字を創り、古来の結縄法を書契(しょけい)に代えたので、天は祝福して穀物を降らせ、死霊が感激して泣く声が夜な夜な空に聞こえたというのである――と説明される。
 倉頡伝説に登場する“四つ目の怪人”を、学者たちは「倉頡は四つの目を有していた」と伝えるものと誤解した。しかし、G図の下図に示すように、「十字の銀河」の足元の西隣の「人の横顔に相似する銀河の両目」と「人の横顔に相似する銀河のアゴと後頭部につく両目」によって“四つ目の怪人”ということになる。
 黄帝は東洋最古の医学書『内経』を作ったといわれる。つまり、黄帝は女性の生殖器を中心とする人体各部の臓器を絵で表示する『内経』を作った。この時、三皇時代の陶文とA図のような原始文字があったが、女性の生殖器と人体各部の臓器をあらわすことができる文字は考案されていなかった。
 この文字を作る役目に就いたのが、倉頡であった。倉頡は「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・8」の末部に掲載した資料Aの「秋の銀河と夏の銀河」の各部の形状と黄帝の女性の生殖器研究を結びつけて、漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕を発明して多数の文字を創ることができる書契を考案した。だから、黄帝の女性生殖器研究と倉頡の〔倉頡の足跡〕の発明の合作で文字が起源したことを伝えて、黄帝の両目と倉頡の両目の「四つ目」をあらわして〔文字の発明〕は“四つ目の怪人”と比喩(ひゆ)されることとなったのである。
 E図に示すように、「十字の銀河」には〔女性の子宮〕に相当する部分が存在する。倉頡は全ての文字を作る銀河の範囲を「十字の銀河」がある〔天頂を通過した秋の銀河の西部〕と〔夏の銀河〕と定め、この銀河各部の形状に類似するように図案した記号はすべて「十字の銀河の子宮」から生まれるように考えれば、万物の形状に類似する多数の文字を作ることができると発明した。710日の「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」で解説したように、倉頡が発明した漢字作成原理は「鳥獣の足跡」と名づけられた。この漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕を、学者たちは文字を作るヒントとなった〔鳥や獣の足跡〕と誤解する。
 H図に示すように、「十字の銀河」は[]の字源・字形・字義となり、[]の金文形は「子宮に胎児が宿るおなかが大きい妊婦の姿」に図案して「十字の銀河」は「すべての文字を生む母体」であることを明確に示す。ゆえに、中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』は倉頡が発明した漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕を「鳥獣の文」と表記する。
 I図に示すように、「十字の銀河」は[(べん)]の字源・字形・字義となり、〔四つ目の怪人〕となる〔人の横顔と身体に相似する銀河〕は[]の字源・字形・字義となり――[]の下に[]が加わって[]の字源・字形・字義となった。この〔四つ目の怪人〕の〔人の横顔の頭〕の部分には〔一本の角〕が生えるように見えるので、I図に示すように、私は「鬼の横顔に似る銀河・鬼の身に相当する銀河」と名づけた。

この「鬼の横顔に似る銀河・鬼の身に相当する銀河」を一括して、J図に示すように「鬼の姿に似る銀河」とした。J図に示す「十字の銀河」、「鬼の姿に似る銀河」、「長方形の暗黒天体部」から最も多くの文字が生まれた。『魏志倭人伝』に記載される34の小国名と人名に用いられるすべての夏音文字はJ図の銀河の形状を字源・字形・字義とする。

倉頡伝説の「天は祝福して穀物を降らせ、死霊が感激して泣く声が夜な夜な空に聞こえたという」、この表現は「三皇時代の結縄法では氏族名をあらわすことができなかったので、倉頡が発明した〔鳥獣の足跡〕の発明で「包犧」、「女媧」、「神農」と氏族名を記すことができるようになった。ゆえに、夜な夜なの空に輝く銀河の形状(すなわち、神)となる三皇時代の氏族の死霊たちはあたかも感激して泣くがごとく大量の雨を降らしたため、堅い地面が泥状にやわらかくなり、原始的なクワやスキでも容易に耕すことができて穀物が豊作となった」と伝えるものであった。G図の「十字の銀河」は[]の字となり、「十字の銀河の胸と右足」から「鬼の横顔に似る銀河の額(ひたい)と口」に垂れる「帯状の銀河」は「雨、死霊が感激して泣く涙」と見立てられるものであったのである。
 「漢字」は「銀漢(銀河)から作られた文字」の略称であるということに気づけば、学者たちは倉頡伝説を誤解しないで済んだのである。
[]の字源について、『説文解字』は「蜥易(せきえき)なり」と解説する。「蜥易」は「トカゲ」を意味し、『原色現代科学大事典 5――動物Ⅱ』(学習研究社)は「トカゲには、かならずもとのすみかにもどるという帰家性がある」と指摘する。だから、[]の字源は「遠くの地に旅する時に家族が待つ家に帰ることができる術」であったのである。
 「天の北極」による緯度と子午線の測量は不精確であるゆえ旅人は命を落として家族が待つ家に帰ることができなかった。〔[]をキャッチする方法〕すなわち〔天頂緯度線と子午線をキャッチする方法〕ならば精密に緯度と子午線がキャッチできたので、[]の字源となった〔[]をキャッチする方法〕を『説文解字』は「蜥易なり」と解説したのである。
 先人たちは最初の陶文を作った包犧氏から中国の易は起源したと定め、これまで説明した事情によって包犧氏を“漢字の始祖”と定めなかった。倉頡伝説は倉頡を“漢字の始祖”と定めた根拠・理由を伝えるものであったのである。

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