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2013年7月16日 (火)

日本が滅びる・15

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◆過去に実際に起きた出来事を「歴史的事実」と呼ぶことにする。
 学界で確定される定説や歴史教科書に記述されていることをあたかも歴史的事実と思うかもしれないが、必ずしもそうではない――この「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の13(713)14(714)で証明したように、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀または6世紀である」という定説は、学者たちが『魏志倭人伝』・『古事記』はじめ幾つかの史書に書いてある重大な記事をことごとく〔誤読〕して成立させた空理空論である。

 中国でもわが国でも、「文字」と確定された夏音文字が刻まれた土器や石などが遺跡から一点も出土していない。それというのも、今から約5000年前の五帝時代初頭に生存した黄帝につかえた“漢字の始祖”と崇拝された倉頡(そうきつ)が――(1)秋の銀河と夏の銀河の各部の形状から文字が作られたことを暴露する者、(2)文字の学芸知識を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を付けた者、(3)書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者――には厳しい神罰が下って即刻死刑に処せられると定めたゆえ、五帝時代の倉頡が考案した刻木(書契)と次なる夏代の夏音文字は遺跡から出土しない文字となった。ゆえに、倉頡が定めた掟によって五帝時代の刻木と夏代の夏音文字は[秋の銀河と夏の銀河の各部の形状]が「文字(漢字)」となり、この「文字」は神秘的な霊力と強い呪力を持つ不思議な存在と考えられるものとなり、そのうえ倉頡が定めた掟は絶対に破ってはならぬ神聖犯さざるものとなったので[秋の銀河と夏の銀河の各部の形状]は「文字」の原字となって「鬼神(かみ)の言葉をあらわすもの」となった。なお、[秋の銀河と夏の銀河]75日の「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・8」の末部に掲載した。

 中国では、今から約3300年前の殷代後半に出現した契文(甲骨文字)によって上記の(3)の掟が破られたが、(1)の掟は厳重に守られたために「漢字」は「銀漢から作られた字」の略称であったにもかかわらず、今日、漢字が銀漢(銀河)から作られた秘密が学者たちによって解明されない。また契文は(2)の掟を厳重にまもったために、星座よりも明確な形を有する銀河各部には現在になっても名称が存在しない。なお、中国やわが国にととまらず、世界中探しても銀河各部の名称が存在しない。それというのも、古代エジプト文字(ヒエログリフ)はじめとする世界の古代文字は漢字と同一範囲の〔秋の銀河と夏の銀河〕から作られ、倉頡が考えたと同じく最も強大な権力と莫大な富と最高の名声を手に入れる方法となる文字知識を反体制側の人々が習得して革命に利用したならば王朝は容易に崩壊すると世界中の古代王朝が心配したために、銀河各部には名称が付けられなかったのである。

 私は、紀元前20世紀頃に出現したABC・アルファベットのルーツとされるワディ・エル・ホル文字の全文字(18)が漢字と同じく[秋の銀河と夏の銀河」から作られたことを「卑弥呼の逆襲」のブログにて20196日~929日までで解説した。また、わがブログ「卑弥呼の逆襲:枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は“世界の文字は銀河から作られた”と証言する」の14(20111217)33(2012年1月9)までで、古代エジプト文字(ヒエログリフ)も漢字と同じく[秋の銀河と夏の銀河]から作られたことを証明した。

 古代ギリシャ人が「ヒエログリフ」と呼んだ古代エジプト文字を、古代エジプト人みずからは「メドゥウ・ネチェル」と称した。「メドゥウ・ネチェル」は「神の言葉」と意味した。古代ギリシャ人の呼称「ヒエログリフ」は「神の言葉を文字にしたもの」と意味した。
 上記したように、わが国に伝来した夏音文字は「鬼神(かみ)の言葉をあらわす記号」であったゆえ、「メドゥウ・ネチェル」と「ヒエログリフ」と同義であったことになる。

 このような歴史的事実は、下に示すA図の静岡県浜松市北区細江町の行政区域を示す地図の形として現存する「卑弥呼」の地上絵によって容易に科学的に解明することができる。
[秋の銀河と夏の銀河の各部の形状を「文字」とする夏音文字]は、『魏志倭人伝』の卑弥呼はじめとする人名と34の小国名となって実在する。A図の「卑弥呼」の地上絵に保存された夏音文字の学芸知識によって『魏志倭人伝』の(1)「日本列島は南に伸びる転回日本列島地理」と(2)「倭には夏音文字と魏都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書があった」と重大な歴史的事実を伝えるものであることが科学的に立証される――この証明によって[銀河各部の形状を「文字」とした夏音文字]もまた「文字」であると確定すべきことになる。

 なお、夏音文字は、『古事記』上巻にも〔音〕という注が付く1字1音読みの文字が随所に記載されて多数現存し、A図の「卑弥呼」の地上絵によって『古事記』上巻の日本神話は歴史的事実を伝えるものであることが科学的に証明される。したがって、早稲田大学教授で1961年に88歳の生涯を終えた津田左右吉教授によって確立された日本神話虚構説もまた〔誤読〕の空論であったことが決定的となる。
◆新井白石(16571725)以来、学者たちは『魏志倭人伝』が最も多くの箇所で(1)「日本列島は南に伸び」と説明する卑弥呼王朝が錯覚した転回日本列島地理の記事を信用しないでバラバラに分化する。しかし、これらの説明をバラバラに分化せずに一つに統合すると【科学】が成立するゆえ、白石以来の約280年におよぶ邪馬台国研究は〔誤読〕の空論であったことが証明される。この証明によって、『魏志倭人伝』の(2)「倭には令亀(れいき)の法の如き、つまり殷代の亀の甲羅に刻む甲骨文字(契文)の如き夏音文字が存在し、倭は魏都・帯方郡・諸韓国が用いた楷書も習得するものであった」という記述が歴史的事実となる。
◆紀元前1200年前後におこったトロイ戦争は紀元前850年ごろに生存したギリシャの詩人ホメロスの英雄叙事詩『イリアス』に記述された。学者たちは〔文献批判〕を用いて『イリアス』に記述されたトロイ戦争はホメロスが創作した空想であると決めつけて「歴史ではない」と断定した。しかし、ドイツのシュリーマンは『イリアス』に記述されたとおりの土地を発掘して、トロイ遺跡を発見した。

 このように、学者たちの〔文献批判〕による意見こそが空想であったと証明された。
 
 シュリーマンのトロイ遺跡発見が明確に示すように、古代史学には過去の出来事を歴史的事実であると証明できる絶対原則(絶対的な方法)が存在する。
 
 つまり、古代史学には――前人が作った文献にある記述を、たとえ後世の学者たちが「この記述は絶対に誤っている、信用してはならない」と批判・否定しても、その文献に記述された事柄を保存し貯える史跡・遺跡・遺物が発見されたならば、前人の記述は何人にも否定できない歴史的事実であり、学者たちが文献批判して否定した意見は〔誤読〕による空論であり、妄想であったことが何人にも否定できない事実となる。

  1千万円が盗まれる事件が起きて容疑者Aが逮捕され、刑事たちの早合点とズサンな調査によってAが必ず真犯人であると思い込まれるようになり、Aが“私は犯人ではない。真犯人は別にいる”と主張する言葉が無視され排除されると冤罪(えんざい)事件となる。このような刑事たちの思い込みにもとづく冤罪の場合、事件の真相・真実は把握できなくなる。Aの証言を批判・否定・排除せずに耳をかたむけてAが述べたとおりの確かな証拠物件を発見すればAが事件にまったく関与していないことが明らかになり、Aが真犯人でないことが証明される。この解明によって、新たな調査が始まってBが真犯人ではないかと推断されて、Bが犯人であると結びつけることができる確かな証拠物件が確保されると、たとえ盗んだ1千万円が全額つかいはたされていてもあるいは隠し場所が発見されなくても、真犯人はBであったことになり、過去におこったこの窃盗事件の真相・真実が解明されることとなる。
◆『魏志倭人伝』は晋(しん)朝の著作郎(歴史編纂官)であった陳寿(ちんじゅ)が著作した『三国志』のうちの「魏書東夷伝」の末尾にある「倭人伝」のことを指す。
 山尾幸久著『魏志倭人伝』(講談社)は「『三国志』の成立は、晋の武帝の晩年である太康年間(280289)、陳寿の著作郎時代という以上には限定できない」と指摘するゆえ、『魏志倭人伝』は280289年に著作されたことになる。
 A図の「卑弥呼」の地上絵から、現在まで9口の近畿式・三遠式銅鐸が出土している。これらの銅鐸の模造鐸を製作して天頂に向けて実験すると、B図に示すように銅鐸は[]をキャッチして精密に天頂緯度線と子午線を測量できる構造となっていることが証明される。ゆえに、ちょうど1千万坪の巨大な鳥の形に作られた「卑弥呼」の地上絵は近畿式・三遠式銅鐸が測量器具となって作成されたことになる。というのも、「卑弥呼」の地上絵はすべての字源が明らかにすることができる1400字前後の基本字の字源を知ることができる仕組みになっているので、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記述された事柄が歴史指摘事実であると科学的に証明できる機能を有するからである。したがって、これらの仕組み・機能を有する原図を作成して、この原図のとおりに「卑弥呼」の地上絵が作成されたことになるからして、精密に天頂緯度と子午線を測量できる構造となる銅鐸が使用されたと考えるべきことになる――「卑弥呼」の地上絵の作成に用いられた近畿式・三遠式銅鐸の製作・使用年代は諸説あるが、物部氏との関連性に注目する人々は最末期の近畿式・三遠式銅鐸の製作・使用年代は260290年であると考える。
 「卑弥呼」の地上絵は、『古事記』天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部に記載される「遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の祖(おや・先祖)の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)」が作成したと考えられる。「卑弥呼」の地上絵の北隣の引佐(いなさ)町の井伊谷(いいのや)盆地東部の丘陵上に北より南へ大型古墳が3基築造され、この大型古墳は遠江国造を葬るものにちがいない。この遠江国造を葬る3基の古墳のうち、最古の古墳は350年ころに築造された北岡大塚古墳(前方後円墳)であるゆえ、この350年により少し前に生存した遠江国造の先祖であった建比良鳥命は260290年に生存したことになる。
 したがって、『魏志倭人伝』と「卑弥呼」の地上絵は同時代の3世紀後半に作成されたことになる。トロイ戦争と『イリアス』を作ったホメロスは約350年の隔たりがある。「卑弥呼」の地上絵内から出土した9口の近畿式・三遠式の銅鐸の製作・使用年代は350年ころに築造された北岡大塚古墳からして、建比良鳥命は350年以前に生存していたことになるので「卑弥呼」の地上絵が作成された時代と『魏志倭人伝』が著作された年代(280289)は最大でも50年の隔たりは存在しないことになる。
 このような「卑弥呼」の地上絵によって、学者たちが“絶対に信用してはならい”と徹底的に排除する『魏志倭人伝』の(1)「実際の日本地図に相違して南に伸びる転回日本列島地理」と(2)「倭には夏音文字と魏都で用いられていた楷書があった」という証言は、(2)の夏音文字と魏都で用いられた楷書は遺跡から出土されなくても確実に歴史的事実となる――なぜならば、上記した1千万円の窃盗事件において、1千万円の

現金が発見されなくてもBが真犯人であることはその他の確かな【科学】が成立する証拠によって事実となるからである。
 上記の窃盗事件はじめとする過去の出来事の事実を証明する方法にもとづくと、『魏志倭人伝』の諸々の記述に対して多数の矛盾点や不合理な点を有して【科学】がまったく成立しない学者たちが主張する邪馬台国説は〔誤読〕の空理空論であったことになる。
 他方、『魏志倭人伝』の記述にすべて合致して【科学】が成立して矛盾点も不合理な点がすべて解消できる「卑弥呼」の地上絵の発見によって、シュリーマンのトロイ遺跡発見によって学者たちの〔文献批判〕が空想であったと実証されたように、古代史学においては『魏志倭人伝』の記述は歴史的事実を伝えるものであったと定まる。
 わが国には今から約4050年前の中国の夏代(かだい)初頭に夏音(かおん)文字が伝来し、この夏代初頭に相当する秋田県鹿角(かづの)市に所在する国の特別史跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の万座遺跡と野中堂遺跡には夏音文字の学芸が伝来した痕跡が現在も明確に残っている。

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