« 日本が滅びる・15 | トップページ | 1 ・漢字 »

2013年7月17日 (水)

日本が滅びる・16

2009529日、朝日新聞は――奈良県桜井市に所在する箸墓(はしはか)古墳が築造された時期のものと考えられている「布留0式」という土器の表面についていた煤(すす)を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)が放射性炭素年代測定して「240260年のものである」と算出した――と報じて、A図に示す箸墓古墳を「やっぱり卑弥呼の墓?」と報じて、「箸墓古墳を含む一帯の纏向(まきむく)遺跡が邪馬台国であると考えられる」という意見を、4ヵ月前の2009年1月31日にて報道していた。
 しかし、『日本書紀』崇神(すじん)天皇紀は「箸墓に倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)を葬った」と記述する。また、『日本書紀』は「崇神天皇の孫となる景行(けいこう)天皇が纏向に都を造って、これを日代宮(ひしろのみや)と申し上げた」と記述する。『古事記』も「景行天皇は纏向の日代宮に居住して、天下を治めた」と記述する。
 したがって『古事記』と『日本書紀』の記述を無視して、一部の学者たちと朝日新聞は放射性炭素年代測定の算出結果を利用して「箸墓は卑弥呼の墓であるからして、纏向遺跡は邪馬台国であると考えられる」という意見は明確に【科学】に反する空論となる。

 なぜならば、朝日新聞が箸墓古墳を「やっぱり卑弥呼の墓?」と報道した丁度一週間後(64)に足利事件の受刑者の菅家利和さんが17年ぶりに釈放されたからである。
 1990年に栃木県足利市で当時4歳の女児が殺害された事件を「足利事件」という。栃木県警はDNA型鑑定で女児に着衣に付着していた体液は菅家さんの体液と一致したとして殺人と死体遺棄で逮捕した。菅家さんは無罪を主張したが、彼の言葉は無視され、2000年に最高裁で無期懲役判決が確定した。しかし、菅家さんの再審請求によって、東京高検は200964日、以前のDNA型鑑定は再鑑定の結果誤っていたことが証明されたと表明して、菅家さんを17年ぶりに釈放した。
 この足利事件の冤罪(えんざい)・犯人の捏造における最大の根拠は科学的手法のDNA型鑑定である。この足利事件における事実誤認・冤罪の根拠となった〔DNA型鑑定〕を箸墓は卑弥呼の墓であるとする意見の根拠となった〔放射性炭素年代測定〕に見立てると――〔菅家さんの無罪を主張した言葉〕は〔『古事記』『日本書紀』『魏志倭人伝』の3史書の記述〕に相当する。したがって、〔栃木県警の菅家さんを犯人と断定した意見は事実誤認・冤罪〕であったように、〔箸墓卑弥呼陵説と纏向遺跡邪馬台国説は事実誤認の妄想〕となる。
 菅家さんが釈放された日から22日後の626日の朝日新聞はメディア衆論「科学報道を科学的に報道する」という特集記事で足利事件に対する栃木県警と最高裁と新聞報道に在り方を反省して足利事件は〔科学的手法(DNA型鑑定)〕と【科学】とを同一視した思い込みによって成立するものであった」と総括した。だから、一部の学者たちと朝日新聞とNHKが騒ぎたてる〔箸墓卑弥呼陵説と纏向遺跡邪馬台国説(邪馬台国畿内説)は〔科学的手法である放射性炭素年代測定の算出結果〕を【科学】と同一視した思い込みであり、また〔誤読〕を駆使する空理空論である。

 

 ◆この「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の1回(625)から8(76)までのブログで解説し証明したように『魏志倭人伝』の全記事を忠実に読むと【科学】が成立して卑弥呼が居住した王国・邪馬壱(やまい)国は山陰・出雲地方(石見・出雲・伯耆)であったことになる。だから、『魏志』倭人伝には「邪馬台国」という国名の記載は一ヵ所も存在しない。
 
 そして、上記したように『日本書紀』は「箸墓は倭迹迹日百襲姫命の墓である」と記述し、『古事記』と『日本書紀』は「景行天皇は纏向の日代宮に居住した」と記述する。
 
 A図に示すように、纏向遺跡の範囲の外となる北隣に景行天皇陵が所在する。したがって、纏向遺跡は纏向の日代宮が所在した遺跡であると真っ先に考えるべきことになる。さらに、古代史学では【科学】の成立が最優先されるので、纏向遺跡は卑弥呼が居住した王国であったと主張すると〔誤読〕を立論基盤とする空理空論となる。
Image_2

◆『魏志倭人伝』の末部に記載される魏の正始八年(247)の記事に「載斯烏越(そしあお)」が登場する。この載斯烏越は倭女王卑弥呼と素(もと)より不和の男王・卑弥弓呼(ひみくこ)が率いる狗奴(くな)国との戦況を説明するために、魏の朝鮮半島の一角に所在した帯方郡政庁に到着した倭の使節団の団長であった。ということは、倭軍と狗奴国の戦況を語る載斯烏越は武将であったことになる。
 わが国における中国古代文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)は「載はおそらく兵車を祓う儀礼で、これによって軍行が開始されるであろう」と解説する。ゆえに、[]の字を先頭に有する「載斯烏越」は武将であったことになる。白川静著『字統』の[]の字源解説には「開始」という語が登場し、倭迹迹日百襲姫命を姑(おば)とする崇神天皇(10)の父は「開始」の[]の字を名の先頭に配する開化天皇(第9代)である。
 
 『古事記』の開化天皇紀は「天皇は春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に居住して、天下を治めた。天皇は丹波の大県主(おおあがたぬし)で名は由碁理(ゆごり)という方の娘である竹野比売(たかのひめ)と結婚した。継母の伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)と結婚して生まれた御子(みこ)は御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにゑのみこと)」と記述する。
 この第二后の開化天皇の継母でもある伊迦賀色許売命を生母とする御真木入日子印恵命が、後の崇神天皇である。
 開化天皇が居住した「伊耶河宮」の先頭2字「伊耶」は、『古事記』に登場する「伊耶那岐命」と「伊耶那美命」の先頭2字「伊耶」に合致する。ゆえに、「載斯烏越・開化天皇」は若き日には人民に「伊耶那岐命」と愛称されていたことになる。
 つまり、「載斯烏越」な夏音名(夏音文字の名)、「伊耶那岐命」は愛称、天皇名が「開化」であったことになる。
 
 そうすると、丹波出身の開化天皇の正妃の「竹野比売」(本名)は、人民に「伊耶那美命」と愛称されていたことになる。

◆『魏志倭人伝』に列記される34の小国の中に「伊邪(いや)国」がある。
 「耶」と[]は同字であるので「伊耶国=伊邪国」となる。
 この「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の8(75)のブログで「漢字は銀河から作られた」ことを解説し、また11(710)14(714)までのブログで「今から約4050年前の夏代初頭にわが国に伝来した夏音文字、殷代の契文(甲骨文字)、周代の金文、秦代の篆文、3世紀の魏の楷書、7世紀の隋代に完成した楷書、そして今日の当用漢字の字形は、秋の銀河と夏の銀河の各部の形状から図案された」と解説して証明した。
 B図に「伊邪国」の[][]の字源銀河を示した。[]の契文(甲骨文字)の字形は「十字の銀河・鬼の姿に似る銀河」から図案された。「鬼の姿に似る銀河」は〔右手〕あるいは〔胎児〕に見立てられ、「十字の銀河」は“漢字の始祖”の聖人・倉頡(そうきつ)が生存した五帝時代に中国全土の天頂にめぐって来た。倉頡は、子宮に胎児が宿る妊婦の姿に相似する「十字の銀河」を〔全ての文字を生む母体〕と定めた。[]の字義は「ななめ」であり、「十字の銀河」の邪(なな)めには「氾濫する川のように観える銀河」がある。
 両足を開いて歩く形となる「十字の銀河」は高い天頂にめぐってくるので〔高い山道を歩く人〕と〔杖(つえ)〕に見立てられ、「鬼の姿に似る銀河」が〔山道〕と〔杖を持つ右手〕のイメージとなり、[]の字形は「険しい山道を杖を持って歩く人」をあらわした。これゆえ、「十字の銀河」の邪(なな)めにある「氾濫する川のように観える銀河」は〔霧(蒸気)が立ちのぼる山地の川〕のイメージとなり、B図に示すように〔「十字の銀河・鬼の姿に似る銀河」の背景となる銀河〕は〔山地に立ちこめる霧〕のイメージとなり、「伊邪国」は「霧が立ち込める山深い国」とあらわすことになった。

 丹波は「山深い郷」にして“霧の丹波”といわれて有名である。だから、開化天皇の正妃の竹野比売の出身地の「丹波」はC図に示す『魏志倭人伝』に記載される「伊邪国」であった。ゆえに、人民は丹波出身の竹野比売を「伊耶国の美しい女王」と敬愛して「伊耶那美命」と愛称したのである。なお、B図において「右手」に見立てられた「鬼の姿に似る銀河」はD図を参照していただきたい。
◆『魏志倭人伝』の末部に登場する「卑弥呼の宗女の壱与(いよ)、年十三にして王と為りしを立てて国中遂に定まる」と記述される。
 この夏音名の「壱与」が「伊耶那美命・竹野比売」であり、13歳の時に新生・小国・日本の女王に即位して、彼女は小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めて人民に〔愛〕を最も大切にするように説いた。だから、日本国は〔愛〕を理念に掲げて建国されたのである。
 『魏志倭人伝』の末部にある記事は「卑弥呼が没すると倭国の大王に即位した男王は徇葬(じゅんそう)儀式を決行して、百余人の奴(18歳くらいの青年)と婢(13歳くらいの乙女)を殺して卑弥呼の墓に埋めた」と伝える。
 当時、倭女王卑弥呼が死去し、倭国は狗奴国と戦争し、徇葬を憎悪する大規模な反乱がおきたために、倭国は滅亡しかねない苦境におちいった。そこで、倭国の滅亡を避けるために、倭王朝は倭の伊邪国から小国・日本に赴任させた〔愛〕の女王壱与・伊耶那美命・竹野比売を倭女王に就任させることを決意した。
 倭王朝が予測し期待したとおり、反乱者たちは〔愛〕を説く竹野比売・伊耶那美命が倭女王に即位したならば残虐きわまりない徇葬は禁止されるにちがいないと信じて戦うことを止めた。
 だから、この様子を『魏志倭人伝』は「卑弥呼以(すで)に死す。大いに冢(ちょう)を作る。径百余歩。葬に徇ずる者、奴婢百余人。さらに男王を立てしも国中服さず。さらに相誅殺(あいちゅうさつ)す。時に当たりて千余人を殺す。また卑弥呼の宗女の壱与、年十三にして王と為りしを立てて、国中遂に定まる」と記述した。

◆伊耶那美命・竹野比売が掲げた日本建国の〔愛〕の理念を、開化天皇の第二后の伊迦賀色許売命は憎悪した。彼女は“国家は強大な権力を基盤にして存在すべきである”と考え、国家の強大化を願って鬼神(かみ)に犠(いけにえ)の奴婢をささげる徇葬儀式を否定する伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を憎悪し敵視した。
 これゆえ、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉(よみのくに)訪問説話は「開化天皇の正妃の伊耶那美命・竹野比売が死去すると、開化天皇の第二后の伊迦賀色許売命は徇葬を決行して多数の若者と乙女たちを殺して伊耶那美命の墓に埋めた」と記述していることになる。
 E図に「旧社地」と記した箇所が伊耶那美命の墓が築造された黄泉国で、この場所は熊野本宮大社の旧社地の大斎原(おおゆのはら)であった。伊耶那美命を愛する小国・日本の軍王である開化天皇・伊耶那岐命・載斯烏越は配下の日本兵を率い、熊野に住む人々の協力を得て、倭女王伊迦賀色許売命が陣頭指揮して築いた徇葬墓から伊耶那美命の亡骸を収める棺を奪うクーデターを決行し、E図に示す熊野速玉大社の境内(和歌山県新宮市)に倭王朝の大軍をおびき寄せて撃破した。
 捕虜となった伊迦賀色許売命は、E図に示す神倉(かんのくら)神社(和歌山県新宮市磐盾町)の御神体となる「ごとびき岩」の前に連行された。『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部に登場する「千引(ちびき)の石(いわ)」が「ごとびき岩」である。この千引の石の前で伊迦賀色許売命は離縁された。ゆえに、〔崇神天皇の生母である伊迦賀色許売命は開化天皇の父の孝元天皇とも結婚する開化天皇の継母であったので、彼女は崇神天皇の現在の姑(しゅうとめ・義理の母)のような立場となったゆえ、『日本書紀』には「倭迹迹日百襲姫命は崇神天皇の姑」と記述された。
 以上のごとく、伊迦賀色許売命が倭迹迹日百襲姫命であり、当時、最も強力な権力基盤は〔夏音文字〕であったので、離縁を言い渡した伊耶那岐命・開化天皇に対抗して彼女は天下を治めると決意して“夏音文字に最も精通する偉大なる巫女王”と明確に表示するために〔天を強く照らす夏の太陽〕が直ぐに連想される“天照大御神”と名乗ったのである。
 したがって、卑弥呼の後に徇葬を決行した男王が倭の大王となり、この大王の後を継いで伊耶那美命が倭女王となり、伊耶那美命が死去すると天照大御神が倭女王に即位したゆえ、箸墓は倭迹迹日百襲姫命・天照大御神の墓であって卑弥呼の墓ではない。
 次回から何回に分けて伊迦賀色許売命・倭迹迹日百襲姫命が天照大御神である証明を詳細に行う。

 一部の学者たちと朝日新聞とNHKが“箸墓は卑弥呼の墓である”と騒ぐ意見は科学的根拠・理由がゼロの荒唐無稽(こうとうむけい)の虚妄(きょうもう)・デタラメである。彼らは日本建国の〔愛〕の理念を抹殺して日本人を徹底的に阿呆(あほ)扱いする。彼らの意見が科学的根拠・理由ゼロの〔誤読〕を駆使する空理空論であることぐらい、我々日本人は簡単に見破ることは出来る。馬鹿にするな――どうして我々はこのような悪質な侮辱を受けなければならないと言うのか!

|

« 日本が滅びる・15 | トップページ | 1 ・漢字 »

学問・資格」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

卑弥呼」カテゴリの記事

邪馬台国」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

漢字の起源」カテゴリの記事

ヒエログリフ(聖刻文字)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日本が滅びる・16:

« 日本が滅びる・15 | トップページ | 1 ・漢字 »