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2013年7月29日 (月)

日本が滅びる・21

開化天皇陵と箸墓古墳
 
◆奈良市今辻町に所在する開化天皇陵の全長は約105m、後円墳部の直径は約48mである。
 
一方、『日本書紀』崇神天皇紀が「倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)を葬った」と記述する箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市箸中)の全長は約278m、後円墳部の直径は約150mである。
 このように、箸墓は開化天皇陵よりはるかに大きい。

 わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の14回から前回(20)まで解説して証明したように、『日本書紀』が「箸墓に葬った」と記載する「倭迹迹日百襲姫命」は「天照大御神」である。「天照大御神」は『古事記』上巻に伊耶那岐命の黄泉国(よみのくに)訪問説話に登場する「黄泉国の伊耶那美命」である。「天照大御神」は、『古事記』が「開化天皇の第二后にして、崇神天皇の生母」と説明する「伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)」であり、開化天皇(若き日の伊耶那岐命)に千引(ちびき)の石(いわ)の前で離縁されたゆえ、後に「倭迹迹日百襲姫命」と改名したことになる。だから、箸墓古墳は天照大御神・倭迹迹日百襲姫命の墓だったのである。
◆私がこの「日本が滅びる」のブログを開いた目的は、『日本書紀』が「箸墓に葬った」と記される「倭迹迹日百襲姫命」は確かに「天照大御神」であることを証明することである。
 この証明には――「箸墓に葬られた倭迹迹日百襲姫命」は『日本書紀』が「孝霊天皇の妃(きさき)の倭国香媛(やまとのくにかひめ)と結婚して生まれた倭迹迹日百襲姫命」と記載する人物と同じとする有力説が存在し、この有力説は誤っていることを解明しなければならない。
 伊耶那岐命・開化天皇から離縁された「伊迦賀色許売命」は孝霊天皇と倭国香媛との間に生まれた女性の名を受け継ぎ「倭迹迹日百襲姫命」と名乗ったと考えるべきことになる。この証明は一筋縄(ひとすじなわ)ではいかない。簡単に証明しても疑念が晴れるとは思えず、さまざまな視点から秘密や謎を解いてこそ納得できるにちがいない。それゆえ、何回か解説を続ける必要があるため、「日本が滅びる」というシリーズを設けることにした。
◆開化天皇は若き日の伊耶那岐命であった。伊耶那岐命・開化天皇は中国の正史『旧唐書(くとうじょ)』倭国日本伝と『新唐書(しんとうじょ)』日本伝の両史書が「倭国の地を併(あわ)せた」と記述する小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)であった。ゆえに、歴史上において特筆すべき偉大な英雄であった。
 上記に示したように、偉大な英雄の伊耶那岐命を葬る陵墓よりも天照大御神(倭迹迹日百襲姫命)を葬る陵墓のほうがはるかに巨大である。
 天照大御神の墓=箸墓のほうが伊耶那岐命の墓=開化天皇陵よりもはるかに巨大である原因は、伊耶那岐命よりも天照大御神のほうが当時(3世紀後半)において最も強大な権力基盤であった夏音文字の学芸により精通し、夏音文字の学芸をより尊重していたからにほかならない。このため、天照大御神王権は開化天皇王朝よりも政治腕力が勝ることになった。

◆伊耶那岐命の正妃の「竹野比売(たかのひめ)」は「伊耶那美命」であった。
 『古事記』は――伊耶那美命は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)の事業が生まれた(開発された)ために没した。この火の神(発明・工法)から鉱山をつかさどる金山毘古神(かなやまびこのかみ)と金山毘売神(かなやまびめのかみ)が生まれた。伊耶那岐命は伊耶那美命の亡骸の周囲を這()いまわり、号泣して悲しんだ。伊耶那岐命は伊耶那美命を死なせたことを怒り、腰に帯びる剣をぬいて、火之迦具土神の頸(くび)を斬った――と記述する。

鉱山をつかさどる「金山毘古神」は「鉄の鉱山の神」、「金山毘売神」は「砂鉄の神」であると考えられる。だから、伊耶那岐命が剣で頸を斬った「火之迦具土神」は「銅鐸の鋳造炉を改良し進化させた鉄製の犂(すき)の刃先を作る事業」であったにちがいない。したがって、「伊耶那岐命が火之迦具土神の頸を斬った」という表現は「伊耶那岐命が銅鐸の頸を斬って破壊した」と解釈できる。
 伊耶那岐命が天照大御神に離縁を言い渡した千引の石(和歌山県新宮市に所在する神倉神社の御神体)の下から銅鐸の破片が発見された。ゆえに、「火之迦具土神」は「銅鐸を作る鋳造炉からさらなる進化を求めた鉄を作る溶鉱炉の開発事業」であったことになる。
 火之迦具土神の鋳造炉を製鉄の溶解炉にして犂の刃先を時、炉が爆発して大火災となり、この火災事故で伊耶那岐命は大火傷を負って病床に伏して死去した。これゆえ『古事記』は「火之迦具土神を生んだために、美蕃登灸(みほとや)かれて病み床に伏した」と記述して、「伊耶那美命は大火傷が原因で崩御した」と伝える。
 愛妻・伊耶那美命の死を号泣して悲嘆する伊耶那岐命は死因となった銅鐸を作る炉の爆発による火災を怨み、銅鐸に八つ当たりして剣で銅鐸を破壊した。この表現から「伊耶那岐命は鉄製の犂の刃先を作る事業に反対した」と解釈できる。
◆日本刀の材料は砂鉄である。ゆえに、伊耶那岐命が腰に帯びていた剣は、砂鉄から作られたと考えられる。純度の高い砂鉄の融点は低いため、銅鐸を鋳造した最先端の炉である火之迦具土神でも溶解できた。
 しかし、純度の低い砂鉄は融点が高いために火之迦具土神の炉では精錬できなかった。
 純度の高い砂鉄から作った剣の刃は物を容易に切ることができるが、意外に脆(もろ)く堅い石や木の根や物など当たると刃はガラスのごとく欠ける。だから、純度の高い砂鉄は農具の刃先には不向きとなる。
 純度の低い砂鉄から鉄製の犂や鍬(くわ)の刃先を作るには、剣を作る炉よりも高熱に耐えることができる製錬炉を生む(開発する)必要があった。これゆえ、火之迦具土神の炉で犂や鍬の刃先を作成しようとした時、高熱に耐えきれず炉が爆発して大火災となって伊耶那美命は大火傷を負って没した。
◆橿原(かしはら)考古学研究所附属博物館編『弥生人の四季』(六興出版)は「弥生時代後期後半にはくわやすきの刃先に鉄が用いられた。岡山県上東(じょうとう)遺跡出土のすきの身の先端部には、鉄の刃先を挿入した痕跡が残っている。当時の刃先は薄い鉄板の両側を折り曲げただけの簡単なものだが、従来の木の刃先と比べれば、開墾・耕作に伴う負担を大幅に軽減させた。この鉄製の鍬・鋤(すき)先は中国・朝鮮半島に類品がなく、国産品と考えられている。」と記述する。
 このような鉄製のクワやスキの刃先が作られた作弥生時代後期後半は、伊耶那岐命(開化天皇)と天照大御神(倭迹迹日百襲姫命)が生存した3世紀後半である。
★古代朝鮮語の「サ」または「ソ」は「鉄」を指すゆえ、「麻」は「砂鉄」を意味した――と指摘する学者がいる。
 『古事記』に「鍛人天津麻羅(かぬちあまつまら)」という名が登場する。この「麻羅」は古代の「鍛冶師(かじし)」に付けられた名で、この名は物部氏の一族に多く付けられた。
 『日本書紀』崇神天皇紀は「天皇の母を、伊香色謎命(いかがしこめのみこと)という。物部氏の先祖とする大綜麻杵(おおへそき)の女(むすめ)である」と記載する。この「伊香色謎命」を『古事記』開化天皇紀は「伊迦賀色許売命」と表記するゆえ、天照大御神(伊迦賀色許売命)の父の大綜麻杵命は鉄製のスキやクワの刃先を作る製鉄事業推進の先頭に立つ人物であったと考えられる。
★開化天皇・伊耶那岐命は製鉄事業推進のために伊耶那美命が死去したと怨(うら)んだことは確かなことであったゆえ、製鉄事業の発展にまったく協力・支援しなかったことになる。したがって、上記したように天照大御神の父の大綜麻杵が製鉄事業者ではなかったとしても、製鉄事業者たちは開化帝に疎(うと)まれたことになる。
 だから製鉄事業者たちは、おのずと夏音文字の学芸に精通して製鉄の工法の開発に理解を示す天照大御神に支援を求めたことになる。しかも天照大御神は開化帝に離縁されて怨念(おんねん)を抱いていた。ゆえに、開化帝が嫌悪する製鉄事業に情熱を傾けて鬱憤(うっぷん)を晴らしたにちがいない。

◆製鉄事業者たちは鉄のスキやクワの刃先を作る純度の低い砂鉄を融解する高熱に耐えることができる炉を開発してタタラの製鉄事業を成功させた。
 この結果、天照大御神王権は鉄製の農具を使う豊かな実りによって莫大な富を手に入れることができたことになるので、全長約278mの箸墓を築造することができた。
 いっぽう、伊耶那岐命・開化帝は偉大な英雄であったが、彼は製鉄事業の推進に背を向けるものであったために天照大御神王権よりも劣る財しか得られなかったので、開化天皇王朝は箸墓よりも規模の小さい全長約105mの陵墓しか築造することができなかったのである。
 開化天皇陵は前方後円式で最も古い御陵とされながら、この墳丘の規模は天皇の墓として5世紀末から6世紀初頭の時期に推定できるという理由によって、開化天皇の陵墓とする意見は疑問視される。しかし、開化天皇は伊耶那岐命であったので、愛する伊耶那美命を思うあまり製鉄事業推進に反対したにちがいないので開化天皇陵が小規模となったのである。

◆『古事記』上巻の三貴子の分治説話は――伊耶那岐命・開化天皇は須佐之男命に「お前は海原(うなはら)を治めよ」といって委任した――と記述する。この「海原」は卑弥呼が治めた「邪馬壱国・出雲地方」であったにちがいない。というのも、出雲は日本海に面するゆえ「海原」となるからである。そして、出雲は“製鉄(タタラ)の発祥の地”とされ、古代の出雲文化は製鉄を背景にしたものとされる。だから、須佐之男命に伊耶那岐命は「海原を治めて母が提唱した〔愛〕の理念を後世に伝えよ」と指示したと考えられる。
 『古事記』上巻の三貴子の分治説話において、伊耶那岐命が「高天原(たかまのはら)を治めるように」と委任した「天照大御神」は「崇神天皇」であったことになる。母の天照大御神・伊迦賀色許売命・倭迹迹日百襲姫命は女性であるゆえ「三(みはしら)の貴き子」ではないからだ。ゆえに、「高天原の分治を委任した天照大御神」は「伊迦賀色許売命・倭迹迹日百襲姫命が生んだ崇神天皇」であったことになる。
 前回のブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・20」にて指摘したように、『古事記』中巻の崇神天皇紀は――天皇が「建波邇安王(たけはにやすのみこ)はわが庶兄(まませ・異母兄)である」と指摘した――と記述する。そして、天照大御神は伊耶那岐命の父の孝元天皇とも結婚しているので、第10代崇神天皇は第9代開化帝の実の子ではなく、崇神帝は第8代孝元天皇と天照大御神の間に生まれた子で、天照大御神と結婚したために開化帝の子となったことになる。
◆箸墓古墳の規模より小さな開化天皇陵が示すように、開化帝・伊耶那岐命の製鉄事業推進反対は財政的大失敗であった。このために、その権勢は弱体化して伊耶那美命(竹野比売)の子・比古由牟須美命(ひこゆむすみのみこと)すなわち須佐之男命が高天原・大和を治めることができないことになった。
 須佐之男命に譲位すると、圧倒的に財力に優り夏音文字の学芸に精通して政治腕力に優る天照大御神王権(崇神天皇勢力)が、先年におこなった開化天皇による黄泉国訪問クーデターを報復するクーデターを必ずおこすにちがいない。ゆえに、天照大御神・伊迦賀色許売命が生んだ御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにゑのみこと・のちの崇神天皇)に譲位して、須佐之男命を卑弥呼が居住した海原の邪馬壱国(やまいこく)にしてタタラ・製鉄の国である出雲を治めさせれば勢力が対等となるので平和的譲位が達成できると――開化天皇は考えたのである。

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