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2013年7月30日 (火)

日本が滅びる・22

●箸墓の[]の字義の秘密
 

◆今から約4050年前の夏代(かだい)初頭、中国からわが国には原初漢字の夏音(かおん)文字が伝来していた。
 わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)は「わが国の漢字音」と題して「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音殷学がとり入れられ、殊にその音韻史によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレーンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」と指摘する。
 上記のごとく、わが国に残る最古の漢字音からなる文字が夏音文字である。
 『魏志倭人伝』には「倭の易における卜辞に用いる文字は令亀(れいき)の法の如く」という記述がある。これゆえ、倭には殷代の亀の甲羅に刻む契文(甲骨文字)の如き文字、つまり契文より約750年前に出現した夏音文字があったことになる。
 そして、夏音文字が確かにわが国に存在したと科学的に完全に証明できる史跡が存在する。この史跡は『魏志倭人伝』と同時代(3世紀後半)に作成されたちょうど1千万坪の大鳥の地上絵であり、現在は静岡県浜松市北区細江町の行政区域の地図の形となって存在する。この大鳥の地上絵を、私は最初“建比良鳥(たけひらとり)の地上絵”と名づけていたが、最近は“「卑弥呼」の地上絵”と呼んでいる。
 中国の正史『新唐書』日本伝には――702年に中国に渡った遣唐使が「後稍(のちやや)夏音を習う」と中国王朝に報告した――という記述が存在する。この遣唐使が派遣された年の10年後の712年に完成した『古事記』上巻の随所に〔音〕という注がついて記載される1字1音読みの文字が多数残る。ゆえに、これらの文字は遣唐使が「後稍夏音を習う」と報告した「夏音文字」であったことになる。

 

◆前回のブログにて、奈良県桜井市に所在する箸墓古墳について解説した。この箸墓の墳丘の裾から発見された玄武岩の板石は大阪府柏原市の芝山の石であることが判明した。この石の発見によって――『日本書紀』崇神天皇紀の「倭迹迹日百襲姫命(やまとととびものそひめのみこと)を箸墓に葬った。箸墓は大坂山の石を運んで築造した」という記事は誤りである。ゆえに、箸墓は倭迹迹日百襲姫命の墓ではない――と幾人かの学者は主張するが、この論法は余りにも傲慢(ごうまん)である。
 というのも、(1)箸墓の中心部の埋葬施設に用いられる石材は大坂山(奈良県北葛城郡二上山の北側の山)のものである可能性もあり、(2)発見された板石の産地の「芝山」が「大坂山」であるかもしれないうえに、(3)箸墓の天頂を「長方形の暗黒天体部」が通過した時の西側にある国際天文学で「コールサック」と呼ぶ銀河を「大坂山」と呼ぶものであったから「大坂山の銀河」が見える方角の「芝山」・「二上山」から石が運ばれた可能性もあるからだ。このように、過去に起きた出来事の真実を追求するにあたって、短兵急に結論を出すのは“傲慢な単純化”と言わざるをえない。
 紀元前1200年前後におこったトロイ戦争は紀元前850年ごろに生存したギリシャの詩人ホメロスの英雄叙事詩『イリアス』に記述され、学者たちは『イリアス』に記述されたトロイ戦争はホメロスが創作した空想であると断定して信じなかった。しかし、ドイツ人のシュリーマンが『イリアス』に記述されたとおりの土地を発掘して、トロイの遺跡を発見した。したがって、学者たちの意見こそが空想であったと証明された。
 学者たちは『魏志倭人伝』が最も多くの記事をもって一点の矛盾点も不合理な点も無く【科学】が成立する「日本列島は南に伸びる」と示される転回日本列島地理は著者の陳寿(ちんじゅ)の誤った地理観である指摘する。しかし、「卑弥呼」の地上絵によって卑弥呼王朝が錯覚した地理観であることが科学的に完全証明される。したがって、学者たちの“陳寿の誤った地理観”と決めつけた意見は空想だったことになる。また「倭には令亀の法の如き、夏音文字が存在した」という貴重な証言を、学者たちは「絶対に信用してはならない」と排除する。このような学者たちがまったく信用しない多数の重大な記事は、「卑弥呼」の地上絵によって歴史上の事実であったと科学的に証明されるので、学者たちは〔誤読〕の空想にふけっていることが事実となる。
 ゆえに、「箸墓の墳丘の裾から発見された板石が大阪市柏原市の芝山の石であるから、『日本書紀』が――箸墓は大坂山の石を運んで築造した――という記事は誤っている」という主張は“傲慢な単純化”と呼ぶべきことになる。こんな乱暴な論法では過去の先人たちが文献に残した記述を否定することはできない。古代史学では、先人が残した文献史料の記述と史跡・遺跡・遺物が矛盾も不合理な点もなく科学的に合致したときに【科学】が成立して事実となる。発見した遺物だけで、先人たちが残した文献史料の記述を直ちに“事実を伝えるものではない”と判断する意見は傲慢な単純化による偏見である。
◆〔食べ物をはさむ2本の細い棒の形をした道具〕の【箸】が日本に伝来したのは7世紀ころであるから、『日本書紀』崇神天皇紀にある「倭迹迹日百襲姫命を箸墓に葬った」という記述は誤りで、「古墳を作った集団である土師(はじ)氏の墓、つまり“土師墓”から“箸墓”となった」と唱える土橋寛氏の説がある。この土橋説も、空想である。
◆世界中探しても星座よりも明確な形から成る銀河各部の名称が存在しないので、A図に最も多くの文字が作られた銀河の範囲における、私が名づけた銀河各部の名称を表示した。
 字源を解説する字書の聖典『説文解字』は[]の字源を「箸なり」つまり「箸(あらわ)すなり」と解説する。この[]の『説文解字』の字源解説に用いられる[]が、箸墓古墳の[]と密接に関連する。
 白川静著『字統』は[]の楷書の字形を「正字は聿(いつ)と者(しゃ)に従う」と指摘する。この[]の字義は筆記用具の「筆」である。B図に示すように、「鬼の姿に似る銀河の右手」が持つ「筆」に見立てられた「十字の銀河」が[]の字(字源・字形・字義)となる。[]の金文形上部はA図に示す「十字の銀河の子宮」、[]の金文形下部の[]は「長方形の暗黒天体部」を図案する。「長方形の暗黒天体部」は「文字を書く面(砂や灰などの表面を平らにした面や青銅器の表面など)」をあらわす。[]の金文形上部の字源となる〔「十字の銀河の子宮」に重なる多数の線〕が[]の字(字源・字形・字義)となった。
 すべての漢字は、わがブログ「卑弥呼の逆襲:【用語の解説】」の「2・秋の銀河と夏の銀河」の各部の形状を図案して作られた。〔銀河各部の形状から作られた文字は「十字の銀河の子宮」から生まれると考えれば、万物の情(イメージ)に類似する多数の文字を作ることが出来る方法〕を、今から約5000年前の五帝時代初頭の黄帝につかえた“漢字の始祖”と崇拝された倉頡(そうきつ)が発明した。
 「十字の銀河の子宮」は「すべての文字を生む子宮」であったので、B図に示す[箸]の字形は〔四方八方から集まる線〕で表現された。「十字の銀河の子宮」に集中する[]の線〕は「さまざまな方角にある銀河の各部の形状を図案して文字が作られた」と表示して、〔[]の線〕は「文字をあらわす」つまり「文字を箸(あらわ)す」と表現する図案となったのである。
 わがブログ「卑弥呼の逆襲:【用語の解説】」の「4・倉頡が死刑と定めた3つの掟」にて指摘したように――五帝時代初頭から殷代前半期までの原初漢字は「書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者」には必ず神罰が下って死刑に処せられると定められていたので、史跡から出土されないことになった。これゆえ、『魏志倭人伝』に記載された契文(甲骨文字)に類似する夏音文字の原形を示す文字もまた一点も史跡から出土していない。
 夏音文字は地面や砂や灰の平らな面上に箸のような細い棒()で書かれていたが用が済むと必ず消されていたので、『説文解字』は[]の字源を「箸なり」と解説した。つまり、『説文解字』は[]の字源は「原初漢字における“書く”という行為は、書いた後に必ず消されていたので、結局、銀河各部の形状をあらわす」ものであったので「箸(あらわ)すなり」と解説したのである。
◆C図に示す「日々の「正午=昼」の測量における太陽の高度を測量する棒」も[]であった。この[]は「銀河各部の高度も測量する棒」でもあった。
 この天体測量用具の[]の棒も用済みになると、原初漢字と同様に倉庫などに所蔵されて姿を消すものであった。
 D図に記す「日輪の銀河」をC図の〔正午の太陽〕に見立て、D図の[]の字源となる「十字の銀河」をC図の〔垂直に立つ棒〕に見立てて、[()]の金文形は図案された。D図の右側に配する[()]の金文形は、C図に示す〔[]となる垂直に立つ棒の背後に太陽が隠れる時が「正午」となる〕と表示する図案である。(D図に示す「三つ輪の銀河」は〔東の水平線から昇る夏至と秋分・秋分と冬至の太陽の方角〕に見立てられて[]あるいは「潮」の字となった。「三つ輪の銀河」を〔海〕に見立てる[]の字となった秘密が察知できるにちがいない)
 B図の[]の字源となる〔多数の線〕のうち「鬼の横顔に似る銀河の口」に達する箇所は〔食べ物を口に運ぶ道具の箸〕に観えるゆえ、[]の字義は転義されることになった。
「箸墓」の[]の字義も原義ではなく、転義の「子宮頸部(しきゅうけいぶ)を通過できずに死産した胎児の頭を挟んで産道から引き出す医術用具」であったと考えられる。
 E図に示すように、[]の字源における「子宮頸部」は、B図における[]の金文形下部の[]となった。この[]の字源銀河は、E図左図の「長方形の暗黒天体部」である。E図に示すように、「長方形の暗黒天体部上部の三角形の部分(激流の銀河の先端部)」は「子宮頸部」に相当すると見立てられて[]の字源となった。
 F図に示す[]の「天頂緯度線と子午線」は[]の上部の[(とう)]の字形となり、[]の下部の[(よう)]はE図の「子宮頸部がすっかり開くのを待つ胎児」をあらわした。というのも、F図の〔[]をキャッチする時の心得〕は「無心無欲で産道を通過するときの胎児の如き心境であれ」であったからである。“必ず、[]をキャッチする”と欲を有すると、古人たち旅先で[]はキャッチできず道に迷って命を失った。だから、[]の字は[][]で形成されることになった。
◆わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・18」で『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話を現代語訳する際に解説したように、箸墓に葬られた倭迹迹日百襲姫命・天照大御神は千引の石の前で伊耶那岐命に離縁を言い渡された時に「汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日に千頭絞(ちがしらくび)り殺さむ」と誓った。この誓いは「一日に日本建国の〔愛〕の理念を尊重するあなたの国の母親たちの子宮頸部が狭くなるように呪って、一日に千人ずつの胎児の頭が狭い子宮頸部を通過できないようにして絞め殺す」と意味した。
 B図に示す「鬼の姿に似る銀河」は「胎児」に見立てられた。ゆえに、B図で「箸」と記した〔多数の線〕のうち食事の時に使う〔「箸」に見立てることができる2本の線〕は〔産道を通過できないで死産した胎児の頭を挟んで引き出す医術用具〕のごとくに観える。だから、〔天照大御神の呪いによって、殺された胎児の頭を挟んで産道から引きだす医術用具〕が「箸墓」の[]であったと考えられる。
 その証拠に、天照大御神が呪いの誓いをした千引の石の前には、現在、神倉神社の社殿が建てられて天照大御神が主神として祀られる。この神倉神社は東経13559分であるので、東経13550分の箸墓と経度差はわずか9分であるから、同経度と言えるからである。

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