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2013年7月19日 (金)

4・倉頡が死刑と定めた3つの掟

●【倉頡そうきつが死刑と定めた3つの掟】

◆先人たちが“漢字の始祖”と崇拝した倉頡は、紀元前3000年ころの五帝時代初頭の黄帝につかえた史官(記録官)である。
 倉頡は漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕(【用語の解説】の「5」を参照)を発明して、【用語の解説】の「2」で指摘した「秋の銀河と夏の銀河の各部の形状」を万物の情(イメージ)に類似するように図案すれば多数の漢字(すべての漢字の字源を知ることができる1400字前後の基本字)が作成できるようにした。

◆倉頡は自らが考案した文字が最も強大な権力、莫大な富、最高の名声を手に入れる方法でであることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学識を手に入れて革命に利用したならば王朝は容易に滅亡すると考えた。
 ゆえに、倉頡は下に列記する3つの掟を破った人物には神罰が下って即刻に死刑に処せられると定めた。

●倉頡が死刑と定めた3つの掟
(1) 秋の銀河と夏の銀河の各部の形状から文字が作られたことを暴露した者
(2) 文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を付けた者
(3) 書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者

◆上記の(3)の掟は、今から約3300年前に出現した殷代いんだい後半の契文けいぶん(甲骨文字)によって破られた。しかし、契文は(1)と(2)の掟については厳重に守った。だから、(1)の掟によって〔文字が銀河から作られた秘密〕は現在においても解明されず、(2)の掟によって〔銀河各部の名称〕は存在しない。
 銀河各部の形状より不鮮明な形を有する〔星座の名称〕は存在するが、〔銀河各部の名称〕は世界中探しても存在しない。これゆえ、わがブログ「卑弥呼の逆襲」における、銀河各部の名称は私が付けたものである。

★漢字が起源した中国において、(3)の掟が厳重にまもられたために――紀元前3000年から紀元前2070年までの五帝時代の遺跡から、また紀元前2070年から紀元前1600年までの夏代かだいの遺跡から、また紀元前1600年から紀元前1300年までの殷代前半期の遺跡から、学者たちが「文字」と定義した図書や記号は現在まで1点も出土していない。
★2003年~2006年、中国の浙江省の荘橋墳遺跡から出土した6つの図書・記号は、中国の学者たちによって「文字」と認められた。この原始漢字は約5000年以上前のものであるゆえ、「三皇時代の文字」ということになる。
★倉頡が生存した時より以前となる紀元前4000年から紀元前3000年までの三皇時代の遺跡から120種余の図書と記号が発掘されている。これらの図書・記号は契文と周代に出現した金文を参考にして、現在においてほとんどの図書・記号の意味が解読されている。ただし、これらの図書・記号は1個の陶器の破片に1個の図書・記号が刻まれて、複数個の図書・記号が同一の破片上に刻まれたものは1例も発見されていない。ゆえに、学界は“文字ではない”と定めて、「陶文とうぶん」と呼ぶ。
★紀元前1300年より以降の殷代後半期の遺跡から出土した契文(甲骨文字)が刻まれる亀の甲羅や獣の骨の破片は中国科学院が編纂した『甲骨文合集』に4万点が著録されている。この4万片から解読された文字は1723字、解読されていない未釈異体の字は2949字、合計4672字も存在する。

◆以上のごとく、三皇時代の陶文が遺跡から120種余も出土し、殷代後半の契文が合計4672字も遺跡から発掘されたにもかかわらず、三皇時代初頭から殷代後半初頭の中間となる五帝時代・夏代・殷代前半の遺跡から「文字」と定義される遺物が1点も出土していない。この秘密は――この時代において、【倉頡が死刑と定めた3つの掟】のうちの「(3)の掟を破った者は必ず神に罰せられる」という戒いましめは絶対に事実であると信じられていたことになる。 

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