8・千引の石とごとびき岩
●【千引ちびきの石いわとごとびき岩】
◆和歌山県新宮市磐盾いわたて町に所在する神倉かんのくら神社の社殿を覆うようにある巨石が、【千引の石】であるととに【ことびき岩】である。
★「千引の石」という名は「神倉神社の主神として祀られる天照大御神が日本建国の〔愛〕の理念に祟たたると誓った所に在る巨石」とあらわすことになる。
★「ごとびき岩」は「伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を、伊耶那岐命が継承すると決意を示した所に在る岩」と意味することになる。
◆小国・日本の軍王いくさのおおきみの伊耶那岐命の正妃であった倭女王・伊耶那美命が死去すると、伊耶那岐命の第二后である天照大御神が倭女王に即位した。強大な権力を重視する天照大御神は伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を憎悪し、強大な国家権力の基に多数の若者と乙女を殺して伊耶那美命の墓に埋葬する徇葬じゅんそうを決行した。この徇葬墓は、熊野本宮大社の旧社地の大斎原おおゆのはらである。
◆天照大御神は皇室と国家の権力の強大化をはかって大和朝廷の基礎を築いた。ゆえに、天武・持統の両天皇は天照大御神を皇室が最も崇拝する至上神・皇祖と定めた。
『古事記』編纂スタッフは、皇祖・天照大御神が徇葬を決行した事績を『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国よみのくに訪問説話に記述した。編纂スタッフは自分たちが敬愛する「伊耶那美命」の名を用いて、「天照大御神」を「黄泉国の伊耶那美命」と解釈できる〔反実仮装はんじつかそう〕つまり〔事実に反する虚偽の記述で真実を伝える表現方法〕で天照大御神が徇葬を決行し日本建国の〔愛〕の理念を憎悪したと表現した。この方法ならば皇室が欲求する天照大御神の聖性を汚さず伊耶那美命を侮辱することになるので、天皇は献呈を承認して『古事記』は正史になるかもしれない可能性に賭けた。しかし、編纂スタッフの企みは見破られて、『古事記』は皇室と律令体制に刃向かう反逆の史書となった。
◆『古事記』上巻の作成目的は、後世に伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を伝えることであった。(㊟ 【用語の解説】の「9」は「日本建国の〔愛〕の理念」である)。
『古事記』上巻の作成目的となった日本建国の〔愛〕の理念は、伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部にて、下記のごとく表示された。
――伊耶那美命は千引の石の前で天照大御神(黄泉国の伊耶那美命)に離縁を言い渡した。すると、天照大御神は「汝いましの国の人草ひとくさ、一日に千頭ちがしら絞くびり殺さむ」と呪い祟った。この天照大御神の誓いは「〔愛〕の理念を尊重する日本国の人民の母親の産道が狭くなるように呪って、一日に千人の胎児の頭を狭い産道で絞め殺す」と意味した。この天照大御神の誓いに対抗して、伊耶那岐命は「吾あれ一日に千五百の産屋立てむ」と宣誓し、伊耶那美命が提唱した〔愛〕の理念を人民が最も尊重して、一日に天照大御神の祟りに優る千五百人の子どもが生まれる政事をおこなうと決意を表明した。
◆天照大御神は「汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」と誓ったゆえ、この誓いがおこなわれた場所に在る巨石の名は「千頭」の[千]の字が付く「千引の石」となった。
◆千引の石は地上60メートルの絶壁にそそりたつ。ゆえに、A図に示す[蛙]の字源となる「鬼の姿に似る銀河」は夜空高くそそり立って存在するゆえ、古来より日本に生息する最大のカエルの「ごとびき」すなわち「ヒキガエル」に見立てられた。伊耶那岐命を祀る速玉大社にて「鬼の姿に似る銀河」が子午線通過するとき、速玉大社からごとびき岩がる西南の方角に、B図に示す巨大な「オタマジャクシに似る銀河」がめぐってきた。オタマジャクシはヒキガエルの子であり、ヒキガエルの一匹のメスは長いひも状のゼリー質に包んで2000~8000個の卵を産む。ゆえに、伊耶那岐命の「吾一日に千五百の産屋立てむ」という宣誓は「ごとびき(ヒキガエル)」で象徴されることになり、神倉山の巨石は「ごとびき岩」と呼称されるようになったのである。
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