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2013年7月 5日 (金)

日本が滅びる・8

73日のわがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・7」の末部にて指摘したように――3世紀後半に西晋(せいしん)の歴史編纂官であった陳寿(ちんじゅ)が著作した『魏志倭人伝』は「倭の易の卜辞に用いる文字は、殷代(いんだい)後半に出現した亀の甲羅に刻む甲骨文字のごとくであった」と伝え、「倭には文字があった」と指摘する。
 また、●(1)『魏志倭人伝』と同時代の3世紀後半に作成された――静岡県浜松市北区細江(ほそえ)町の行政区域を表示する地図の形として現存する――私が“「卑弥呼」の地上絵”と名づけた丁度1千万坪に作られる巨大な鳥の地上絵も、わが国に甲骨文字よりも古い原初漢字が伝来したことが科学的に証明できる史跡である。この●(2)「卑弥呼」の地上絵によって、“漢字の始祖”と崇拝された倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理〔鳥獣の文〕の秘密の全貌が科学的に解明できる。さらに、●(3)「卑弥呼」の地上絵から――倉頡は、下にある資料Aに示す〔秋の銀河と夏の銀河〕の各部の形状を万物の情(イメージ)に類似するように図案すれば多数の漢字が作成できると考案したことが――解明される。この倉頡が考案した漢字作成方法の秘密の基に、従来の字形を受け継いだ「正字」「旧字」と呼ばれる近代の楷書も作られたことが、「卑弥呼」の地上絵によって明らかとなる。言い換えると、「卑弥呼」の地上絵によって、倉頡の考案に則って全ての漢字すなわち五帝時代の書契、夏代の夏音文字、殷代後半の甲骨文字、周代の金文と大篆、秦代の小篆と隷書、後漢時代から出現して隋代に完成した楷書、さらに後世に作られた楷書などが資料Aの銀河から作られたことが明らかとなる。これゆえ、「卑弥呼」の地上絵は、すべての漢字の字源を知ることができる1400字前後の基本字の字源をも解明することができる仕組みになっている。●(4)漢字の字源を解説する字書の聖典『説文解字』の序には「けだし文字は経芸の本、王政の始め、前人のもって後人に垂れるところ、後人のもって古(いにしえ)を識()るなり」と記す文がある。この文は「文字は学術と芸術の根本であり、王道政治の起源することになった最も強大な権力基盤であり、字源(漢字が銀河から作られた秘密)によって後人は真実の歴史を知ることができる」と意味する。
◆なお、「卑弥呼」の地上絵は、この「卑弥呼の逆襲:日本が滅ぼす」というブログの1回(625)から7(73)までのA図に示した。

◆“漢字の始祖”と崇拝された倉頡は、今から約5000年前の五帝時代初頭の黄帝につかえた史官(記録官)である。彼は漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕を発明し、また資料Aの「天頂にめぐってきた秋の銀河の西部と、そして夏の銀河」から万物の情(イメージ)に類似するように図案すれば多数の漢字が作成できると考案した。
 〔春の星座が漬かる銀河〕は「春の銀河」と呼ばれ、この春の銀河各部の形状から漢字は1字も作成されなかった。〔秋の星座が漬かる銀河〕すなわち「秋の銀河」の東部は天頂にめぐってこなかったので、秋の銀河の東部各部の形状からも漢字は1字も作成されなかった。さらに、冬の銀河各部の形状からも1字も漢字は作成されなかった。

◆倉頡は自らが考案した漢字が最も強大な権力、莫大な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学識を手に入れて革命に利用したならば王朝は容易に滅亡するにちがいないと考えた。ゆえに、倉頡は下に列記する3つの掟を破った人物には神罰が下って即刻に死刑に処せられると定めた。
◆倉頡が死刑と定めた3つの掟

(1) 下に示す資料Aの銀河の各部の形状から文字が創られたことを暴露した者

(2) 文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を付けた者

(3) 書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者

◆上記の(3)の掟は、今から約3300年前の殷代後半に出現した甲骨文字によって破られた。しかし、甲骨文字は(1)(2)の掟については厳重に守った。だから、(1)の掟によって「文字は銀河から創られた」ことは現在においても解明されず、(2)の掟によって銀河各部の名称は存在しない。(下の資料Bにおける銀河各部の名称は、私が定めた名称である)

漢字が起源した中国において、(3)の掟のために――今から約5000年前から約4080年前までの五帝時代の遺跡から、また今から約4080年前から約3600年前までの夏代(かだい)の遺跡から、また今から約3600年前から約3300年前までの殷代前半までの遺跡から、学者たちが「文字」と定義した図書や記号は現在まで一点も出土していない。

しかし、倉頡が生存した時より以前となる今から約6000年前から約5000年前までの三皇時代に作られた図書が約120種余も出土し、甲骨文字と金文を参考にして現在においてほとんど解読されている。ただし、これらの図書は1個の陶器の破片に1個の図書が刻まれて、複数個の図書が同一の破片上に刻まれたものは1例も発見されていないゆえ、学界は“文字ではない”と定めて「陶文(とうぶん)」と呼ぶ。
 今から約3300年前より以後の殷代後半の遺跡から出土した甲骨文字が刻まれる亀甲や獣骨の破片は中国科学院が編纂した『甲骨文合集』には4万点が著録されている。この4万片から解読された文字は1723字、解読されていない未釈異体の字は2949字、合計4672字も存在する。

このように三皇時代の陶文が遺跡から120種も出土し、殷代後半の甲骨文字が合計4672字も遺跡から発掘されたが、三皇時代と殷代後半の中間となる五帝時代・夏代・殷代前半の遺跡から「文字」とされる遺物が1点も出土しないのは――この時代において、倉頡の「(3)の掟を破った者は必ず神に罰せられる」という戒(いましめ)は絶対的に事実であると信じられていたことになる。

◆「銀河」は「天漢」または「銀漢」とも言うので、「銀漢から創られた文字」を略して「漢字」と呼ばれた。ゆえに、「銀漢各部」が「文字」であったから「天に多数文字ありき」となったため、「天」は「天文」と呼ばれることになった。
◆今から約4050年前の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、夏王朝2代の帝益が啓に帝位を譲って箕山(きざん)の南に隠棲(いんせい)したとき、“夏の始祖”である帝禹()の遺志を継ぐために帝益の孫の王子(天祖)と益氏の若者たちが大海を越えて日本列島の東北地方に移住した。ゆえに、夏音文字の学芸が日本列島に伝来した。名門益氏の日本列島移住の歴史は『日本書紀』神武天皇紀の天祖降臨(こうりん)説話に記述され、『古事記』上巻の天孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)の筑紫降臨説話にも慎重に読めば察知できる記述になっている。ゆえに、後期縄文時代初頭(夏代初頭)に相当する国の特別史跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき・秋田県鹿角市に所在する)の万座・野中堂の両遺跡には、夏音(かおん)文字の学芸が伝来した痕跡が現在も明確に残っている。

◆『魏志倭人伝』の「卑弥呼」はじめとする人名や小国名の用いられる文字が、夏音文字である。ゆえに、わが国に夏音文字が確かに伝来していたことになる。上記でも指摘したように、『魏志倭人伝』は「倭の易に用いる卜辞の文字は令亀(れいき)の法の如く」と記述する。この「令亀の法の如く」という語句は「殷代の亀の甲羅に刻む甲骨文字のような文字が倭には存在した」と証言するものとなる。この「倭に実在した文字」が倉頡の(1)(2)(3)の掟を厳守する夏音文字であった。
◆『魏志倭人伝』は「倭女王卑弥呼が書いた文書に用いる文字(夏音文字)は魏都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書と差錯 (ささく・相違)していたので、倭の伊都(いと)国の港で点検して確認していた」と記述し、「倭では夏音文字を楷書に変換できた」と証言する。この記事は、下記の事実を伝えるものとなる。
楷書は短時間で筆記することができるようになった点が革命的な文字であった。しかし、依然として銀河各部の形状に類似するように図案すると定めた、倉頡が発明した漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕を五帝時代初頭から引き継いで厳守する文字であった。ゆえに、伊都国の港では資料Aの銀河を字書・辞典のごとくあつかって、卑弥呼が書いた夏音文字を魏都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書に正しく変換することができた。だからこそ、『魏志倭人伝』において人名・小国名をあらわす夏音文字は楷書で表記されて残存することになった。

 つまり、夏音文字は倉頡の(3)の掟によって神罰が下されて死刑に処せられる原初漢字であるに対して、楷書は倉頡の(3)の掟を破ることがゆるされた短時間で筆記するために開発された死刑にはならない進歩的な文字、この2種類に分類されていたことになる。
中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝には――702年に中国に渡った日本国の遣唐使が「後稍(のちやや)夏音を習う」と中国王朝に伝えた――という記述があり、この「後稍夏音を習う」という文は「壬申の乱の稍々(やや)夏音文字を習うすなわち復興することにした」と意味した。
 これゆえ、10年後の712年に完成した『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く1字1音読みの夏音文字が『魏志倭人伝』と同じく楷書で表記されて残存した。このように、夏音文字は直(じか)に目で見て実在すると確認できる。

◆わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる白川静博士が著作した『字統』(平凡社)9頁末部から10頁の初頭で〔わが国の漢字音〕と題してカールグレーンから始まった西洋の言語学・音韻学が漢字の字音にも適用することができることが証明され、この方法が急速に進展して「そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった」と指摘する。

千賀四郎編集『邪馬台国』(小学館)は〔卑弥呼の発音について〕という注で――「卑弥呼」の3字を中国漢字の上古音で読めば「ピミカ」になる。また魏以前の中古音で読めば「ピミエクゥオ」となる――と指摘する。
 「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む字音は中国の上古音よりも古い。ゆえに「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む字音は殷代後半に出現した甲骨文字の字音よりも古い、現在残されている漢字音で最も古い夏代初頭の夏音文字の字音となる。したがって、「卑弥呼」を「ヒミコ」と読むと“夏音文字が無かった”という意見を有する人も、“字音だけ存在して文字は存在しなかった”とする反論は詭弁(きべん)・屁理屈(へりくつ)となるゆえ、自らの意見・意思に反して「夏音文字は実在した」と断定すると同じことになる。
中国でもわが国でも、夏音文字は倉頡が定めた(3)の掟によって用済みになった文字は必ず消されていた。だから、「銀河各部の形状」が「文字」となった。したがって、『魏志倭人伝』が「甲骨文字の如く文字であった」という夏音文字の原字は中国とわが国の遺跡から現在まで1字も出土していないが、「夏音文字」は「銀河各部の形状」として実在したことになる。

◆このように新井白石以来、学者たちは「文字は、ことばをあらわす記号である」という考えから一歩も前進せず思考停止して、それ以上に深く考えようとしない。彼等は2世紀初頭の漢字学者の許慎(きょしん)が『説文解字』の序に「けだし文字は経芸の本、王政の始め、前人のもって後人に垂れるところ、後人のもって古を識るなり」と伝えた文の真意、つまり許慎が字源に神(精霊)を見ていたことを深く考えない。だから、彼等は「文字は神(銀河各部の形状)をあらわす記号」であったことに気づかない。
 夏音文字は「ことばをあらわす記号」ではなく、その実体は「神をあらわす記号」であったことに気づかない学者たちは、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に〔文献批判〕という名の〔誤読〕を加えて、わが国に夏音文字が伝来した歴史を全面的に排除し、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に多数記載されて直に目で見て実在すると確認できる夏音文字を存在しないものとして扱う。

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