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2013年8月16日 (金)

日本が滅びる・29

日本の漢字は男鹿半島・米代川縄文文化圏から起源した(2)

 201386日に発売された朝日新聞出版の『新発見! 日本の歴史』の「8号・邪馬台国と卑弥呼の謎」の冒頭論説の「邪馬台国論争、決着はいつか?!」は関西大学教授の西本昌弘氏が執筆する。
 西本教授は――中国では古くは、倭国(日本)は南北に連なる島々の集まりと考えられていた。こうした地理観を明確に示す古地図として、明(みん)の建文(けんぶん)4(1402)に朝鮮で作られた「混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)」があり、ここでは日本列島が九州を北、本州以下は南に転倒した形で描かれている。こうした伝統的な地理観に制約されて、魏使は不弥国を出航したあと「東」へ向かっているのを、「南」へ向かっていると錯覚したものと考えられる――と主張する。
 A図は「混一疆理歴代国都之図」の概略図である。この古地図における転回日本列島地図は倭国の卑弥呼王朝が制定した錯覚の地理観を伝えるものである。したがって、西本教授のごとく「転回日本列島地理は古くから中国の人々が抱いていた地理観」とする指摘は誤りで、2世紀末から聖武(しょうむ)天皇の治世の738(天平10)まで制定されていたわが国の王朝が錯覚していた日本列島地理を表示するものである。

畿内説と九州説はじめすべての邪馬台国説は現在の日本列島地図を基盤にして立論する。だから、すべての邪馬台国説は〔誤読を駆使して立論する空想〕ということになる。
 
 古代史家の古田武彦氏は『三国志』全体に記載される[]()86個、[]()56個の文字をひとつひとつ綿密に調べ、[]の字を[]と誤記した事例が1例もないことを解明した。〔『三国』魏書東夷伝末部の倭人伝〕を通称『魏志倭人伝』と呼ぶ。したがって、『魏志倭人伝』が記す倭女王卑弥呼が居住した王国の名は「邪馬壱(やまい)国」と表記されているので、“邪馬台国”という名称もまた空想となる。
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◆『図詳・ガッケン・エリア教科事典』第7巻〔地球・宇宙〕(学習研究社)における「緯度の測定」と題する文章は下記のごとく指摘する。ただし、この文中の「北極」は「天の北極」を意味する。
 「緯度は北極の高度だから、簡単な方法は北極星の高度を測定すればよい。日付・時刻が決まれば、北極星の北極からのかたよりが計算できるので、北極の高度に換算できる。もっとも精密に測る方法は、子午線経過を天頂の南側と北側とで行い、そのときの天頂距離がほとんど等しいような一対の恒星を選んでおき、その天頂距離の差を測るのである」

 上記のとおり、天の北極の高度を緯度に換算する方法は不精確となる。また、天の北極の高度で緯度換算する方法の場合は、上記の説明が「時刻が決まれば」という条件を付けているように、今日のような精確な時刻を表示する時計が必要となった。しかし、古代においては今日のように精確な時刻を表示する時計が発明されていなかったので、天の北極で緯度を換算して自分がいる位置を定めるとかなり不精確となった。ゆえに、天の北極の高度で緯度を計測すると、精密さが求められる大海においては位置と方位がまったく不明となって迷った揚げ句に命を落として家族が待つ家に帰ることができなかった。

◆またB図に示すように、現在の北極星が重なる天の北極の状況と異なって、卑弥呼が生存した3世紀の天の北極は北極星が遠くに離れる真っ黒な虚空(こくう)であった。だから、肉眼で天の北極の高度を測量して緯度に換算する方法に命を託して大海に入ると直ぐに緯度と方角が皆目わからなくなって落命した。

◆これゆえ3世紀の倭国では、C図に示す〔[(とう)のキャッチ]すなわち〔46秒間で天頂緯度線をキャッチする眼力と技(わざ)〕を鍛錬して、精密に緯度と子午線(方角)を測量する習慣が栄えていた。この〔[]をキャッチする方法〕が当時における大海を往来することができる唯一の方法であった。
 人間の目には、日々鍛錬すれば精密に〔[]すなわち「天頂緯度線と子午線」をキャッチできる能力〕がそなわっている。
 D図に示す〔産道を無欲無心で通過する胎児のような心境〕になって測量すれば、〔[]である「天頂緯度線と子午線」〕がキャッチできた。これゆえ、C図の[]にD図の「産道を通過する胎児」をあらわす[(よう)]が加わる[]の字は「精密に天頂緯度線と子午線をキャッチする方法」をあらわした。『説文解字』の[]の字源解説文の「小なり。子の初生の形に象(かたど)る」は、D図の「産道の通過が始まる胎児」のことである。
 D図の[]の字となった「胎児」は[]の字源にもなった。というのも〔産道を通過する胎児のように無心無欲になれ〕という心構えでおこなわれた〔[]のキャッチ〕は「大海や遠くの旅に出た時あるいは山菜採りで森林や狩猟に入った時に迷わずに家族が待つ家に帰還できる、古人たちが命を確保できる方法」であったからである。

◆だから、E図に示す「玄海灘」という名称は「[]をキャッチする方法ならば命を落とさずに往来できる陸地から遠く離れた波の荒い海」と意味した。
 〔[]をキャッチする習慣〕が栄えていた倭国の卑弥呼王朝は、F図に示す玄海灘に浮かぶ沖ノ島と伊豆諸島の神津島が同緯度(北緯3415)であることに注目して、A図の「混一疆理歴代国都之図」に描かれた転回日本列島地理の原図となる地理を制定した。沖ノ島は転回日本列島地理の西の基点、神津島は転回日本列島地理の東の基点となった。
 E図に示すように、沖ノ島は冬に雪が降るゆえ〔西冷〕となり、亜熱帯地区の神津島は冬になっても雪が降らないゆえ〔東暖〕となる。中国の海岸線地域における華北地方の気候は冷たいから〔北冷〕となり、華南地方の気候は暖かいから〔南暖〕となる。〔冷〕の気候で中国の〔北冷〕と日本列島の〔西冷〕が一致し、〔暖〕の気候で中国の〔南暖〕と日本列島の〔東暖〕が一致する。したがってA図とE図が示すように、卑弥呼王朝は南に伸びる転回日本列島地理を制定したのである。

◆このように気候とドッキングする地理観によって、『魏志倭人伝』の日本列島地理を伝えるすべての方位記事はA図・E図・G図のごとく時計回りに90度転回するものとなった。
★『魏志倭人伝』は日本列島地理について「その道里を計るに当(まさ)に会稽(かいけい)・東治(とうじ)の東に在るべし」と証言する。E図に示すように転回日本列島地理は会稽・東治の東にある。しかし、畿内説と九州説の立論基盤となる現在の日本列島地図は会稽・東治の東北に所在して矛盾する。
★『魏志倭人伝』は「女王国より以北の諸国(つまり、末盧国、伊都国、奴国・不弥国、投馬国)の各々の戸数・道里をほぼ記載することができるが、その諸国周辺に所在する余白となる国(地域)は遠く国交が絶えているので、詳細な情報を得ることができない」と証言する。G図に示す転回日本列島地理ならば、現在方位でいう九州東部(大分県・宮崎県・鹿児島県)が「女王国より以北の戸数・道里の略載を得()べきも遠絶して詳を得()ることができない、その余の旁国(ぼうこく)」となって合理となる。しかし、畿内説と九州説の場合は、この証言に対して全面的に矛盾する。
★『魏志倭人伝』は「女王国の東、海を渡ること千余里にしてまた国有り。皆倭種なり」と証言する。G図の転回日本列島地理ならば4つの大島と約180の小島からなる隠岐群島が「皆倭種なり」と記された国となる。隠岐群島は女王国・邪馬壱国(旧国の石見・出雲・伯耆)より東に千余里離れた海上に所在する。しかし、畿内説と九州説にはこのような群島や諸島が所在しない矛盾説である。
★『魏志倭人伝』は「また侏儒(しゅじゅ)国有り。人の長(たけ)三、四尺、女王を去ること四千余里。また、裸()国・黒歯(こくし)国有り」と証言する。G図に示す女王国である邪馬壱国の意宇(おう)郡から隠岐群島までの千余里に対して、その約4倍の距離となる邪馬壱国の意宇郡から現在の石川県金沢までが「女王を去る四千余里の侏儒国」となる。
 畿内説と九州説は「女王を去ること四千余里」の侏儒国を不明として明確に示さない。

◆H図の上図に示すように、侏儒国は旧国の加賀(現在の石川県南部)、黒歯国は旧国の能登(現在の石川県北部)、裸国は旧国の越中(現在の富山県)である。
 前回のわがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・28」において解説したが、H図の下図に示す「鬼の横顔に似る銀河」は朱色に輝き、〔人の生子・赤ちゃんの顔〕も朱色であるゆえ、[][]の字が加わると[]の字となる。字書の聖典の『説文解字』は[]の字源を「柔らかなり」と解説する。H図の上図の上部に示すように、〔加賀の地図の形〕は「鬼の横顔に似る銀河」に類似すると解釈され、胎児は[]の字義のごとく柔らかく蛇のように頭と身をくねって狭い産道を通過するので、〔加賀〕の小国名は「侏儒国」となった。
 H図の上図の能登半島の〔七尾湾(ななおわん)の岸〕は〔口や歯〕のごとくに観え、〔能登島〕は〔舌、あるいは歯で噛む食べ物〕のごとくに観える。そして、〔七尾湾〕は[]の字となった真っ黒な「長方形の暗黒天体部」に見立てられて、〔能登〕の小国名は「黒歯国」となった。
 天文学では「北半球の人々にとって最も輝いて見える銀河部」を「北天の最輝部(さいきぶ)」と呼称する。H図の下図に示す「北天の最輝部」は〔高温で白熱した光のように輝く銀河部〕であるので、「夏の真っ盛りの太陽の強い陽射し」に見立てられた。「北天の最輝部」の東北に「日光」のごとき〔3本の放射状の銀河部〕がある。「日光のように放射状の銀河部と北天の最輝部の中間」は国際天文学で「コールサック(石炭袋)」と呼ばれる真っ黒な銀河の北部となる。夏の強い陽射しを浴びると裸の部分は、真っ黒に焼ける。これゆえ、〔越中の地図の形〕は〔夏の陽射しで真っ黒に焼ける裸となる人の首まわり〕に見立てられて、小国名は「裸国」となった。

◆『魏志倭人伝』は「また侏儒国・裸国・黒歯国の東南に在りて船行一年にして参問至るべき。倭の地を参問するに、海中洲島(しゅうとう)の上に絶在(ぜつざい)し、あるいは絶えあるいは連なり、周旋(しゅうせん)五千余里ばかり」と証言する。
 G図に示す邪馬壱国の意宇郡から侏儒国の金沢までが四千余里であるならば、I図に示す侏儒国の金沢から秋田県潟上(かたかみ)市天王(てんのう)町までの旅程の距離が五千余里に適合する。
 「周旋」については、前回のわがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・28」でも解説した。H図の上図の侏儒国の顔は上を向き、口と歯の形に似る七尾湾・黒歯国顔は下を向く。それゆえ、〔裸国〕は〔子宮内の裸の胎児の身体部〕と見立てられ、〔向きが相反する顔に観える侏儒国と黒歯国〕はD図の〔産道を無欲無心で渦巻を描くように周旋して出産する胎児の頭〕をあらわすとされて、「北陸三小国の国名」にもとづき「周旋」と表現された。

◆H図の下図に、3世紀における侏儒国の金沢(北緯3635)の天頂緯度線を表示した。この天頂緯度線はC図の[]を示し、「北陸三小国の国名」はD図の[]をあらわす。
 []の下に[]が加わるとE図に示した「玄海灘」の先頭字の[]の字となる。
 以上のごとく、卑弥呼王朝は〔天の北極〕では方位を決めずに、〔[]のキャッチ〕にもとづいて位置(緯度)と方角(子午線)を定めていた。ゆえにG図に示したように、卑弥呼王朝は日本列島を90度転回する錯覚の日本列島地理を制定していたことになる。したがって、G図のごとく転回日本列島地理を立論基盤にすると、『魏志倭人伝』の全方位記事は一点の矛盾点も不合理な点も存在しないことになって【科学】が成立する。だから、転回日本列島地理は歴史的事実であったことになる。
 B図に示す〔天の北極〕では玄海灘を渡ることもできず、また真っ黒の虚空であったので『魏志倭人伝』の人名・小国名となった夏音文字を作成することができないことになる。I図の左下の秋田県鹿角(かづの)市花輪町に所在する国の特別史跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)には今から約4050年前の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に夏音文字の学芸が伝来した痕跡が現在も明確に残っている。

◆以上のごとく、畿内説と九州説はじめすべての邪馬台国説は〔誤読〕に〔誤読〕を重ねる空想であることが決定的となる。
 『魏志倭人伝』の全記事を忠実に読解すると【科学】が成立する。だから、『魏志倭人伝』の全記事が忠実に読解する方法が市民権を得たとき、邪馬台国論争の決着がつく日が到来することになる。

 

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