日本が滅びる・30
●日本の漢字は男鹿半島・米代川文化圏から起源した(3)
◆『魏志』倭人伝は「女王国の東、海を渡ること千余里にしてまた国有り。皆倭種なり。また侏儒(しゅじゅ)国有り、その南に在り。人の長(たけ)三、四尺、女王を去ること四千余里。また裸(ら)国・黒歯国有り。またその東南に在りて船行一年にして参問至るべき。倭の地を参問するに、海中洲島(しゅうとう)の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周旋五千余里ばかり」と記述する。
上記の「侏儒国」以下「周旋五千余里ばかり」までの文を図示すると、A図のごとくなる。この証明は、わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の前々回の28回と前回の29回で解説した。
上記の文は――夏音文字の学芸が保存されたA図左下の秋田県鹿角(かづの)市花輪町に所在する国の特別史跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)と、卑弥呼が居住した女王国・邪馬壱(やまい)国とが繋がっていた――と伝える重大な証言となる。
現在から卑弥呼が生存した時代は約1800年前であるが、卑弥呼の時代から大湯環状列石が作られて夏音文字の学芸が保存された夏代(かだい)初頭は約2300年前であった。このような永い歳月の隔たりがありながら、卑弥呼王朝の権力基盤は大湯環状列石に保存された夏音文字の学芸であったので、倭国の王国・邪馬壱国(山陰出雲地方)とA図左下に示す男鹿半島・米代川(よねしろがわ)文化圏は夏音文字の学芸で結ばれていたのである。
◆『説文解字』の序には「けだし文字は経芸の本、王政の始め、前人のもって後人に垂れるところ、後人のもって古(いにしえ)を識(し)るなり」という文がある。
上記の文中にある「王政の始め」という語句は「倉頡(そうきつ)が漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕を発明した五帝時代初頭の黄帝の時代から、中国の王道政治の第一歩が始まった」とあらわすものである。
わが国において最初の国家体制は夏音文字の学芸に精通する卑弥呼王朝によって起源した。この夏音文字の学芸は男鹿半島・米代川文化圏から起源した。これゆえ、倭の王国・邪馬壱国はA図の左下に示す男鹿半島・米代川文化圏と夏音文字の学芸で繋がっていた。
◆司馬遷著『史記』五帝本紀は「益氏は五帝時代の4番目の帝堯(ぎょう)の時代から王朝に挙用(きょうよう)されていた。そして、益氏は5番目の帝舜(しゅん)の時代に虞(ぐ)という重職についた」と記述する。
地図に示される〔中国の海岸線〕は〔虎の横顔〕のごとくに観える。「[倭]の時計回りと逆方向に90度転回する方位規定」は[呉]とされた。天の銀河が東から南へ運行するのに対して中国の大地を流れる黄河の水は西から東へ移動するので、「天の銀河の運行に準ずる90度の転回方位規定」は「倭」の字となり、「銀河の運行と逆向きの黄河の水が移動する地法における90度の転回方位規定」は「呉」の字となった。[虎]の字と[呉]の字が合体すると[虞]となる。益氏が就いた「虞」は「中国の海岸線地域の精密な地図を作成する官」であった。
◆司馬遷著『史記』夏本紀には「夏の始祖の帝禹(う)は、益に命じて民衆に低湿地(ていしつち)にうえるべき稲をあたえて、(中略)、食糧が不足しているところへは余りあるところから補給させて、諸侯の国々の事情を均(ひと)しくなるようにした」という記事がある。
益氏は低湿地である中国の海岸線地域を代々約二百年余も調査して精密な地図を作成する虞の官職に就いていた。これゆえ、帝禹は低湿地に生える稲について詳しい益に、民衆が稲を育てることができるようにする農業の指導を命じたのである。
このような歴史によって、『説文解字』は禹の政事を俾益(ひえき・補佐)した益の歴史を示して、[俾]の字源を「益なり」と解説した。[俾]の初文は[卑]であったので、[卑]の字源・本義は「益なり」であった。ゆえに、[卑]の字源を知っていた倭女王は「卑弥呼」と名乗ったのである。わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる白川静博士が著作した『字統』(平凡社)は[卑]について「金文にはなお卑賤(ひせん)の用義例はない」と指摘する。ゆえに、周代の金文以前の殷代(いんだい)の契文(甲骨文字)、そして夏音文字の[卑]は「益なり」であったことになる。
2世紀初頭に著作された『説文解字』は[卑]を「賤(いや)しきものなり」と解説するが、この字源解説は誤っている。
司馬遷著『史記』の陳杞世家(ちんきせいか)に「帝益の子孫は、どこに封ぜられたか不明である。史伝に記載されていないからである」と記されているように、今から約4050年前の夏代初頭に益氏を受け継ぐ帝益の孫の王子と若者たちが日本列島に移住して、益氏は中国の歴史から忽然(こつぜん)と消えた。このため、益に関する歴史は次第に不確かとなり、[卑]の字義は金文以後に字源を失って「卑賤」と転義されることになったのである。
◆司馬遷著『史記』夏本紀は「帝禹は、益を挙げて政治をまかせること十年、禹は東に巡幸して会稽(この会稽は華南地方・浙江省の会稽ではない)に至って崩御し、天下を益に授けた。三年の喪が終わると、益は位を禹の子の啓(けい)にゆずって、箕山(きざん)の南に隠棲(いんせい)した。禹の子の啓は賢人だったので、天下は意を啓によせていた。禹は崩ずるにおよんで位を益にさずけたものの、益が禹を補佐して政務にあたった日数が少なかったので、天下はまだ益の徳が隅々まで波及していなかった。これゆえ、諸侯はみな益を去って啓のもとに入朝した。」と伝える。
夏王朝の始祖の帝禹は五帝時代の多数の氏族が政事体制を組織して最も優れた人物を帝に選ぶ氏族共同体制の継続を願った。禹の子の啓は国家体制を組織して特定の氏族(つまり、禹と啓の氏族)が帝位に就いて代々継承する世襲王朝・国家体制を欲求した。ゆえに、禹は益に国家を創設しない氏族共同体制の継続を託して死去した。しかし、諸侯(諸国の王たち)は啓が主張する世襲王朝・国家体制を望んで、禹の遺志を無視して益のもとを去った。
箕山の南に移住した帝益は禹が遺志の氏族共同体制を新天地・日本列島にて存続すると決意をした。しかし、帝益は老いていた。中国と日本列島は大海で隔たり、この大海を小舟で漕いで渡ってこそ達成される禹の遺志を受け継ぐ事業は屈強な肉体と太い腕(かいな)を有する孫の王子と若者たちならば成就すると考えられた。ゆえに、益氏は次代を受け継ぐ若者たちを失って中国において氏族が消滅することもやむを得ないと決意して、益氏の将来を受け継ぐべき若者たちを日本列島へ送り出したのである。
この益氏の日本列島の移住によって禹の遺志・国家を樹立しない氏族共同体制の思想が受け継がれ、中国の人々が日本は共産主義の国かと思うほど貧富の差が無い社会となり、中国から約2250年も遅れて卑弥呼によって国家が初めて創設されることとなった。
『魏志倭人伝』には「古(いにしえ)より以来、その使中国に詣(いた)るに皆自ら“大夫”と称す」という文がある。万葉仮名では「大夫」は「ますらを」と読み、今日「ますらを」は「益荒男」と書く。これゆえ、「大夫」を「ますらを」と読むのは益氏の王子と若者たちが荒波逆巻く大海を越えて日本列島に移住した歴史に由来する。
◆『日本書紀』巻第三の神武天皇紀の冒頭部に〔天祖の降臨(こうりん)記事〕がある。
この記事の文中にある「天祖」は「帝益の孫の王子」ということになる。
『日本書紀』神武天皇紀は天祖・帝益の孫の王子一行が降臨(日本列島に移住)した様子を下記のごとく記述する。
「むかし、天神(あまつかみ)の高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)と大日孁女(おおひるめのみこと)は、この豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)を、天祖の彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)に授けられた。そこで、天祖は天のいわくらを開き、雲路をおし分け、先払いをたてて、地上に降臨された。このとき、この降臨(移住)した地域は荒れており草昧であった(そうまい・文字が無く文明が遅れていた)。この未開の状況の中で、天祖はみずからの徳を養って、この西の偏(ほとり)を正しく治めた。その後、わが天祖と父祖の神々は善政をかさね、恩沢もゆきとどき、かくして年月が経過した。」
◆B図は、〔歳差(さいさ)〕という天文現象にもとづき、天祖が日本列島に移住した夏代初頭のA図に示した大湯環状列石(北緯40度16分)の天頂緯度線を図示したものである。なお、A図の男鹿半島は北緯40度である。
B図のごとく、大湯環状列石や男鹿半島の天頂緯度線は「三つ輪の銀河」における「北の輪の銀河」のうちの高緯度の箇所を貫通する。これゆえ、箕山に隠棲した「帝益」は「天神の高皇産霊尊」と表記された。また、B図右下に示すように、天頂緯度線は〔女性の子宮〕に見立てられた「鬼の姿に似る銀河」を貫通するので、天頂緯度線は「大日孁尊」をもあらわした。というのも、後世(3世紀後半)にあって『日本書紀』などに「天照大御神」の別名として「大日孁貴(おおひるめむち)」と記載され、またB図に示すように天頂緯度線は「日光の銀河」の近くを貫通するので、天頂緯度線は「大日孁尊」をもあらわしたことになる。そして、帝禹は益に命じて民衆が葦の繁る低湿地に稲を植える農業が根付く政策をおこなったゆえ、「日本列島」は「豊葦原瑞穂国」と記されたのである。「天祖・帝益の孫の王子」の「彦火瓊瓊杵尊」という名は赤く「炎」のように輝いてしかも〔杵(きね)〕のようにも見える「十字の銀河」の形状を示すものと考えられる。[瓊]の字義は「赤く美しい玉」であるゆえ、円形の「北の輪の銀河」と同じく円形の「十字の銀河の頭部」をあらわすと「瓊瓊」となる。ゆえに、「彦火瓊瓊杵尊」という名は「夏音文字の学芸を日本列島にもたらした帝益の孫の王子」をあらわすことになる。
◆上記の天祖降臨記事に登場する天祖が定住した「西の偏(ほとり)」は、C図に示すように――東北地方の西の偏(端)となる秋田県の男鹿半島の潟上(かたがみ)市天王(てんのう)町から秋田県山本郡三種(さんしゅ)町琴丘(ことおか)の八郎潟東岸地域となる。
天祖一行が最初に東北地方の西の偏に足を踏み入れた地となる潟上市天王町から夏至の日の出の方角(東北29度)には、国の特別史跡・大湯環状列石が所在する。
天祖一行は三種町の旧琴丘町の中心地・鹿渡(かど)を本拠地にしたと考えられる。天祖は夏音文字の学芸を教えながら徳を養って益氏の勢力の拡大に努めた。その後、天祖の子が米代川流域へと勢力を伸ばし、さらに天祖の孫の代に勢力が増大したので大湯環状列石が作成されたと考えられる。
◆司馬遷著『史記』夏本紀は、王朝「夏」の正式名を「夏后(かこう)」と記載する。「夏后」を直訳すると「夏の后(きさき)」となる。ということは、禹と益の時代には倉頡が発明した漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕をあらわす、すべての漢字を生む子宮である「十字の銀河の子宮」は尊重された。ゆえに、「漢字を生む母体」に見立てられた「十字の銀河」を「后」とあらわしたと考えられる。というのも[后]の本義は「母后」であるからである。
そして、益氏はB図中央の「結縄(けつじょう)銀河」を「花冠(かかん)」すなわち「数片から成る花弁の集合体」に類似すると見立てていたと考えられる。B図に示す天頂緯度線が貫通する「結縄の銀河」は「縄を[8]の字に結ぶ形の銀河」にして「花冠」のごとくに観える。この「結縄の銀河」は三皇時代の易に用いた図書・記号の名の「結縄」となった。中国の学界は、「結縄」を「陶文」と呼ぶ。
◆D図に示すように、漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕のモデルとなった〔女性の生殖器の正面形〕は〔花の生殖器官〕の形に類似する。
E図に示すように、大湯環状列石が所在する花輪盆地の地図の形は、B図に示す大湯環状列石の天頂緯度線が貫通する「結縄の銀河=花冠の銀河」に相似する。というのも、大湯環状列石より東南部(「子房部」と記した盆地)と西北部の盆地は「結縄の銀河=花冠の銀河」に似る[8]の字の形となるからである。
大湯環状列石はD図の下図に示す花の子房とめしべの連結部に相当する地に設営された。〔大湯環状列石の地所〕に見立てられた〔花の子房とめしべの連結部〕におしべの花粉が付着して、花の命が受け継がれる。これゆえ、E図に示す大湯環状列石には〔花の命が受け継がれる地霊が棲む〕こととなった。
この大湯環状列石の地霊の「花」と盆地の形が似る「花冠」との「花」と、B図に示す天の[瓊]の「北の輪の銀河」と輪の形となる[瓊]の「十字の銀河の頭部」との「輪」が合体して、盆地の名は「花輪」となったにちがいない。
| 固定リンク
「学問・資格」カテゴリの記事
- 邪馬台国説はサギ・騙されるな・9 (2021.04.15)
- 新刊『日本国誕生史の証明』9月14日発売!(2019.09.12)
- 邪馬台国説は人類の尊厳と英知を抹殺するサギ(2019.05.11)
- NHKBSテレビ「壬申の乱」の放送は日本人の尊厳を侮辱するウソ八百・最悪の俗悪番組であった(2018.10.16)
- 日本嘆き訶(うた)(2018.07.15)
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 邪馬台国説は人類の尊厳と英知を抹殺するサギ(2019.05.11)
- NHKBSテレビ「壬申の乱」の放送は日本人の尊厳を侮辱するウソ八百・最悪の俗悪番組であった(2018.10.16)
- 日本嘆き訶(うた)(2018.07.15)
- 漢字習得定説のウソ・18(2018.06.26)
- 纏向遺跡邪馬台国説の実体は【誤読の空論」であると断定できる(2018.06.21)
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 邪馬台国説は人類の尊厳と英知を抹殺するサギ(2019.05.11)
- NHKBSテレビ「壬申の乱」の放送は日本人の尊厳を侮辱するウソ八百・最悪の俗悪番組であった(2018.10.16)
- 日本嘆き訶(うた)(2018.07.15)
- 漢字習得定説のウソ・18(2018.06.26)
- 纏向遺跡邪馬台国説の実体は【誤読の空論」であると断定できる(2018.06.21)
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 邪馬台国説は人類の尊厳と英知を抹殺するサギ(2019.05.11)
- NHKBSテレビ「壬申の乱」の放送は日本人の尊厳を侮辱するウソ八百・最悪の俗悪番組であった(2018.10.16)
- 日本嘆き訶(うた)(2018.07.15)
- 漢字習得定説のウソ・18(2018.06.26)
- 纏向遺跡邪馬台国説の実体は【誤読の空論」であると断定できる(2018.06.21)
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- 邪馬台国説は人類の尊厳と英知を抹殺するサギ(2019.05.11)
- NHKBSテレビ「壬申の乱」の放送は日本人の尊厳を侮辱するウソ八百・最悪の俗悪番組であった(2018.10.16)
- 日本嘆き訶(うた)(2018.07.15)
- 漢字習得定説のウソ・18(2018.06.26)
- 纏向遺跡邪馬台国説の実体は【誤読の空論」であると断定できる(2018.06.21)
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 邪馬台国説はサギ・騙されるな・21(2021.06.13)
- 新刊『日本国誕生史の証明』9月14日発売!(2019.09.12)
- NHKBSテレビ「壬申の乱」の放送は日本人の尊厳を侮辱するウソ八百・最悪の俗悪番組であった(2018.10.16)
- 日本嘆き訶(うた)(2018.07.15)
- 漢字習得定説のウソ・18(2018.06.26)
「卑弥呼」カテゴリの記事
- 家康くんと『魏志倭人伝』#6(2022.11.13)
- 家康くんと『魏志倭人伝』#5(2022.10.27)
- 家康くんと『魏志倭人伝』#4(2022.10.04)
- 家康くんと『魏志倭人伝』#3(2022.09.20)
- 家康くんと『魏志倭人伝』#2(2022.09.06)
「邪馬台国」カテゴリの記事
- 家康くんと『魏志倭人伝』#6(2022.11.13)
- 家康くんと『魏志倭人伝』#5(2022.10.27)
- 家康くんと『魏志倭人伝』#4(2022.10.04)
- 家康くんと『魏志倭人伝』#3(2022.09.20)
- 家康くんと『魏志倭人伝』#2(2022.09.06)
「歴史」カテゴリの記事
- 家康くんと『魏志倭人伝』#6(2022.11.13)
- 家康くんと『魏志倭人伝』#5(2022.10.27)
- 家康くんと『魏志倭人伝』#4(2022.10.04)
- 家康くんと『魏志倭人伝』#3(2022.09.20)
- 家康くんと『魏志倭人伝』#2(2022.09.06)
「漢字の起源」カテゴリの記事
- 家康くんと『魏志倭人伝』#6(2022.11.13)
- 家康くんと『魏志倭人伝』#5(2022.10.27)
- 家康くんと『魏志倭人伝』#4(2022.10.04)
- 家康くんと『魏志倭人伝』#3(2022.09.20)
- 家康くんと『魏志倭人伝』#2(2022.09.06)
「ヒエログリフ(聖刻文字)」カテゴリの記事
- 邪馬台国説はプーチン・フェイクのごとし・14(2022.08.13)
- 邪馬台国説はプーチン・フェイクのごとし・13(2022.07.23)
- 邪馬台国説はプーチン・フェイクのごとし・12(2022.07.11)
- 邪馬台国説はプーチン・フェイクのごとし・9(2022.06.19)
- 邪馬台国説はプーチン・フェイクのごとし・8(2022.05.25)
コメント