日本が滅びる・31
●日本の漢字は男鹿半島・米代川縄文文化圏から起源した(4)
◆今から120億年前に、銀河が形成された。
ゆえに、100万年前と5000年前や4000年前と現在の銀河各部の形は変わらない。
しかし、銀河各部の緯度は現在と古代では異なる。それというのも、〔歳差(さいさ)〕とよばれる現象が存在するからである。天の北極と春分点の位置は、黄道(こうどう)の北極を中心にして2万5800年で一周する。これを「歳差」という。この歳差のために、銀河部の緯度は現在と古代では違う。
円周は360度であるから、2万5800年割る360度は71.666年となる。したがって、天の北極と春分点は71.7年ごとに黄道の北極を中心とする円周上を1度ずつ移動していることになる。これゆえ、その知りたい過去の星空は現在から何年前かを計算し、その差額年数を71.7で割れば、その過去の天の北極と春分点が現在の天の北極と春分点から離れる円周上の角度(黄道の北極を中心とする角距離)が算出できる。たとえば現在(2013年)から1000年前の1013年の天の北極と春分点は、1000÷71.7=13.9度と算出される。ということは、1013年の天の北極と現在の天の北極の位置から14度過去のほうにもどった円周上に在ることになる。同様に、1013年の春分点は現在の春分点から14度過去のほうにもどった円周上に位置する。黄道の北極と天の北極を結んだ延長線上に春分点が位置せずに別の箇所に存在するので、前述したように、天の北極と春分点を過去にもどす作業は別々におこなうことになる。
この歳差を用いれば、過去の銀河各部や星や星座の緯度を知ることができる。
◆A図は、司馬遷著『史記』五帝本紀に記載される――五帝にあって4番目の帝となる堯(ぎょう)の時代の春分・夏至・秋分・冬至における星空記事を図にしたものである。
この記事における春分点は現在の春分点より約63度過去にもどった位置にある。
したがって、63×71.7=4517年となって、帝堯の時代は約4500年前から起源したと考えられることとなる。
司馬遷『史記』五帝本紀は夏代初頭に日本列島に移住した益氏は「はじめて堯の時代に挙用された」と記述する。
中国では1996年に「夏商周断代工程」と名づけられた中国古代王朝の年代を確定する作業が国家的プロジェクトとしてスタートし、歴史学、考古学、天文学、科学測定などの専門家約200人が4年がかりで取り組んだ。2000年11月、中国の専門家チームは――紀元前2070年に夏王朝が成立、紀元前1600年に商(殷)に滅ばされ、殷は紀元前1046年に周に滅ぼされた――との結論に達したと発表した。
これゆえ、堯の時代から夏代初頭までは430年間であったことになる。前半の230年間は帝堯の時代、後半の200年間は五帝最後の帝舜(しゅん)の時代であったとすると――司馬遷著『史記』五帝本紀は「帝舜の時代に、益氏は虞(ぐ)の官職に就任した」と記述するが、この「虞」の官職を益氏は代々約200年ものあいだ務めていたことになる。前回のわがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・30」にて解説したように、益氏が就いた「虞」は「低湿地となる中国海岸線地域の精密な地図を作成する官職」であった。益氏はおよそ200年ものあいだ中国の海岸線地図を作成する事業に従事していたゆえ、[卑]は「低い」という字義を有すことになり、[卑]の字源は「益なり」となった。この[卑]の字源を知っていた倭女王は「精密な地図作成」を専門とした益氏がもたらした夏音文字の学芸のもとに転回日本列島地理を立論し、また「卑弥呼」という名で“益氏がもたらした夏音文字の学芸に精通する”と示して天下を治めていたのである。
◆司馬遷著『史記』五帝本紀(第一)、そして夏本紀(第二)はともに「五帝時代と夏代の帝は、鬼神(きじん)をまつっていた」と記述する。『後漢書(ごかんじょ)』倭伝は「卑弥呼は鬼神の道をまつっていた」と伝え、『魏志倭人伝』は「卑弥呼は鬼道(きどう)をまつっていた」と記述する。したがって「鬼神の道」を略すると「鬼道」であるゆえ、卑弥呼は五帝時代と夏代の帝たちが敬っていた鬼道を祭っていた。わがブログ「卑弥呼の逆襲」における「夏音文字の学芸」は「鬼道の学芸」とも言い換えることができる。
◆今から約4050年前の夏代初頭(後期縄文時代初頭)、益氏の王子と若者たちは日本列島に移住した。国の特別史跡の大湯環状列石(おおゆうかんじょうれっせき)は夏代初頭の遺跡である。
平成22(2010)年2月20日、東京国際交流館「プラザ平成」国際交流会議室において秋田県教育委員会と秋田県北秋田市教育委員会の主催の〔平成21年度 縄文遺跡群世界遺産登録推進フォーラム〕の「縄文世界とストーンサークル」がおこなわれ、私もこのフォーラムに出席した。
鹿角(かづの)市教育委員会の生涯学生課主幹の藤井安正氏から〔大湯環状列石〕について報告された。大湯環状列石は、秋田県鹿角市花輪町大湯の中通(なかど)りに所在する。
県道をはさんで、B図の直径48mの万座(まんざ)遺跡(中通り小字万座)が西側に所在する。C図の直径42mの野中堂(のなかどう)遺跡(中通り小字野中堂)が東側に所在する。
鹿角市教育委員会の藤井氏は「野中堂遺跡の中心・日時計組石と万座遺跡の中心・日時計組石を一直線で結ぶ、この線は夏至の日没方向を指差す」と発表した。この発表を、藤井氏は地図と夏至の日没時における両遺跡のスライド映写機で拡大した写真で示した。
C図の野中堂遺跡の中心と日時計組石の中心を結ぶ線は夏至の日没方向へと延びる。C図の野中堂遺跡の中心とB図の万座遺跡の中心を結ぶ線は、これまた夏至の日没方向へと延びる。さらにB図が示すように、万座遺跡の中心と日時計組石の中心を結ぶと夏至の日没方向を指差す。
したがって、万座と野中堂の両遺跡が示す「夏至の日没方向」は紀元前2070年に創設された王朝名の「夏」をあらわすものとなる。

◆B図とC図の特殊組石「日時計組石」の役割は同一ではない。
D図はC図の野中堂遺跡における「日時計組石」の真上から見下ろした図である。
この「日時計組石」は、最初、「日時計」すなわち「太陽の光線で投じられる影で時刻を計る時計」と考えられていた。しかし、日時計組石では時刻を計ることができないことが証明されて、日時計説は否定された。でも、日時計組石で午前零時を計ることができる。
太陽が地平線に沈んで姿を消しても、まだ空は真っ暗にならないので、銀河や星を見ることはできない。このうす暗い時間を「薄明時(はくめいじ)」といい、太陽が地平線の下18度のところまで沈むと、ようやく薄明時が終わって、空が真っ暗となり、銀河の象(かたち)が見えるようになって星たちの姿が出そろうことになる。
これゆえ、太陽が地平線に没するとき、ほとんどの星が見えない。しかし、薄明時においても、E図の北斗七星で最も光が強い第5星のε(エプシロン)星は見える。北斗七星のε星はシナ天文(漢名)では「衡(こう)」または「玉衡(ぎょっこう)」ともいう。A図に示した司馬遷『史記』五帝本紀の帝堯代の星空記事では「鳥」という名で記される。つまり、「鳥」は鬼道天文学における名称となる。「鳥」の光度は1.8等である。
D図における「標石(ひょうせき)の中心」は、太陽が円周運動する軌道における〔北〕のポイントを示す。この〔北〕に太陽が位置する時が〔午前零時〕となる。したがって、D図に示すように、太陽が没した方角を日時計組石の縁(へり)か縁の隣の地面に印(しるし)をつけ、同様にその時の「鳥」の方角も印をつけると、午前零時となる太陽が標石の中心の〔北〕に位置する〔午前零時〕までの【A】の角距離は、太陽が地平線に沈む薄明時でも見える「鳥」が移動する角距離【B】と等しくすればよいことになる。
B図の下にあるG図のごとく、野中堂遺跡の中心に立つ「聿(いつ)」すなわち「垂直に立つ柱」の真北にいる天文士が、太陽が「聿」の柱の背後の真南に位置して隠れた時をとらえると「正午」となる。この日々の太陽の南中高度はG図に示す箸(はし・補助棒)でキャッチできる。
その日に測量した太陽の南中高度(正午の太陽の高度)を〔午前零時〕における天球上の真南の天体部のどの位置となるのかを観測して記録する作業を日課にすれば、黄道が明らかになる。
だから、野中堂遺跡の日時計組石は午前零時を知る装置であり、野中堂遺跡の中心に「聿」の柱を立てて箸(補助棒)で日々の太陽の南中高度を記して黄道を測量していたことになる。「黄道」は「天球上において太陽が1年間に通過する道(大円の軌道)」である。「太陽」は「日」であり、その組石は「午前零時を測定する時計」であるので、黄道を測量するための組石は古来より「日時計」と名づけられて伝承されていたことになる。
◆D図の日時計組石の中心には、石柱が垂直に立つ。この「垂直に立つ石柱」は要するに「碑」である。[俾][婢][脾][裨]の初字は[卑]であるゆえ、[碑]の初字も[卑]となる。前述したように[卑]の字源は「益なり」であるゆえ、益氏は黄道を測量する日時計組石を発明した。このため、益氏は堯王朝に挙用されたのであろうか。というのも、A図の星空図は精確であり、精確であるということは黄道が正しく測量できていなければならないことになるからである。
◆F図の右図は万座遺跡の外帯東側の配石群の平面図である。この配石群は、よくぞ4000年もの長い年月の風雪に耐えて「夏の銀河像」の面影を残す。
F図の左図は、各銀河部の光をできるだけ多く目の中に集めるように、視界の中に光が入らないように周囲の光源を遮断して瞳孔の直径を最大(7~8ミリ)にしたときの暗い部分までが見える「夏の銀河像」である。
A図の上部の左側にある銀河が、F図左図の「夏の銀河」である。
A図の上部中央に座す〔はくちょう座〕の(デネブ)のうちの(デ)の上部にて点が密集する箇所が中国と日本列島の天頂にめぐってきた「十字の銀河」がある「秋の銀河(の西部)」となる。この「秋の銀河」と連結する「夏の銀河」の銀河各部の形状から万物の情(イメージ)に類似する、すべての字源を知ることができる1400字前後の基本字が作られた。
B図の万座遺跡の南(下部)から東側までの外帯にある配石群は、すべての基本字が作られた「秋の銀河(の西部)と夏の銀河」の設計部となる。だから、「万物の情に類似するすべての漢字が作られた」ということで遺跡の小字(こあざ)の名は「万座」となって今日まで伝えられたることになったのである。
なお、H図はC図の遺跡名となった小字の「野中堂」の解説図である。H図に示すように、大湯環状列石の天頂にめぐってきた「十字の銀河」は[野=埜]の字となり、「十字の銀河の身体部中央の暗黒天体部」が「中」を示し、[堂]の金文形はG図の「正午の太陽の高度と午前零時の太陽の位置を測量する施設(祭祀場)」をあらわす図案である。
わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・8」の末部に、すべての漢字の基本字が作られたA図上部に示した「十字の銀河」がある「秋の銀河から夏の銀河まで」の写真・資料Aを掲載した。
F図の中央図は、小堀遠州(1579-1647)が作った桂離宮の庭園中央の池より東側一帯の庭園の平面図である。この平面図が明確に示すように、桂離宮の庭園池より東側一帯の庭園は漢字が作られた巨大な「夏の銀河」の形に設計される。
B図の万座遺跡の中心の垂直に立つ柱と箸(補助棒)で測量した夏の銀河各部の高度のデータが記録され、日時計組石で測量したデータが記録された。だから、これらのデータによって万座遺跡の外帯東側に「夏の銀河像」が図化されたのである。
F図の右図の万座遺跡の外帯東側の配石群の「夏の銀河像」もまたB図とC図の両遺跡の中心・日時計組石を結ぶと「夏至の日没の方向」を指し示すと同様に、「夏王朝」や「夏音文字の学芸」をあらわすものとなる。
以上のように、大湯環状列石の万座遺跡と野中堂遺跡には、今から約4050年前の夏代初頭に夏夏音文字の学芸が伝来した痕跡が現在も明確に残っている。
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