日本が滅びる・32
●日本の漢字は男鹿半島・米代川縄文文化圏から起源した(5)
◆前回のわがブログ「卑弥呼の逆襲・日本が滅びる・31」にて、秋田県鹿角(かづの)市花輪町中通りに国の特別史跡の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の万座遺跡と野中堂遺跡の秘密を解明した際――野中堂遺跡の野中堂遺跡における日時計組石は、日々の午前零時を測定する装置であることを証明した。この日時計組石は「天球上において太陽が1年間に通過する道(大円の軌道)」である「黄道(こうどう)」を測量する装置であった。
春分・夏至・秋分・冬至は、黄道と天の赤道の二つの大円によって成立する。黄道と天の赤道の二つの大円が交わる日が春分・秋分の日である。黄道と天の赤道の大円がもっとも離れ、黄道が天の赤道の内側に位置した時が冬至の日であり、黄道が天の赤道の外側になる日が夏至の日となる。
◆A図は、万座遺跡の日時計組石の平面図である。この万座遺跡の日時計組石も野中堂遺跡の日時計組石と同じ方法で、午前零時を測定することができる。
天の赤道は必ず東の地平線から昇り、西の地平線に没する。ゆえに、午前零時に東から昇る天体部と西に没する天体部を書き記す作業を日課にすると、天の赤道の大円が測量できる。だから、万座遺跡の日時計組石は天の赤道を測量する装置であったことになる。
◆前回のわがブログにて、B図右図の万座遺跡の外帯東側の配石群の平面図は「夏の銀河」を設計するものであると指摘した。この平面図は、B図左図の日本天文学会編『新星座早見』(三省堂)の「夏の銀河」の形の面影を残す。B図中央図は小堀遠州(1579-1647)が作った京都市に所在する桂離宮の庭園池より東側一帯の庭園平面図である。桂離宮庭園のそれは疑いもなく「夏の銀河」を設計するものと断定できる。
◆徳川家康(1542-1616)は夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念の復興を胸奥深く秘める心願とした。1616年、家康は没した。
夏音文字の学芸を復興させると『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉(よみの)国訪問説話に登場する「黄泉国の伊耶那美命」の正体は皇室が崇拝する「皇祖天照大御神」であることが暴露され、天照大御神は18歳くらいの青年と13歳くらいの乙女たちを多数殺して伊耶那美命の墓(熊野本宮大社の旧社地)に葬った徇葬(じゅんそう)儀式を決行したことが白日のもとにさらされる。さらに、伊耶那岐命の黄泉国訪問末部は千引石(ちびきのいわ)の前で、天照大御神が「汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日(ひとひ)に千頭絞(ちがしらくび)り殺さむ」と呪い誓ったことが明白となる。この誓いは「〔愛〕の理念を尊重する小国・日本の人民の母親たちの参道を狭くなるように天と地の鬼神に祈願して、一日に千人の胎児の頭を狭い産道で絞め殺す」と祟(たた)る呪いであった。このような秘密は、わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の17回と18回で解明した。
皇祖天照大御神が残酷な徇葬を決行してさらに残忍非道な祟りを誓った歴史は夏音文字の学芸を復興すると国民に知られることになり、国民の怒りと憎悪によって皇室は滅亡するにちがいないと天皇は心配して家康の心願を承認許可しなかった。1623年、家康の心願成就の遺志を継ぐことになった将軍秀忠は、小堀遠州を京都伏見奉行に就任させて、桂離宮の庭園作りを命令した。というのも、皇室は長いあいだ復興を拒んで排除したために夏音文字の学芸知識の多くを失っていた。それゆえ、桂離宮の庭園は時の後水尾(ごみずのお)天皇が夏音文字の学芸を学習するための施設であり字書にして書教科書であった。
家康は、夏音文字の学芸を完全保存する「卑弥呼」の地上絵(現在の静岡県浜松市北区細江町)を約1300年間も守ってきた井伊氏(細江町の北隣の引佐町井伊谷に居住する)を、1601年正月に近江(滋賀県)の彦根藩主に任命して移住させた。これゆえ1608年、家康は井伊氏が去った後に「卑弥呼」の地上絵が消滅することを心配して、当時の天才芸術家にして科学の才能に秀でる30歳の駿府城作事奉行の小堀正一を遠江守に任命し、遠州細江村=「卑弥呼」の地上絵を研究するように命じた。これ以後、小堀正一は「遠州」と名乗った。だから、将軍秀忠から命令された遠州の任務は後水尾天皇に夏音文字の学芸を学ぶ施設(桂離宮の庭園)を作って、家康の遺志である日本建国の〔愛〕の理念を復興するための事業であった。遠州は1623年から病床に伏す1645年までの23年間、桂離宮の庭園作りに情熱をかたむけて、2年後の1647年に伏見奉行屋敷にて死去した。69歳で没した遠州は30歳の1608年以来約40年間、片時も「卑弥呼」の地上絵と離れない濃密な人生を過ごして、夏音文字の学芸が完全に保存する桂離宮の庭園を残した。
◆B図左図における夏の銀河像の〔北〕は、B図中央図の桂離宮の庭園とB図右図の万座遺跡の外帯東側における夏の銀河の〔南〕となる。
C図のように万座遺跡の中心に垂直に立つ柱の「聿(いつ)」を設置し、箸(棒)で夏の銀河各部の高度を測量すると――箸の先端が天の赤道より銀河の〔北側〕の部位を指すと、高度を表示する箸が地面と接する根元は〔南側〕に位置する。だから、B図のように日本天文学会編の『新星座早見』における夏の銀河の〔北〕は、桂離宮庭園の東岸と万座遺跡の外帯東側の配石群の夏の銀河の〔南〕になったと考えられる。
◆D図は、[書]の字源銀河図である。『説文解字』は[書]の字源を「箸(あらわ)すなり」言い換えると「箸(はし)なり」と解説する。[書]の金文形は[聿]と[者]の合体形である。
D図が示すように、[者]の上部の「十字の銀河の子宮と重なる四方八方の線」はC図における「箸(高度を測量する棒)」を表現するものであるにちがいない。〔楷書の[者]の下部は[日]であるが、金文形の[者]の下部は[口]である。この[者]の[口]の字は、D図に示すように「長方形の暗黒天体部」から作られた。
前述したように、天の赤道の大円はA図の「日時計組石」で測量できる。この「日時計組石」の秘密を示して、楷書の[者]の下部は「日」となったと考えられる。前回のわがブログにおけるG図は[聿]の柱と[箸]の補助棒を用いて〔正午=晝(昼)〕の測量方法を解明する図である。この秘密にもとづき、正字の[晝]と[書]の字形が相似しあうことになったと考えられる。
◆E図の右図に、D図の[者]の金文形下部の[口]となった「長方形の暗黒天体部」を配した。「長方形の暗黒天体部」の上部はほぼ「正方形」(緯度4度・経度4度)である。この「正方形の暗黒天体部」は〔緯度と経度を計測する理想的な形〕をしているので、E図左図のごとくの「緯度軸と経度軸が交わる方眼」が考案されて、この「方眼」を描く布(木綿など)や獣の皮に、C図に示す装置による「夏の銀河」の各部位の緯度と経度のデータが書き込まれて、B図右図に示す万座遺跡の外帯東側の「夏の銀河」を設計する石群が作られたと考えられる。というのも、万座遺跡の日時計組石で測量すると、夏の銀河の西端が子午線経過(南中)してから夏の銀河の東端が子午線経過するまでは経度でほぼ90度、時間にしてほぼ6時間かかるからである。最も高い天頂の緯度は90度であるから、緯度〔90度〕・経度〔90度〕となり正方形の方眼を作れば、緯度と経度を測量したデータによって「夏の銀河」を図化することができる。
◆「万座遺跡」が所在する小字(こあざ)の名の「万座」は「秋の銀河と夏の銀河から万物の情(イメージ)に類似するすべての文字が作られた」と伝えるものと考えられる。『説文解字』は[物]の字源を「万物なり」と解説し、また「天地の数は牽牛(けんぎゅう)より起こる」と解説する。『説文解字』は[数]の字源を「計るなり」と解説する。
F図は[数]の金文形である。前回のわがブログにおいて、日時計組石による「午前零時は北斗七星の第5星のε(エプシロン)星を利用して測定された」と指摘した。この北斗七星のε星は、司馬遷『史記』五帝本紀にある帝堯(ぎょう)代の星空記事では「鳥」と記載される。だから、F図の[数]の金文形上部の〔鳥〕の図書は北斗七星の第5星の「鳥」を表現するものであるにちがいない。
G図は、今から約4000年前に大湯環状列石が作られたころの星空図である。このG図の上部に、「鳥」という名の光度1.8等の星がある。
◆現在の年号は「平成」である。この年号の出典は『書経』の「大禹謨(だいうぼ)」である。この「大禹謨」は夏の始祖の帝禹(う)が「地平かにして天成る」と言ったと伝え、この「地平かにして天成る」のうちの[平]と[成]を選んで「平成」という年号となった。
A図にて説明したように〔天の赤道は東の地平線から昇って西の地平線に没し〕、また〔子午線通過するときに天の赤道は南の空を地平線に沿って平らに移動する〕。ゆえに、この天の赤道の運行の様子を帝禹は「地平か」と表現したと考えられる。男鹿半島北部は北緯40度であるが、〔北緯40度の天頂点は天の赤道から40度の天体部に位置し〕、〔子午線経過(南中)する天の赤道は地平線から50度の位置となる〕――この事象を、帝禹は「天成る」つまり「天頂点は地平線から90度の位置となる」と定義したにちがいない。
◆G図に示す「牽牛星(わし座α星・アルタイル)」は天の赤道の近くに位置する。ゆえに、『説文解字』が[物]の字源を「天地の数は牽牛より起こる」と解説する、この文中の「牽牛」は漢名の「牽牛星」にして日本名の「彦星」ということになる。牽牛星は天の赤道に近い箇所に位置する。ゆえにG図のごとく、牽牛星が南中した時に夏の銀河各部位の緯度と経度を観測すると定めれば夏の銀河の運行は停止状態となるので、精確な夏の銀河の形を図化することができる。これゆえ、牽牛星が南中した時の夏の銀河各部位のデータをE図左図の方眼を描く布や獣の皮に図化すれば、精確な夏の銀河像が作成できる。
◆小堀遠州は上記の測量を行って、H図に示す桂離宮庭園池の東側一帯の庭園に夏の銀河を配置したにちがいない。
というのも、H図の庭園池の東側一帯の庭園はG図の夏の銀河像の形に酷似して作られ、H図の夏の銀河像の〔南〕の形はG図の〔北〕の形に合致して、B図の左図と右図と同一関係となるからである。
I図は、桂離宮庭園平面図の概略図ある。
J図は、〔右手に聿(筆)を持ち、夏の銀河の高度と方位のデータを書く様子〕に観える桂離宮庭園平面図の部分図である。つまり、J図はD図に示した[書]の字源の秘密を表示するものとなる。また、J図における〔松琴亭がある右手〕はH図における〔「夏の銀河像」を設計する池の東側一帯の庭園〕である。だから、B図右図の万座遺跡の外帯東側の配石群の図化と同じ方法を用いて、遠州は桂離宮庭園池の東側一帯に「夏の銀河像」を配置したにちがいない。ゆえにB図のごとく、桂離宮の庭園と万座遺跡の「夏の銀河の北端」は〔南〕に配置されたのである。したがって、D図の『説文解字』が「箸なり」と解説する[書]の字源は、「夏の銀河各部位を計測した緯度と経度のデータを、方眼(E図)を画(か)く布や獣の皮などに書き入れる作業を表現するもの」であったことになる。
◆B図中央とH図の桂離宮庭園平面図における「夏の銀河」を設計する東側一帯の庭園において、K図は銀河系宇宙の中心部がある「夏の銀河西南部」に相当する池より東北岸となる庭園部の平面図である。
K図に示すように、池より東北岸となる庭園は『魏志倭人伝』と同時代(3世紀後半)に作られた「卑弥呼」の地上絵(静岡県浜松市北区細江町)の形を模して作られる。桂離宮庭園の設計は、「卑弥呼」の地上絵に完全保存される夏音文字の学芸知識を中心に設計されている。
以上のごとく、約4000年前の夏代初頭に作成された大湯環状列石と、『魏志倭人伝』と同じ3世紀後半に作成された「卑弥呼」の地上絵と1623年から1645年まで小堀遠州が作成した桂離宮の庭園は、時空を超えて夏音文字の学芸で直接的に結ばれている。
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