日本が滅びる・33
●日本の漢字は男鹿半島・米代川縄文文化圏から起源した(6)
◆今から約4050年前の夏代初頭、益氏の王子(天祖)と若者たちは夏の始祖・帝禹(う)の遺志・氏族共同政治体制を継続するために、『日本書紀』神武天皇紀が「西の偏(ほとり)」と書く北緯40度の秋田県男鹿半島の潟上(かたがみ)市天王(てんのう)町から秋田県山本郡三種(さんしゅ)町琴丘(ことおか)が所在する八郎潟東岸地域に移住した。
中国から大海を渡って来ると、最初に北緯33度30分くらいの北九州の地に上陸する。益氏の王子(天祖)一行はなぜ北九州の地で旅を終わらせずに、はるかに遠い約6.5度も緯度が高い北緯40度の地へ目指して北上したのであろうか。
この原因は、司馬遷著『史記』夏本紀が「帝禹(う)は東に巡幸して会稽(かいけい)にいたって崩じた」と記述する「会稽」は、『魏志倭人伝』が「その道里を計るに当(まさ)に会稽・東治の東に在るべし」と記すA図に示す浙江省(せっこうしょう)の会稽(現在の紹興市)ではなかったからである。
帝禹が没した会稽は、A図に示す北緯39度の海河(ハイホー)の河口南岸の現在の天津市海岸線地域であったと考えられる。また、帝禹が居住した夏后(かこう)朝の宮殿は、現在の北京市の中心地の辺りにあったと考えられる。

◆北京市の中心地は、北緯39度56分であるが、丁度禹が崩御した会稽から1度北の北緯40度の野原(郊外)に、わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の30回・31回で解説したわが国の特別史跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の万座・野中堂の両遺跡にもとづくと、大湯環状列石のようなストーンサークルが設営されていたと推測される。
A図に示す海河河口南岸は現在の北京の中心地から東南45度の位置となる。この会稽に、帝禹の政治を裨益(ひえき・補佐)した益が住んでいた。[卑]の字源は「益なり」で字義は「低湿地」をあらわした。益が居住していた会稽は渤海湾に近いので[卑]の字義をあらわす「低湿地」となる。したがって、海河河口の会稽は益が住むにふさわしい地となる。
◆A図に示す会稽・渤海湾西岸の湾曲の様子は、B図に示す琴丘町が在る八郎潟北岸が湾曲する形に相似する。また、男鹿半島の北端は北緯40度であるから、北京と同緯度となる。だから、益氏の王子と若者たちは北九州の地を旅の終着点とせずに、帝禹が居住した夏后の都と益が住んだ会稽と同緯度の北緯40度の地を求めて北上したのである。
◆『魏志倭人伝』には「古(いにしえ)より以来、倭の使者は中国に到着すると皆“大夫”と称した」という記事の後に、「夏后少康(しょうこう)の子、会稽に封ぜられ」という文が続く。この文は「夏后第7代の帝少康の王子は、浙江省の会稽に領地を与えられて定住した」と意味する。ゆえに、帝少康の王子に与えられた領地の浙江省の杭州湾(こうしゅうわん)南岸は海河河口南岸の「会稽」に相似するゆえ、海河河口南岸の「会稽」の地名を受け継いで“会稽”と名づけたことになる。だから、帝禹が東に巡幸して崩じた会稽は、現在有力説となる浙江省の会稽ではなかった。(なお司馬遷著『史記』夏本紀は、帝禹から数えて帝益をも含めると第7代は少康であったと記載する)。
◆C図に、夏代初頭において北緯40度の北京と北緯30度の浙江省会稽の天頂緯度線が「十字の銀河」のどの辺を通過していたかを示した。「十字の銀河」は漢字の始祖の倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕によって〔すべての漢字を生む母体〕と見立てられた。ゆえに、「十字の銀河」は国号「夏后」の[后(きさき)]をあらわした。
司馬遷著『史記』夏本紀は「帝禹が創設した国号は夏后、帝禹の姓は姒(じ)である」と記す。「十字の銀河」は〔女体に似る〕。ゆえにC図に示すように、帝禹の姓は[女]に[似]が加える[姒]となったのである。
D図に、国号「夏后」の[夏]の字源銀河と金文形を示した。金文[夏]の字形における頭髪の先端はC図の北京の天頂にめぐってくる「結縄(けつじょう)の銀河」より高緯度まで達する。もしも、浙江省・会稽が夏后の会稽であったならば、D図の[夏]の金文における頭髪の部分はC図に示した〔北緯30度の天頂緯度線〕をあらわして短くになったにちがいない。ゆえに、D図右側に配置する[夏]の金文形とは別の形となった。
だから、帝禹が崩御した会稽は、[夏]の金文形で図示されるA図の渤海湾西岸の天津港であったと考えるべきことになる。

◆E図の右側に配する[数]の金文は〔両翼を広げる鳥〕の正面形の図案に[言]の字を加えられる。[数]の金文形上部の〔鳥〕の図案は、E図・F図に示すように、「結縄の銀河」を表現するものであると考えられる。
わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の31回・32回における〔鳥〕は、G図に示す『史記』五帝本紀の帝堯(ぎょう)代の星空記事に登場する「北斗七星の第5星のε(エプシロン)星」であった。この「鳥」と名づけられた北斗七星のε星が運行する角距離を利用して、日々の正午の太陽の南中高度がその日の午前零時に南中する天体部のどの位置かを書き記すと、野中堂遺跡では「天球上を太陽が1年間に通過する道」である「黄道」が測量できた。また、万座遺跡の日時計組石は「天の赤道」を測量する装置であり、万座遺跡の中心に立つ[聿(いつ)]の「垂直に立つ柱」と[箸(はし)]の「高度を測量する棒」によって、「夏の銀河像」が測量されて万座遺跡の外帯東側の配石群の設計となった。
◆H図に示すように、万座遺跡の日時計組石は中心より西側に、また野中堂遺跡の日時計組石も中心より西側に配置される。
F図に示すように、「十字の銀河の頭部」は〔東〕、「結縄の銀河」は〔西〕に寄って位置する。ゆえに、円形のF図の「十字の銀河の頭部」を同じく円形となるH図の「万座と野中堂の両遺跡の中心」に見立てると、F図の「結縄の銀河」はH図の「万座・野中堂の両遺跡の日時計組石」に相当する。
だから、H図の「夏至の日没の方角(西北29度)」を指し示す「万座と野中堂の両遺跡の中心と日時計組石」は、F図の[数]の金文形上部の〔鳥〕をあらわすものとなる。
◆わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)は、楷書の[数]の字形にもとづき、[数]の字源を「旧字は數に作り、婁(ろう)と攴(ぼく)とに従う。婁は女子の髪を高く結いあげて髷(まげ)を作った形。これに攴を加えてその髪形を乱すを数という。ゆえに、数々(さくさく)として乱れるのが字の原義。」と解説する。
I図に示す「十字の銀河の頭部・結縄の銀河」の詳細な形状は「高く結いあげた女子の髪が数々(さくさく)と乱れる様子」をあらわす[數]の字源を示すものとなる。
◆J図に示すように、「会稽」の[会(會)]の金文形は「渤海」の地宜(ちぎ・平面的に図化する地図の形)を図案するものであると考えられる。というのも、白川静著『字統』は[会]の字源を「蓋(ふた)のある食器の形。下部は甑(こしき)の形で、その上に蓋のある器をおき、下から蒸すもので、蒸し物を料理することをいう。」と解説するからである。
J図に示す北緯40度より緯度が高い「渤海北部・遼東湾(りょうとうわん)」の地宜は「蓋のある食器」のような形をしている(遼東湾北端は、蓋をつまむ突起部のような形となる)。また、北緯40度より低い「渤海南部」の湾形は蒸し器の「甑」の形に類似する。J図右下に配する「十字の銀河の子宮(鳥獣の足跡)」の形は「渤海」の形に類似する。だから、〔渤海〕は「甑」の字源地宜であったことになる。
K図に示すように、「十字の銀河」は[炎]の字源となり、「十字の銀河の背景となる銀河」は「蒸気。湯気」のイメージとなる。したがって、「十字の銀河の子宮(鳥獣の足跡)」は「蒸し器の甑」をあらわすことになり、J図の「十字の銀河の子宮(鳥獣の足跡)」が類似する「渤海」は「蓋のある食器と蒸し器の甑」を図案する[会]の字源をあらわす。
◆白川静著『字統』は――『説文解字』は[会]の字源を「合ふなり」として、「亼(しふ)に従ひ、曾の省に従ふ」といい、「曾は益なり」としている――と指摘する。この『説文解字』の「会」の字源解説はJ図の北緯39度の河海の河口南岸に居住した「益」を説明するものとなる。
◆J図の「渤海」の地宜は「足袋の跡」に似ている。ゆえに、「渤海」は「南西に向かって歩いた人の足跡」と見立てることができる。
L図に示すように、「十字の銀河の右足の爪先」は「南西」を向き、J図の〔渤海〕は〔南西に向かって歩く人の足跡〕の形に観える。また、「十字の銀河の子宮」は漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕を示す〔すべての漢字が生まれる子宮〕であるので、L図に示すように「十字の銀河」を「帝王」に見立てると、「十字の銀河の子宮(鳥獣の足跡)」の南西にある「鬼の姿に似る銀河」は「頭を地面につけて礼をする裨益の益」に見立てることができる。「頭を地面につけてする礼」を漢字で表記すると「稽首(けいしゅ)」となる。
ゆえに、L図の「帝禹」に見立てられる「十字の銀河」と「益」に見立てられる「鬼の姿に似る銀河」は「帝禹と裨益の王の益が海河の河口南岸で会う」とあらわすので[会]の字源を示し、稽首する人の姿に観える「鬼の姿に似る銀河」は[稽]をあらわす。ゆえに、L図は[会]と[稽]つまり「会稽」の地名の由来をあらわすものとなる。
以上のごとく、帝禹が崩御した会稽は海河の河口南岸であったと証明される。
◆M図に示すように、北京から夏至・冬至の日の出の方角や東、45度の東北、45度の東南(帝禹が崩御した会稽)には重要都市が所在する。これらの線は[計]をあらわすものとなる。『説文解字』は、E図・F図に示した[数]の字源を「計るなり」と解説する。
司馬遷著『史記』夏本紀は「帝禹は、準(みずもり・水平を計る道具)と縄(すみなわ・直線を計る道具)を左手に、規(ぶんまわし・円弧の描く道具のコンパス)と矩(さしがね・角度を計る道具)を右手にもって、四時(春分・夏至・秋分・冬至)にかなうように作業をすすめた。このようにして、全土にわたって、道路を通じ、沢に堤防を作り、山を調査した」と記述する。だから、M図は[計]の字源を示す。
司馬遷著『史記』夏本紀の末部は「禹は諸侯を江南の地に会同し、諸侯の功績を計算して崩じた。よって、その地に葬って、地名を会稽とした。会稽とはすなわち会計、諸侯を会してその功を計ったという意味である」と記載する。
M図は[計]の字源を示すゆえ、帝禹が居住した北京は「計」と地名を定められたかもしれない。
以上のごとく、『魏志倭人伝』の「夏后少康の子、会稽に封ぜられる」という文は、司馬遷著『史記』夏本紀に記述されていない夏后第7代帝少康の子が浙江省に封ぜられた地が益が居住した地に相似するので“会稽”と名づけた歴史を伝えるものとなる。ゆえに、この文は『史記』夏本紀では解明できない帝禹が居住した都と帝禹が死去した地にして益が居住した会稽を解明できる重大資料となる。
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