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2013年8月27日 (火)

日本が滅びる・34

邪馬台国学説が〔誤読の空想〕であることは簡単に証明できる
 

 
◆漢字は、星座の形よりも明確な形を有するA図の「秋の銀河(の西部)と夏の銀河」から作られた。「銀河」の別名は「銀漢」、この「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と名づけられた。この秘密については、わがブログ「卑弥呼の逆襲:【用語の解説】」の「1・漢字」と「2・秋の銀河と夏の銀河」を参照していただきたい。
 今から約4050年前の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、名門益氏が日本列島に移住した。この益氏の移住によって、わが国に夏音文字の学芸が伝来した。
 わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅亡する」の28回~33回までの6回にわたる「日本の漢字は男鹿半島・米代川縄文文化圏から起源した」にて――わが国に夏音文字の学芸は伝来している史実を証明した。
 卑弥呼が生存した3世紀、中国では夏音文字は失われていた。しかし、わが国では夏音文の学芸は卑弥呼王朝の権力基盤となり、その後の天皇政治の権力基盤にもなったために『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く楷書で表記される1字1音文字として残存し、1738年においては夏音文字の学芸にもとづく皇室最大の神事の大嘗会(だいじょうえ)が本格的に復興された。ゆえに、今上陛下が天皇に即位された式典がおこなわれた大嘗会には夏音文字の学芸が保存されているので、わが国においては“夏音文字はいまだ現存する”と言ってもよいことになる。

◆夏音文字の学芸の代表的な文献史料は夏音文字が記載される『魏志倭人伝』と『古事記』上巻である。
 また、夏音文字の学芸を保存する史跡は(1)私が“「卑弥呼」の地上絵”と呼ぶ静岡県浜松市北区細江町の行政区域を表示する地図の形として現存する1千万坪の大鳥の地上絵、(2)徳川家康の命令で井伊氏彦根藩が1603年に着工して20年後の1622年に完成させた「夏音文字の学芸は未だ習わず(復興せず)」と設計する滋賀県彦根市の行政区域をあらわす地図の形として現存する3千万坪の大鳥の地上絵、(3)家康の遺志を継ぐ将軍秀忠に命じられた小堀遠州が1623年~1645年に病床に伏すまで情熱を傾けて作った桂離宮の庭園、(4)京都市に所在する枯山水の名園で有名な禅僧がこの世の真理を追求するために作られた竜安寺(りょうあんじ)の石庭などがある。

◆夏音文字はわがブログ「卑弥呼の逆襲:【用語の逆襲】」の「4・倉頡が死刑と定めた3つの掟」を厳重に守る文字であった。この掟によって、(1)漢字はA図の「秋の銀河と夏の銀河」から作られたことが不明となり、(2)A図の銀河の各部に名称を付けることが禁止され、(3)書いた文字は用済みになったならば、文字を直ちに消さない者消し忘れた者もまた神罰が下って即刻死刑に処せられたゆえ、中国でもわが国においても考古学史料として発掘されない文字となった。
 しかし、“漢字の始祖”の倉頡(そうきつ)によって死刑と定められた3つの掟によって、漢字の原字はA図の「銀河各部の形状」となった。
 「最初の漢字」は、現在において学者たちが「文字」と定義しないA図の「銀河各部の形状」として実在した。

◆中国古代文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字通』(平凡社)1399頁で【文字】を「ことばをしるす記号」と定義する。白川静博士と同様に、わが国のすべての学者たちは【文字】を現代の文字観にもとづき「ことばをしるす記号」の類(たぐい)と定義するが、五帝時代の書契(わが国では“刻木”と呼ぶ)・夏音文字・殷代前半までの【原初漢字】は「銀河各部の形状」であった。
 学者たちは一様に「銀河各部の形状」を【文字】または【漢字】と定義しない。このため『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に残存する夏音文字は、【合理】の考えでは見えないが【科学】によって実在すると証明できる文字となった。

◆「見えるものを見える。見えないものを見えない。」と定める考えは【合理】である。
 ニュートンが発見した「引力」のように「見えないものを実在すると証明することができる【合理】を超えて成立する【さらなる合理】」がすなわち【科学】である。
 夏音文字は【合理】の考えでは【文字】と定義できないが、【科学】ならば【実在する文字】となる。
 『魏志倭人伝』が記述した歴史は夏音文字が実在したことを証明しなければ知ることができない。ゆえに、【科学】にもとづく思考、【科学】にもとづく視点が絶対に必要となる。

201386日に発売された朝日新聞出版発行の週刊『新発見! 日本の歴史』8号のように、【科学】を徹底的に排除する視点や考え方では歴史の真相を突き止めることはできない。その13頁において――「魏志倭人伝」は、あくまでも文献の記録であり、考古学者が取り上げる資料と、必ずしも合致するとは限らない――と記述する。この主張は“歴史知らずの御仁(ごじん)の寝言あるいは戯言(たわごと)”と言わざるをえない。
 「古人が作った文献の記録と古人が残した史跡・遺跡・遺物などの考古学者が取り上げる資料とが合致する」、この【科学】が考古学を学問として成立させる原理原則である。
 
 だから、上記した『新発見! 日本の歴史』8号の13頁における考え方は根本的に間違っている出鱈目(でたらめ)であると断定すべきことになる。
 考古学は【科学】を最も優先しなければならない学術のはずである。
 上記の『新発見! 日本の歴史』8号のごとく「古人が作った文献の記録と考古学者が取り上げる資料(史跡・遺跡・遺物)が合致しなくてもよい」などと嘯(うそぶ)く【科学】を排除する考えはすべてを台無しにする。

◆前回でも指摘したが――紀元前1200年前後におこったトロイ戦争は、紀元前850年ごろに生存したギリシャの詩人ホメロスの英雄叙事詩『イリアス』に記述された。学者たちは〔文献批判〕を用いて『イリアス』に記述されたトロイ戦争はホメロスが創作した空想であると決めつけて「歴史ではない」と断定した。しかし、ドイツ人のシュリーマンは、『イリアス』の記述にしたがって発掘して、トロイの遺跡を発見した。
 したがって、トロイの遺跡の発見によって考古学が取り上げる遺跡と古人が作った文献が合致して【科学】が成立したゆえに、学者たちの意見は「空想」となった。
 このように、考古学においても考古学が取り上げる史跡・遺跡・遺物と古人が作った文献が合致する【科学】によって真実が明らかとなる。だから、朝日新聞出版の『新発見! 日本の歴史』8号の主張は口から出まかせのデタラメである。

◆科学者たちが追い求める真理と歴史学者・考古学者が追究する真実と刑事たちや裁判所が追求する犯罪事件の真相を把握する原理原則は共に「【科学】が成立すること」である。
 ある事件が起きて、刑事たちが真犯人でない容疑者を逮捕して真実を述べる容疑者の言葉を無視すると事件の真相にたどりつくことができなくなる。後日、容疑者の言葉の通りの真犯人でない物的証拠が発見されると、刑事たちは容疑者の言葉を排除無視した杜撰(ずさん)にして怠慢な調査をおこなったことが明らかとなる。
 だから、過去に起こった犯罪も過去におこった歴史も共に過去におこった出来事であるゆえ、犯罪事件は事件に関与する様々な人々の証言と物的証拠が合致する【科学】によって真相が明らかになるように、考古学においても古人が作った文献の記述に合致する史跡・遺跡・遺物が発見されて【科学】が成立することによって歴史の真実が解明できる仕組みになっている。
 朝日新聞出版の『新発見! 日本の歴史』8号の5頁で、関西大学教授の西本昌弘氏は「現在、邪馬台国の候補地は関東地方から沖縄県にいたる各地に存在するが、文献史料と考古学遺物にもとづく客観的な議論にたえうるのは、畿内説と九州説に絞られる。」と指摘する。
 しかし、邪馬台国畿内説と九州説は『魏志倭人伝』の記述にまったく合致せず多数の矛盾点を有するゆえ【科学】が成立しない。
 だから、犯罪事件で【科学】が成立しない刑事たちの調査や裁判所の判断は真実と真逆の冤罪(えんざい)であるように、【科学】がまったく成立しない邪馬台国畿内説と九州説は〔空想の産物〕と断定しなければならない。
 
◆ホメロスが作った『イリアス』のごとく、古人が作った文献の記述は事実を伝えるものも存在する。
 『魏志倭人伝』において(1)最も多くの記述となるすべての方位に関する記事は、B図・C図に示す〔[]のキャッチ〕を基軸にして組織される夏音文字の学芸を権力基盤とした卑弥呼王朝が制定した錯覚の転回日本列島地理であった。また、(2)『魏志倭人伝』の「倭の占いにおける卜辞に用いる文字は令亀(れいき)の法のごとく(すなわち、殷代の亀の甲羅に刻む甲骨文字のごとくである)」という説明と、「卑弥呼が書く文書は魏の都・帯方郡・諸韓国の文字(楷書)と差錯(ささく)していたので、倭の伊都国の港で点検し、確認して、誤読や誤解によって国交に支障が生じないようにしていた」という説明は、A図に示す「銀河各部の形状」が「文字」となる夏音文字について証言するものであったのである。
 わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の1回~前回(33)まで、上記の(1)の転回日本列島地理と(2)の夏音文字は実在したことを【科学】にもとづいて立証した。だから、(1)(2)の記述を否定して【科学】と真逆の〔誤読〕を駆使して立論する邪馬台国畿内説と九州説は最も権威ある歴史学者や組織が擁護して弁護しても、「空想」であることは否定できない事実となる。

◆『魏志倭人伝』の(1)の転回日本列島地理と(2)の夏音文字は、B図・C図に示す〔[]のキャッチ〕を基軸とする学芸の産物であった。ゆえに、〔[]のキャッチ〕の一点に絞って考えると、〔天の北極〕で方位を規定する現在の日本列島地図を立論基盤とする邪馬台国畿内説と九州説は〔誤読〕の産物・空想であることがいとも簡単に証明される。

というのも、D図に示す[]の字を名に付く玄海灘を、邪馬台国畿内説と九州説が立論基盤とする日本列島地理を成立させる〔天の北極〕で緯度と方角を定めて航法で渡ると、倭の使節は海原で迷い家族が待つ家に帰還出来ず落命したからである。
 倭の使節と船乗りたちが〔[]をキャッチする航法〕で精密に緯度と子午線を測量して玄海灘を渡り、また卑弥呼が用いる夏音文字を伊都国の港で魏の文字(隷書にちかい楷書)に正しく変換できたゆえ、魏と倭は国交を結ぶことができて『魏志倭人伝』は著作された。
 〔天の北極〕で方位を定める現在と同じ日本列島地図を立論基盤とする邪馬台国畿内説と九州説の場合、倭の使節は玄海灘を渡ることができなかったことになるゆえ、約2000字で構成される『魏志倭人伝』は1字も書かれていない白紙だったことになる――このように、〔[]のキャッチ〕の一点に絞って考えれば、畿内説と九州説は【科学】と真逆の「空想」であることが簡単に証明される。

◆E図は私が“「卑弥呼」の地上絵”と名づけた、『魏志倭人伝』と同時代(3世紀後半)に作成された史跡である。左に掲示する幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』では、E図を“建比良鳥(たけひらとり)の地上絵”と名づけた。
 「卑弥呼」の地上絵が『魏志倭人伝』と同時代に作成されたことは、(1)「卑弥呼」の地上絵内から出土した9口の近畿式・三遠式銅鐸の製作・使用年代、(2)「卑弥呼」の地上絵を作成した建比良鳥命(たけひらとりのみこと)が登場する『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話と箸墓古墳の築造年代の密接な関係、(3)「卑弥呼」の地上絵の北隣の引佐(いなさ)町の井伊谷(いいのや)盆地の丘陵上に所在する大型古墳の築造年代などによって証明できる。
◆「卑弥呼」の地上絵は『魏志倭人伝』のすべての記述は事実を伝えると証明できる、夏音文字の学芸を完全保存する史跡である。
 しかも、『魏志倭人伝』と「卑弥呼」の地上絵は同時代に作成された。

さらに、1千万坪の巨大な「卑弥呼」の地上絵は邪馬台国畿内説と九州説の立論基盤とする日本列島地理を成立させる〔天の北極〕で緯度と子午線を測量する方法では絶対に作成できない。「卑弥呼」の地上絵は唯一〔[]をキャッチする方法〕ならば作成することができる。
 したがって、トロイ戦争があった時から約350年後にホメロスは『イリアス』に記述した、この関係よりも『魏志倭人伝』と「卑弥呼」の地上絵の同時代に作成されたという関係は条件的にも優っている。
 『魏志倭人伝』はすべての記述は史実を伝える第一級の文献史料であったのである。このように優れた史料を、学者たちは〔誤読〕に〔誤読〕を重ねて台無しにした。
 以上のごとく、邪馬台国畿内説と九州説は純然たる「空想」の産物であることは紛(まぎ)れもない事実である。
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