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2013年8月31日 (土)

日本が滅びる・36

「箸墓」の[]の字義の証明(1)     

2009年1月31日に、朝日新聞社はA図に示す「奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡は邪馬台国と考えられる」と報道し、続いて4ヵ月後の529日においてA図に示す纏向遺跡内に所在する箸墓古墳を「やっぱり卑弥呼の墓?」と報道して以来、箸墓古墳卑弥呼陵説・纏向遺跡邪馬台国説を学術的な意見としてたえうる最有力説であると思い込む。
 しかし、わがブログ「卑弥呼の逆襲」で幾回となく証明しているように、纏向遺跡邪馬台国説はじめすべての邪馬台国説は〔誤読を駆使して創作する空理空論〕である。
 すべての邪馬台国説が〔誤読を駆使して創造する空想〕であることは、〔[]のキャッチ〕の一点に絞って考えると容易に断定できる。

◆朝日新聞社系列の朝日新聞出版は201386日に発売した週刊『新発見! 日本の歴史』8号で纏向遺跡邪馬台国説は最も確かな意見であると太鼓判を押す。しかし、上記したように〔[]のキャッチ〕の一点に絞って考えれば、纏向遺跡邪馬台国説は学術的根拠ゼロの〔誤読を駆使して創造する空想〕であることは明白となる。
 『新発見! 日本の歴史』8号の9頁は――『日本書紀』崇神紀には、崇神の大叔母で「御諸山(みもろやま)」に住まう大物主神に仕えた倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)が被葬者だと記され、大物主の怒りに触れ非業の自殺を遂げた彼女のために、人々と神との共同作業のもとで、この古墳は造られたとある。神と聖婚し、乱の予知などに長けた彼女の生前の姿は「魏志倭人伝」に登場する倭国の女王・卑弥呼とも重なる。だから、倭迹迹日百襲姫命は、じつは卑弥呼のことではなかったか、の推理も成り立つ。「邪馬台国畿内説」とも絡まって有力視される説だ。――と記述する。
 『新発見! 日本の歴史』8号は誤読を駆使して「倭迹迹日百襲姫命は卑弥呼とも重なる」と指摘するが、「倭迹迹日百襲姫命」は『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場する「黄泉国の伊耶那美命」にして、和歌山県新宮市磐盾(いわたて)町に所在する神倉神社に祭られる「天照大御神」である。

◆わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・18」にて、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話を現代語訳した。
 伊耶那岐命に離縁された後、崇神天皇の生母の天照大御神・伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)は「倭迹迹日百襲姫命」と名乗った。
 卑弥呼が居住した邪馬壱国の範囲となる現在の島根県米子市と島根県西伯郡大山町の境に標高751メートルの孝霊山がある。この「孝霊山」は孝霊天皇が邪馬壱国に居住した倭王であったことを示すものと考えられる。開化天皇・伊耶那岐命の父の孝元天皇は孝霊天皇と細媛命(ほそひめのみこと)の間に生まれたが、若くして死去した。天照大御神は孝元天皇とも結婚したため、『古事記』中巻の開化紀では天照大御神は「庶母(継母)」と記述される。孝元天皇は若くして没したゆえ、『魏志倭人伝』に登場する卑弥呼の後を継いだ倭王は孝霊天皇であったにちがいない。これゆえ、『魏志倭人伝』は「倭王(孝霊天皇)の代に卑弥呼の墓に百余人の奴婢を殺して葬った徇葬(じゅんそう)がおこなわれ」と記述するが、この徇葬は孝霊帝の娘の巫女の女王である倭迹迹日百襲姫命が指揮しておこなわれた。天照大御神は伊耶那美命の墓(熊野本宮大社の旧社地の大斎原に築造された)を築造する時に徇葬を指揮した。だから、伊耶那岐命・開化天皇に離縁されて戸籍を失った天照大御神は息子・崇神天皇の大叔母(姑・おば)となる倭迹迹日百襲姫命の名を襲名して、千引石(ちびきのいわ)の前に誓った方針を貫く王朝を築くと決意したのである。
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◆『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部は――伊耶那岐命に離縁を言い渡された時、天照大御神は千引石(ちびきのいわ)の前で「汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日(ひとひ)に千頭絞(ちがしらくび)り殺さむ」と誓った――と記す。この誓いは「伊耶那美命が生前に提唱した日本建国の〔愛〕の理念を尊ぶ人民の母親たちの産道を狭くして、一日に千人の胎児の頭を絞め殺す」と意味する。
 当時(3世紀後半)、B図に示す狭い子宮頸部(しきゅうけいぶ・子宮口)に頭を絞められて死産する胎児が多数いた。そして、千引石の前で離縁された倭迹迹日百襲姫命は“夏音文字の学芸に精通する女王”と誇示して「天照大御神」と名乗った。だから彼女の頭には、文字の字形の定式はB図の女性生殖の産道()を通過する胎児の頭の周旋をモデルにとして考案されたという夏音文字の基礎知識がこびりついていたので、離縁を言い渡された時にすぐさま「汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」と誓ったのである。

◆前回のわがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・35」で詳細に解説したように、漢字の始祖の倉頡(そうきつ)はC図に示した出産する胎児の頭が周旋する様子をモデルにして、複雑な文字の字形の定式を考案した。だから、D図に示す[]の金文形は、倉頡がC図の出産する胎児の頭の周旋をモデルにせよと定めたとおりに図案された。この[]の金文の字形は、倉頡が――すべての文字は「十字の銀河の子宮に相当する銀河部」から生まれるように考えて作る。ゆえに、字形は出産する胎児の頭の周旋をモデルとする――と発明した漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕をあらわす。したがって、今日のわが国の当用漢字の字形もまた倉頡が発明した〔鳥獣の足跡〕の定式に則っている。E図の[()]の篆文は、出産する胎児の頭の周旋が文字の字形の定式となったことを示す。また、F図の〔天頂点を通過する銀河部位の軌道〕と〔出産する胎児の頭の周旋〕は同一視された。
 天照大御神が生存した3世紀後半、G図に示すように「長方形の暗黒天体部」が纏向遺跡・箸墓古墳が所在する大和の天頂にめぐってきた。
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 H図に示す[]の字源を、『説文解字』は「箸なり」と解説する。H図の「十字の銀河の子宮」と重なる〔諸々の方角を指す線〕の[]は、I図に示す「諸々の方角に向く、銀河各部や南中する太陽の高度を測量する棒」である。だから、H図における「十字の銀河の子宮」と重なる〔諸々の方角を指す線〕の[]は、古墳「箸墓」の[]の原義が「銀河各部や南中する太陽の高度を測量する棒」であることを伝える資料となる。

◆『日本書紀』編纂スタッフは、大和朝廷が崇拝する皇祖天照大御神の聖性を汚すことは禁じられていた。これゆえ、天照大御神と倭迹迹日百襲姫命が同一人物であり、しかも箸墓古墳は天照大御神が伊耶那岐命に離縁された時に千引石(ちびきのいわ)の前で誓った決意を示す陵墓であると明確に記述することはできなかった。そこで、彼等は「倭迹迹日百襲姫命は御諸山に住む大物主神の妻になった」と現代の象徴詩人のごとく象徴と暗喩(あんゆ)で表現する伝説形式の方法を思いついて後世に史実を伝えようとした。これゆえ、『日本書紀』崇神紀に「倭迹迹日百襲姫命が大物主神の妻となった」という記事が挿入された。
 この記事には「倭迹迹日百襲姫命は御諸山を仰ぎみて悔い、急居した(急にすわる姿勢となった)〔急居、これを菟岐于(つきう)という〕。箸に陰部(ほと)を撞()いて薨(こう)じられた。」と表現する箇所がある。
 J図に示す「長方形の暗黒天体部」は[](ほと)の字源となる。このブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」において、「長方形の暗黒天体部」は〔出産する胎児が通過する産道〕や〔暗い銀河の部分がよく見えるようにするために、視界の中に明るい光が入らないようにして瞳孔の直径が最大となる木陰などの真っ暗な場所〕に見立てられたことを解説した。『説文解字』は[]の字源を「女陰なり」と解説する。J図に示すように、「長方形の暗黒天体部」は[]の金文形に類似する。だから、「長方形の暗黒天体部」は『日本書紀』崇神紀にある「箸撞陰」という原文の[]の字源となる。

◆J図に示すように、[][]の字源「長方形の暗黒天体部」は「人の横顔に酷似する銀河の両手となる銀河」に包まれる。「鬼の姿に似る銀河」は「人の横顔に酷似する銀河」の右手となり、[]の字源となる。「人の横顔に酷似する銀河の両手となる銀河」は[]の偏の[]の字源となる。
 「鬼の姿に似る銀河」はC図の〔出産する胎児〕に見立てられた。ゆえに、K図の左側に配する[]の金文形は「鬼の姿に似る銀河」から作られた。わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・17」にて[]の字源は「鬼の姿に似る銀河と北アメリカ星雲・ペリカン星雲」であることを解説した。『説文解字』は「奴を童という」と字源解説する。ゆえに、[]の字は「鬼の姿に似る銀河と北アメリカ星雲・ペリカン星雲」から図案されたことになる。
 白川静著『字統』は[]の字義を「鐘などをつきならす意」と解く。G図に示す「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は「牛の瞳」となって[]の内の[]の字源は「鬼の姿に似る銀河」であると示す。これゆえ、[]の字源「鬼の姿に似る銀河と北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は[]の字源であったことになる。さらに、「鐘などをつきならす」を字義とする[]の字源は、K図の「鬼の姿に似る銀河と北アメリカ星雲・ペリカン星雲」と〔撞く棒〕に観える「長方形の暗黒天体部の西の辺」となる。
 「鬼の姿に似る銀河の両足となる銀河」の形状は「急にすわる姿勢」すなわち「急居」を示す。「急居」に付く「菟岐于」という注の先頭字[]の字義は「うさぎ」である。C図の出産第2期の「娩出(べんしゅつ)」の[]の字源を、『説文解字』は「子を生みて身を免(まぬが)るるなり」と解説する。これゆえ、『説文解字』は[]の字源を「胎児が逃げる菟のように迅速に産道を通過すると、母体は死から免れる」と解説していることになる。

◆K図に示すように、「急居して陰(ほと)を撞いて薨じた」という記述は「鬼の姿に似る銀河の形のごとく急に座る姿勢となって、心臓が急に痛んで死去した」とあらわすものだったにちがいない。というのも、H図の[]下部の[]となる「長方形の暗黒天体部の西の辺」は〔心臓〕の形状に類似する赤い「北アメリカ星雲」を撞きさし、さらに北にある「鬼の姿に似る銀河の心臓」を撞きさすがごとく観えるからである。
 「鬼の姿に似る銀河」はC図下図の「出産第2期の胎児」に見立てられて[]の字となり[]の字となった。「十字の銀河」が[]の上部の[(べん)]の字となった。H図の[]の線は「十字の銀河の子宮」と重なる。「十字の銀河」は[]の字となり、「十字の銀河の子宮」は「天頂点」をあらわした。「鬼の姿に似る銀河」の形状は「憧れる」という語のイメージを示し、「憧れる」は「夢見る」ともいい、[]の字は[]の下に[]が加わる。

◆以上からして、K図の「十字の銀河の子宮から鬼の姿に似る銀河の口へ垂れる帯状の銀河」は「箸」と称されるようになり、天照大御神の千引石の前での誓いにもとづくと「箸」は「銀河各部や太陽が南中する高度を測量する棒」の原義の他に、「死産した胎児をはさんで産道から掻きだす医術器具」をも意味することになったにちがいない。

 
 L図は、天照大御神を主神と祭る神倉神社の社殿と千引石の写真である。
 神倉神社と千引石は東経13559分である。倭迹迹日百襲姫命の夫の大物主神が住む御諸山の山頂付近には三等三角点があり東経13552分である。御諸山と神倉神社と千引石の経度差はわずか7分である。御諸山を御神体とする大神(おおみわ)神社は、御諸山の頂上から丁度1分西となる東経13551分である。箸墓古墳は、大神神社から丁度1分西の東経13550分の地に築造された。遥かに遠い距離で離れる箸墓古墳と千引石の経度差はわずか9分である。
 朝日新聞出版発行の週刊『新発見! 日本の歴史』8号は「箸墓古墳は墳丘斜面には葺石(ふきいし)が施され、完成時の姿は積石塚(つみいしづか)であるかのように見えた」と指摘し、『日本書紀』崇神紀は「大坂山の石を運んで築造した」と箸墓古墳について記述する。
 天照大御神は箸墓古墳の真南に所在するL図の千引石(現在のごとびき岩)の前で「汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」と誓った。この誓いは「伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念よりも強大な国家権力のほうが優る。ゆえに、多数の18歳の青年と13歳の乙女たちを生贄(いけにえ)にして豊かな実りを天と地の鬼神に祈願することは、鬼神から与えられた国家の繁栄に努める王朝の特権である」と意味する。これゆえ、天照大御神が誓った政治方針の永続を願って、箸墓は多数の石を葺き積んで固めて築造されたのである。
 だから、大和の天照大御神王朝の発祥の地はL図の千引石の前に鎮座する天照大御神を祭る神倉神社であったことになる。 

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