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2013年9月 6日 (金)

日本が滅びる・38

●「御諸山」の別名「三輪山」の秘密の解明

 

◆『日本書紀』崇神(すじん)天皇紀に「大物主大神を祭る」という記事がある。

『古事記』崇神天皇紀にも「大物主大神を祭る」という記事がある。

この「大物主大神を祭る」の記事において舞台となる山の名を『日本書紀』は、A図に示すように「御諸山(みもろやま)」と記し、『古事記』は「三輪山」と記す。
 わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」は前回まで、わが国に夏音文字が伝来していた歴史的事実を追究してきた。夏音文字は“漢字の始祖”倉頡(そうきつ)が「書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者は神罰が下って即刻に死刑に処せられる」と定めた厳しい掟を守った。これゆえ、夏音文字においては「銀河各部の形状」が「文字」となった――この歴史的事実は、「御諸山」が「三輪山」とも呼ばれた秘密の解明によっても証明することができる。
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2世紀初頭に後漢の許慎(きょしん)が完成した“字書の聖典”とされる『説文解字』は[]の字源を「牛、人に触れる。角に横木を著()く。人に告げる所以(ゆえん)なり」と解説する。B図に示すように、「横木」は「十字の銀河」であり、「牛の顔に似る銀河における角に相当する銀河部」は「十字の銀河の子宮」に著()く。

『説文解字』は[]の字源を「箸(はし)なり」と解説する。C図の[]の字源銀河解説図における[]は「十字の銀河の子宮と重なる諸々(もろもろ)の方角を示す線」である。
 D図は「御諸山」の[]の字源銀河解説図である。
 わが国の中国古代文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)[]に字源について――〔説文〕(『説文解字』の略)に「辯(べん)なり」とあり、〔爾雅(じが)、釈訓〕「諸々便々は辯なり」の訓をとるものであろう。〔段注〕に「辨(わか)つなり」の誤りとして、分別することよりして諸多の意を生ずるという。――と解説する。
 このように、『説文解字』と〔爾雅、釈訓〕の[]の字源解説文は具体性に欠けて理解に苦しむ。

C図の[]の金文形上部は[(いつ)][]で構成されるが、D図の[]の金文形上部は[]は無く[]だけである。D図の[]の金文形上部の[](いいかえると、[]の初文の[])は「十字の銀河の子宮と重なる諸々の線」であり、下部の[]は「十字の銀河の子宮のうちの産道()に相当する部位」をあらした(E図参照)

わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・32」で解説したように、F図に示す「聿」と「箸」を用いて測量して書いたデータをもとに、G図に示す秋田県鹿角市に所在する国の特別史跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の万座遺跡の外帯東側の配石群にその痕跡が残る「夏の銀河像」が表示された。H図に示す万座遺跡の日時計組石を利用して〔真東の地平線から昇って真西の地平線に没する天体部のデータを書き記す作業〕がなされて「天の赤道」が測量された。

わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・31」で解説したように――大湯環状列石の野中堂遺跡の中心にI図に示すように「聿」を立てれば、日々の太陽の正午の南中高度が測量できる。
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また、J図下図の北斗七星の第5星の「鳥」(シナ天文・漢名の「衡」)を利用すれば、日時計組石で午前零時が測定できる。その日の正午に太陽が南中する高度となる天体部位とその日の午前零時における南中する天体部位とを一体化させるデータによって「黄道」すなわち「天球上において太陽が一年間に通過する道(大円の軌道)」が測量できる。
 このように、F図とI図に示した「垂直に立つ柱」の[]と「高度を測量する棒」の[]で測量したデータを書き記録すると〔夏の銀河〕を図化することができ、〔天の赤道〕、〔黄道〕が測量できる。ゆえに、C図に示す[]は「[]と「箸」で夏の銀河、天の赤道、黄道を測量する方法」をあらわしていたことになる。

◆K図に示す〔[(とう)][]〕は、F図・I図の[]の柱を用いなくても測量できる。これゆえ、K図の精密に緯度と子午線が測量できる〔[]のキャッチ〕はD図に示す[][]が加わる[]に分類されたことになる。
 金文が用いられていた周代は、D図に示す「十字の銀河」が天頂点と重なった。だから、当時、「十字の銀河」は〔精密に緯度と子午線を測量する基準〕となったゆえ、[]の金文形上部の[]は「十字の銀河の子宮と重なる諸々の線」を図案する図書であり、[]の金文形下部の[]は「十字の銀河の子宮南の産道に相当する部位」をあらわす図書であった。
 L図に示す〔二分(春分・秋分)二至(夏至・冬至)における日の出・日没の地平線の方角〕も垂直に立つ柱の[]を用いなくても測量できる。
 だから、「春分と秋分の日における日の出の方角の東と日没の西」、「夏至の日における日の出の方角の29度の東北と日没の29度の西北と冬至の日における日の出の方角の29度の東南と日没の29度の西南」は、D図の[]のグループに属すると分類されたことになる。

◆L図の[]の字源となる「二分二至の日の出・日没の方角」で作られる網は、M図に示す菱形のネットワ-ク図となった。だから、M図は[]のネットワーク図となる。
 M図の菱形網は、京都芸術短大教授の渡辺豊和氏が発見した。この菱形網(ネートワーク)は、19847月上旬~19853月下旬までに特別企画「大追跡! 日本にピラミッドがあった?」を連載した週刊誌『サンデー毎日』で発表された。M図は、その14回記事からの転載図である。
 幾人かの学者や超古代史研究家たちは、M図に示すような菱形の網を発見している。これゆえ、[]の字源をあらわす菱形網は北海道を除く日本列島全土に張りめぐらされていることになる。

上記に示した白川静著『字統』が記載する『説文解字』と〔爾雅、釈訓〕の難解にして具体性に欠ける[]の字源解説文は、K図の[]とM図の「二分二至の日の出・日没の方角の線で作られる菱形網」を説明するものであったことになる。M図の菱形網は多数の線が交差するゆえ、[]の字義は「諸多(諸々)」となったのである。

◆M図中央の点線は、熊野の那智山と大和の三輪山(御諸山)が同経度であると表示する。

那智山は東経13552分、三輪山(A図参照)も東経13552分で同経度である。

A図に示す三輪山は、日本列島中央となる近畿地方の真ん中に所在する。熊野の那智山は、近畿地方の端に位置する。これゆえ、那智山は[]の菱形網の経緯度原点地とならず、三輪山が[]の菱形網の経緯度原点地となった。ゆえに、「三輪山」は「御諸山」とも呼ばれたのである。
 前回のわがブログで指摘したように、[]は「祟(たた)り」の意を有した。A図に示す天照大御神・崇神天皇王朝は、那智山東方に鎮座する熊野那智大社の主神伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を憎悪して祟った。箸墓に葬られた倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)・天照大御神は、N図に示す千引石(ちびきのいわ)の前で「汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日(ひとひ)に千頭絞(ちがしらくび)り殺さむ」と誓って祟った。
 そして、三輪山の山容は妊婦の円い腹部のようななだらかな曲線からなる。D図に示す[]の諸々の方角に向く線が重なる「十字の銀河の子宮」は「十字の銀河の妊婦の円い腹部」と重なる。だから、「三輪山」は「御諸山」と称されたのである。

◆O図は『魏志倭人伝』と同じ3世紀後半に作成された、私が“「卑弥呼」の地上絵”と名づけた巨大な地上絵図である。この巨大な大鳥の形をした地上絵は、現在の静岡県浜松市北区の細江(ほそえ)町の行政区域をあらわす地図の形となって現存する。
 O図に示す滝峯(たきみね)不動尊から東北29度の東北の浜松市都田(みやこだ)地区の前原(まえはら)Ⅷ遺跡から、前原銅鐸が出土した。この前原銅鐸出土地(前原Ⅷ遺跡)は、滝峯不動尊の[]の字源「夏至の日の出の方角」を示している。
 P図にも、「卑弥呼」の地上絵を示した。「卑弥呼」の地上絵(細江町)の中央を東から西へ向かって都田川が流れる。都田川河口の東岸に、「卑弥呼」の地上絵の経緯度原点のA地点が所在する。A地点からK図に示した〔[]のキャッチ〕によって、同緯度(北緯3448)の滝峯不動尊が測量された。
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  P図に示すように、A地点と滝峯不動尊の両地点において子午線(経度線)から29度傾く線を測量して三角形の頂点となる引佐(いなさ)町の井伊谷(いいのや)に八幡宮が設置された。この八幡宮の交点を形成する「経度線に対して29度に傾く三角測量線」も、D図の[]の字源をあらわすものであったことになる。

◆『説文解字』は[]の字源を「天は大なり」と解説し、白川静著『字統』は[]の字形を「人の正面形に象(かたど)る」と解説する。ゆえに、Q図に示す「天」のイメージとなり大字形の「十字の銀河」が[]の字源にして、[]の字源となる。
 したがって、A図の御諸山をご神体とする「大神(おおみわ)神社」の[]の字源は「十字の銀河」である。大神神社には本殿がなく、拝殿からご神体である標高467mの三輪山を直接に拝む手法をとる。これゆえ、大神神社の「神」の字はご神体の「三輪山」をあらわして「三輪」と同じく「みわ」と読むことになったにちがいない。
 Q図にて指摘した[]の字源となる「十字の銀河」を「大神神社」に見立てると、「十字の銀河」の東にある「三つ輪の銀河」は大神神社より東にある「御諸山」に相当する。
 R図の[()]の字源銀河図に示すように、「日輪の銀河」を[]の字源となる「正午の太陽」に見立てると、「三つ輪の銀河」はL図に示した「夏至と春分・秋分と冬至の朝、地平線から昇る太陽」を表示することになる。M図に示す[]の菱形網はR図に示す「夏至と春分・秋分・冬至の日の出の方角」から構成される。この「夏至と春分・秋分と冬至の日の出の方角」に「三つ輪の銀河」が見立てられた。
 次回で、「三輪山」の名の由来となった「三つ輪の銀河」とD図の[]の字源となった〔「十字の銀河」は「祟(たた)り」の[(すい)]の字源となったことを解説する。この[]の字源を解明すると、「御諸山」と崇神天皇の諱(いみな)の「御真木入日子印恵(みまきいりひこいにえ)」の[]が「祟り」の意を有する秘密をも解明できる。天照大御神・崇神天皇王朝は「三つ輪の銀河のうちの北の輪の銀河」を「夏至の地平線から昇る朝の太陽」に見立てて伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念への祟りをあらわした。だから、N図に示した天照大御神が「汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」と誓った千引石の真北に所在する山は「三輪山」と称されまた「御諸山」とも呼ばれることになったのである。

◆3世紀後半のA図の天照大御神・崇神天皇王朝の中心部とO図・P図の「卑弥呼」の地上絵、そしてG図・H図・I図・J図の今から約4050年前の夏代初頭(わが国の縄文時代初頭)の大湯環状列石には、2世紀初頭に完成した字書の聖典とされる『説文解字』にも解説されていない具体的で正確な字源が保存されている。これゆえ、わが国に原初漢字・夏音文字が伝来した歴史的事実は文献史料と考古学史料が合致する【科学】が成立して証明される。
 他方、「わが国が漢字を最初に習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定する歴史学界の定説は、『魏志倭人伝』・『古事記』・『日本書紀』・『隋書』倭国伝・『新唐書』などの文献史料に多数の誤読を加える偏見・先入観・独断をもって論じ、しかも夏音文字が伝来したと証明できる5世紀以前の確かな考古学史料はわが国にはまったく存在しないと思い込む。
 
 したがって、定説は【科学】がまったく成立しない誤読を駆使して創造した空想であることは、わが国で最も権威ある大学者や朝日新聞のような立派な組織団体が“絶対に空想ではない”と擁護弁護しても否定できない事実となる。

 

 学者たちの立論基盤となる〔先入観と誤読〕を排除して【科学】を優先して考えると、わが国における夏音文字の伝来は歴史的事実であると断定することができる。

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