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2013年9月15日 (日)

日本が滅びる・40

「卑弥呼」という名の秘密の解明(1)

 

◆左に掲示した2011730日に幻冬舎ルネッサンスから発行された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』では、A図を“建比良鳥(たけひらとり)の地上絵”と呼んだ。というのも、この大鳥の地上絵は『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部に「遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の祖(おや)の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)」と記される豪族が作成したと科学的に証明することができるからである。
 私は2012年1月から、A図の“建比良鳥の地上絵”を“「卑弥呼」の地上絵”と呼ぶことにした。というのも、中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』の繋辞(けいじ)上伝に中国海岸線の地図作製の秘密を「易は天地と準(なぞら)う。ゆえに能()く天地の道を弥綸(びりん)す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す」と記載する文があり、この文は[][][]の3字の字源を示すことに気づいたからである。
 


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◆『説文解字』は[]の字源を「蜥易(せきえき)なり」すなわち「トカゲなり」と解説する。内田亨(とおる)著作代表『原色現代百科大事典 5-動物Ⅱ』(学習研究社)は、トカゲの習性について「かならずもとのすみかにもどる帰家性がある」と指摘する。ゆえに、[]は「トカゲなり」という字源解説は「大海を往来する旅人、遠くの地へ行く旅人が旅の出発点の家族が待つ家に帰ることができる方法()を“易”と言う」と意味することになる。
 [][]となる。なぜならば、大海を渡る旅人や遠くの地へ行く旅人が家にもどることができる術は「[]をキャッチする術」であったからである。
 


 
◆『図詳ガッケン・エリア教科事典 第7巻〔地球・宇宙〕』(学習研究社)は「緯度の測定」と題する記事で次のごとく指摘する。ただし、この記事における「北極」は「天の北極」である。
 「緯度は北極の高度だから、簡単な方法は北極星の高度を測定すればよい。日付・時刻が決まれば、北極星の北極からのかたよりが計算できるので、北極の高度に換算できる。もっと精密に測る方法は、子午線経過を天頂の南側と北側とで行い、そのときの天頂距離がほとんど等しいような一対の恒星を選んでおき、その天頂の差を測るのである。」
 上記において天の北極による緯度の測定に「時刻が決まれば」という条件を付けているように、古代には今日のように精確な時刻を表示する時計は発明されていなかったので、天の北極で緯度と子午線を測量する方法ではA図に示す1千万坪の「卑弥呼」の地上絵は絶対に作成することはできない。そして、これから解説する上記の『易経』繋辞上伝が「ゆえに能く天地の道を弥綸す」と記述する精密な中国海岸線地図をも絶対に作成することができなかったことになる。
 他方、『図詳ガッケン・エリア教科事典 第7巻〔地球・宇宙〕』の「緯度の測定」と題する記事は――精密に天頂緯度と子午線が測量できれば、A図の1千万坪の「卑弥呼」の地上絵はもちろん「ゆえに能く天地の道を弥綸す」という文で説明される精密な中国海岸線地図は作成できる――と説明していることになる。


再度、繰り返す。天の北極の高度を緯度に換算する方法だと、A図の「卑弥呼」の地上絵はもちろん、これから解説する精密な中国海岸線地図を作成することができなかったことになる。しかし、B図に示す〔[]のキャッチ〕すなわち「46秒間で天頂緯度線と子午線のキャッチ」によってならば、古人たちにもA図の1千万坪と、これから解説する精密な中国海岸線地図は古人でも作成できたことになる――この事実を信じなれないことかもしれないが、【科学】にもとづく事実である。だから、わが国の最も権威ある歴史学者や邪馬台国畿内説・九州説を支援・擁護する組織団体が“ウソだ!”と反論しても、[]がキャッチできれば地図を作成できたことは否定できない絶対的な事実である。 


 
◆上記の『易経』繋辞上伝の「易は天地と準(なぞら)う」という文は「天頂緯度=観測地点の緯度」と定めた〔[]のキャッチ〕の法則を説明するものである。

C図に示す[]の金文形は、周代に天頂を通過した「オス鹿の横顔に似る銀河」から作られた。「オス鹿の横顔に似る銀河」のうちの角(つの)となる「十字の銀河」は中国の今から約6000年前の三皇時代初頭に生存した“易の始祖”とされる包犧(ほうぎ)の時代から紀元前3世紀の秦代まで、中国と日本列島の天頂にめぐってきた。
 D図に示す「山東半島」は〔鹿の横顔〕のような形にしており、北隣の「廟島(びょうとう)列島」は〔鹿の角〕に観える。ゆえに、「山東半島と廟島列島」は[]の字源となる地宜(ちぎ╱平面的に図化した地図の形)となる。
 D図の[]の字源地宜「山東半島と廟島列島」の天頂に、C図の[]の字源銀河「オス鹿の横顔に似る銀河」がめぐってきた。だから、『易経』は「ゆえに能く天地(天と地)の道」と表現したのである。


◆高田真治・後藤基巳(もとみ)訳者『易経()(岩波書店)は「弥綸」という語を「つくろいおさめる、洩れなく包みこむ」と訳する。
 E図に示すように、[]の字源となる「山東半島」は〔鳥の横顔〕にも見立てられた。これゆえ、「山東半島より南と北に延びる海岸線」は〔鳥の両翼の形〕に相似すると定められた。この〔鳥の横顔と両翼に見立てられた海岸線〕は中国全土を洩れなく包みこむ。ゆえに、「弥綸す」は「洩れなく包みこむ」と意味した。
 「山東半島の根元から南に延びる長江口(ちょうこうこう)までの海岸線」は〔鳥の右の翼〕のごとくに観えるが、〔鳥の長い頸(くび)〕のごとくにも観える。この〔鳥の長い頸〕に見立てることができる海岸線は長江口と杭州湾(こうしゅうわん)で切り裂かれたように形になるものの、その海岸線は南へさらに続くので〔つくろいおさめる形状〕となる。だから、「弥綸す」は「つくろいおさめる」または「洩れなく包みこむ」と意味した。

◆以上のごとく、五帝時代から夏代初頭における歴代王朝は精密な中国海岸線地図を作成する事業を継承していたことになる。“当時、精密な中国海岸線地図を作成できるはずがない”と否定すると、この意見はまさに“ナンセンス”となる。というのも、『易経』繋辞下伝の「易は天地と準う。ゆえに能く天地の道を弥綸す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す」という文はE図の精密な中国海岸線の地宜をもって【科学】が成立するものであるから、“五帝時代や夏代の王朝は地図を作成できなかった”という反論は【科学】をまったく知らない御仁の戯言(たわごと)となるからである。

◆F図に示すように、[]の金文形は「北天の最輝部(さいきぶ)」から図案された。「北天の最輝部」とは「北半球に住む人々が見える銀河全範囲において最も輝く銀河部」のことである。[]の偏となる[]の字源は〔解(ほつ)れる頭髪〕のように観える「北天の最輝部の東隣の銀河部」である。[()]の上部は「はくちょう座γ(ガンマ)星を包囲する円形の銀河部」を図案化し、下部は平仮名の[]の形の「北天の銀河部」を〔鳥の頸・喉・体下面〕に見立てて、〔両翼〕の形も加えて〔鳥の正面形〕を図案化したものである。
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 G図の左図に合致させて右図の銀河図を右東左西の形式にすると、「鬼の姿に似る銀河」は「山東半島」に類似し、「人の横顔に酷似する銀河」は「山東半島の根元から杭州湾南部までの海岸線」の形に類似する。
 H図に示すように、「中国の海岸線地宜」は「カンムリカイツブリ」の「頭・頸・喉・体下面」の形に観える。カンムリカイツブリは中国の海岸や海岸に近い淡水湖沼、大きな河川に多数生息する。カンムリカイツブリの頭・頸・喉・体下面は〔弓の形〕のごとく曲がり、またカンムリカイツブリの顔と喉は白く、体下面は頸以下すべて銀白色である。ゆえに、カンムリカイツブリの頸以下の体下面はF図の北天の最輝部のごとく銀白色となる。中国には1属5種のカイツブリ((にお)、ハジロカイツブリ、ミミカイツブリ、アカエリカイツブリ、カンムリカイツブリ)が生息するが、この5種のうちカンムリカイツブリがもっとも大型である。したがって、H図の右側に配する中国の海岸線に生息するカンムリカイツブリは、F図の[]の字源となる鳥であったことになる。ゆえに、E図の「弥綸」とあらわされた中国海岸線は「[弥]の字源のカンムリカイツブリの頭部と頸以下の体下面に相似する」または「[弥]のカンムリカイツブリの頭部と両翼に相似する」と定められたことになる。

◆I図は、E図の「弥綸す」のうちの「つくろいおさめる」の「綻(ほころ)び」をあらわす「杭州湾」の南北を180度転回する〔上南下北図〕である。
 I図に示すように、「杭州湾の地宜」は小型のカイツブリ「鳰の姿」に相似する。
 『説文解字』は[]の字源を「息を外()くなり」と解説する。
 G図に示したように、「中国の海岸線地宜」は「人の横顔」に類似するゆえ、「杭州湾」は「人が息を吐く口」に見立てられた。つまり、「杭州湾」は『説文解字』が「息を外くなり」と解説する[]の字源地宜であった。
 杭州市の南を流れる銭塘江(せんとうこう)は上流から土砂を杭州湾へと吐く(外く)。だから、「杭州湾」と「杭州市から河口までの銭塘江」は[]の字源地宜となった。
 []の字源となる「杭州市から河口までの銭塘江」は〔鳰の嘴(くちばし)〕に相当する。しかし、F図の[]の字源銀河にはカンムリカイツブリの嘴に相当する銀河部が存在しない。また、E図の[]の字源地宜「山東半島」にも嘴の部分が存在しない。ゆえに、「杭州市から河口までの銭塘江」を〔鳰の嘴〕と見立てると全体論的に合理が成立しない。だから、「杭州市から河口までの銭塘江」は〔鳰の嘴〕に観えても「鳰の嘴ではない」と定義された。鳰は水草の茎を支柱として、水面に草の葉茎等で浮巣をつくる。この「鳰の浮巣の水草の茎の支柱」は[]の字源と定められた。ゆえに、I図に示す「杭州市から河口までの銭塘江」は[]の字源地宜となったので「杭州」「杭州湾」という地名が誕生した。
 すべての漢字が作られた銀河全範囲において、目を凝らしても〔嘴〕の形はどこにも見当たらない。だから、「くちばし」をあらわす字は[][][][][]などあるが、これら5字は契文と金文では作成されなかった。

◆司馬遷著『史記』夏本紀は「帝禹()益に命じて民衆に低湿地にうえるべき稲をあたえ、食糧が不足しているところへは余りあるところから補給させて、諸侯の国々の事情を均(ひと)しくした。」と記述する箇所がある。
 白川静著『字統』は[]の字源解説で「金文にはなお卑賤の用義例はない」と指摘するゆえ、金文とそれ以前の契文と夏音文字の[]の字義は「卑賤」ではなかった。『説文解字』は[]の字源を「益なり」と解説する。[]の初文(最初の文字)[]である。ゆえに、[]の字源は「益なり」であり、[]の原義は「稲の生育に適する低湿地」であった。
 J図に示す「時計回りの逆方向に90度転回する方位規定」は[]の字源となった。『説文解字』は[]の字源を「姓なり。郡なり」、あるいは「一に曰く、呉は大言するなり」と解説する。E図の〔大言する人の口〕に見立てられた「杭州湾」の地名は「呉」であった。
 K図に示すように、天頂にめぐってきた[]の字源銀河における鹿の口(㊟ この銀河図は右東左西)は〔南〕にあるが、[]の字源地宜における鹿(山東半島)の口は〔東〕にある。この「銀河の鹿の口の〔南〕」を地宜の鹿の口の〔東〕」へ転回する、この「時計まわりの逆方向の南→東の90度の転回方位」は、J図に示す[]の字源をあらわした。
 E図の上部となる中国の東北部・北朝鮮にはシベリヤトラが、E図の下部より南方のインドにはベンガルトラが生息する。この南北のトラの生息地域の中間となるE図の山東半島の付け根からE図の下端までの中国海岸線の形は「虎」の顔に類似する。ゆえに、〔中国海岸線〕は〔虎〕に見立てられた。[]の下に[]を加えると[()]の字となる。だから、[]は「精密な中国海岸線地図を作成する官職」をあらわした。司馬遷著『史記』五帝本紀は五帝最後の帝舜(しゅん)の箇所で「益を虞の官を任命した」と記載する。
 夏代初頭に日本列島に移住した名門・益氏は帝舜の時代から夏代初頭までの約200年間、精密な中国海岸線地図を作成する「虞」の官職に従事していた。だから、〔海岸線は低湿地〕であったので、[]の字義は「低湿地」となり、字源は「益なり」となったのである。

◆以上のごとくE図の低湿地の「中国全土を包みこむ海岸線」は[]、また「山東半島の南北の海岸線」はH図に示すように[]、I図の「杭州湾」は[]の字源をあらわす。
 わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の3467102629の回で解説したように、倭王朝はL図に示す「中国海岸線地域の〔北冷南暖〕と日本列島の〔西冷東暖〕」の地理・気候を合体させて、L図の右側に配する錯覚の転回日本列島地理を制定した。
 転回日本列島地理を成立させた〔北冷南暖〕の中国海岸線地宜は[][][]の字源をあらわす。だから、転回日本列島地理を立論した倭女王の名は「卑弥呼」と定められたのである。

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