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2013年9月18日 (水)

日本が滅びる・42

[]は古代東洋科学の基軸であった

 

◆わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」シリーズの40(前々回)41(前回)において、下記の事柄を証明した――★A図左図の中国の海岸線の地宜(ちぎ╱平面的に図化する地図の形)[][][]の3字の字源をあらわす。★そして、静岡県浜松市北区細江町の行政区域をあらわす地宜は『魏志倭人伝』と同時代(3世紀後半)に作成された史跡であり、この史跡は中国の海岸線から生まれた[][][]の字源をあらわす秘密を有する。『魏志倭人伝』に「日本列島は南に伸びる」と記述する転回日本列島地理は中国の海岸線地域の〔北〕・[]と日本列島の〔西〕の沖ノ島・[]の神津島の気候を一体化して考えた錯覚の地理であった。この錯覚の地理は倭国の大乱を鎮静化させた。ゆえに、錯覚の転回日本列島地理を提唱した女性は倭国最高位の女王に選ばれ、この倭女王は転回日本列島地理の基準となった中国海岸線が[][][]の3つの字源にあらわすので「卑弥呼」と呼ばれた。
 だから、静岡県浜松市北区細江町の大鳥の形をした史跡を、私は“「卑弥呼」の地上絵”と呼ぶことにした。「卑弥呼」の地上絵は、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部に登場する遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の先祖の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)によって作成された。
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◆紀元前3000年頃の五帝時代初頭の黄帝の時代から紀元前2070年頃の帝禹(ていう)・帝益が生存した夏代初頭までの約930年間、歴代王朝は中国海岸線地図の作製事業をおこなった。夏王朝の2代帝王となった益氏の王子と若者たちは、紀元前2050年頃に日本列島に移住して三皇時代の結縄(けつじょう╱易に用いる記号)と五帝時代の刻木(こくぼく╱最初の漢字)と夏代の夏音文字の学芸を根づかせた。益氏は紀元前2250年頃から、精密な中国海岸線地図を作製する「虞()」という官職に従事するものであったゆえ、中国最先端の精密な地図作製方法はじめ天文地理学をわが国にもたらした。
 天の北極を基準にすると、A図左図に示すような広範囲の中国海岸線の精密地図は絶対に作製することはできない。天の北極では正確な中国海岸線地図は作成できないことは、わが国の最も権威ある歴史学者が「ウソだ!」と反論して排除することができない科学における事実である。
 
 「[]のキャッチ」すなわち「精密に天頂緯度線と子午線をキャッチする方法」ならば五帝時代・夏代の歴代王朝がおよそ930年という年月を費やすならば次第に正確となる中国海岸線地図を作成することができた。また、3世紀後半の建比良鳥命も子たちの協力のもとに30年間で丁度1千万坪の巨大な「卑弥呼」の地上絵を作成することができた。
 
 今日では、精密な中国海岸線地図は1年間ぐらいで作製でき、「卑弥呼」の地上絵は3ヵ月ぐらいで作製できるのではあるまいか。

◆A図右図に示す「鬼の姿に似る銀河と人の横顔に酷似する銀河」は、左図の「山東半島とその南の中国の海岸線の形」に類似する。これゆえ、B図に示すように[夏]の金文形は「人の横顔に酷似する銀河、鬼の姿に似る銀河、十字の銀河、龍頭(りゅうず)の銀河」から作られた――[]の金文形は〔夏代には山東半島より北部の渤海沿岸地域までの精密な中国海岸線地図が完成していた〕とあらわす。また[]の金文形は「中国全土を洩れなく包み込む海岸線地図が作成できた」と示す。ゆえに、[]は「中国の人」という字義を有することになった。
 C図に示す丁度1千万坪に作成された「卑弥呼」の地上絵は益氏がもたらした精密な地図作成方法を伝えて、[]をキャッチして経緯度原点のA地点を設置したと表示する。また、[]をキャッチして同緯度の滝峯不動尊を設定し、[]のキャッチによる精密な子午線の測量にもとづいてA地点と滝峯不動尊の経度軸から29度に傾く斜め線の交点(八幡宮)を三角測量本点と定めた。このような[]のキャッチのもとに、大小の三角形の網や鎖を形作って基準点を設置し図化すれば、丁度1千万坪の「卑弥呼」の地上絵は確実に作成することはできる。というのも、C図に示す地上絵作成方法は今日の国土地理院の精密日本列島地図の作製方法の原理と共通するからである。
 D図に示すように、浜名湖の支湖「引佐細江(いなさほそえ)」の湖岸となる卑湿な地に設置したA地点は[]、大鳥の地上絵の頭部と両翼の部分は[]の字源地宜、八幡宮を包囲する引佐町との境界線は[]の字源を形成し、A図左図の中国海岸線の[][][]の字源を表示する。C図・D図の「卑弥呼」の地上絵は[]の一点に絞って考えれば『魏志倭人伝』の記事はすべて正しいことが解明できるように作成された。また、『古事記』上巻と『日本書紀』神代紀の記事が伝える歴史を正しく読解できるように作られ、すべての字源を解明できる1400字前後の字源を正しく知ることができるように作られている。
 
 要するに、「卑弥呼」の地上絵は[]を基軸とする古代東洋科学の史跡である。

 
◆E図は、天頂点と重なる銀河部位の軌道図である。この銀河部位は24時間より約4分短い、23時間56分で一周する。1時間は3600秒であるから、24時間は86,400秒となる。4分は240秒であるゆえ、86,400秒引く240秒は86,160秒となる。86,160秒で一周する天頂点と重なる銀河部位が、天頂点と重なる寸前の46秒間の軌道は「西を前に東を後ろにして移動する、平らな横一直線」となる。この「平らな横一直線」の中央は「天頂点」となり、「天頂点と天頂点の真北または真南にある目星(銀河部位、恒星)を結ぶ線」が「子午線」となる。
 この「平らな横一直線」の[]に「子午線」を図案する「短い縦線」を加えると[(とう)」となる。この[]の下に[(よう)]を加えると[]となる。[]は「産道を通過する胎児のように無欲になれ」という〔[]をキャッチする時の心構え〕をあらわしている。
 このような「[]のキャッチ」の秘密が年号となったのが「西暦729年~749年」に付けられた「天平(てんぴょう)」である。現在の「平成」は出典となった『書経』「大禹謨(だいうぼ)」の「地平らかに天成る」という文をもとにする。ゆえに、この文は「地平線に沿って平らに天の赤道は子午線経過し、天頂に在る[]は平らに移動する」と意味する。

◆『魏志倭人伝』、『古事記』上巻、『日本書紀』神代紀に記述された歴史は益氏がもたらした夏音文字の学芸知識を用いれば解明できる。夏音文字の学芸は〔[]のキャッチ〕を基軸にして組織される。このため、〔[]のキャッチ〕を最も注目すべきことになる。
 古代東洋科学は[]を基軸にして組織された。この秘密は、孔子と並ぶ中国の戦国時代の思想家の老子の教えを伝える『老子』上篇(道経)に記述されている。老子は紀元前5世紀・4世紀ごろに生存したとされる。
 下記に示す『老子』の序文に相当する第1章は「古代東洋科学の基軸は[]である」と明確に指摘する。
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◆『老子』第1章は、下記のごとくである。
 「道の道とすべきは常の道に非ず。名の名とすべきは常の名に非ず。天地の始めには名無し。万物の母にして名有り。ゆえに常に無欲にして其の妙を観、常に有欲にして以てその皦(きょう)を観る。この両者は、同じく出でて名を異(こと)にし、同じく之(これ)[]と謂()う。玄のまた玄衆妙の門。」
 『老子』第1章の先頭字の[]の字源銀河をF図に、[]の字源地宜をG図に示した。
 [
]の字源銀河は「オス鹿の横顔に似る銀河」であり、[]の字源地宜は「山東半島・廟島(びょうとう)列島」であった。ゆえに、老子は――常識では「人や車などが行き来するところ」を「道」というが、[]は天文に有り、また地宜として存在する――と説くものであるから、「道の道とすべきは常の(常識的にいわれる)道に非ず」と表現した。「名」は〔文字によって定められた〕ものであるゆえ、「名」すなわち「文字」と解釈すべきことになった。ゆえに、老子は――常識的にいわれる「物の名」は名の本質を示すものではなく、「名」の本質は「銀河と地宜を字源とする文字」であると――指摘した。
 また、老子が「万物の母」と指摘したものはすべての文字を生む母体となる、H図に示す[]の字源となる「十字の銀河」であった。老子が生存した時代の中国の首都の天頂には、H図に「十字の銀河の子宮」と示した銀河部がめぐってきた。今から約6000年前の三皇時代には易に用いる記号(結縄)は考案されたが、人名や地名をあらわす文字を考案することができなかった。今から約5000年前の“東洋医学の祖”と崇拝される黄帝は女性生殖器を中心とする人体内臓を研究し、女性生殖器と人体内臓各部の名称をあらわす文字は黄帝につかえる史官(書記)の倉頡(そうきつ)によって考案された。倉頡は――天頂にめぐってくる「十字の銀河」を、秋の銀河(の西部)と夏の銀河各部の形状に相似・類似するように作るすべての文字を生む母と定めた。また、「十字の銀河の子宮」に観える箇所を「すべての文字を生む子宮」と定めた。この倉頡が発明した漢字作成原理は「鳥獣の足跡」または「鳥獣の文」と呼称された。これゆえ、老子はH図のすべての漢字を生む母体の「十字の銀河」を「万物の母」と表現した。「名」は「文字」のことであるから、老子は「万物の母にして名(文字)有り」と説いたのである。
 I図は、文中にある[][]の字源、また「衆妙の門」という語源が解明できる[]の字源解説図である。I図の左図上部の「激流に似る銀河」は[]の字源である。〔激しく水が流れる急流の水は白色〕となる。水田の脇や庭園にある小さな滝となる水や川の急流となる水を注目すると青ではなく白い。[]の三水偏に除く[(きょう)][]を加えた[皦]の字は「髑髏(どくろ)」をあらわす。I図左図の「北アメリカ星雲」は赤く輝くが「激流の水に洗われて白くなった髑髏」に見立てられて、[]の字が考案された。あるいは、I図左図の[]と記す字源銀河部は〔日々激流にもまれて白くなった玉石が集まる場所〕と見立てられて、[]の字源となった。だから、『説文解字』は[]の字源を「玉石の白なり」と解説する。「長方形の暗黒天体部」は「子宮」に見立てられたので[][]の字源となる「激流に似る銀河の先端部」は〔砂が集まる場所〕でもあるので[][]が加わって[]の字が作られた。E図に示すように、[]は「46秒間の少ない秒数でキャッチする術」であるから、「子宮」をあらわす[]と「ない数」の[]が加わって[]の字となった。胎児の頭は狭い子宮頸部(しきゅうけいぶ)を通過して誕生する。ゆえに、[]の字義は「妙なり」すなわち「不思議だ! 神秘的だ!」となった。
 胎児の頭は狭い子宮頸部を潜(くぐ)り抜け、狭い産道を無欲で通過して誕生する。だから、老子は「狭い子宮頸部や産道を通過する胎児のように無欲になれば[]をキャッチできるが、なんとしても[]をキャッチしなければならないと欲を有すると道に迷って皦(野晒しの髑髏)になる」と説いた。これゆえ、老子はI図左図に示す[]の字源銀河部は[][]の両方の字源となるので、「この両者は、同じく出てて名を異にする」と表現した。
 []の字源銀河部はH図の「十字の銀河の子宮」とI図の「激流に似る銀河の先端部」である。ゆえに、[]の字源銀河は2ヵ所存在するので、老子は「玄のまた玄」と表現した。またI図中央の「子宮頸部」も[]の字源であった。だから、I図中央の[]の字源となる「子宮と産道」は「民衆はじめ万人が生まれる命(いのち)の門」であり、またH図の「十字の銀河の子宮」とI図の「長方形の暗黒部」を「人間はじめ万物の生命が生まれ出てくる門」と表現して、老子は「衆妙の門」と説いた。
 J図の契文・金文の[]の字形は「女性の骨盤と大腿骨(だいたいこつ)」から作られた。女性生殖器と胎児の命は[]の字源「骨盤」に包まれて護られているので、老子は「衆妙の門」と表現した。万物の情(イメージ)に類似するように作られた文字は〔[]の字源「骨盤」に護られる女性生殖器〕に見立てられる「十字の銀河の子宮」から生まれると、倉頡は定めた。ゆえに、「衆妙の門」は「人間はじめ万物の生命は十字の銀河の子宮から生まれる」と解釈すべきことになる。

◆以上のごとく、『老子』第1章はE図に示した〔[]のキャッチ〕によってA図の中国海岸線の精密な地図の形を知ることができるようになったと説き、倉頡の漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕の発明によって文字が存在することになったと説明し、漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕の発明は〔[]のキャッチ〕を基軸にするものであり、E図の[]の下の[]は「無欲にして以てその妙を観る」すなわち「無欲で産道を通過する幼児」をあらわすと解説していることになる。
 『魏志倭人伝』が著作された3世紀後半、〔[]のキャッチ〕によってC図とD図に示した「卑弥呼」の地上絵が作成された。ゆえに、「卑弥呼」の地上絵は『老子』第1章を正しく解釈できる史跡であり、古代東洋科学の知識が結集された史跡である。

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