G-T0XYQT12LL 日本が滅びる・50: 卑弥呼の逆襲

« 日本が滅びる・49 | トップページ | 日本が滅びる・51 »

2013年10月 4日 (金)

日本が滅びる・50

〔愛〕を掲げて誕生した日本建国史の解明(5)

◆前回のブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・49」にて、舒明天皇が作った『万葉集』5番の和歌は『魏志倭人伝』末部に記述された狗奴(くな)国討伐征討を題材にして詠むことを証明した。この和歌は「小国・日本の軍王の伊耶那岐命・載斯烏越(そしあお)・のちの開化天皇が讃岐富士・飯野山に本陣を構えて日本軍と倭軍の指揮をとった」と伝える。
 狗奴国は、A図に示す吉備(現在の岡山県と広島県東部)と香川県の小豆島である。B図に示す飯野山の真正面の岡山市から倉敷一帯が吉備・狗奴国の中心部である。
 この狗奴国すなわち旧国・吉備国討伐において、日本建国の〔愛〕の理念を提唱した倭女王壱与・伊耶那美命・竹野比売(たかのひめ)は話し合いで平和的に解決すべきであると欲求して頑(がん)として拒絶した。しかし、狗奴国討伐は、前の倭女王の卑弥呼が魏帝と結んだ軍事同盟の約束であり、伊耶那美命の夫の伊耶那岐命が魏の朝鮮半島の出張機関の帯方郡太守・王頎(おうき)と約束したことであったので、倭王朝は伊耶那美命の欲求を無視し、急遽(きゅうきょ)、“当然、狗奴国は討伐すべし”と主張する伊耶那岐命の第二后の天照大御神・伊香色謎命(いかがしこめのみこと)・のちの倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)を倭女王・壱与の代役に立て、天照大御神の考えた氷河(ひかわ)に狗奴国滅亡の忌瓮(いわいへ)を据える儀式をおこなって、狗奴国討伐が決行された。 
 舒明天皇は『万葉集』の2番で「天の香具山」で象徴される「伊耶那美命」への憧れを示し、5番で小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)伊耶那岐命への憧れをあらわす。また、『万葉集』の3番・4番・5番の和歌は舒明天皇の蘇我大臣家への激しい憎悪を表現する。
 『万葉集』5番は、皇后の宝皇女(たからひめひこ╱のちの皇極天皇にして斉明天皇)が蘇我大臣家の権力になびいて舒明天皇のプライドをいちじるしく傷つけるために離縁を考えて苦悩する心境を詠む長歌である。

◆『万葉集』5番で詠まれた舒明天皇の皇后との離縁を決意できない苦悩と蘇我大臣家への激しい憎悪は、『万葉集』485番の長歌と486番・487番の二首の短歌の題材となる。
 舒明天皇と皇后の宝皇女(皇極天皇・斉明天皇)に二人は共に“岡本天皇”であるが、歌の内容からして、『万葉集』485番の題詞「岡本天皇の御歌(みうた)一首 并(あわ)せて短歌」の岡本天皇は皇后(宝皇女)であると考えるべきことになる。
 「岡本天皇の御歌一首 并せて短歌」という題詞が添えられる『万葉集』485番の長歌は下記のごとくである。
「神代(かみよ)より 生()れ継ぎ来()れば 人さはに 国には満ちて あぢ群(むら)の 通ひは行けど 我()が恋ふる 君にしあらねば 昼は 日の暮るるまで 夜(よる)は 夜()の明くる極(きは)み 思ひつつ 眠()も寝()かてに 明かしつらくも 長きこの夜を」
 この長歌を現代語訳すると「神代の伊耶那美命は狗奴国・吉備国の討伐を拒絶する〔愛〕の女王であった。伊耶那美命は小国・日本の女王に即位した時に、国作りの柱を〔愛〕と定めて人民に熱心に説いた。また伊耶那美命の夫の伊耶那岐命は狗奴国を討伐したことを後悔し、伊耶那美命が亡くなると黄泉比良坂(よもつひらさか)を塞ぐ千引石(ちびきのいわ╱現在の和歌県新宮市磐盾町に所在する神倉神社のご神体の巨岩“ごとびき岩”)の前で伊耶那美命が提唱した〔愛〕の理念を継承すると誓った。このような日本建国の〔愛〕の理念を最も大事にするために、国民はこの世に多数満ち満ちて、人々は味鴨(あじかも)の親子連れの群の光景のように愛陸(むつ)まじく、わたしの目の前を通り過ぎますが、わたくしが恋い慕うあなた(舒明天皇)は、わたくしと蘇我入鹿との仲を疑い、またわたくしの行動が蘇我大臣家の権勢に服従するものであると批判し立腹して、わたくしを拒否して抱いてくれません。昼は日がくれるまで夜は夜が明けるまで、わたくしはあなたを思いつづけ、一睡もできませんでした。この夜は、ほんとうに長い夜でした。」となる。
 C図は、和歌に登場する「味鴨の親子連れの池を通う愛睦まじい光景の図」である。
Image

◆上記の『万葉集』485番の反歌の486番と487番の反歌と各々の現代語訳は下記のごとくである。
「山のはに あぢ群さわき 行くなれど 我(われ)はさぶしゑ 君にしあらねば」(486)
 現代語に訳すると「山の端()に、味鴨の雌雄の群が愛睦まじく鳴きさわいで飛んでいきますが、この鴨の群を見ていますと、わたくしは寂しくてなりません。あなたはわたくしが示す愛を疑い拒絶し、夜となってもわたくしを抱いてくません……」

「近江道(あふぢ)の 鳥籠(とこ)の山なる 不知哉(いさや)川 日()のころごろは 恋ひつつもあらむ」(487)
 小島憲之・木下正俊・佐竹昭広校注・訳者『万葉集一』(小学館)は「鳥籠の山」は「滋賀県彦根市正法寺(しょうほうじ)町にある正法寺山」、「不知哉川」は「滋賀県犬上郡の霊仙山に発し、彦根市で琵琶湖に注ぐ大堀川(芹川)のこと」と注釈する。この根拠は『万葉集』2710番の「犬上(いぬかみ)の 鳥籠の山なる 不知也(いさや)川 いさとを聞こせ ()が名告()らすな」と詠む類歌だという。この類歌の初句の「犬上の」にもとづき、「不知哉川」を「滋賀県犬上郡の霊仙山から発する芹川」と定めたのであろうが、この解釈には賛成できない。というのも、この解釈だと485番の長歌に対して487番は無関係となり反歌にふさわしいものとならないからである。

◆D図に示す「琵琶湖」の古称は「鳰(にお)の海」である。
 E図に示す「近江・滋賀県」を、『魏志倭人伝』は「呼邑(こお)国」と記す。わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・41」にて、F図に示す中国南部にある「杭州湾」は鳰の姿に相似するので、[]の字源は「鳰」であったと証明した。その証拠に、『魏志倭人伝』は「静岡県西部・遠江」の小国名を「不呼(ふこ)国」と記載し、G図に示す遠江に所在する「卑弥呼」の地上絵は[]の字源が「鳰」であることを伝え――つまり、G図の上部の八幡宮や龍潭寺(りょうたんじ)が所在する引佐町金指・井伊谷地区の地図の形は、H図に示すように[]の字源が「鳰」であることを示して「鳰と浮巣」に設計されている。
 したがって、D図に示す「琵琶湖」は「鳰が籠(こも)る湖」となるので「鳥籠」となる。ゆえに、『万葉集』2710番の「鳥籠の山」は彦根市に所在する「正法寺山」であるが、岡本天皇が作った『万葉集』487番における「鳥籠の山」はD図に示す「鳰の海に籠る(浮かぶ)沖島(おきのしま)」であったにちがいない。それゆえ、「不知哉川」はD図に示す彦根市の南端の境界線となる「愛知川(えちがわ)」であったと考えられる。
 『万葉集』487番を現代語に訳すると「近江の鳥籠の山・沖島の東隣に河口がある不知哉川(愛知川)。この川が“知らない”と示すように、わたくしの心を知ろうとせずにわたくしを疑ってわたくしの言葉を信じませんが、今日このごろは、あなたはわたくしのことを少しは恋しく思っていてくださるのでしょうか。」となる。
Image_2

◆岡本天皇が作った『万葉集』485番の長歌は「神代より 生まれ継ぎ来れば 人さはに 国には満ちて あぢ群の 通ひは行けど」と詠み、伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念をあらわす。『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問神話に記述されるクーデターによって伊耶那美命の墓(熊野本宮大社の旧社地の大斎原)から略奪された伊耶那美命の棺について、『日本書紀』神代紀は「花の窟(いわや)に葬られた」と記述する。(この伊耶那岐命のクーデターについては、「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・18」にて明らかにした)
 花の窟は三重県熊野市有馬町に所在する。花の窟はD図に示す鳰の海に浮かぶ沖島と同経度の東経1365分である。したがって、485番の長歌にて詠まれた〔花の窟に葬られた伊耶那美命〕と487番にて詠まれた〔近江の鳰の海・鳥籠の山の沖島〕は同経度であるからして、487番は485番の長歌の反歌としてふさわしいものとなる。

◆『万葉集』487番の反歌に登場する「鳥籠の山」が「沖島」であるならば、「不知哉川」沖島の東隣に河口がある「愛知川」となる。
 花の窟の洞(ほこら)は「女陰」と見立てられる。わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)[]について「字はもと花の萼柎(がくふ)の形である」と解説する。「花の萼柎」は「台(うてな)」ともいう。
 I図に示すように、「女性生殖器の正面図と花の生殖器は類似するが、女性の生殖器の台となる花の台(萼柎)は類似しない」ということで、[]は否定の義を有することになった。
 だから、伊耶那美命の亡骸が葬られた「花の窟」は[]をあらわす。
 J図は、花の窟と同経度(東経1365)の沖島の地宜(ちぎ╱地図の形)である。上南下北の沖島の地図の形は人の「足」の形に類似する。
 わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・44」において老子の思想「知足(ちそく)」の秘密を解明した。この「知足」という語の秘密によって、K図に示す[()]の字源「十字の銀河」と[]の字源「十字の銀河の子宮の産道」によって[]の字源が成立したことが解明できる。「十字の銀河の子宮」は〔3本指であるが、人の足や足跡〕に類似すると見立てられて[]となり、またK図に示すように「十字の銀河の右足」は[]の字源における[]が貫通するので、「十字の銀河の右足」は「知足」の[]となった。
 以上からして、「花の窟」はI図に示す[]の字源の他に、K図に示す[]の字源をも示すものとなるゆえ、「花の窟」は「不知」とあらわすことになる。

◆そして、花の窟とJ図の〔足〕の形に類似する沖島は同経度であるので、「沖島」は同経度の「花の窟」の「不知」にもとづき「沖島」も「不知」という語を示すものとなる。
 だから、「不知」を示す「沖島」の東隣に河口がある「愛知川」は『万葉集』487番の反歌で詠まれた「不知哉川」であったにちがいない。なぜならば、「反歌」は「長歌の意を反復・補足し、または要約するものであって、長歌と密接に関連する短歌」であるからだ。
 『万葉集』487番の反歌で詠まれる「不知哉川」は、L図に示す彦根市の南端の境界線となる「愛知川」である。この「愛知川」の「愛知」には「日本建国の〔愛〕の理念の歴史を知る」という意味が秘められている。
 L図に示す愛知川を南端の境界線とする現在の彦根市の行政区域を表示する地図の形は、徳川家康が譜代大名筆頭の地位につく井伊氏を近江に移住して彦根藩主になるように命令し、彦根近隣の7ヵ国12大名に動員を命じ、彦根藩が1603年に着工し20年後の1622年に完成させた3千万坪の大鳥の地上絵である。彦根藩主の井伊氏は、『魏志倭人伝』と同時代の3世紀後半に作成されたG図の「卑弥呼」の地上絵を約1300年間という長きにわたって守り、H図上図に示す引佐町井伊谷(いなさちょう・いいのや)に居住していた。ゆえに、L図の彦根の3千万坪の大鳥の地上絵を作成することができた。
 G図に示すように、「卑弥呼」の地上絵の顔の正面は「夏至の日の出の方角」を向き、L図の彦根の大鳥の地上絵もまた「夏至の日の出の方角」を向いて、二つの大鳥の地上絵は〔わが国に夏音文字の学芸が伝来した〕と伝える設計となる。
 中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝には「後稍(のちやや)夏音を習い」という文がある。この文は――702年に中国に派遣された日本国の遣唐使が「わが国は壬申の乱の後、稍々(少しだけ)史書に夏音文字を習う(復興する)ことにした」と中国に告げた――と意味した。この「後稍夏音を習う」史書が、712年に完成した『古事記』上巻である。そして、夏音文字は『万葉集』にも記載されて現存することになった。

◆『新唐書』日本伝の「後稍夏音を習う」という文にもとづき、L図の彦根の地上絵は「夏音は習わず」すなわち「未だ夏音文字の学芸は復興せず」と設計された。
 L図におけるグニョグニョと曲がる彦根市の東端の境界線は鳥の羽の根元をあらわすが、鳥の羽となる伊耶那美命と伊耶那岐命を祭る多賀大社が所在する東方には羽の形が無い。この「羽の部分が無い」設計は「不習」すなわち「習わず」と否定の意をあらわす。というのも、「愛知川」は『万葉集』487番の「不知哉川」の[]をあらわすからである。
 L図の〔グニョグニョと曲がりくねる彦根市の東端となる境界線〕は、M図右図に示す〔子宮頸部から産道〕までをあらわす。というのも、M図左図の〔子宮頸部から産道までの壁〕には、螺子のミゾのようなにミゾがついているからである。このミゾの凸凹を強調して造形表現すると、彦根市の東端の境界線の曲がりくねった形となる。この〔子宮頸部から産道までのミゾ〕は胎児の頭の最も大きい部分が膣口(ちつこう)を通過しようとする時に引っ込まないようにする役目がある。
 L図の〔グニョグニョと曲がりくねる彦根市の東端の境界線〕はM図左図の〔子宮頸部から産道までの壁にあるミゾ〕をもデザイン設計するものであり、「胎児の頭の最も大きな部分が狭い子宮頸部を通過し、膣口に挟まって絞め殺されないように産道の壁のミゾで胎児を押し出して一気に誕生する」と表現する。
 だから、頭が誕生する娩出期(べんしゅつき)の新生児のM図右図の上下をひっくり返すと――L図の〔彦根市の大鳥の頭部〕はM図右図の〔新生児の頭部〕に相当し、L図の〔彦根市の大鳥の胴体部〕は〔子宮〕とそしてM図右図に示す〔壁にミゾがある子宮頸部から産道まで〕に相当することになる。
 L図の彦根市の3千万坪の大鳥の地上絵は、東端の境界線に設計されているように日本建国の〔愛〕の理念を表現する史跡である。彦根市の東隣の多賀町に鎮座する多賀大社に祭られる伊耶那美命は日本建国の〔愛〕の理念を提唱し、伊耶那美命とともに祭られる伊耶那岐命は千引石の前で「吾一日に千五百の産屋立てむ」と誓って伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を受け継いだ。
 このように、徳川家康と代々の井伊氏の頭首たちは「夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念の歴史を復興する」という心願を抱き、この心願のために一生をささげた。だから、彦根市の南の境界線の「愛知川」は「〔愛〕の理念が掲げられた日本建国の歴史を知る川」と示すものであったのである。

夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念は日本古代史における3世紀から以後において最も厳重な機密とされて明らかにしてはならないと禁止されていた。
 
 しかし、家康は夏音文字の学芸と日本建国〔愛〕の理念を失ったならば確実に日本は滅びると考えた。だから、日本を滅亡させないために、「卑弥呼」の地上絵を1300年の長きにわたって倫命(りんめい)の基に守ってきた井伊氏に――後世における真の歴史学者はじめ科学者や芸術家たちや日本人であると信念を抱く人々が容易に発見できるように――彦根の3千万坪の「夏音は習わず」という大鳥の地上絵を作らせ、〔夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念〕を守ることは〔倫命〕すなわち〔人間として守らなければならない使命〕であると、その生きざまで明示した。
 
 しかし、現在にあっては〔誤読〕に〔誤読〕を積み重ねて「箸墓は卑弥呼の墓である。だから、纏向(まきむく)遺跡が邪馬台国説である」というウソ八百説が人間として守らなければならない倫命を踏みつぶして、大手を振って市民権を獲得する。だから、このままでは、家康が憂慮したように〔誤読〕を積み重ねるウソ八百のために必ず日本は滅びるであろう!
 
 

|

« 日本が滅びる・49 | トップページ | 日本が滅びる・51 »

学問・資格」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

卑弥呼」カテゴリの記事

邪馬台国」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

漢字の起源」カテゴリの記事

ヒエログリフ(聖刻文字)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日本が滅びる・50:

« 日本が滅びる・49 | トップページ | 日本が滅びる・51 »