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2013年10月 8日 (火)

日本が滅びる・53

天照大御神の狗奴国軍の戦力を奪った「忌瓮」儀式の解明

◆このブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」シリーズの46回から51回までにて、『魏志倭人伝』末部の「其の八年」という語句から以後から末尾までの記事は、下記のごとく説明するものであったことを解明した。
 「魏の正始八年(247)、前年に馬韓(ばかん)の首長たちの反乱で魏の出張機関である帯方郡政庁の太守の弓遵(きゅうじゅん)が戦死したが、楽浪(らくろう)郡からの水軍の応援によって韓の反乱軍は敗退した。玄菟(げんと)郡太守の王頎(おうき)が帯方郡太守に転任して到着した。魏帝と倭女王・卑弥呼が結んだ軍事同盟においては、朝鮮半島において反乱があった際には倭軍が出兵すると約束するものであったが、倭は軍兵を派遣せず約束を違反した。この約束違反の事情を説明するために、倭は小国・日本の軍王・載斯烏越(そしあお)・伊耶那岐命一行を帯方郡政庁へ派遣した。載斯烏越は卑弥呼が没後におこった反乱に乗じて倭女王・卑弥呼と素(もと)より不和の狗奴(くな)国が戦いを仕掛けてきて未だに戦闘中であるゆえ、魏との軍事同盟の約束を守れなかったと事情を説明した。帯方郡太守の王頎は主な役目は朝鮮半島の反乱をおさえて安定をはかることであった。狗奴国との戦闘が続いているうちは倭軍が朝鮮半島に派遣できなくなるので、魏との軍事同盟は機能しない。それゆえ、軍事同盟を機能させるには倭は一時も早く狗奴国を滅亡させなければならない。そこで、王頎は倭国の軍事同盟違反を咎(とが)めず、そのかわりに載斯烏越に狗奴国討伐を約束させた。狗奴国討伐を確認するために、王頎は塞曹掾史(さいそうえんし)の張政(ちょうせい)一行を載斯烏越一行が帰還する船に便乗させて倭国に派遣した。帯方郡使の張政一行は魏帝の斉王の詔書(しょうしょ)と魏の軍旗の黄幢(こうどう)を狗奴国討伐が終了するまで、魏の景初2(238)12月に魏都に到着した倭国の外相の難升米(なしめ)に仮(かり)に預けた。早速、張政は檄(げき・軍書)を作って、倭女王壱与・伊耶那美命に朝鮮半島の安定のためには狗奴国を討伐しなければないないと告げ喩(さと)した。しかし、伊耶那美命は狗奴国とは話し合いで平和的に解決すべきであると主張して、頑(がん)として張政の檄の告喩を拒絶して承認しなかった。
 卑弥呼はすでに没していた。大きな墓を作った。円墳部の直径は百余歩(150)。卑弥呼の墓を築造するときに奴(18歳くらいの青年)と奴(13歳くらいの乙女)の百余人を殺して埋める徇葬(じゅんそう)が行われた。卑弥呼の後に男王を倭の大王に立てたが、大王に国中の人々は服従せず徇葬を憎悪する人々が武器をもって反乱を起こした。この戦闘で、倭王朝は千余人の反乱者たちを殺した。また、この反乱に対処して、(134年前に)、卑弥呼が率いる巫女界を代表して13歳で小国・日本の女王となった壱与(いよ)・伊耶那美命を倭女王に就任させると、伊耶那美命は小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めて治めたゆえ、反乱者たちは彼女ならば必ず徇葬を禁止するにちがいないと信頼して武器を捨てたために、倭の徇葬を憎悪する反乱は遂に鎮まった。倭女王・伊耶那美命は帯方郡使の張政の檄の告喩を拒絶して承認しない――しかし、狗奴国討伐は魏との軍事同盟における約束事であり、彼女の夫の載斯烏越・伊耶那岐命が帯方郡太守王頎と約束したことでもあった。そこで、倭王朝は伊耶那美命の欲求を無視して、急遽(きゅうきょ)、伊耶那岐命の第二后である天照大御神を倭女王・壱与の代役に立て、伊耶那岐命が日本軍と倭軍を指揮し、張政が二度目の檄を作って告喩して狗奴国を滅亡させた。倭女王壱与・天照大御神は、軍事同盟の約束を守って狗奴国を滅亡させたことを魏に報告する使節として、倭の大夫の率善中太将(そつぜんんちゅうろうしょう)の掖邪狗(ややこ)など二十人を派遣することにした。この掖邪狗一行が大海を渡る船で張政一行を帯方郡に帰還させ、掖邪狗一行はさらに旅を続けて魏都洛陽(らくよう)に到着して、男女生口三十人、白珠(真珠)五千孔、青の大句珠二枚、異文の雑錦(ざっきん)二十匹を献上した。」

◆A図に示すように、卑弥呼と素より不和の狗奴国の範囲は現在の広島県東部・岡山県と香川県の小豆島(しょうどしま)である。
 B図に示す岡山・倉敷の両市地域は狗奴国の中心部となる。「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・47」にて[][]の字について詳細に解説したように――小豆島の地宜(地図の形)は〔狗(いぬ╱オオカミ)〕の姿に似ているゆえ、[]をあらわす。C図に示す「ジャコウウシ」は[奴]の字源をあらわした。倉敷市が所在する〔児島半島〕」は〔天敵のオオカミの襲撃を察知して、子ども真ん中に隠して防御するために組む円陣の端のジャコウウシの姿〕に類似すると見立てられ、〔児島半島より奥の地域〕は〔ジャコウウシが組む円陣部分〕に見立てられて、[]をあらわすとされた。だから、B図の「小豆島と岡山県東部の地宜」は小国・狗奴国の中心部であったことになる。

◆上記したように、『魏志倭人伝』の末部に登場する夏音名の載斯烏越の愛称は伊耶那岐命であった。伊耶那岐命は日本軍と倭軍を指揮して狗奴国を討伐して滅亡させた。A図とB図に示す「狗奴国」の古称は「吉備国」である。
 載斯烏越・伊耶那岐命はのちの開化天皇である。開化帝の祖父は孝霊天皇である。開化帝の父の孝元天皇は短命で、孝霊天皇は長寿であった。ゆえに、開化帝・載斯烏越・伊耶那岐命の吉備国討伐は孝霊天皇時代の出来事であったことになる。『魏志倭人伝』に記載される「卑弥呼の後を継いで倭国を統治する大王」は「孝霊天皇」であったことになる。
 伊耶那美命の代役をつとめて吉備国討伐の倭女王壱与となった天照大御神は、後年において伊耶那美命の墓を作る時に徇葬を指揮したために、現在の和歌山県新宮市に所在する神倉神社のご神体の“ごとびき岩”すなわち“千引石(ちびきのいわ)”の前で伊耶那岐命に離縁されて戸籍を失った。ゆえに、天照大御神は孝霊天皇の娘の卑弥呼の墓を作る時に徇葬を指揮した倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)の名を受け継いだ。この天照大御神の倭迹迹日百襲姫命の襲名も関係して、伊耶那岐命の狗奴国討伐は『古事記』中巻の孝霊天皇紀に記述されることになったにちがいない。

◆『古事記』孝霊天皇紀は伊耶那岐命の狗奴国討伐を下記のごとく記述する。

「大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)と若建吉備津日子命(わかたけきびつひこのみこと)のお二人は、針間(はりま)の氷河(ひかわ)の前(さき)に忌瓮(いわいへ)を据えて、針間を道の口と為()て、吉備国を言向(ことむ)け平定した。」
 忌瓮を据えて吉備国討伐の儀式をおこなった大吉備津日子命と若建吉備津日子命の両人は孝霊天皇の子である。大吉備津日子命は吉備の上道臣(かみつみちのおみ)の先祖となり、若建吉備津日子命は吉備の下道臣(いもつみちのおみ)・笠臣(かさのおみ)の先祖となった。
 忌瓮が据えられた「氷河」は「厳寒の氷にとざされる平原のツンドラ地帯」に見立てられた。というのも、C図に示す[]の字源の「ジャコウウシ」はツンドラ地帯に生息したからである。だから、氷河に忌瓮を据える儀式は〔子どもを中心に隠して円陣を作って防御するジャコウシの群〕を〔吉備国軍〕に見立てて、吉備国の戦力を奪い吉備国の兵士たちを殺す魔女・天照大御神が指令した呪術にもとづくものであった。
Image

 
 『説文解字』は「忌瓮」の[]の字源を「憎悪するなり」と解説する。吉備国は7、80年前の大乱において倭国と争った敵国であり、卑弥呼と素より不和の倭国の滅亡を願う敵国であった。さらに、卑弥呼の墓を作ったときにおこなった百余人の奴婢を殺した徇葬を憎悪する反乱に乗じて戦争を仕掛けてきた吉備国は、倭国が憎悪する敵国であった。現在、[]という字は葬式の時に死者の家の門前に掲げられていることからして、「忌瓮」は“吉備国の軍兵を殺す儀式に用いられる瓮(大瓶╱おおがめ)”であったことになる。

◆『古事記』孝霊天皇紀の吉備国討伐記事の「針間を道の口と為()て」(原文は「針間為道口以」)という文のうちの「針間」は、D図に示す児島半島の南の〔針のように狭い間の海峡〕の「備讃瀬戸(びさんせと)」であったことになる。
 「針間」の次の「道の口」は、E図に示す[]の字源銀河における[]の字源となる「長方形の暗黒天体部」ということになる。
 「針間の道の口と為て」の[]の字源銀河は、F図に示す氾濫する川のような「激流の銀河」となる。
 「針間の道の口」とは、G図に示す[]の字源における[]の字源となる「子宮頸部(子宮頸管)」の意味となる。H図に示すように、「子宮頸部(子宮頸管)」は針の細さのごとく狭いから「針間の道の口」ということになる。
 当時の人々はI図に示す[(とう)]すなわち「天頂緯度線と子午線」をキャッチして、自分の居る位置と方位を精密に測量して道に迷わないようにして命を守った。I図の[](天頂緯度線と子午線)にG図の[(よう)]の字源「胎児」を加えると、[]の下に[]が加わる[]となる。
Image_2

 わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・42」にて、『老子』第1章の末部の「ゆえに常に無欲にして以てその妙を観、常に有欲にして以てその皦(きょう)を観る。この両者は、同じ出てて名を異にし、同じく之(これ)を玄という。玄のまた玄、衆妙の門」という文は「産道を無欲に通過する胎児のように無欲であれば[]すなわち神秘的で不思議な玄がキャッチできるが、絶対に玄をキャッチしようと欲すると[]すなわち道に迷って落命して野晒(のざら)しの髑髏(どくろ)となる。この[][]の字源は同じ銀河(F図とG図に示す「激流の銀河」)であるが名は異にして、この[][]は同じく[]と言う(G図左図の[][]の字源「激流の銀河」は[]の字源となる)。玄のまた玄、すなわち[]の字源銀河は二箇所存在する(G図の[]とJ図の「十字の銀河の子宮」)[]は人間はじめすべての生命が生まれる不思議で神秘的な門である!」と意味する。
 このブログの初頭部に記したように、『魏志倭人伝』の末部は「帯方郡使の張政は狗奴国討伐を告喩する檄を二度作った」と記述する。K図に示すように「激流の銀河」は「木の葉冠部(ようかんぶ)の一部分」に見立てることができる。だから、「激流の銀河」が[]の偏に[]を加える[]の字源となる。

◆以上からして、『古事記』孝霊天皇紀にある吉備国討伐記事の「針間の氷河の前に忌瓮(いわいへ)を居()えて、針間を道の口と為て、吉備国を言向(ことむ)け和(やわ)したまひき」という記述は、「針のように細くて狭い氷河の岸辺に呪術器の忌瓮を据えて[]の字源のジャコウウシの精霊に祈願して吉備国討伐は開始され、讃岐富士・飯野山に本陣を構える伊耶那岐命が指揮する日本軍と倭軍は針の細さのごとくに狭い備讃瀬戸(D図参照)を渡って、吉備国を〔言向け〕すなわち〔帯方郡使の張政の檄の告喩〕にもとづき討伐して平定した」と意味することになる。

◆上記したように、天照大御神は孝霊天皇の娘の名を襲名して「倭迹迹日百襲姫命」と名乗った。『日本書紀』崇神(すじん)天皇紀は「倭迹迹日百襲姫命(天照大御神)を箸墓に葬った」と明記する。
 201386日に発売された朝日新聞出版が発行した週刊『新発見! 日本の歴史』8号「邪馬台国と卑弥呼の謎」の6頁は「畿内説では主として考古学的な観点から投馬国は吉備地方(岡山県周辺)、狗奴国は東海地方にあてる意見が有力である」と記載する。しかし、この意見は――〔誤読〕を巧みに上手にあやつって歴史的事実を捏造し、投馬国は吉備地方、狗奴国は東海地方であるとする空想を述べていることになる。
 朝日新聞出版発行の『新発見! 日本の歴史』8号「邪馬台国と卑弥呼の謎」の8頁は箸墓古墳について「吉備(岡山県と広島県東部)地域の祖霊祭祀(さいし)に由来する特殊器台形埴輪(とくしゅきだいけいはにわ)・壺形埴輪がこの古墳に樹立された」と記述する。
 A図に示すように、狗奴国の範囲は箸墓に樹立された特殊器台形埴輪と壺形埴輪が作られた「岡山県と広島県」である。
 『魏志倭人伝』末部の狗奴国に関する記事と『古事記』孝霊天皇紀の吉備国平定記事が示すように、また『日本書紀』崇神天皇紀が「倭迹迹日百襲姫命は箸墓に葬られた」と明記するように――箸墓から出土した吉備の特殊器台形埴輪・壺形埴輪は「吉備国」が女王の卑弥呼と素より不和の「狗奴国」であったと科学的に証明される証拠となる。だから、吉備国に関する古代の文献史料の記事と吉備で作られた遺物の埴輪が一致するので、天照大御神・倭迹迹日百襲姫命は箸墓に葬られたことも科学的に証明されて歴史的事実となる。
 いっぽう、考古学的に判明した箸墓・卑弥呼の墓説と纏向(まきむく)遺跡・邪馬台国説は『魏志倭人伝』末部の狗奴国の記事、『古事記』孝霊天皇の吉備国討伐記事、『日本書紀』崇神天皇紀の箸墓記事に対して不一致、しかも矛盾も甚だしい――ということは、〔誤読〕を自由自在にあやつって言い含(くる)める虚妄(きょもう)ということになる。

◆邪馬台国説と日本神話虚構説をとなえる学者や学士たちは「文献史料の記事と古代の遺跡・史跡・遺物が合致する【科学】の成立によって歴史的事実が判明する」――この古代史学の基本原則を知っていない。過去の事件の真相を誤る冤罪事件は容疑者の言葉をウソであると決めつけて勝手に刑事たちが抱いた意見によって成立する。したがって、邪馬台国説や日本神話虚構説は捜査の基本原則に反して冤罪事件を生んだ刑事たちが抱いた空想と同じである。だから、古代史学の基本原則に反する邪馬台国説と日本神話虚構説の立論基盤の〔文献批判〕の正体は〔誤読〕である。彼等は『魏志倭人伝』の「日本列島は東ではなく、南に伸びる」や「倭には文字があった」と伝える記事をウソだと決めつけ、『古事記』上巻や『日本書紀』神代紀の記事は「作り物」、「物語」であると断定するが――彼等の邪馬台国説と日本神話虚構説こそが本物の作り物・物語であると断定できる。

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