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2013年10月14日 (月)

日本が滅びる・55

伊耶那岐命と伊耶那美命の二度の結婚の秘密解明(1)

◆A図に示す纏向(まきむく)遺跡は、奈良県桜井市に所在する。

20095月下旬ころから朝日新聞は「纏向遺跡邪馬台国説は、文献史料と考古学の観点から最も客観性に優る」と主張して、日本人を騙(だま)す報道を続けている。
 纏向遺跡邪馬台国説は古代史学の基本原則・初歩的心得を徹底的に無視して〔誤読〕を立論基盤にして捏(でっ)ちあげる荒唐無稽(こうおとうむけい)の妄想である。
 纏向遺跡邪馬台国説は日本人を鎖やロープで縛りつけて“虚妄(きょもう)”という名の部屋に閉じ込めて日々メッタ打ちに暴行を加えているような――日本人にとって最も屈辱的な暴論であり、日本人を真から侮辱する暴力である。
 前回のブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・54」の末部で指摘したように――『説文解字』は「纏向」の[]の字源を「繞(めぐら)すなり」と解説する。だから、「纏向」とは――B図に示す[(三合)]の部分の「子宮頸管・産道」に縄をぐるぐる巻いて日本人の胎児の息の根を止めて殺す」と意味する。B図に示す[]の字源において、「子宮」に見立てられる「長方形の暗黒天体部」は[]の字源となった。だから、「纏向」は「日本人の首に縄をくくりつけて一日に千人ずつ必ず絞め殺す」と意味する。というのも、A図の纏向遺跡内に所在する箸墓に葬られた天照大御神・倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)は『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場する「黄泉国の伊耶那美命」すなわち「多数の青年と乙女を殺して伊耶那美命の墓に埋める徇葬(じゅんそう)儀式を指揮した天照大御神」であったからである。
 伊耶那岐命の第二后であった天照大御神は千引石(ちびきのいわ╱現在の和歌山県新宮市の神倉神社の御神体の“ごとびき岩”)の前で離縁を言い渡されると「汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日(ひとひ)に千頭絞(ちがしらくび)り殺さむ」と誓った。この誓いは「日本国人民の母親たちの子宮頸管・産道を狭くして、一日に千人の胎児の頭を絞め殺す」と意味する。このように「汝(〔愛〕の建国理念を尊ぶ日本)の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」と誓った祟(たた)りを漢字2字であらわした語が「纏向」である。

こんな理不尽な仕打ちに、我ら日本人は絶対に服従してひれ伏すわけにはいかない。

 
◆天照大御神の「伊耶那美命が提唱した〔愛〕の理念を尊ぶ人民を、一日に千頭絞り殺さむ」と誓う「纏向」という語に対して、“そんなことがあるか!”と心臓から血が噴き出すがごとくの憎悪・怒り・怨念に突き動かされて作成された史跡が、C図に示す1千万坪の「卑弥呼」の地上絵である。この「卑弥呼」の地上絵は『魏志倭人伝』が著作された同じ3世紀後半に作成された。そして、D図の1603年から着工され1622年に完成した「夏音は未だ習わず(夏音文字の学芸は未だ復興せず)」と設計された彦根の3千万坪の大鳥の地上絵もまた「纏向」という語の侮辱に対する憤怒によって作成された。
 1坪は3.306㎡であるゆえ、1千万坪は33.06㎢となる。C図に示す静岡県浜松市北区の細江町の行政区域を表示する地図の形として現存する「卑弥呼」の地上絵の面積は33.9㎢であるから1千万坪より0.84㎢ほど広い。
 D図の滋賀県彦根市の行政区域を表示する地図の形として現存する「夏音は未だ習わず」と設計された彦根の大鳥の地上絵は99.3㎢であるゆえ、3千万坪(99.18)より0.12㎢より広い。
 C図の「卑弥呼」の地上絵とD図の彦根の大鳥の地上絵の作成目的は夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念を復興することであった。
 だから、〔日本建国の〔愛〕の理念の復興〕を願ったC図とD図の大鳥の地上絵は「纏向」という理不尽な呪いへの怒りをあらわして〔胎児の頭が子宮頸管や産道にて絞め殺されずにすむ広い子宮頸管と産道〕を表現した。ゆえに、C図の大鳥の地上絵はちょうど1千万坪より少し広く、D図の大鳥の地上絵もちょうど3千万坪より少し広く作って「広い子宮頸管と産道」をあらわし、「纏向」と表現する呪いへの憤怒と憎悪を表現した。
 “纏向遺跡こそが卑弥呼が居住した王国であった”とまことしやかに騙(かた)る邪馬台国説は、“一日に千人ずつ日本人を害虫やゴキブリのごとくたたき殺す”という呪いを「纏向」と2字で表現した理不尽な祟りをもみ消して、〔誤読〕に〔誤読〕を重ねて騙る妄想を歴史的事実にしてしまうと企む陰謀である。
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◆伊耶那岐命と伊耶那美命説話は「二人は二度も淤能碁呂島(おのごろしま)で聖なる結婚をした」と説明する。
 伊耶那岐命と伊耶那美命が生存した3世紀半ばは、原始的な木製の刃先のスキやクワで農地を耕していたので、人々は雨が降って農地の土が淤(どろ╱泥)のような状態になることを天の神に祈願していた。また、卑弥呼王朝によって――国内だけに限って言えば日本列島は東に伸びているように考えられる。しかし、E図に示すように中国の海岸線地域の気候〔北冷南暖〕に日本列島の気候〔西冷東暖〕が合致する。だから、日本列島は東に伸びるのではなく、中国の海岸線の南のほうに伸びる――と日本列島地理は制定された。ゆえに、大海中に在る日本列島の地底は淤(どろ)のような状態となっているので90度方位が転回するように碁呂(ころ)がすことができ、E図の日本列島が示すように〔東→南〕、またF図に示すように〔南→西〕というように90度方位が転回する日本列島地理こそが真実であると信じられていた。この90度碁呂がる転回方位規定はG図に示す[]の字源をあらわした。だから、『魏志倭人伝』は卑弥呼が統治した国の名を「倭」と記載することになった。
 ゆえに、「淤能碁呂島」という語は『魏志倭人伝』に記載される方位に関する記事が一点の矛盾点もなく不合理な点もなく【科学】を成立させるE図に示す「転回日本列島地理」をあらわした。

◆『古事記』上巻の国生み説話は「二度目の伊耶那岐命と伊耶那美命の聖婚(せいこん)において、淡路島と四国を生んだ」と記述する。
 “漢字の始祖”の倉頡(そうきつ)は、F図に示した[]の字源となった「十字の銀河」を[]の字源と定め、またH図上部にある「十字の銀河」を「その各部の形状がすべての文字となる秋の銀河と夏の銀河」に見立てることができると定め、この「十字の銀河」を「すべての文字を生む母体」と定めた。そして、「十字の銀河の子宮」に相当する銀河部を「天頂緯度線、[]、すべての文字が生まれる子宮」などと定めた。このような「十字の銀河」と「十字の銀河の子宮」は[(べん)]、H図下部の「鬼の姿に似る銀河(鬼の横顔に似る銀河・鬼の身に相当する銀河)」を「産道を通過する胎児のように無欲になって[](天頂緯度線と子午線)をキャッチする人、母体から誕生する新生児」に見立てるようにして[]の字が作られて、[]の下に[]が加わる[]という名をあらわす字が生まれた。
 したがって、「生む」という語は「名(地名)を考える。文字を考案する。科学的に考える。発明する」などと意味した。ゆえに、「国生み」を従来の学説のように「伊耶那美命が国を生んだ」という解釈は〔誤読〕となり、「伊耶那美命は古い国の名を廃して新しい国名(地名)を考案した」という解釈が正しいことになる。

◆上記したように、『古事記』上巻の国生み説話は二度目の淤能碁呂島の聖婚において「淡路島と四国の新しい名を考えた」と記述する。
 I図に示すように、『魏志倭人伝』は「奴国」と「烏奴(あな)国」の二つの小国に分けられると記述する。
 またJ図に示すように、『魏志倭人伝』は二つの「奴国」が存在したと記載する。この二つの奴国は九州と四国に所在した。
 K図に示す「奴」の金文形は「渦を巻くもの凄(すご)い強大な力」を示す図案であり、J図に示す九州の「阿蘇山の噴煙が渦を巻く火口とカルデラ」が[]の「非常に強大な力」をあらわした。J図に示す四国の鳴門の渦潮は、E図に示す転回日本列島地理を成立させた〔西冷〕の沖ノ島と〔東暖〕の伊豆諸島の神津島と同緯度である(北緯3415分。I図参照)。鳴門の渦潮の潮流は時速20km以上になることもあり、世界でも最高級の速度といわれている。轟々(ごうごう)と凄まじい音響で豪快に巻く渦は20m以上に達するものもある。この海中にある地軸から掻きまわすかのごとく巨大な渦を巻く鳴門の渦潮は、K図に示す「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は「もの凄い強大な力を有する渦巻」をあらして[]の字源となった。
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 L図に示すように、四国南部中央にある「浦戸(うらと)湾」の形は「ヤマセミやカワセミの姿」に相似する。ヤマセミは樹木の穴(空洞)を巣とし、カワセミは崖の穴を巣とする。この「ヤマセミとカワセミ」が[]となり、浦戸湾は南四国の中央にできた「あな()」のように観えるので、四国南部は[(あな)]と共通する「烏奴(あな)国」と名づけられた。
 奴国と烏奴国の[]には、『魏志倭人伝』が「卑弥呼の墓を作る時に、百余人の奴婢を殺す徇葬(じゅんそう)を行った」と記載するように、「犠牲(いけにえ)」をあらわす字義をも有した。このような徇葬の犠牲者となった[]を意味する字を用いる小国名をきらった四国の人民たちは、吉備国征討を拒絶して倭女王の座を退く決意をした伊耶那美命に倭女王にとどまることを口々に訴えて〔愛〕をあらわすわ新しい小国名を求めたのである。
 小国・日本の女王に即位した伊耶那美命は国作りの柱を〔愛〕と定めた。『魏志倭人伝』は四国を「奴国と烏奴国」の二国に分け、『古事記』国生み説話は伊予国を護る神の名は日本建国理念の〔愛〕をあらわして「愛比売」と定めたと記述する。だから、四国の名は「愛比売」という女神を祀る「伊予国」の名で表示され、また旧来は奴国と烏奴国の二小国に分かれていたので「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」と表記され、「伊予之二名島の身体は一つだが、顔は四つある」と記述する。
 伊耶那美命は四国を(1)伊予国・愛比売(現在の愛媛県)(2)讃岐国・飯依比古(いいよりひこ╱現在の香川県)(3)(あわ╱阿波)国・大宜都比売(おほげつひめ╱現在の徳島県)(4)土左国・建依別(たけよりわけ╱現在の高知県)というぐあいに顔を四つ分けた。
 「奴国」は卑弥呼の墓に埋められた男性の犠牲者の[]をあらわし、女性の陰部の「穴」に共通する「烏奴国」は女性の犠牲者の[]が連想される。ゆえに、奴国と烏奴国の人々は伊耶那美命が倭女王から退位することに必死に反対し、日本建国の〔愛〕に因む新しい小国名を懇願した。ゆえに、伊耶那美命は愛比売・大宜都比売の二柱の女神と飯依比古・建依別の二柱の男神で、男女が交す〔愛〕をあらわす新しい四小国名を考案した。
 伊耶那美命は魏との軍事同盟で結んだ約束を告喩(こくゆ)する帯方郡使の張政の檄文を拒絶した。このため、天照大御神が倭女王の代役をつとめて吉備国を討伐した。ゆえに、伊耶那美命は倭女王失格となり、伊耶那岐命は離縁を言い渡さなければならなかった。しかし、伊耶那岐命は自らが指揮した吉備国討伐は誤っていたと表明して伊耶那美命を擁護して、倭王朝と天照大御神が強く欲求する伊耶那美命との離縁を拒絶した。だから、伊耶那岐命は伊耶那美命を諭(さと)し説得して、彼女と二度結婚することにしたのである。

◆前回のブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・54」では、『播磨国風土記』の出雲の阿菩(あぼ)の大神説話に登場する、「神阜(かみおか)」という地名が生まれた「船を覆()せた形」の地域を、N図の上部に示すように解明した。
 『古事記』国生み説話において、N図下部の「淡路島」は「淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま)」と表記される。N図の「淡路島の津名丘陵」はF図に示す[]の字源の「イネの穂」に見立てられ、淡路島の北側の「明石海峡」と南側の「鳴門海峡」は狭い。ゆえに、「狭別」と名づけられた。
 吉備国討伐に参加した日本兵はじめ伊耶那美命を敬愛する日本と倭の人民たちが訴える伊耶那美命の倭女王退位に猛反発する世論に助けられ、伊耶那岐命は倭王朝が要求する伊耶那美命との離縁を拒み抵抗した。
 いっぽう、天照大御神は倭女王の任務を放棄して魏の敵国になりかねない軍事同盟違反の行動に出て倭を滅亡させる窮地に陥(おとしい)れた伊耶那美命を庇(かば)って離縁しない夫の伊耶那岐命の態度に嫉妬と怨みをあらわにして激怒した。天照大御神と倭王朝は共に伊耶那美命の倭女王退位を要求したが――伊耶那岐命は伊耶那美命に愛していると告げ諭(さと)して二度目の結婚を伊弉諾(いざなぎ)神宮(現在の兵庫県津名郡一宮町多賀)でおこなって抵抗した。
 M図に示すように、「船を覆せた形」の海岸地域と淡路島の地宜は類似する。『古事記』孝霊天皇紀は「氷河(ひかわ)に忌瓮(いわいへ)を据えて吉備国を討伐する呪術儀式を行った」と記述する。M図の上下図が示すように、伊弉諾神宮は氷河に相当する地点となる。ゆえに、“氷河にて忌瓮を据えておこなった吉備国討伐は残酷で誤っていた! 伊耶那美命が主張するように真っ先に吉備国の王と話し合って平和的に解決する方法が正しかった”という後悔の念を伊耶那岐命は、伊弉諾神宮における結婚であらわした。

◆O図のごとく考えると、淡路島は女性の生殖器の側身形に類似することになる。淡路島の〔諭鶴羽(ゆずるは)山地〕は「子宮」に相当し、〔「津名(つな)丘陵」は「産道()」に相当する。そして、〔諭鶴羽山地より南の紀伊半島と四国の東海岸の間となる海〕が「卵管・卵管采と卵巣」が所在する箇所となる。〔諭鶴羽山地〕を〔鶴の羽〕に見立てると、「卵管・卵管采と卵巣」は「オスの鶴が頭でメスの鶴の頭を愛撫する姿」に観えるので、〔諭鶴羽山地より南の海〕は〔雌雄の鶴が頸をからませて愛を交す箇所〕となる。
 P図に示すように、タンチョウツルは雌雄がたがいに羽をひろげて求愛ダンスをする。したがって、『古事記』の国生み説話における伊耶那岐命と伊耶那美命の二度目の淤能碁呂島における聖婚説話は、山地の「諭鶴羽」という名で「雌雄のタンチョウツルが羽を広げておこなう求愛行動」をあらわし、離縁を決意した伊耶那美命に伊耶那岐命が“愛している”と言って諭して二度目の結婚をした場所が伊弉諾神宮であったことになる。
 吉備国を討伐する倭女王の代役を務めた天照大御神は、忌瓮を据えた氷河に相当する伊弉諾神宮にて伊耶那岐命と伊耶那美命が二度目の結婚をしたために面子(めんつ)丸潰れとなった。この怨みを伊耶那美命の墓を築造する時に伊耶那美命が嫌悪して否定した徇葬儀式をおこなって復讐し、さらに千引石(ちびきのいわ)の前で「伊耶那美命が提唱した〔愛〕の理念を尊ぶ国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」と誓う呪いで示し、そしてこの呪いは「纏向」と2字で表現する祟りとなったのである。

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