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2013年10月18日 (金)

日本が滅びる・57

伊耶那岐命と伊耶那美命の二度の結婚の秘密解明(3)

◆『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話冒頭の淤能碁呂島(おのごろしま)の聖婚(せいこん)説話は、下記のごとき描写から始まる。
 ――ここに天(あま)つ神諸(もろもろ)の命(みこと)つまり卑弥呼や王朝を支える重臣たちをもって、伊耶那岐命と伊耶那美命に「この漂っている国土を修理して強固なものにせよ」という詔(みことのり)が下され、両人に天の沼矛(ぬほこ)という聖なる呪器(じゅき)を授けて、国土の安定を委任した。それゆえ両人は、天の浮橋(うきはし)に立って、その沼矛を指しおろしてかきまわし、海水をコオロコオロとかき鳴らして引き上げる時、その矛の先からしたたり落ちる塩が重なり積もって島となった。これが、淤能碁呂島である。


◆『三国志』呉書孫権伝は「呉の黄竜2(230)、皇帝の孫権の衛温(えいおん)と諸葛直(しょかつちょく)に夷州(いしゅう)と亶州(せんしゅう)に分かれる東鯷人(とうていじん)国への遠征を命じた。このときの武装兵は1万」と記述する。
 東鯷人国王は呉軍と戦っても勝ち目が無いと判断して、卑弥呼が統治する倭国に服属するかわりに、東鯷人国の防衛を取り付けた。ここに、小国・日本が誕生した。この日本国の女王に伊耶那美命が選ばれ、伊耶那岐命が呉軍との戦いを指揮する軍王(いくさのおおきみ)に選ばれ、上記の淤能碁呂島の聖婚儀式がおこなわれたのである。
 日本列島は呉軍の来襲の情報で、上記の『古事記』の文が示すように、国家が不安定となり大海中に漂うような状況になった。そこで、当時は13歳の乙女が呪力に最も勝ると信じられていたゆえ、卑弥呼が率いる巫女界を代表する女性として13歳の伊耶那美命が選ばれて呉軍の戦力を奪う魔女の役目がある日本国の女王に即位した。また、18歳ぐらいの青年が最も優れる武力・武運の呪力を有すると信じられていたので、18歳の伊耶那岐命が日本国の軍王に任命された。
 したがって、伊耶那岐命と伊耶那美命の両人が呉軍との戦いに勝利して小国・日本(旧東鯷人国)の防衛に成功し、国家の安泰をはかる事業を卑弥呼王朝は両人に委任したことを示す儀式が淤能碁呂島の聖婚であったことになる。

◆わがブログ「卑弥呼の逆襲」が何度も何度も証明したように、わが国には今から約4050年前の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に夏音文字の学芸が伝来していた。この夏音文字は「銀河各部の形状」を「文字」とする原初漢字であり、『魏志倭人伝』の人名・小国名をあらわす文字として現存し、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く1字1音文字として現存し、『万葉集』にも多数記載されて現存する。
 夏音文字の学芸は、A図に示す〔[]のキャッチ(天頂緯度線と子午線の測量)〕を基軸として組織されていた。したがって、卑弥呼王朝の政権基盤は〔[]のキャッチ〕を最も尊重する夏音文字の学芸であったので、『古事記』の淤能碁呂島の聖婚説話は「卑弥呼や王朝をささえる重臣たち」を「天つ神・諸(もろもろ)の命(みこと)」と表記したのである。
 B図の右側の転回日本地図が示すように――中国の海岸線地帯の北部の気候は冷たく南部は暖かい。日本列島の西端の沖ノ島は冬に雪が降るので気候が冷たいのに対し、日本列島の東端の神津島は冬でも雪が降らないから気候は暖かい。このような中国の海岸線地帯の〔北冷南暖〕と日本列島の〔西冷東暖〕の両者において合理が成立する地理観は、日本列島が中国の海岸線地帯の南の方に伸びていることになる。だから、卑弥呼王朝はB図の右側に配した転回日本列島地理を制定した。
 転回日本列島地理は『魏志倭人伝』の方位に関する全記事によって【科学】が成立して歴史的事実であったと立証される。ゆえに、日本一権威ある学者が“邪馬台国説は絶対に誤読するものではない”と擁護しても、その弁護は空しくウソであると証明される――卑弥呼王朝の転回日本列島地理の制定は何人にも否定できない絶対的な歴史的事実である。
 
 C図に、伊耶那岐命と伊耶那美命が生存した当時の日本列島の天頂にめぐってくる銀河の形状を示した。
 伊耶那岐命と伊耶那美命がおこなった淤能碁呂島の聖婚儀式は、呉軍が来襲してくるという情報で生じた恐怖・不安とA図・B図・C図に示した夏音文字の学芸体系の考え方(パラダイム)を一体化して演出されて表現されるものであったのである。
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◆さらに『古事記』の淤能碁呂島説話は、下記のような記述が続く。
 「伊耶那岐命と伊耶那美命は淤能碁呂島に天降(あまくだ)りてつまり小国・日本に赴任して、天の御柱(みはしら)を立てたように見立て、また八尋殿(やひろどの╱大きな宮殿)を仰ぎ見るような演技をした後に、伊耶那岐命は伊耶那美命に「お前の身体はどのようにできているか」と尋ねると、「私の体は成り整ってまだ合わないところが一ヵ所あります」と答えた。そこで伊耶那岐命は「吾の体が成り整って余ったところが一ヵ所ある。だから、この吾の体の余分なところでお前の体の足りないところをさし塞(ふさ)いで、国土を生もうと思う。生むことはどうか」と言うと、伊耶那岐命は「はい、それでよろしいです」と返事した。それゆえ、伊耶那岐命は「それならば、吾とお前はこの天の御柱の周囲を巡って出会い、寝屋(ねや・閨)で交わろう」と言った。このあと、すぐさま「お前は右から巡って吾と出会え。吾は左から巡ってお前と出会うことにする」と述べた。約束したとおりに互いに半円を描いて二人が出会った箇所で、伊耶那美命のほうが先に「ああ、なんと愛しい男(おのこ)でしょう」と言い、あとから伊耶那岐命が「なんと、美しい乙女だろう」と言った。それぞれ言い終わったあとで、伊耶那岐命は新妻に「まず女のほうから言ったのは良くない」と不満を述べた。しかしながら、婚姻の行われる所で二人は交わり、生んだ子は水蛭子(ひるこ)だった。この子は葦の船に乗せて流しやった。次に、淡島を生んだ。これまた、子の例つまり子の数に入れなかった。」

◆伊耶那岐命と伊耶那美命の結婚は呉軍に襲撃される小国・日本を防衛するためにおこなわれた。ゆえに、気に入った者同士や愛し合う同士の結婚ではなく、とにかく新生・日本国の女王と軍王として結ばれて、早速、国作りに専念しなければならない結婚であったゆえ、初夜から男女の交わりを拒否して夫婦仲が悪くならない配慮の基に男女の交わり儀式がおこなわれたのである。これゆえ、『古事記』に記述された「先ず女のほうから言ったのはよくない」と伊耶那岐命の一言は、好いてもいない伊耶那美命を妻にする不満を述べたことであったのではあるまいか。
 この儀式は単なる男女の交わり儀式だけを演出するものではなく、小国・日本国王朝も卑弥呼王朝と同様に夏音文字の学芸を政権基盤にして国家を繁栄させると誓うものであったのである。
 D図に示すように、「文字」となった「夏の銀河の東北部」は「女陰(女性の外生殖器)の形」に相似し、「夏の銀河の西南部」は「男性の生殖器、すなわち陰嚢(いいのう)と陰茎(いんけい)の形」に相似して、男女の生殖器に相似する銀河部は一連となって結ばれる。したがって、伊耶那岐命と伊耶那美命が寝屋(閨・ねや)で一つになって結ばれる前において、天頂にめぐってくるC図に示す「長方形の暗黒天体部」を見上げて「柱を立てて建てる八尋殿」を見立てる演技(しぐさ)が加えられたのである。D図の左側に示すように「長方形の暗黒天体部」は「八尋殿」の形に相似する。

このように、伊耶那岐命と伊耶那美命の夫婦交わり儀式は「秋の銀河と夏の銀河の各部の形状」が「文字」であった「夏音文字の学芸の秘密」を演出する儀式でもあった。
 淤能碁呂島の聖婚説話に登場する水蛭子は伊耶那美命が生んだ後の和歌姫であり、淡島は伊耶那美命の息子である後の須佐之男命である。ゆえに、伊耶那美命はわが子が女王や男王にならずに一般人民となって幸福になって欲しいと願って、王族の一員にならないようにはずした。この伊耶那美命の要望を、『古事記』は「葦の船に乗せて流した」、また「子の例に入れなかった」と記述したのである。

◆二度目の淡路島・淤能碁呂島の結婚儀式は、最初の結婚の状況から一変して、伊耶那岐命が心から伊耶那美命を愛していたために行ったものであった。
 倭女王となった伊耶那美命は魏と結ぶ軍事同盟の約束にもとづく帯方郡使の張政(ちょうせい)の檄(げき╱軍書)の告喩(こくゆ)を聞き入れず、吉備国討伐を拒絶した。このため、吉備国討伐の魔女・倭女王の代役をつとめた天照大御神はじめ倭王朝の面々は伊耶那美命を倭女王失格で無責任であると激しく問い詰めた。この批判・非難・抗議の矢面(やおもて)に立って、伊耶那岐命は“伊耶那美命は呉軍の船団を転覆させて倭女王の責務を立派にやりとげたではないか! 吉備国討伐の拒絶だけで倭女王失格の烙印はおかしい。伊耶那美命とは絶対に離縁しない”と弁護して伊耶那美命を擁護し、倭王朝の面々の非難に対抗して二人は絶対に離縁しない愛で強く結ばれていることを示す二度目の結婚式を、伊耶那岐命は伊耶那美命に提案して諭(さと)しておこなった。
 伊耶那岐命が伊耶那美命を諭しておこなった『古事記』の国生み神話における淤能碁呂島・淡路島の結婚記事は、伊耶那岐命が先に「ああ、なんと愛しい乙女だろう」と言い、あとから伊耶那美命が「ああ、なんと愛しい殿御でしょう」と言ったと記述する。
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 この記述は――E図に示すように、淡路島は東へ向かって傾いているので〔東を前、西を後ろ〕と見立てて、D図の上部にある「十字の銀河」の〔東半分の男性の姿を前、西半分の女性の姿を後ろ〕になっているのにもとづき、伊耶那岐命が最初に「ああ、なんと愛しい乙女だろう」と言い、あとから妻の伊耶那美命が「ああ、なんと愛しい殿御でしょう」という結婚式をおこなった――と伝えているものと考えられる。
 というのも、『古事記』は「淡路島」を「淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)」と記載するからである。
 F図に示すように[]の字源は「十字の銀河」であるから、三水偏に[]が加わる[]の字源銀河は「十字の銀河の子宮」であったことになる。羊水は、はじめ無色無臭・透明であるが、妊娠末期には胎児の皮膚などが混じるため淡く黄色を帯びる。この「妊娠末期に淡く黄色になる羊水」は[]の原義となり、「十字の銀河の子宮」は「妊娠末期に淡黄色になる羊水」をあらわした。だから「十字の銀河の子宮」は[]の字源となったのである。G図に示すように、[]の字源は「オス鹿の横顔に似る銀河」であり、その「オス鹿の角(つの)」は「十字の銀河」である。収穫期の稲の[]の色は「妊娠末期に変色する羊水の淡い黄色」のごとくに変わる。これゆえ、淡路島の古称の「淡道之穂」は――淡路島・伊弉諾(いざなぎ)神宮における結婚は「十字の銀河」の〔東半分の男性の姿を前、西半分の女性の姿を後ろ〕に見立てておこなわれた――と伝えていることになる。
 前々回のブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・55」でも解説したように、H図に示す淡路島は女性の生殖器に見立てられ、〔卵管采は伊耶那岐命とオスの鶴の頭に、卵巣は伊耶那美命とメスの鶴の頭に見立てて、雌雄の鶴が愛撫しあう姿〕に淡路島は相似すると見立てられた。だから、諭鶴羽(ゆずるばね)山地の「鶴羽」の意味はI図の雌雄がたがいに羽をひろげてあって求愛する「タンチョウツルのダンス」をあらわすことになった。
 諭鶴羽山(ゆずるはさん)の山頂付近には熊野権現(くまのごんげん)の末社とされる諭鶴羽神社がある。熊野権現は熊野速玉大社の主神の伊耶那岐命である(K図参照)。伊耶那岐命は伊弉諾神宮の祭神でもある。
 「伊弉諾神宮」は伊耶那岐命と伊耶那美命を祀る。先頭2字「伊弉」が男神「伊耶那岐命」をあらわす。というのも[]の字意は「さかん()」であるが、[]の契文・金文の字形にもとづき白川静著『字統』は字源を「若は巫女が神に祈り、エクスタシーの状態になって神意を問い、神託を受けている形で、そこに神意が示される。」と解説するからである。「神宮」は「子宮」にもとづいて「女神」をあらわすので、「伊弉諾新宮」の後半の「諾新宮」の3字は女神「伊耶那美命」をあらわすことになる。

◆『古事記』中巻の孝霊天皇紀は天照大御神の指示でおこなった吉備国討伐を開始する際におこなった儀式を「針間(はりま)の氷河(ひかわ)の前に忌瓮(いわいへ)を居(すえ)て、針間を道の口と為()て、吉備国を言向(ことむ)け和(やは)したまひき」と記述する。
 J図に示すように、天照大御神が指令にもとづいて吉備国討伐の忌瓮儀式がおこなわれた「氷河」に相当する淡路島における土地を、伊耶那岐命は伊耶那美命と二度目の結婚をする場所に選定した。このため、伊弉諾神宮が建造された。
 伊耶那美命は伊耶那岐命に愛されたが、天照大御神は伊耶那美命の代役をつとめて吉備国討伐の魔女となったがために伊耶那岐命に疎(うと)まれ嫌われることになった。夫は忌瓮儀式をおこなった氷河に相当する地を伊耶那美命と二度目の結婚場所に選んで、天照大御神のプライドをいちじるしく傷つけた。これゆえ、天照大御神は激しく嫉妬し、伊耶那美命を激しく憎悪し、夫の伊耶那岐命への怨念も凄まじいことになった。
 伊耶那美命が没すると、天照大御神は伊耶那美命が嫌った徇葬を決行して伊耶那美命の墓(熊野本宮大社の旧社地の大斎原)に犠牲となった青年と乙女たちの死体を葬って復讐した。これを怒った伊耶那岐命はクーデターを決意し、日本軍の兵士を率いて伊耶那美命の陵墓から棺(ひつぎ)を奪って逃走した。伊耶那岐命一行は倭政府の大軍に追跡されたものの、この逃走は倭の政府軍を討つために伊耶那岐命が考えた作戦であったので、倭の政府軍は黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本(現在の和歌山新宮市の熊野速玉大社の境内)に待機する日本軍の本隊と熊野に住む戦士たちの攻撃によって撃破されて惨敗した。怒り狂う天照大御神は伊耶那岐命を追跡して捕虜となり、K図に示す速玉大社から約1㎞南の神倉神社(かんのくら)神社の千引石(ちびきのいわ╱K図の「ごとびき岩」)で離縁を言い渡された。このとき、天照大御神は「汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日(ひとひ)に千頭絞(ちがしらくび)り殺さむ」と呪い誓った。この歴史は『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に記載された。この説話の現代語訳は「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・18」でおこなったゆえ、参照していただきたい。
 天照大御神の千引石の前で誓った呪いを直訳すると「伊耶那美命が提唱した〔愛〕の理念を尊ぶ人民の母親たちの産道を狭くして一日に千人ずつの胎児の頭を絞め殺す」となる。要するに「〔愛〕の理念を尊ぶ日本人を祟(たた)って、一日必ず千人ずつ首に縄をくくりつけて絞め殺す」と解釈しても誤っていないことになる。
 この天照大御神の呪いは天照大御神が生んだ崇神天皇が基礎を築いた大和朝廷に受け継がれ、日本建国理念の〔愛〕を尊ぶ勢力は武力で討伐して滅亡させるという大和朝廷の基本政策となった。
 ゆえに、この基本政策に則って、日本建国の〔愛〕の理念を尊んだ山陰出雲の大国主神政権は討伐されて滅亡し、九州の宗像(むなかた)王権は討伐されて服従することになった。 
 このような大和王朝の服従しないものは武力に訴えて討伐して滅亡させるという基本方針は、『古事記』孝霊天皇紀における吉備国討伐を伝える上記した「針間の氷河(ひかわ)の前に忌瓮(いわいへ)を据()えて」と「吉備国を言向(ことむ)け和(やわ)したまひき」という文が出発点となった。次回はこの秘密について解明する。

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