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2013年10月21日 (月)

日本が滅びる・58

天照大御神・纏向王朝の「憎しみ」と「祟り」の始まり(1)
 

◆『魏志倭人伝』後半にある魏の景初二年(238)六月の記事から末尾までの記事は〔魏と倭の国交を結んだ事情〕を説明するものであり、このブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びるシリーズ」の46回~51回までに詳細に解説した。また、「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・53」の冒頭から、魏の正始八年(247)から末尾までの記事の概要を示した。これらの解説で、倭と魏の国交について理解していただきたい。

246(魏の正始7)ころ、馬韓の首長たちの反乱で魏の出張機関である帯方郡政庁の太守の弓遵(きゅうじゅん)が戦死したが、楽浪郡から水軍の応援によって韓の反乱軍を敗退させた。この反乱に、軍事同盟を結ぶ倭国は兵士を派遣しなかった。つまり、卑弥呼が没した時に、百余人の奴(18歳くらいの青年)と婢(13歳くらの乙女)を犠牲(いけにえ)にして卑弥呼の墓に葬った徇葬(じゅんそう)を憎悪する反乱がおこり、この反乱に乗じて『魏志倭人伝』が「卑弥呼と素(もと)より不和であった」と記す狗奴(くな)国が戦争を仕掛けてきたので、倭を魏との軍事同盟の約束を守れなかった。徇葬を憎悪する反乱は小国・日本の女王の伊耶那美命を倭女王・壱与(いよ)に就任させると鎮静化した。というのも、伊耶那美命は小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めて、人民に〔愛〕を尊ぶように熱心に説いていたからである。反乱者たちは伊耶那美命が倭女王になれば徇葬は禁止するにちがいないと信頼して武器を捨てた。これゆえ徇葬を憎悪する反乱は鎮まったが、狗奴国との戦いは依然と続いていた。
 247年、倭は魏との軍事同盟を守れなかった約束違反を弁明する使節一行を派遣した。この倭国の使節の長官は、夏音名「載斯烏越(そしあお)」すなわち「伊耶那岐命」であった。伊耶那岐命は日本国の軍王(いくさのおおきみ)であった。
 再度、朝鮮半島で反乱が生じた時に倭軍の協力が必要であったので、帯方郡太守は狗奴国討伐を載斯烏越・伊耶那岐命に約束させた。口約束で終わるのを警戒した帯方郡太守は、張政一行を載斯烏越が帰還する船に便乗させて派遣させた。
 早速、張政は倭と諸韓国の安定のために狗奴国を討伐して滅亡させるべきであるという檄(げき╱軍書)を作って、倭女王の壱与・伊耶那美命を告喩(こくゆ)して狗奴国討伐を要求した。しかし、伊耶那美命は狗奴国とは話し合いで平和的に解決すべきであると主張し、頑(がん)として張政の檄の告喩を拒絶して承認しなかった。しかし、狗奴国は朝鮮半島で反乱をおきた時に倭軍を出兵できない障害であったゆえ、狗奴国討伐は魏との軍事同盟における約束事であると考えた倭王朝は伊耶那美命の欲求を無視して、急遽(きゅうきょ)、伊耶那岐命の第二后の天照大御神を倭女王・壱与の代役に立てて、伊耶那岐命が日本軍と倭軍を指揮し、張政が二度目の檄を作って狗奴国を滅亡させた。
 この時の天照大御神が指図した氷河(ひかわ)に忌瓮(いわいへ)を据えて狗奴国滅亡を祈願した呪術儀式が、天照大御神・纏向王朝の「憎悪」と「祟り」の歴史の始まりとなった。

◆A図の下部に示す飯野山(讃岐富士)に、小国・日本の軍王の伊耶那岐命は本陣を構えた。飯野山の正面の岡山・倉敷の両市一帯(岡山県東部)が狗奴国であった。
 わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・53」にて解説したように、B図に示す香川県の小豆島(しょうどしま)の地図の形は「狗(いぬ)すなわちオオカミ」の姿に相似すると見立てられた。「児島半島」は〔天敵のオオカミの襲撃を察知して、子どもを真ん中に隠して防御するために組む円陣の端のジャコウウシの姿〕に類似すると見立てられ、また〔児島半島より北側の奥の地域〕は〔ジャコウウシが組む円陣部分〕に見立てられた。このように、[]の字源は「ジャコウウシ」であった。だから、B図の小豆島と岡山県東部は狗奴国の中心部であったことになる。
 なお、「ジャコウウシ」は[][]の字源でもあった。ゆえに、『魏志倭人伝』は卑弥呼の墓に殺して埋めた百余人の徇葬者における男性の犠牲者を[]と記載する。[][]の字源は「ジャコウウシ」であったから、18歳くらいの青年は犠牲(いけにえ)に選ばれて殺され卑弥呼の墓に葬られたのである。
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◆『古事記』孝霊(こうれい)天皇紀は伊耶那岐命の狗奴国討伐を下記のごとく記述する。
 「大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)と若建吉備津日子命(わかたけきびつひこのみこと)の二人は、針間(はりま)の氷河の前(さき)に忌瓮を据()えて、針間を道の口として、吉備国を言向(ことむ)け和(やは)しき。」
 上記に示すように、狗奴国討伐を指揮した軍王「伊耶那岐命」の名は削除されて、「狗奴国」は「吉備」と改称された。前回のブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・57」で詳細に解説したように、伊耶那岐命は“狗奴国討伐は誤っていた。伊耶那美命のように武力ではなく、話し合いで平和的に解決すべきであった”と後悔して倭王朝と対立した。これが原因になって、狗奴(吉備)国討伐は伊耶那岐命の事績にはならなかったと考えられる。
 C図に、忌瓮が据えられた「氷河」(現在の兵庫県加古川市加古川町大野の氷丘の下を流れる加古川)の位置を示した。「氷河」は「氷にとざされた平原のツンドラ地帯」に見立てられた。というのも、「狗奴国」の[]の字源は「ジャコウウシ」であり、ジャコウウシはツンドラ地帯に生息するからである。だから、氷河に忌瓮を据える儀式は〔子どもを中心に隠して円陣を作って防御するジャコウウシの群〕を〔吉備国軍〕に見立てて、吉備国軍の戦力を奪う魔女・倭女王の代役をつとめた天照大御神の指示にしたがっておこなわれたことになる。
 山口佳紀(よしのり)・神野志隆光(こうのしたかみつ)校注・訳者『古事記』(小学館)の注は「忌瓮」を――神事に用いる瓶(かめ)。その中に神酒を入れ、幣帛として木綿(ゆう)を取り付けた。底が尖っており、土を掘って安定させるので、「居()ゑ」という――と指摘する。
 D図は、底が尖るゆえ土を掘って安定させて据えた、「いわいへ」または「いわいべ」とも読む〔忌瓮〕の想像図である。

◆学者たちは「『魏志倭人伝』の全記事は絶対に忠実に読解してはならない。〔文献批判〕と名づけた〔誤読〕をあやつって立論しなければならない」という考え方(パラダイム)を絶対視する。このため、歴史教科書にはまったく記述されていないために我々は何一つ学ばなかったが、約2000字で構成される『魏志倭人伝』に詳細に記載されているように、当時のわが国には高度の科学(学術)が実在し、この高度の学術は「夏音文字」の学術(医学・天文地理学、そして文字学)であった。
 夏音文字の学術体系は、E図に示す〔[]のキャッチ(天頂緯度線と子午線の測量)〕を基軸にして組織されていた。
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 ゆえに、F図とG図に示すように――[]をキャッチして日本列島の西端の沖ノ島と東端の伊豆諸島の神津島が同緯度(北緯3415)であることに注目して、西端の沖ノ島は冬に雪が降るが東端の神津島では冬に雪が降らないゆえ、F図の左側の中国の海岸線地帯の〔北冷南暖〕の気候区と合理になるように、日本列島は東に伸びるものではないと卑弥呼王朝は断定した。卑弥呼王朝は中国の海岸線地帯の〔北冷南暖〕と日本列島の〔西冷東暖〕の気候区において合理が成立するように、日本列島は中国の海岸線地帯の南の方に伸びると断定する転回日本列島地理を制定した。『魏志倭人伝』のすべての方位に関する記事は、F図に示す転回日本列島地理に合致して、一点の矛盾点も不合理な点もなく【科学】が成立する仕組みになっている。

◆すべての邪馬台国説のごとく〔天の北極〕にもとづく現在の日本地図を立論基盤とするところの、〔誤読〕でこじつけた荒唐無稽(こうとうむけい)の絶対にこの世にありえない滅茶苦茶な空論となる。というのも、当時、中国の人々は〔天の北極〕を最も重視するシナ天文のために、大海を往来することができる〔[]をキャッチする眼力と技(わざ)を鍛錬する習慣〕が廃(すた)れてF図に示す玄海灘を渡ることができなかった。
 邪馬台国説の主張だと、倭の使節も船乗りも〔天の北極〕を重視していたことになり[]をキャッチできなかったことになるので、玄海灘を渡ることができなかったことになる。したがって、魏と倭は国交を結ぶことができなかったことになる。そうすると、魏と倭が国交を結ぶことができたからこそ実在することになった『魏志倭人伝』は、邪馬台国説によると〔文字が1字も書かれていない白紙〕であったことになる。このような奇妙奇天烈な結論となる邪馬台国説は“典型的な荒唐無稽のウソ八百”と評すべきことになる。
 F図の「玄海灘」は「[]をキャッチすれば往来することができる陸地から遠く離れた波の洗い海。天の北極では位置と方位が不明になって往来できない大海」と明確に示す。だから、すべての邪馬台国説は〔誤読〕の産物の空論であることは明白である。

◆『日本書紀』崇神天皇紀は天照大御神、後の倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)が夏音文字の学芸に精通したため、天照大御神を「聡明である」と記載する。
 吉備国討伐がなされた時、夏音文字の学芸に精通した天照大御神は、G図に示す卑弥呼王朝が制定した転回日本列島地理の基点となった神津島と同緯度の玄海灘に浮かぶ沖ノ島を注目した。福岡県の宗像(むなかた)大社は宗像市大島の沖之島の沖津宮(おきつみや)、同市大島1811の中津宮(なかつみや)、同市田島2231の辺津宮(へつみや)の3社で構成される。
 H図に示すように、宗像の中津宮が所在する大島と神津島の地図の形は相似し、すべての文字が生まれる子宮と定められた「十字の銀河の子宮」にも相似する。
 D図に想像図を示した土を掘って安定させた底が尖った忌瓮は、I図のごとく〔神津島の南〕を先が尖った「十字の銀河の子宮の北」に見立てたものであったのである。その証拠に、北緯3412分の神津島に鎮座する神社名は「物忌奈命(ものいみなのみこと)」である。「忌瓮」と「物忌奈命」は同じ[]という字を有する。『日本書紀』崇神天皇紀は天照大御神・伊香色謎命(いかがしこめのみこと)は「物部氏の先祖大綜麻杵(おおへそき)の女(むすめ)」と記す。だから神津島の神社名は、物部氏の[]で天照大御神の出身氏族を表示し、[]に「忌瓮」の[]が加えられて「物忌奈命」となったのである。
 氷河に忌瓮を据えて狗奴(吉備)国討伐が行われた時に伊耶那岐命が定めた本陣の飯野山は、A図に示すように北緯3416分である。神津島の物忌奈命神社は北緯3412分であるから、飯野山と物忌奈命神社はわずか4分しか緯度の差がないので同緯度と言える。
 J図の伊耶那岐命と伊耶那美命の両神を祀る伊弉諾(いざなぎ)神宮は北緯34度28
分である。しかし、淡路島南端の潮崎は神津島の物忌奈命神社と同緯度の北緯34度12分である。だから、前回のブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・57」で証明したように、伊耶那岐命は“狗奴(吉備)国討伐は誤っていた。伊耶那美命のように話し合いで平和的に解決すべきであった”と後悔する意見を表明して、伊耶那美命と二度目の結婚を淡路島の伊弉諾神宮でおこなったにちがいない。

◆K図の右図に示すように「十字の銀河の中心軸」は経度軸に対して西側に傾き、「十字の銀河の子宮の尖った先」は〔西北〕へ指す。中央図の宗像の大島の尖った先は〔東北〕を指す。ゆえに、「十字の銀河の子宮の西北→大島・地宜の東北」となるゆえ、大島はL図下部の[]の字源「時計回りに90度方位が転回する」をあらわす。しかし、K図の右図の「十字の銀河の子宮の尖った先」は〔西北〕を指すのに対し、忌瓮のモデル・神津島の尖った先は〔西南〕を指す。ゆえに、「十字の銀河の子宮の西北→神津島の地宜の西南」は、L図上部の[]の字源「時計回りの逆向きに90度方位が転回する」をあらわすことになる。
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[][]を加えると[]の字となるゆえ、神津島をモデルとした氷河に据えた〔忌瓮儀式〕は「誤りであった」と表示するものとなる。J図に示す淡路島は宗像の大島と同じく尖った先が〔東北〕を向くので、伊弉諾神宮のおける伊耶那美命との結婚儀式は“天照大御神の忌瓮儀式は誤っている”と批判することになった。だから、天照大御神のプライドはいちじるしく傷つき、その怒りと嫉妬と夫への怨念は凄まじいことになったのである。

◆『説文解字』は[]の字源を「憎悪するなり」と解説する。

M図に、「狗奴国」の[]の字源である「ジャコウウシ」を示した。天照大御神の出身氏族の物部氏の[]の字源を、『説文解字』は「牛は大物と為()す」と解説する。[]の字源解説に登場する[]の字源は「ジャコウウシ」である。
 N図左側の上部に示すように、[]の字源解説に登場する「大物」の[]の字源は大字形の「十字の銀河」である。N図左側の下部に示す「祟(たた)り」の[]の金文形は「十字の銀河と、十字の銀河の子宮から生える長い獣の毛」を図案したものである。この〔長い毛を有する獣〕の図案はツンドラ地帯の厳しい寒さに耐えられる特製の毛足の長い防寒具(コート)で身をかためる「ジャコウウシ」をあらわす。『説文解字』は[]の字源を「神の禍(わざわい)なり」と解説し、白川静著『字統』は[]の古代字形を「呪霊をもつ獣の形」と指摘する。
 ジャコウウシは有史以前には広く北半球の寒帯に分布したが、多くの地方で絶滅し、中国でも絶滅した。ゆえに、[][][][][]、そして[]などの字源となった。今から約5000年前の五帝時代初頭の黄帝に仕えた“漢字の始祖”の倉頡(そうきつ)は、〔ジャコウウシ〕を漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕を象徴する〔聖なる獣〕と定めた。ジャコウウシは子を真ん中に隠して防御するように、子宮の宿る胎児の命は骨盤に包囲されて守られている。だから、〔子を真ん中に隠してジャコウウシが作る円陣〕は〔骨盤〕に見立てられて、N図の「十字の銀河の子宮」は〔骨盤〕と〔ジャコウウシの円陣〕に見立てられて[]の金文形は「ジャコウウウシの長い毛」を表現する図案となったのである。

◆以上のごとく、『古事記』孝霊天皇紀の吉備国討伐記事によっても、また――『魏志倭人伝』のすべての方位記事を〔文献批判〕という名の〔誤読〕を一点も加えないで忠実に読解すると【科学】が成立する転回日本列島地理は歴史的事実であったことが立証される。

 『説文解字』は[]の字源を「憎悪するなり」と解説し、神津島の「物忌奈命神社」という神社名先頭字の[]の字源からN図に示す[]の字源の秘密が明らかとなる。
 したがって、天照大御神が指示した氷河に忌瓮を据えて行った儀式は“憎悪と祟りで敵軍の兵士たちを虐殺して、吉備国を滅亡せよ”と呪(のろ)うものであったことになる。
 だから、吉備国討伐を指揮した伊耶那岐命は天照大御神がそら恐ろしくなり、彼女から心が離れて嫌悪するようになったのである。
 『古事記』孝霊天皇紀の吉備国討伐記事には「針間の氷河の前(さき)に忌瓮を居()えて」の後に、「吉備国を言向(ことむ)け和(やは)しき」という文がある。これゆえ、「言向け和しき」という文に惑わされたのであろうか、前頁で紹介した山口佳紀・神野志隆光校注・訳者『古事記』は「忌瓮」の注の末尾に「ここでは、土地の神の心を和めるためのもの」と誤った注釈を加える。
 銀河の形状による字源・原義を解明すると「言向け和しき」は「服従しない者たちは容赦なく武力で討伐して抹殺する」と意味したと解明される。だから、「忌瓮」の注は「憎悪と祟りをもって、吉備国の人々を呪う神酒を入れた瓶」と記述すべきことになる。
 次回は、「言向け和しき」という文の秘密を明らかにする。
 

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