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2013年10月24日 (木)

日本が滅びる・60

愛、あざやかに永遠であれ(1)・淤能碁呂島の聖婚の秘密

◆わがブログ「卑弥呼の逆襲:【用語の解説】」の「9・日本建国の〔愛〕」の理念」で解説したように――わが日本は、〔愛〕を高らかに掲げて建国された。この日本建国の〔愛〕の理念は、『万葉集』巻二十の4321番から4436番までの東国出身の防人歌(さきもりうた)で明確に示された。
 
 しかし、われわれは学校教育でまったく日本建国の〔愛〕の理念について教育されなかった。この原因は、新井白石(16571725)以後の学者たちが〔誤読〕を自由自在にあやつって立論した邪馬台国説によって『魏志倭人伝』に記述された歴史的事実がことごとく排除されてしまったからである。
 しかし、A図に示す1千万坪の「卑弥呼」の地上絵(現在の静岡県浜松市北区細江町の行政区域を表示する地図の形)によって、すべての邪馬台国説は〔誤読〕を多用して捏()っち上げた空論・妄想であることを、われわれは容易に知ることができる。
 「卑弥呼」の地上絵は260290年頃に作成され、『魏志倭人伝』は280289年に著作されたゆえ、「卑弥呼」の地上絵と『魏志倭人伝』は同時代に作成されたことになる。
 A図の「卑弥呼」の地上絵によって『魏志倭人伝』の全記事は正しく歴史的事実を伝えるものであることが科学的に完璧に証明される。したがって、新井白石以来約280年間におよぶ邪馬台国研究は〔誤読〕を学術にしようとした妄想であったことになる。

◆魏と倭は軍事同盟を結んだ。このため、卑弥呼はじめ卑弥呼王朝体制を支える人々が夏音文字で書いた文書を九州の糸島半島の伊都(いと)国で魏の人々が読めるように楷書に改めて送った国書が、東方進出を統括する魏軍の大将の司馬懿(しばい)の手元に集められた。この軍事資料が、司馬懿の孫の炎(えん)が晋王朝を創設すると、倭の実情を知る重大な資料として保管された。晋王朝の著作郎(歴史編纂官)の陳寿(ちんじゅ)は歴史編纂官の特権で晋王朝の極秘資料となる司馬懿に届けられた軍事資料・倭の国書や転回倭地図や戸籍などの資料を閲覧できた。陳寿は慎重・用意周到の人物であり、中国史上でも『史記』を著作した司馬遷(しばせん)と並ぶほどの優れた歴史家であった。だから、陳寿が著作した『三国志』魏書東夷伝の末尾にある「倭人伝」こと通称『魏志倭人伝』は、「卑弥呼」の地上絵が証明するように、すべての記述が事実を伝えるものとなったのである。
 ある刑事事件で容疑者が逮捕され、刑事達が先入観で容疑者を真犯人と思い込むと、容疑者が“犯人でない”と必死に述べる言葉は刑事達にとっては〔ウソ〕となる。しかし、科学的に完璧に証明できる確かな証拠が発見されて容疑者の言葉はことごとく真実を述べていたことになると――この一件は冤罪事件となる。新井白石以来、学者たちは「『魏志倭人伝』の全記事がすべて真実であることは絶対にありえない!」と断定して〔誤読〕という思考方法を考案し、この〔誤読〕を自由自在にあやつって邪馬台国説を構築した。
 しかし、上記の冤罪事件の事例と同様に、A図の「卑弥呼」の地上絵によってすべての邪馬台国学説は空理空論・妄想であったことが科学的に完璧に証明される。
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◆朝日新聞はB図に示す奈良県桜井市に所在する箸墓古墳について、2009年の529日の朝刊で「やっぱり卑弥呼の墓?」と報道して以来、〔誤読〕で駆使して捏造した纏向遺跡・邪馬台国説を支援して“日本滅亡”のお先棒を担ぐ。わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の5759回の3回に分けて、箸墓と纏向遺跡は日本建国の〔愛〕の理念を「憎悪」と「祟(たた)り」で抹殺しようとした史跡であることを明らかにした。

◆『万葉集』巻二十の防人歌で明示された日本建国の〔愛〕の理念は、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話冒頭の淤能碁呂島(おのごろしま)説話と国生み説話における二度の聖婚(せいこん)にて表示される。そして、伊耶那岐命の黄泉国訪問説話の末尾の千引石(ちびきのいわ)の場面における、伊耶那岐命に離縁された天照大御神(黄泉国の伊耶那美命)の「汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日(ひとひ)に千頭絞(ちがしらくび)り殺さむ」という誓いはB図の箸墓と纏向遺跡に秘められた日本建国の〔愛〕の理念への「憎しみ」と「祟り」を明示する。また、伊耶那岐命の「吾(あれ)一日に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)立てむ」という誓いで日本建国の〔愛〕の理念の継続が高らかに掲げられ、「愛、あざやかに永遠であれ」という願いが表示される。『万葉集』という書名は『日本書紀』の天平8年(736)1111日の箇所にある「万歳(まんさい)に窮(きわ)みなく、千葉(せんよう)に相伝(あいつた)へむことを」という文から定められた。この「万歳に窮みなく、千葉に相伝えへむことを」という文は「愛、あざやかに永遠であれ」と意味する。

◆伊耶那岐命と伊耶那美命神話の後ろに、『古事記』上巻は天照大御神と須佐之男命、須佐之男命の大蛇退治、大国主神の事績、葦原中国(あしはらのなかつくに)のことむけ、天孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)という各説話が続くが、これらの説話は葦原中国の人々が尊ぶ日本建国の〔愛〕の理念は「憎しみ」と「祟り」の天照大御神・纏向王朝によって排除され憎悪されたと説明する。しかし、最後の火遠理命(ほおりのみこと)説話にて――山幸彦(やまさちひこ)の火遠理命の巨大な仁徳天皇陵を築造した河内王朝が栄え、「憎しみ」と「祟り」の天照大御神・纏向王朝すなわち大和王朝をあらわす海幸彦の火照命(ほでりのみこと)の王朝は衰退して、日本建国の〔愛〕の理念は復興された――と記述して終わる。
 このように『古事記』上巻は歴史的事実を伝える。しかし、われわれは歴史教育で日本神話は作り物の物語であると洗脳された。

戦後、市民権を得た津田左右吉(そうきち╱18731961)の日本神話虚構説もまた〔誤読〕を自由自在にあやつって捏造した空論・妄想であった。学者たちは『古事記』『日本書紀』の日本神話を「物語・虚構(作り物)」と断定する。しかし、学者たちが正しいと主張する日本神話虚構説こそ明白なる「物語・虚構」であることは、A図に示す〔卑弥呼〕の地上絵によって科学的に完璧に証明することができる。

◆『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話冒頭の両人が結婚した「淤能碁呂島」は、C図上図の静岡県東部の三島市西部・沼津市・富士市東部一帯の浮島沼であることを、「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・56」にて解明した。
 D図に示す淤能碁呂島・小国日本(旧東鯷人国)の女王に即位した伊耶那美命は、日本国の国作りの柱を〔愛〕と定め、人民に〔愛〕を最も尊ぶように熱心に説いた。
 247(魏の正始8)、すでに卑弥呼は没し、卑弥呼の墓に百余人の犠牲(いけにえ)となった奴(18歳ころの青年)と奴(13歳くらいの乙女)が殺されて埋められる徇葬(じゅんそう)を憎悪する反乱がおき、倭王朝は千余人の反乱者たちを殺した。この反乱を鎮めるために、倭国に属した伊耶(いや)(旧国の丹波)出身の13歳で小国・日本(淤能碁呂島)の女王となった伊耶那美命を倭女王に即位させた。伊耶那美命は〔愛〕の女王であったゆえ、反乱者たちは伊耶那美命ならば必ず徇葬は禁止するにちがいないと信頼して戦う武器を捨てた。これゆえ、徇葬を憎悪する反乱が遂に鎮まった。
 しかし、この反乱に乗じて卑弥呼と素(もと)より不和の狗奴(くな)国が戦争を仕掛けてきた。E図に示すように、狗奴国は現在の広島県東部と岡山県であるゆえ吉備地方である。
 魏は背後の脅威である朝鮮半島の諸韓国において反乱が起きた時に、倭軍が朝鮮半島に出兵して魏軍とともに反乱を鎮圧するために倭と軍事同盟を結んだ。倭は狗奴国が戦争を仕掛けないようにするために、大国魏と軍事同盟を結んだ。しかし、狗奴国が卑弥呼の死と徇葬を憎悪する反乱に乗じて戦争仕掛けてきたために、倭軍が朝鮮半島に出兵できるためにも倭国の安定をはかるためにも、狗奴国討伐が決定された。
 魏の朝鮮半島の一角に設置された帯方郡政庁から張政(ちょうせい)一行が倭に派遣され、早速、張政は檄(げき╱軍書)を作り、倭女王伊耶那美命に狗奴国討伐を告げ喩(さと)した。ところが、伊耶那美命は狗奴国とは話し合いで平和的に解決すべきであると主張して、張政の檄の告喩を拒絶して狗奴国討伐を承諾しなかった。
 狗奴国討伐は魏との軍事同盟の約束事であるゆえ、倭王朝は伊耶那美命の欲求を無視して、小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)の載斯烏越(そしあお)・伊耶那岐命の第二后の天照大御神を急遽(きゅうきょ)倭女王・壱与(いよ)の代役に立てて、狗奴(吉備)国討伐を決行した。この吉備国討伐は、伊耶那岐命がF図に示す飯野山(讃岐富士)に本陣を構え、日本軍と倭軍を指揮しておこなわれた。
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 吉備国討伐について『古事記』孝霊天皇紀は「針間(はりま)の氷河(ひかわ)の前(さき)に忌瓮(いわいへ)を居()ゑて」と記す。この儀式は天照大御神の指示によるもので、G図の上図に示す氷河に「憎しみ」と「祟り」とで呪(のろ)う忌瓮を据えて吉備国滅亡を祈願する儀式から開始された。つまり、倭王朝が徇葬を憎悪する反乱に苦しむ窮地に乗じて戦争を仕掛けた吉備国は「憎しみ」と「祟り」で抹殺されなければならない、と天照大御神は全軍に号令したことになる。
 これゆえ、吉備国討伐は残忍な殺戮(さつりく)がなされて、狗奴(吉備)国は滅亡した。

◆この吉備国が滅亡した直後、伊耶那岐命は天照大御神と倭王朝と対立することになった。
 伊耶那岐命は“吉備国討伐は明らかに間違っていた。倭王朝は軍事違反を破ったということで魏軍や帯方郡の軍が来襲してくると思い込んだが、シナ天文が最も重視する天の北極を基準とする航法をおこなう魏軍と帯方郡の軍は玄海灘を渡ることができる[]をキャッチする方法を失っていたから、玄海灘を渡ることができなかったことになる(H図を参照)。だから、魏が軍事同盟の約束違反を咎(とが)めても、魏軍と帯方軍の船団は玄海灘を渡れず倭地に到着できなかったゆえ畏れた戦争はおきなかったことになる。したがって、吉備国とは話し合いで平和的に解決すべきである主張した伊耶那美命の意見こそが正しかった”と倭王朝と反論して対立した。
 というのも、天照大御神はじめ倭王朝は吉備国討伐を拒否した伊耶那美命を激しく非難して倭女王退位を請求し、伊耶那岐命に伊耶那美命との離縁を求めたからである。
 しかし、伊耶那岐命は伊耶那美命を愛していた。これゆえ、伊耶那岐命は天照大御神と倭王朝の非難の矢面(やおもて)に立って伊耶那美命を擁護した。だから、当然、伊耶那岐命は天照大御神や倭王朝の言い分の矛盾や弱点や不条理を突いて対抗したことになる。
 小国・日本は呉の水軍の襲撃にそなえて建国されたが、倭王朝も日本国の軍王の伊耶那岐命も呉軍は[]をキャッチできないから大海を渡れないということを知った。したがって、[]をキャッチできないと大海を渡れない事実を知って安心したので、小国・日本の防衛は必要ないと断定され、倭王朝は伊耶那美命を倭国に引き戻して倭女王に即位させ、伊耶那岐命を狗奴(吉備)国討伐の大将に選んだ。魏も帯方郡政庁の人々は呉軍と同様に[]をキャッチできないゆえ、軍事同盟の違反を罰する軍を倭地に遠征させても玄海灘を渡ることが出来ずに壊滅する。それよりももしも魏は軍を倭地へ遠征したならば、呉・蜀の天下二分同盟国連合軍に討伐されて魏の滅亡もありえることであったゆえ、魏軍と帯方郡の倭地への遠征は幻想であって実行されるはずがないことであった。だから、魏・帯方郡の両軍の来襲の幻想に脅えて倭王朝が伊耶那美命の代役に天照大御神を立てた行為は倭女王の命令を無視したことになるので、倭王朝こそがその非理を改めるべきことになる。よって“伊耶那美命をなにゆえ倭女王から退位させるのか、その名分は立たない”という伊耶那岐命の反論は、伊耶那美命を敬愛する大多数の人民にも支持されて正当性を有するものとなった。

◆『播磨国風土記』の出雲の阿菩(あぼ)の大神説話は吉備国が滅亡した戦場となった播磨平野を、I図の上図に示す「船を覆()せた形」と記述する。この秘密については、わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・54」にて詳細に解明・解説した。
 伊耶那岐命は“愛しているから離縁することは絶対にできない”と伊耶那美命に告げ、また伊耶那美命が倭女王を退位したならば天照大御神の「憎悪」と「祟り」の政事が始まるゆえ、退位してはならないと諭(さと)して、淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神宮で(兵庫県津名郡一宮町多賀)で二度目の結婚式をおこなった。
 I図に示すように、上図の「氷河」の位置は下図の「伊弉諾神宮」の位置に相当する。ということは、伊耶那岐命と伊耶那美命の淡路島における結婚式は〔天照大御神の氷河岬に忌瓮を据えて行った儀式は「憎しみ」と「祟り」にもとづく残忍きわまりない虐殺をそそのかすものであり、明らかなる過ちである〕と批判するものとなった。

◆J図に示すように、すべての文字を生む母体の「十字の銀河」の「子宮」に「女性生殖器の側身形」をあてはめた。次に、K図に示すように「淡路島」を「女性生殖器の子宮・産道()」に見立てて、「伊耶那岐命」を「卵管・卵管采」、「伊耶那美命」を「卵巣」に見立てて、[]を掲げる淡路島の能力碁呂島の結婚式がおこなわれた。
 C図に示した最初の淤能碁呂島の結婚式の模様を、『古事記』は「伊耶那岐命と伊耶那美命は天の浮橋(うきはし╱天球のごとく円弧を描く形の土橋または木の橋であろう)に立って、沼矛(ぬほこ)を指し下ろし、潮(海水)を画きまわすと、潮はコオロコオロとかき鳴り、沼矛を引き上げると、その先からしたたる潮がだんだん積り固まって島となった。これが淤能碁呂島である」と記述する。
 C図に示す「浮島沼」と浮島沼中央の「沼津市」(静岡県東部)は「沼矛」に共通して「沼」という字を配する地名である。
 K図右図の淡路島の南隣には「沼矛」の「沼」という字を配する「沼島」が所在し、淡路島南端の「潮崎」はコオロオオロとかき鳴る「潮」の字からなる地名となる。さらに「鳴門の渦潮」は両神が沼矛を指しおろして画きまわしてつくった「渦」をあらわす。だから、淡路島における結婚式は「淤能碁呂島の結婚」ということになった。

◆L図に示すように、「淡路島南部の地宜(ちぎ╱地図の形)」は〔羽をひろげるタンチョウツルの姿〕に見立てられた。
 これゆえ、M図に示すように淡路島南端の「諭鶴羽(ゆずるは)山地」の「諭鶴羽」は〔雌雄がたがいに羽をひろげあって求愛するダンス〕をあらわすことになる。したがって、伊耶那岐命と伊耶那美命の淡路島における結婚は、B図に示した「憎しみ」と「祟り」を政治指針とした天照大御神・纏向王朝に対抗して、「愛、あざやかに永遠であれ」と願う伊耶那美命の願いをあらわした。
 このような「愛、あざやかに永遠であれ」と願う伊耶那美命に対し、伊耶那美命が掲げる〔愛〕の理念を否定して「憎悪」と「祟り」を政治指針した天照大御神の争いを、7世紀後半に生存した中大兄(なかのおおえの)皇子(のちの天智天皇)は『万葉集』13番の「大和三山の和歌」で「香具山は 畝傍(うねび)雄男(おを)しと 耳梨と 相争(あひあらそ)ひき」と詠み、『古事記』上巻の淤能碁呂島の聖婚神話は歴史的事実であったと証言する。
 わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・48」で解説したように、N図に示す大和三山の「香具山」は「伊耶那美命」、「畝傍山」は吉備国討伐を指揮して“雄男しすぎる”と伊耶那美命が嘆いた「伊耶那岐命」、「耳梨山」は夏音文字の学芸に精通するゆえ「聡明」とされた「天照大御神」をあらわす。
 A図の『魏志倭人伝』と同時代に作成された「卑弥呼」の地上絵によって、邪馬台国説と日本神話虚構説話の立論基盤は〔誤読〕であり、両説は荒唐無稽(こうとうむけい)の空理空論・妄想であることが科学的に完璧に証明できる。
 これゆえ、天照大御神の「一日に千人ずつ日本人の首に縄をまわして絞め殺す」という呪いを蘇えらす箸墓卑弥呼の墓説・纏向遺跡邪馬台国説を、なんでわれわれ日本人が支持する必要があろうか。こんな明瞭白白たる真っ赤なウソは絶対に拒絶すべきことになる。

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