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2013年10月30日 (水)

日本が滅びる・63

愛、あざやかに永遠であれ(4)・天照大御神の忌瓮儀式と伊耶那美命の陵墓について

◆『魏志倭人伝』の末部には、魏が朝鮮半島に設置した帯方郡(たいほうぐん)政庁の使者の張政(ちょうせい)が最初に檄(げき╱軍書)を告喩(こくゆ)した倭女王壱与(いよ)と、二度目に檄を告喩した倭女王壱与の代役をつとめた、二人の壱与が登場する。
 「壱与」は夏音名(夏音文字による名)であり、張政が最初に檄を告喩した倭女王壱与は『古事記』上巻に登場する伊耶那美命である。彼女は『魏志倭人伝』が記載する倭国に属する小国「伊耶(いや)国」(旧国の丹波、現在の京都府中部と兵庫県の一部)出身の女性であったから人民に「伊耶那美命」と愛称された。伊耶那美命の本名は「竹野比売(たかのひめ)」である。
 伊耶那美命の代役・倭女王の役目をつとめて、帯方郡使の檄の告喩に応じて卑弥呼と素(もと)より不和であった狗奴(くな)国討伐を承諾した女性は、『古事記』上巻に登場する天照大御神である。天照大御神の本名は「伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)」である(『日本書紀』は「伊香色謎命」と記す)
 伊耶那美命と天照大御神の夫は、『魏志』倭人伝の末部の魏の正始八年(247)の記事に登場する武将・小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)の載斯烏越(そしあお)であり、『古事記』に登場する伊耶那岐命である。伊耶那岐命は9代開化天皇である。
 伊耶那美命は伊耶那岐命の正妃、天照大御神は伊耶那岐命の第二后である。
 A図に示す吉備地方は帯方郡使の張政が作った檄の告喩を天照大御神が了承して、伊耶那岐命が指揮する倭と小国の軍によって討伐された狗奴国である。
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◆B図に示す小国・日本の女王に13歳の時に伊耶那美命は就任し、国作りの柱を〔愛〕と定めた。ゆえに、倭女王伊耶那美命は狗奴国討伐に反対し、狗奴国と話し合いによる平和的解決を優先すべきであると主張して、帯方郡使の張政の檄の告喩を拒絶した。
 狗奴国討伐は魏と軍事同盟の約束事であるゆえ、伊耶那美命の欲求を受け入れて約束を破れば魏に罰せられて倭が討伐されることを倭王朝は畏れた。そこで、急遽、倭王朝は倭女王の代役に天照大御神を立て、天照大御神は張政の檄の告喩を承諾し、狗奴国討伐を祈願する呪術儀式を指令した。この呪術儀式は、C図の左側に示す――現在の兵庫県加古川市加古川町の氷河(ひかわ)において、大吉備津日子命(おおきびつひののみこと)と若建吉備津日子命(わかたけきびつひこのみこと)が忌瓮(いわいへ)を据えておこなった。
 この呪術儀式について『古事記』孝霊天皇紀は「針間(はりま)の氷河の前(さき)に忌瓮を居()えて、針間を道の口の為()て、吉備国を言向(ことむ)け和(やわ)しき」と記載する。わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・59」において詳細に解説したように、「忌瓮」の[]の原義は「憎悪」をあらわした。また、「氷河」の地名はD図に示す「氷で凍るツンドラ地帯に生息するジャコウウシ」をあらわすゆえ「祟(たた)り」をあらわした。
 ジャコウウシは有史以前には広く北半球の寒帯に分布していたが、麝香(じゃこう)の芳香がする美味しい食肉となったために乱獲されて多くの地方で絶滅、中国でも絶滅した。ゆえに、「ジャコウウシ」は「犠牲(いけにえ)」の[][][][]、そして、E図に示す「祟り」の[]の字源となった。E図に示すように、[]の金文形は[]字形の「十字の銀河」から図案された。

◆『日本書紀』崇神天皇紀は天照大御神・伊香色謎命は「物部氏の先祖大綜麻杵(おおへそき)の女(むすめ)である」と記載する。伊香色謎命は「夏音(かおん)文字の学芸に精通する」と誇示し、「夏音文字」の先頭字の「夏」が容易に連想される「天照大御神」という名を渾名(あだな)にした。だから、夏音文字に精通する天照大御神は自らの氏族名の「物部」の[]の字源が「ジャコウウシ」であることを知っていた。
 “字書の聖典”の『説文解字』は[]の字源を「牛は大物と為す」と解説する。D図に示す「ジャコウウシ」は[]の字源であり、E図の[]の字源となる「十字の銀河」が[]の字源でもあるので、『説文解字』は[]の字源を「牛は大物と為す」と解説する。ゆえに、C図に示す氷河で行われた忌瓮儀式は天照大御神が『説文解字』が「忌」の字源解説の「憎悪するなり」とE図に示す「祟り」に則って呪(のろ)ったものであり、倭と小国・日本の兵士たちにむかって“狗奴国の兵士たちを容赦なく殺せ”と命ずるものとなった。

◆当時は――卑弥呼が死去したために倭の国情は不安定となり、卑弥呼の墓に百余人の奴(ぬ╱18歳くらいの青年)と婢(ひ╱13歳くらいの乙女)を殺して埋めた徇葬(じゅんそう)を憎悪する反乱が起きて倭国の不安定な状況は一挙に深刻化し、この窮地に乗じて狗奴国が戦争を仕掛けてきたので、馬韓の首長たちが反乱をおこしたにもかかわらず倭は魏との軍事同盟の約束を守ることができず朝鮮半島に出兵しなかった。
 B図の小国・日本で〔愛〕の国作りをおこなう伊耶那美命は倭国に属する小国・伊耶国出身者であったゆえ、倭王朝は伊耶那美命を倭女王に即位させると、徇葬を憎悪する反乱者たちは伊耶那美命ならば必ず徇葬は禁止するにちがいないと信頼して武器を捨てたので、遂に倭国の反乱は鎮静化した。そこで、次に倭王朝は狗奴国討伐に取りかかったのである。
 倭国を滅亡させることができる千載一遇(せんざいいちぐう)の好機を逃すまいと戦争を仕掛けてきた狗奴国に対する天照大御神の怒りは凄まじく、彼女が指令した「憎悪」と「祟り」の忌瓮を据える呪詛(じゅそ)儀式は全軍に“狗奴国の兵士たちを容赦なく殺せ”と命令するものとなった。というのも、倭女王の呪術儀式は敵の戦力を奪うだけでなく、倭女王は全軍に戦い方を示す役目を有する魔女であった。ゆえに、倭女王の代役で狗奴国討伐の魔女となった天照大御神が指令した「憎悪」と「祟り」の忌瓮の呪術儀式は“狗奴国の兵士たちを容赦なく殺せ”と号令する過激なものとなった。

◆わがブログ「卑弥呼の逆襲:【用語の解説】」の「3・夏音文字」は、今から約4050年前の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)にわが国に伝来し、『魏志倭人』の人名・小国名に用いられ、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付いて多数記載され、『万葉集』にも夏音文字が多数記載されて現存する。
 この夏音文字の学芸体系は、F図上図に示す[]すなわち「天頂緯度線と子午線の測定」を基軸にして組織されるものであった。
 これゆえ、卑弥呼王朝はG図に示す日本列島西端の玄海灘に浮かぶ沖ノ島と日本列島東端の亜熱帯地区に所在する伊豆諸島の神津島が同緯度(北緯3415)であることにもとづき、H図の右側に配置した転回日本列島地理を制定した。
 H図に示すように、卑弥呼王朝は――中国北部の海岸線地域の〔北冷〕と日本列島の西端にある沖ノ島の冬になると雪が降る〔西冷〕の気候区が適合し、中国南部の海岸線地域の〔南暖〕と日本列島の東端にある神津島の冬になっても雪が降らない〔東暖〕の気候区が合致することに注目して、日本列島は東に伸びるのではなく、日本列島は中国海岸線地域の南の方に伸びる――と考える転回日本列島地理を制定した。
 H図の右上の「玄海灘」という名は「天の北極を基準にすると緯度と子午線が不明となって往来できない。しかし[]をキャッチできれば往来できる陸地から遠く離れる波の荒い大海」と示すものとなる。だから、H図右側の実在した歴史的事実であった転回日本列島地理はF図に示す夏音文字の学芸体系の基軸である〔[]のキャッチ〕にもとづく理論から生まれた地理であるゆえ、卑弥呼王朝の強力な政権基盤となった。
 転回日本列島地理は当時において強大な権力を手に入れる学術理論であったゆえ、天照大御神はC図の氷河に据えておこなった忌瓮の呪術儀式において、宗像(むなかた)大社の三女神を注目した。G図左側の宗像市大島の沖ノ島の沖津宮(おきつみや)、同市大島1811の中津宮(なかつみや)、同市田島2231の辺津宮(へつみや)の3社で宗像大社は構成される。

I図に示すように、宗像大社の中津宮が所在する大島とG図右図の神津島の地宜(ちぎ╱平面的に図化した地図の形)は類似し、大島の中津宮と神津島の物忌奈命(ものいみなのみこと)神社の緯度差はわずか18分である。また、大島と神津島の地宜はE図に示した[]の字源となる「十字の銀河の子宮」に相似する。
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 J図に示すように、天照大御神は「神津島南部」の先が尖った形と「十字の銀河の子宮の北部」の尖った先を合わせて、C図に示した氷河における「憎悪」と「祟り」で呪う忌瓮儀式をおこなった。ゆえに、神津島に所在する神社名は――天照大御神が属した物部氏の[]と忌瓮の[]と、K図に示す当時の天頂緯度軸が貫通した「長方形の暗黒天体部」が[]の字源であったので――「物忌奈命」となった。(「長方形の暗黒天体部」は「奈落の底」のごとくに観えるので、[奈]の字源銀河となった)。

◆狗奴国討伐は、伊耶那岐命が倭軍と小国・日本を指揮して行われた。

L図に示す飯野山に、伊耶那岐命は本陣を構えた。伊耶那岐命は天照大御神の忌瓮儀式によって兵士たちが狂ったごとく血みどろになって狗奴国の兵士たちを殺しまくった惨劇に慄然(りつぜん)とし、伊耶那美命が欲求した狗奴国との話し合いによる平和的な解決こそ優先すべきであったと後悔した。
 天照大御神と倭王朝は、帯方郡使の張政の檄の告喩を拒絶した伊耶那美命は倭女王を退位すべきであり、伊耶那岐命に伊耶那美命と離縁するように強く迫った。
 しかし、もしも伊耶那美命が倭女王に即位しなければ徇葬を憎悪する反乱を鎮静化しなかったので狗奴国討伐は決行できなかったことになり、また天照大御神と倭王朝は伊耶那美命の狗奴国討伐の拒否によって軍事同盟違反を罰して魏と帯方郡の軍が倭国を襲撃することになるという主張のウソに、伊耶那岐命は気づいた。中国では紀元前1世紀に〔天の北極〕を最も重視するシナ天文が完成したため、3世紀になると、F図に示す〔[玄]をキャッチする眼力と技(わざ)を鍛錬する習慣〕が廃(すた)れたために魏と帯方郡の軍は、H図に示す玄海灘を渡ることができなかったゆえ倭地に到着できない。また、呉と蜀が魏を滅ぼすチャンスをうかがっていたので魏と帯方郡の軍が倭を襲撃することは魏滅亡の原因となりかねないので、魏と帯方郡の軍が倭地へ遠征することはありえなかった。
 これゆえ天照大御神と倭王朝の主張には不正と思い込みが混在し、倭女王伊耶那美命の狗奴国との話し合いを優先すべきであるという命令を無視して、勝手に天照大御神を倭女王の代役に立てて残忍きわまりない狗奴国討伐をおこなったことのほうが倭女王の命令違反となるので正すべき重大な不正だと、伊耶那岐命は考えるようになった。
 人民はこぞって天照大御神が倭女王に即位したならば恐ろしいことになると心配して伊耶那美命の退位を猛烈と反対した。ゆえに、人民の声にも助けられた伊耶那岐命は、天照大御神と倭王朝が請求する伊耶那美命との離縁を拒絶した。

◆『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話における国生み説話に記載される二度目の淤能碁呂島(おのころじま)の結婚儀式は、M図左図の淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神宮の地にておこなわれた。
 M図上部に配する淡路島の山地名の「諭鶴羽(ゆつるは)」は――伊耶那岐命が伊耶那美命に愛していると告げ、彼女に倭女王を退位しないように諭(さと)して、二人はN図に示すタンチョウツルの雌雄がたがいに羽をひろげて求愛するように――〔愛〕の国作りを目指して二度目の結婚をしたと表示するものであった。
 〔愛〕の国作りを目指した伊耶那美王朝の中心地は、O図に示す天の香具山の麓より南の地にあったと考えられる。というのも、O図の天の香具山の緯度は342945秒に対し、M図の伊弉承神宮は北緯342723秒である。したがって、天の香具山より222秒南の地が、伊弉諾神宮と同緯度となるからである。

『古事記』上巻の伊耶那美命の死説話は「伊耶那美命が臨終した地は、天の香具山の畝尾(うねお)の木本(このもと)に坐す、泣沢女神(なきさわめのかみ)である」と記述する。O図左上の哭沢(なきさわ)神社は奈良県橿原市の木之本(このもと)町に所在し、古称は「畝尾都多本(うねおのつたもと)神社」であり、「泣沢女」を祭っているゆえ、伊耶那美命が臨終した地の「泣沢女神」であったことになる。

 
◆死去した伊耶那美命の墓は、わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・18」にて、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉(よみのくに)国訪問説話の現代語訳にて解説して指摘したように、P図に示す熊野本宮大社の旧社地の大斎原(おおゆのはら╱和歌山県東牟婁郡本宮町)に築造された。伊耶那岐命の黄泉国訪問における「黄泉国の伊耶那美命」の正体は「天照大御神」である。天照大御神(黄泉国の伊耶那美命)は伊耶那美命が嫌悪する多数の青年と乙女を殺す徇葬を決行した。『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話は、伊耶那美命の墓に埋めた徇葬者たちを「八(やくさ)の雷神(いかづちがみ)」と記す。
 P図の大斎原は北緯3350分であり、Q図に示す伊予国(現在の愛媛県)の松山市は大斎原と同緯度の北緯3350分である。『古事記』の伊耶那岐命と伊耶那美命が二度目の結婚(M図)をした国生み説話は――伊耶那美命はQ図に示すように伊予国の祭神の名を日本建国の〔愛〕の理念をあらわす「愛比売(えひめ)」と定めたと記述する。
 それゆえ、伊耶那美命が唱えた日本建国の〔愛〕の理念を憎悪する天照大御神は、伊予国の中心地の松山と同緯度の大斎原に伊耶那美命の墓を築造して、多数の若者と乙女を殺す残虐な徇葬を陣頭指揮して伊耶那美命の墓に徇葬者たちを葬って復讐した。
 以上のように、わが国にはF図に示す[]を基軸とする原初漢字の夏音文字の学芸が伝来し、卑弥呼王朝はH図に示した転回日本列島地理を制定し、夏音文字に精通する天照大御神はC図に示す氷河にてI図・J図・K図をもって解説した忌瓮の呪術儀式を指令した。そして、天照大御神は伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念をあらわす愛比売を祭神とするQ図の伊予国の中心地(松山)と同緯度の大斎原に多数の青年と乙女たちを殺す徇葬で伊耶那美命に復讐した。
 だから、『魏志倭人伝』のすべての方位に関する記事はF図の[]のキャッチを基に立論されたH図右側の転回日本列島地理が歴史的事実であったと伝えていたことになる。したがって、新井白石以来約280年におよぶ邪馬台国研究は学者たちが〔誤読〕に熱中するところの事実と相反する空理空論、妄想ということになる。

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