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2013年11月16日 (土)

日本が滅びる・67

愛、あざやかに永遠であれ(8)・『古事記』序が語る歴史を知る方法の解説()

◆前回のわがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・66」で解説したように、A図に示す〔[]をキャッチする方法〕をもってわれわれの現生人類の先祖は遥か遠くの目的地に到着して家族が待つ家に帰還した。ゆえに、〔[]をキャッチする方法〕すなわち〔東から西へ平らな横一直線となって移動する天頂点を通過する銀河部位の46秒間ぐらいの軌道(天頂緯度線)と天頂点の真北または真南の銀河部位や恒星を結ぶ子午線をキャッチする方法〕ならば、陸地から遥か遠くに離れた大海も往来することができた。
 われわれと同じ種類の人間である現生人類(現代型のホモ・サピエンス)は、約4万年から地球上に出現したとされる。
 この現生人類が地球上に最初に登場した約4万年前から、われわれ現生人類の頭脳には命を確保できる〔[]をキャッチする本能〕がそなわり、自然環境やいろいろな状況に適応できる“うまく、よく”生きていくことができる創造能力もそなわっていた。
 前回のブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・66」で取り上げた――B図に示したスペインのアルタミラ洞窟(エルカスティーヨ洞窟)3.7万年前の現生人類が残した「手に赤い塗料を吹き付けて作った手形」は、A図に示す〔[]をキャッチする能力〕がそなわっていたことをあらわし、C図に示す天頂点を通過する銀河部周辺の形状を表現する能力がそなわっていたと伝える。もしも、この二つの能力が最初からそなわっていなかったならば、われわれ現生人類は絶滅して今日において繁栄していなかったことになる。

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◆数年前に見た米国の「一万年前」という題がつく映画は、主人公が〔天の北極〕を羅針盤にして緯度(位置)と経度(子午線・方角)を測量して砂漠を越えて遥か遠くの目的地に到着するというストリーであった。しかし、〔天の北極〕で緯度と子午線を測量する方法は不正確であるので、出発して間もなくして道に迷って主人公は命を落としたことになる。
 現在と近世における地図の方角は、〔天の北極〕を基準にする。このため、新井白石から始まった約280年におよぶすべての邪馬台国説研究者たちは、280289年に著作された『魏志倭人伝』の記述を〔天の北極を基準にして定める方位規定〕にもとづいて立論する。この考え方は、当時の天文地理学がA図の[]に則る方位規定であった、この事実に反する。ゆえに、すべての邪馬台国説は〔誤読〕の空論となったのである。
 中国では紀元前1世紀にシナ天文が完成して〔天の北極〕が最も重視されるようになった。それ以前はA図に示す〔[]のキャッチ〕を最も重視していたので、現生人類の起源史から数えると〔[]のキャッチ〕の歴史は37900年となる。いいかえると、中国では約3.8万年間も〔天の北極で地理の方角を定める方法〕を排除していたことになる。

◆わが国においては、聖武(しょうむ)天皇によって全国に国郡図作成の命令が下された738(天平10)に、始めてシナ天文が重視する〔天の北極〕にもとづく日本列島地理が出現した。しかし、当時の年号は、A図に示す「[]の天頂緯度線、すなわち[]が平らに移動する」を略した「天平」であった。このため、D図右側に配する卑弥呼王朝が制定した従来の〔西の九州を北、東国を南に90度ずつ方角を転位する転回日本列島地理〕が根強く残ったために、〔天の北極〕にもとづく方角規定の日本列島地図はまったく定着せず、平安遷都の3年後の796(延暦15)に再度国郡図の修正が命じられた。
 したがって、わが国は現生人類の起源史から数えると約3.9万年余も〔天の北極〕で方角を定める法則を排除していたことになる。いいかえると、[]で方位が規定された3.9万年余りに対して、〔天の北極〕を方位規定に定めたのはわずか1200年余と短い期間であった。この点からして『魏志倭人伝』のすべての方位に関する記事は、当然、A図に示す[]の天頂測量にもとづいて考えるべきであって、新井白石以来の邪馬台国説研究のように〔天の北極〕を基準とする方位規定を立論基盤とする考え方は根本的に誤っていることになる。
 『魏志倭人伝』は――卑弥呼王朝はD図右側の〔西の九州を北、東国を南〕とする転回日本列島地理を制定した――と証言する。この事実は、『魏志倭人伝』と同時代(3世紀後半)に作成された、E図に示す私が“「卑弥呼」の地上絵”と名づけた1千万坪の大鳥の地上絵によって科学的に完璧に証明される。この「卑弥呼」の地上絵は、静岡県浜松市北区細江町の行政区域を表示する地図の形として現存する。
 D図右側の卑弥呼王朝が制定した転回日本列島地理は、2世紀末から738(天平10)までの約560年もの間存続して実在した。

◆『魏志倭人伝』はA図の〔[]のキャッチ〕にもとづいて卑弥呼王朝が制定したD図右側の転回日本列島地理の他に、「倭の占卜(うらない)における卜辞の文字は令亀(れいき)の法の如く(殷代の亀の甲羅に刻む契文=甲骨文字の如く)」と説明する記事や、「伊都国の港では卑弥呼が書いた文書を魏都や諸韓国で用いられる楷書に改めて直していた」という記事で、わが国に原初漢字が存在した史実を伝える。この倭の占いや卑弥呼が書いていた文字は、今から約4050年前にわが国に伝来した夏音(かおん)文字であった。
 夏音文字が日本列島に伝来した秘密と歴史については、わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の28回から33回まで6回にわたって解説した。
 夏音文字は『魏志倭人伝』の人名・小国名として現存し、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く1字1音文字として多数現存し、『万葉集』の和歌を表記する文字として用いられて多数現存する。
 夏音文字においては「秋の銀河と夏の銀河の各部の形状」が「文字」となった。
 
 これまでのブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」で解明してきたように――夏音文字と同様に現在の当用漢字の楷書をふくめるすべての漢字の字源・原義は〔秋の銀河と夏の銀河の各部の形状のイメージ〕であったという結論となる。


 
◆『古事記』は712(和銅5)1月28日に完成した。だから、当時はA図の〔[]のキャッチ〕にもとづくD図右側の転回日本列島地理が栄えていたことになる。
 『古事記』完成した10年前の702(大宝2)に中国に派遣された第7回遣唐使は、中国王朝にわが国には「夏音文字が存在する」と伝えた。これについて、中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝は――日本国の遣唐使は「後稍(のちやや)夏音を習い、倭の名を悪(にく)み、あらためて日本と号す云々――と記述する。
 つまり、時の朝廷は――皇祖の天照大御神が前の倭女王・伊耶那美命の墓を作る時に多数の青年と乙女たちを殺して犠牲(いけにえ)にした徇葬(じゅんそう)を決行したことや伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を憎悪しまた祟(たた)った事績については必ず削除せよと命令し、天照大御神が夏音文字の学芸に精通して聡明であったことを後世に伝えるために夏音文字を少しだけ蘇えらせる偽の史書を作成せよと欲求した。というのも、人民は倭王朝が決行した残虐な徇葬を憎悪したがために「倭」という国名を憎み、「日本」という国号に改めるよう求めたからである。ゆえに、時の持統上皇・文武天皇と律令体制は「天照大御神」と「日本」という国名が相似する点に注目して、「日本」と国号を改めれば後世の学者はじめ人々は〔伊耶那美命によって日本国が起源した〕という事実に気づかず、〔日神・天照大御神に由来して「日本」という国号になった。ゆえに天照大御神によって日本国が起源した〕と考えるにちがいないと目論(もくろ)み、「倭」から「日本」への国号改定を承諾した――という、このような複雑な事情を簡潔な言葉で表現したことになる。

◆邪馬台国説によって『魏志倭人伝』に記述された現生人類史にとって重大な歴史が排除されてしまったが、上記したように『魏志倭人伝』は――わが国には約4050年前の中国の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に伝来した夏音文字の学芸が存在し、この学芸は現生人類が最初からそなわっていた〔[]のキャッチ〕を基軸にして構築され、そして夏音文字における「文字」は「秋の銀河と夏の銀河の各部の形状」であった――と証言する史料であった。
 『魏志倭人伝』とE図に示す「卑弥呼」の地上絵によって――今から約6000年前の三皇時代初頭に出現した結縄(けつじょう)、約5000年前の五帝時代初頭に生存した“漢字の始祖”と崇拝された倉頡(そうきつ)が考案した書契(刻木)、その後の夏音文字、契文(甲骨文字)、周代に出現した金文、また篆文(てんぶん)、秦代に考案された隷書、隋代に完成した楷書、そして現在の中国の簡体字とわが国の当用漢字の字形は「秋の銀河と夏の銀河の各部の形状」を表現するものであった――と解明され、結論づけられることになる。

◆したがって、「すべての漢字の字源・原義」は「秋の銀河と夏の銀河の各部の形状」であり、この漢字の学芸はA図の〔[]のキャッチ〕を基軸にして組織・体系づけられていた。 
 このような漢字の秘密について、孔子と並ぶ中国の思想家の老子(紀元前5世紀から同4世紀ごろに生存した)は『老子』第1章で以下のごとき文章で表現した。この『老子』第1章については、わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・42」でも詳細に解説した。
 「道の道とすべきは常の道に非ず。名の名とすべきは常の名に非ず。天地の始めには名は無し。万物の母によって名有り。ゆえに常に無欲にして以てその妙を観、常に有欲にして以てその皦(きょう)を観る。この両者は、同じく出てて名を異(こと)にし、同じく之(これ)を玄と謂()う。玄のまた玄、衆妙(しゅうみょう)の門。」
 『老子』第1章を現代語に訳すると――世の常識では「人や車などが行き来するところ」を「道」というが、F図に示すように[]の字源は天頂に在るゆえ、「ほんとうの道」は天頂にめぐってくる銀河である。世における常識的に考えられている「地名」や「ものの名」は「ほんとうの名」ではなく、「ほんとうの名」は「銀河各部の形状」から作られた「文字」によって定められた。したがって、[][]の文字が作られた五帝時代の黄帝時代以前には名が無く、倉頡が「万物の母」なる「漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕」を発明して名が存在することになった。この「名」すなわち「文字」はA図に示す[]を基軸にして組織されるものであるが、[]の下の[(よう)]の字が示すように産道を通過する胎児()のごとく無欲になれば[]の字源・原義となった[]をキャッチできた。しかし、なんとしても[]をキャッチすると欲を抱くと道に迷って「皦」すなわち「髑髏(どくろ)」となって落命した。[][]の字源銀河は共にG図に示す[]の字源となった「女性の生殖器と胎児」に見立てられた「長方形の暗黒天体部」であったが、両者の名は[][]に異なった。[][]も、結局、同じ[]と謂うことになる。[]の字源は「女陰」に見立てられたF図に示す「十字の銀河の子宮」とG図に示す「長方形の暗黒天体部」の2ヵ所に存在した。この[]の字源が存在した「十字の銀河の子宮」と「長方形の暗黒天体部」が「万物の母の子宮」となり人間はじめとする万物の生命が生まれる門となった――となる。
 以上のごとく、『老子』第1章は、『魏志倭人伝』に記述された(1)人名・小国名に用いられる夏音文字と、(2)D図右側の転回日本列島地理の原因となったA図に示す[]の秘密を説明するものであったことになる。
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702年に中国に渡った日本の遣唐使が中国王朝に「後稍夏音を習い云々」と告げた、この「習う」の意味は「復興する。蘇える。」である。
 []の楷書は[]の下に[]が加わる。H図に示すように、「十字の銀河と鬼の姿に似る銀河の背景となる銀河」は〔羽のような形〕であるので[]の字源となる。「北アメリカ星雲」は「髑髏」の形に相似するゆえ、「北アメリカ星雲」は〔激流の水に洗われて白くなった髑髏〕すなわち〔白骨化した髑髏〕に見立てられて[]の字源となった。
 []の字は「独白」「告白」という語が示すように、[(えつ)]の「曰(いわ)く」と同様に「言う」という字義を有する。というのも、H図における「激流の銀河」は〔津波〕・〔高波〕・〔満潮〕に見立てられ、隣接する「長方形の暗黒天体部」は〔浜や磯に寄せる真っ白な波頭(なにがしら)〕に見立てられて、真っ黒であるが「長方形の暗黒天体部」は[白]の字源となった。ゆえに、[][]を加える[]という字が生まれ、「長方形の暗黒天体部」は〔口〕に類似すると見立てられ[]の字源となった。「長方形の暗黒天体部」は[]の字形に相似するので、[]の字形に相似して「長方形の暗黒天体部」が字源となる[(えつ)]は「言う」と意味することになった。「長方形の暗黒天体部」は[][]の字源でもあったので、[]の字義は「言う。申す」となった。H図に示すように、[]の字源「長方形の暗黒天体部」は[]の字源でもあるので、[][]が加わる楷書の[]は「蘇える。復興する」という字義となったのである。
 わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)[]について「羽と曰(えつ)とに従う。曰は祝祷(しゅうとう)を収める器。この器の上を羽で摺()って、その祝祷の呪能を刺激し、そのような行為をくりかえすことを意味する字」と解説する。この『字統』の「祝祷を収める器」をあらわす[]の字源は、上記したように「長方形の暗黒天体部」である。つまり、万物の生命が誕生する門である「十字の銀河の子宮」と「長方形の暗黒天体部」を〔白骨化した死者の霊が蘇えることを祈祷する器具(瓶╱かめや壺)〕に見立てて、この瓶や壺に羽を幾度も摺る行為が[]の字源となった。だから、「神仏習合」という語が「神が仏になって蘇えり合体する」と意味するように、[]の字は「復興する。蘇える。」と意味することになったのである。

◆以上のごとく、『魏志倭人伝』と『老子』第1章は――(1)シナ天文以前の天文地理学においては[]をキャッチして精密に緯度と子午線が測量されていた、(2)正字の楷書はじめ現代の当用漢字を含めるすべての漢字は「秋の銀河と夏の銀河の各部の形状」を「文字」(字源・字形・原義)と定めた、この二つの秘密――を今日に伝えていた。

この二つの秘密を、『古事記』の序もまた今日に伝えていた。

つまり、『古事記』の序の作成目的は――(1)[]の秘密と、(2)銀河各部の形状が文字となる秘密。この二つの秘密こそが『古事記』に記述された歴史を具体的に明確に解明できる方法である――と説明するために設置されるものであったのである。
 現代の学者たちのテキストとなる本居宣長が著した注釈書『古事記伝』は、『古事記』序に記述された歴史を知る具体的な方法、すなわち(1)[](2)上巻に記載された夏音文字はじめ楷書は銀河各部の形状であったと伝える説明についてまったく気づかなかった。
 次回は、歴史を知る方法を具体的に書いた『古事記』の序の秘密を解明する。

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