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2013年12月22日 (日)

日本が滅びる・78

愛、あざやかに永遠であれ(19)・通称「須佐之男命の昇天説話」に記述された歴史を解明する
 

◆前々回のブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・76」で詳細に解説したように、定説(通称)となる「須佐之男命の昇天」という説話名は【誤読】の産物である。正しい説話名は「須佐之男命が都へ上る」である。A図に示す「師木の水垣宮」が新都の中心地域となる。 
 前々回・前回のブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の76回・77回で証明したように――『古事記』の三貴子の分治説話における天照大御神は女性であると断定される。この定説のために、現在、出版されているすべての書物は天照大御神を女性としてあつかわれる。しかし、この定説も【誤読】の産物である。
 『古事記』の三貴子の分治説話以後の説話に登場する「天照大御神」は「第10代崇神天皇」であることも、前々回と前回のブログで証明した。だから、言うまでもなく『古事記』に「天照大御神」と記された人物は男性である。
 須佐之男命の都へ上る説話に天照大御神・崇神天皇が須佐之男命を“なせの命(みこと)”と言った呼称を注目して、山口佳紀(よしのり)・神野志隆光(こうのし たかみつ)校注・訳者『古事記』(小学館発行)は注で「天照大御神が女性であることはここに明らかである」と断定する。しかし、前回のブログでB図に示す「戦う。争う」を字義とする[(とう)]の契文形を用いて「天照大御神が女性である」と断定できないことを証明した。
 B図の[]の契文形は「敵の呪的な戦力を奪う巫女(みこ╱魔女)が霊力を有する黒髪をふり乱す姿」を図案するものである。伊耶那岐命・第9代開化天皇から譲位された第10代崇神天皇は、須佐之男命は高天原(たかまのはら)を奪うクーデターを決行するにちがいないと思い込んだ。須佐之男命軍のクーデターはいつ起こすのか予測ができない奇襲であったので、崇神天皇は[]の字源・原義にもとづき、当時の戦争は敵の呪的な戦力を奪う巫女(魔女)が呪詛(じゅそ)する勝利祈願から始まったゆえ、須佐之男命軍の奇襲する呪的な戦力を奪う呪(まじな)いのために女性のように着飾っていたのである。
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◆須佐之男命はクーデターの計画に担ぎ出されていることを、父・伊耶那岐命(開化天皇)が死の床についている時に報告した。すると、伊耶那岐命は激怒してクーデター計画を断念するように説く「多賀」すなわち「多くの子ども生まれ、多くの農作物が収穫されるように、汝の母が国作りの柱とした日本建国の〔愛〕の理念を守り人民の生活を第一に考える日々無事平安の政事(まつりごと)をおこなえ」という遺言を残して死去した。
 これゆえ、父の遺言を守ってクーデター計画に祭り上がられることを断念した決意を天照大御神・崇神天皇に伝えるために、須佐之男命は兵士を率いて新都に向かって行進した。
 『古事記』の須佐之男命が都へ上る説話において、天照大御神・崇神天皇が女性のように着飾って須佐之男命軍を迎える場面の全文を、現代語に訳すると下記のごとくになる。
 「すぐに女性の黒髪のごとく伸ばした長い髪を解き、頭髪を左右に分けて男子の髪形の角髪(みずら)に結い直し、そして敵の戦力を奪う呪いのために女性のごとく着飾っていたので左右の角髪にも、髪飾りの御縵(みかずら)にも、また左右の手にも、それぞれ八尺(やさか)の勾玉(まがたま)を数多く通した玉飾りを巻きつけ、鎧(よろい)の背には千本入りの矢入れを背負い、鎧の胸には五百本入りの矢入れをつけ、また威力のある竹製の鞆(とも)を取りつけ、弓の上端部を宙に振り立てて、堅い土の庭に、腿(もも)が埋まるまで踏み込み、地面を沫雪(あわゆき)のように蹴散らして、威勢のよい雄々しい叫び声をあげ、荒々しく大地を踏んで須佐之男命を待ち受けて“なにゆえ、上って来たのか”と問うた。」
 C図に示す「三つ輪の銀河」をA図の〔三輪山〕に見立てると、C図の「三つ輪の銀河」の西にある「十字の銀河」はA図の〔三輪山〕の西の〔崇神天皇が腿が埋まるまで踏み込み、地面を沫雪のように蹴散らした堅い土の庭〕に相当する。
 これゆえ、D図に示すように、崇神天皇は自らを「十字の銀河」に見立てて、常に奇襲にそなえて女性のように着飾るとともに鎧を着て武装していた。「十字の銀河の右半分(西半分)」は〔乳房や子宮がる女性の姿〕に相似し、「十字の銀河の左半分(東半分)」は〔弓の上端部を宙に振り立てる男性の姿〕に相似するゆえ、「十字の銀河」は〔女性のように着飾る崇神天皇〕に見立てることができる。

◆前々回のブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・76」で詳細に解説したように崇神天皇が居住する宮殿の「師木の水垣宮」という名は、E図に示す「長方形の暗黒天体部」から「師木」という名が生まれ、F図に示す「激流の銀河と長方形の暗黒天体部」から「水垣宮」という名が作られた。C図に示すように、〔師木の水垣宮〕に符合する「長方形の暗黒天体部」の北側に〔崇神天皇〕に見立てられる「十字の銀河」がある。そうすると、D図に示す〔崇神天皇が須佐之男命軍を待ち受けて、腿が埋まるまで踏み込んだ堅い土の庭〕は、〔崇神天皇が、A図に示す師木の水垣宮の敷地内より外側の北の地域を戦う陣地に選んだ〕と表現するものであったと考えるべきことになる。また、「師木の水垣宮」の「水垣宮」という名を注目すると、〔崇神天皇が須佐之男軍を待ちうけていた陣地〕は、A図の〔師木の水垣宮の真北の狭井(さい)川の南岸、檜原(ひはら)神社の西側〕であったと推測される。
 崇神天皇が武装した姿を描写する『古事記』の「そびらには千入(ちのり)の靭(ゆき)を負い、比良(ひら)には五百入(いほの)りの靭を付け」という文は「鎧の背には千本入りの矢入れ()を背負い、鎧の胸には五百本入りの矢入れをつけ」と訳される。
 しかし、鎧を着て背に千本入れの矢入れを背負い、胸に五百本入りの矢入れをつけたならば、こんな重装備では地面に太い根を張る切り株のように固まってまったく動きがとれなくなるので、矢を射って戦うことができない。これゆえ、崇神天皇が武装した姿をあらわす文は「須佐之男命軍を待ち受けて、師木の水垣宮より北側の狭井川の南岸に陣地を構え、千人の弓を持つ鎧を着た兵士たちが北面して身構えて崇神天皇を守り、崇神天皇の背後には五百人の弓を持つ鎧を着た兵士たちが配備されていた」と解釈すべきことになろう。
 『説文解字』は「師木」の「師」の字を「二千五百人を師と為()す」と解説する。ゆえに、「千五百人の武装兵に守られる崇神天皇」を[]と定めて、崇神天皇が居住した宮殿は「師木の水垣宮」と名づけられることになったのではなかろうか。

◆D図に示す「十字の銀河の右足」で「沫雪のごとく蹴散らす堅い庭の土」をあらわす「堅庭(かたには)は向腿(むかもも)に蹈()みなづみ、沫雪のごとく蹶()ゑ散らして」という文は、G図に示す〔風で雪が吹き飛ばされた地表の露出した餌場へむかう、ツンドラ地帯に生息するジャコウウシ〕を連想させるための文であると考えられる。
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 H図に示す「三つ輪の銀河」の内の「北の輪の銀河」は〔天敵にオオカミに襲撃されると、子を中心に隠して円陣を組むジャコウウシの群れ〕に見立てられて、「北の輪の銀河の北端の首に似る形の銀河部」は〔ジャコウウシの首〕に見立てられた。
 〔女性の胎児が宿る子宮〕は〔骨盤〕で包囲されて守られているので、〔骨盤〕は〔オオカミに襲われると、子を中心に隠して組むジャコウウシの円陣〕に見立てられた。ゆえに、「十字の銀河の子宮」は〔女性の子宮〕の他に〔女性の骨盤〕にも見立てられた。
 I図に示すように、「北の輪の銀河」と「十字の銀河の子宮」は「祟(たた)り」を字義とする[(すい)]の字源・原義となった。というのも、ジャコウウシは有史以前には広く北半球の寒帯に分布していたが、中国をはじめ多くの地帯で絶滅した。これゆえ、「ジャコウウシ」は[]の字源をあらわすことになった。
 白川静著『字統』は[]の字源を――呪霊(じゅれい)をもつ獣の姿。『説文解字』は「神の禍なり」とし、示と出、すなわち神意がそれによって示される意とされるが、卜文・金文の字形では、毛の深い獣の形にかかれている――と、I図左上に配する「契文」を「卜文」と記して解説する。この契文(卜文)[]の字形は、毛の深い獣を渦巻の形に図案したものである。G図に示すジャコウウシはツンドラ地帯の厳しい寒さに耐えられるように暗褐色の毛足の長い毛で全身が覆われていて、上記したように天敵のオオカミに襲われるとジャコウウシの群れはI図左上の[]の契文形のごとく渦を巻くようにして子を中心とした円陣を作る。ゆえに、ジャコウウシは白川静著『字統』の[]の字源解説に登場する「毛の深い獣」ということになる。ゆえに、[]の契文の字源銀河はI図中央の「北の輪の銀河」であったことになる。
 I図左下に配した[]の金文は[]の字形であるので、大字形となる「十字の銀河」と「十字の銀河の子宮」から図案されたことになる。上記したように、「十字の銀河の子宮」は〔女性の子宮〕と〔胎児が宿る子宮を包囲する骨盤〕に見立てられ、〔女性の骨盤〕は〔天敵のオオカミに襲われるとジャコウウシの群れが作る円陣〕に見立てられ、〔子宮に宿る胎児〕は〔ジャコウウシの円陣の中心に隠す子〕と見立てられた。ゆえに、I図左下の[]の字源は「十字の銀河の子宮」と「ジャコウウシ」ということになる。
 J図の[(さい)]の字義は「くさむら。殺す」である。白川静著『字統』は[]の字源を「文の初文は祟(たたり)をなす呪霊をもつ獣の形。長毛の獣の形である」と解説する。この[]の字源解説もまた〔暗褐色の毛足の長い毛で全身がおおわれるジャコウウシの姿〕に合致する。[]の契文と金文は[]の字形となるゆえ、大字形の「十字の銀河」と「十字の銀河」と「ジャコウウシ」の合体形ということになる。

◆崇神天皇は伊耶那岐命・伊耶那美命・須佐之男命を憎悪し怨み骨髄(こつずい)に徹して復讐せんとするものであった。
 また、『日本書紀』崇神天皇紀は「崇神天皇の生母の伊香色謎命(伊迦賀色許売命)は物部氏の先祖の大綜麻杵(おおへそき)の女(むすめ)である」と記す。『説文解字』は「物部氏」の[]の字源を「牛を大物と為す」と解説する。そして、[]の字源・原義はG図に示す「ジャコウウシ」である。したがって、崇神天皇は[]の字源をよく知っている物部氏の血を受け継いでいた。だから、『古事記』編纂スタッフは「堅い地面を沫雪のように蹴散らす崇神天皇の姿」を描く文で、伊耶那岐命・伊耶那美命・須佐之男命に祟って復讐せんとした天照大御神母子の怨み骨髄に徹した情念を伝えようとしたことになる。
 わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・53」で、『古事記』中巻の孝霊天皇紀末部に記述された吉備国討伐は、『魏志倭人伝』に記述された狗奴(くな)国討伐であることを証明した。したがって、『魏志倭人伝』に記載された「卑弥呼と素(もと)より和せずの狗奴国」は「吉備地方」であったことになる。
 K図に、狗奴国は吉備地方であったことを示した。
 L図は、狗奴国=吉備地方の中心地となる岡山県東部(K図に示す備前と美作)の地図である。〔小豆島〕」は〔狗(いぬ)の姿(側身形)〕」に相似すると見立てられて[]に字を示すことになった。〔児島半島の地図の形〕は[]の字源となる「ものすごい力を有するジャコウウシの後ろ姿」に相似すると見立てられて、小国名が「狗奴」となった。つまり、〔児島半島〕はI図左上の[]の字形モデルとなった〔天敵オオカミの襲来を察知したジャコウウシが群れに雄たけびを挙げて、渦を巻くかのごとく円陣を作る群れに参加する姿〕に見立てられて[]の字をあらわすことになったのである。
 『古事記』孝霊天皇紀にある「大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)と若建吉備津日子命(わかたけきびつひこのみこと)は、二人連れ立って、針間(はりま)の氷河(ひかわ)の前(さき)に忌瓮(いわいへ)を居()えて、針間の道の口として、吉備国を平定した」と記述する文中の「氷河」は〔ジャコウシが生息する氷と雪のツンドラ地帯〕をあらわす地名であった。

◆倭女王・伊耶那美命が武力で討伐せずに狗奴国と話し合いで平和的に解決すべきであると主張した。このため、倭王朝は崇神天皇の生母・天照大御神(伊迦賀色許売命・倭迹迹日百襲姫命)を女王の代役に立てた。崇神天皇の生母・天照大御神は狗奴国軍の呪的な戦力を奪う呪(のろ)いの巫女王(魔女)となり、氷河の岸に忌瓮を据える戦勝祈願儀式をおこなうように大吉備津日子命と若建吉備津日子命に命令し、伊耶那岐命が指揮する倭軍と日本軍の全兵士に“狗奴国の兵士を皆殺しにせよ”と号令して狗奴国を滅亡させた。その後、天照大御神と倭王朝は伊耶那美命に倭女王の退位を激しく求めた。しかし、残酷きわまりない狗奴国討伐を後悔した伊耶那岐命は伊耶那美命の主張が正しかったと反論し、淡路島の伊弉諾神宮が所在する場所で伊耶那美命が小国・日本の国作りの柱とした〔愛〕の理念を掲げる二度目の淤能碁呂島(おのごろしま)の結婚式をおこなって対立した。
 この結婚式は、M図の右図に示す〔雌雄の鶴がたがいに羽をひろげあっておこなう求愛ダンス〕を演出するものであった。この結婚式で、伊耶那岐命は伊耶那美命に倭女王を退位してはならないと諭(さと)した。ゆえに、この歴史は、M図左図上部の淡路島南部の「諭鶴羽(ゆづるは)山地」という地名になって現在まで残る。また、『魏志倭人伝』は四国が「奴国」と「烏奴(あな)国」の二つ小国で分かれていたと記すが、N図に示すように伊耶那美命は四国を四小国に分けて「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」と名を改め、旧国の伊予国の祭神を「愛比売(えひめ)」と名づけた。これゆえ、伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念は“愛、あざやかに永遠とあれ”と願った伊耶那美命に憧れた先人たちの熱い思いをも伝えて現在も県名「愛媛」となって残っている。

◆須佐之男命は崇神天皇に譲位しても彼は父の陵墓を作るはずがない、自分も海原・山陰出雲に居住したならば父の陵墓を作ることが出来ないと悲嘆して号泣した。伊耶那岐命・開化天皇は陵墓に葬られなくてもよいと須佐之男命に告げ、「諭鶴羽山地」という地名と「愛比売」という祭神名で示された日本建国の〔愛〕の理念をあらわす遺言を「多賀」という語で残した。だから、「多賀」は文字とおり「多くの賀、すなわち多くの子どもが生まれ、多くの農作物が収穫される」と意味するものであるゆえ、「日本建国の〔愛〕の理念を柱とする国作りに努めよ」とあらわすものであった。
 さて須佐之男命が都へ上る説話の記事にもどると――須佐之男命が父・開化天皇の「多賀」という遺言を守る決意をして、五人の王たちの計画に賛同して熊野に須佐之男命王朝を創設するクーデターを断念して都へ上ると、天照大御神・崇神天皇の「なにゆえ、上って来たのか」と問いかけた。この問いかけの次は、下記のごとく記述でこの説話は終了する。
 ――天照大御神・崇神天皇の問いに答えて須佐之男命は「僕()には邪心(クーデターする気)がない。ただ、臨終の際に父君は僕が泣きわめている訳を尋ねるので『僕は妣(はは)の国に行こうと思って泣いている』と告白した。(この言は『五人の王たちのクーデターの計画に応えて母・伊耶那美命の墓の花の窟(いわや)が在る熊野に王朝を創設したいと思って泣いていると告白した』と意味する)。すると、父君は『おまえはこの国(高天原・大和)には住んではならぬ』と遺言なされた。この追放の遺言にしたがって父君が分治した海原(うなはら╱山陰出雲)に行くことを決意した。ゆえに、新都へ上ってきた次第であって、他意は無い」と答えた。これを聞いて、崇神天皇が「しからば、おまえの心が清らかであることをどのようにしたらわかるか」と問うと、須佐之男命は「おのおのが宇気比(うけひ)(誓いあって)、子を生みましょう(思っていることを述べあいましょう)」と述べた。

◆次は、天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)説話となる。
 この二神の誓約説話は、わがブログ「卑弥呼の逆襲」における「日本は滅びる」と題したシリーズの最も重大な中枢部となる。というのも、この説話によって――新井白石以来の学者たちの邪馬台国研究と本居宣長の『古事記』研究を受け継いだ意見・解釈は【誤読】の空論であることが手に取るように明確に証明することができるからである。
 本居宣長は、『古事記』序に太安万侶が――すべての「文字(漢字)」の字源・原義である「銀河各部の形状」に直せば、『古事記』に記述された真実の歴史が解明できる――と指摘した歴史の解明方法が記述されていることに気づかなかった。そして、この宣長研究の欠陥に、学者たちはまったく気づかない。このため、『古事記』に記述された真実の歴史がことごとく排除された。
 このため、白石以後の邪馬台国学説と宣長以後の日本神話学説は【誤読】の空論となった。というのも、『古事記』の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部には当時(3世紀後半)に作られた史跡と密接に関係する記述があり、この史跡が奇跡的に現存するため、この説話は真実の歴史を記述するものであったことが科学的に証明できるからである。この【科学】にもとづく証明の結果、今日の邪馬台国学説と日本神話学説は完全に【誤読】の空論であることが否定できない事実となる。この完全証明によって、『魏志倭人伝』の全記事は正しく真実を伝えるものであることが証明され、学者たちがことごとく排除した『古事記』に記述された歴史をも蘇えらすことができる。

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