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2013年12月27日 (金)

日本が滅びる・79

愛、あざやかに永遠であれ(20)・朝日新聞の「箸墓・卑弥呼の墓説」の報道は日本人の命と魂を徹底的に侮辱する最悪のデマである

◆わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の前々回(77)の末尾で――学者たちは『古事記』と『日本書紀』を【誤読】して、「崇神天皇は天照大御神であった」と伝える真実の歴史をことごとく排除して空論・虚偽の摩天楼を築きあげた。この【学者たちの誤読の空論】は極めて重大な問題であるので、今回の79回でも再度解説する――と約束した。
 また、前回(78)の末尾では――次回(80)から、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約(うけひ)説話についての解説を始める。この説話末部には当時(3世紀後半)に作成された史跡と密接に関係する記述が登場し、この3世紀後半に作られた史跡が奇跡的に現存する。このため、天照大御神と須佐之男命の誓約説話は真実の歴史を記述するものであることが科学的に証明できる。この【科学】にもとづく証明によって、『魏志倭人伝』の全記事は正しく真実の歴史を伝えるものであることが証明され、また学者たちが【誤読】を用いてことごとく排除した『古事記』に記述された真実の歴史をも蘇えらせることができる――と指摘した。


◆朝日新聞は2009529日ころから、A図に示す「奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡は邪馬台国」であり、纏向遺跡の範囲内に所在する「箸墓古墳は卑弥呼の墓である」という報道を、これまで幾度なくおこなっている。その証拠に、朝日新聞出版が201386日に発売した週刊『新発見!日本の歴史』8号「邪馬台国と卑弥呼の謎」においても、『日本書紀』崇神天皇紀が「倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)を箸墓に葬った」という記述を無視して空論〔箸墓・卑弥呼の墓説〕を吹聴(ふいちょう)する。
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 朝日新聞が報道する「箸墓・卑弥呼の墓説」は、完全なる【誤読】の空論であり、日本人の命と魂の根元を闇に葬り、抹殺する悪質きわまりないデマである。
 朝日新聞出版発行の週刊『新発見!日本の歴史』8号の13頁の「新視点 卑弥呼の墓、3世紀の王権は奈良に実在した!?」は、下記の文章から始まる。
 ――「魏志倭人伝」は、あくまでも文献の記録であり、考古学者が取り上げる資料と、必ずしも合致するとは限らない。
 
 しかし、B図に示す私が“「卑弥呼」の地上絵”と名づけた史跡を学術調査すれば、この史跡に保存されている資料(学芸知識)と『魏志倭人伝』に記述されている事柄はすべて合致することが明らかとなる。
 『魏志倭人伝』は280289年に著作され、「卑弥呼」の地上絵は260290年ころに作成されたと考えられるので、両者は同じ3世紀後半に作成されたことになる。
 B図に示す「卑弥呼」の地上絵は、次回から解説する天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部に登場する「遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の祖(おや)の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)」が作成した。ゆえに、「卑弥呼」の地上絵は「遠江国造の先祖の建比良鳥命」という3世紀に生存した歴史上に実在した人物が作ったので、彼は箸墓に葬られた倭迹迹日百襲姫命や崇神天皇、そして伊耶那美命や伊耶那美命が生存した時代の出来事を直に目撃していたことになる。このような建比良鳥命が残した1千万坪の巨大な大鳥の形をした「卑弥呼」の地上絵に保存された学芸知識を解明すると、箸墓・卑弥呼の墓説と纏向遺跡・邪馬台国説は完全なる【誤読】の空論であることが科学的に証明される。

◆上記した週刊『新発見!日本の歴史』8号の――「『魏志倭人伝」は、あくまでも文献の記録であり、考古学者が取り上げる資料と、必ずしも合致するとは限らない――という思考方法を学者たちは誰一人「その考え方はデタラメだ」と抗議しない。このことが明白に示すように、考古学界はじめ古代史学界と朝日新聞社は――『魏志倭人伝』の記述と考古学者はじめ学者たちが取り上げる資料が必ずしも合致すると限らなくてもよい。なぜならば、先人が残した文献の記録は物語であるから、『魏志倭人伝』の全記事を信用するなんてことは最初(はな)から妄想に陥ることであり、個々の記述を必ず批判しなければならないことになる。この〔文献批判〕を基本原則にすれば必ず歴史的事実を解明できる――と信じていささかも疑っていないことになる。

◆学界と朝日新聞の思考原則の場合、『魏志倭人伝』の記述を50ヵ所も100ヵ所も合致しなくてもよいことになる。極端な言い方をすると学者たちが取り上げる資料が正しので、『魏志倭人伝』のすべての記事とも合致しなくてもよいと主張するものとなる。
 学界は、邪馬台国畿内大和説と邪馬台国九州説が最も正しいと信頼する。この両説は『魏志倭人伝』の全記事に合致しない、典型的な【誤読】の産物である。
 C図に示すように、地上絵で世界的に有名なナスカの地上絵の最大の鳥の絵の全長は300m、翼長は90mである。B図に示すように、「卑弥呼」の地上絵の全長は約8.5km、翼長は約9kmである。「卑弥呼」の地上絵の全長を85mm、翼長を90mmに縮小する倍率でナスカの地上絵の最大の鳥を縮小すると全長は3mm、翼長は0.9mmとなる。
 「卑弥呼」の地上絵のように巨大な大鳥の地上絵は、現在の国土地理院の精密日本列島地図の製作原理に共通して、D図に示す〔天頂点をキャッチして、精密に天頂緯度と子午線を測量する方法〕でE図に示す経緯度原点のA地点を設定し、このA地点を基に三角形の網や鎖を形作る三角点やその他の基準点を測量・設定して「卑弥呼」の地上絵を図化したことになる。
 B図に示す「卑弥呼」の地上絵は、現在の静岡県浜松市北区細江町の行政区域を表示する地図の形として現存する。
 週刊『新発見!日本の歴史』8号の27頁は、細江町から出土した銅鐸を注目して〔滝峯(たきみね)の谷〕と題して――浜松市旧細江町の「滝峯の谷」では突線鈕式銅鐸6点が狭い地域から近接して出土している――と指摘する。
 〔滝峯の谷〕から出土した6口のうちの滝峯第1号鐸の原寸大の模造鐸を、198611月に、私は静岡県沼津市の渡辺板金所の主人・渡辺進一氏に依頼して銅板で精巧に作っていただいた。F図は渡辺氏が作った模造鐸である。
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 わがブログ「卑弥呼の逆襲:【用語の解説】」の「7[]のキャッチ」で解説したように、銅鐸は天頂点をキャッチできる構造となっているので、精密に天頂緯度と子午線が測量できる。この「天頂点をキャッチし、精密に天頂緯度と子午線を測量する方法」が[]の字源となり字形となり原義となった。ゆえに、銅鐸はD図の天頂点を通過する銀河部位が天頂点に達した時に46秒間ぐらいの平らな一直線となる天頂緯度線と、天頂点と天頂点の真北または真南の目印(銀河部位や恒星など)を結ぶ子午線をキャッチする、つまり銅鐸は[]をキャッチするための玄象器物であった。
 3世紀後半に生存した遠江の豪族の建比良鳥命は眼力と技(わざ)を鍛錬して、D図上部とG図に示す[]をキャッチすることができたので、C図に示すちょうど1千万坪に作る巨大な鳥の形をした「卑弥呼」の地上絵図化することができた。
 シナ天文が最も重視した〔天の北極〕の高度を緯度に換算する方法では、巨大な「卑弥呼」の地上絵は図化することはまったく不可能である。これは、科学的事実である。

◆中国では紀元前1世紀に〔天の北極〕を最も重視するシナ天文が完成した。このため、2世紀末~3世紀になると紀元前1世紀以前に栄えていた[]をキャッチできる眼力と技(わざ)を鍛錬する習慣が廃(すた)れた。シナ天文が最も重視する〔天の北極〕を基準にすると緯度が不正確に測量されるので、中国と日本列島を隔てる大海に入ると間もなくして緯度(位置)も方角(経度)がまったく不明になって渡ることができなくなった。ゆえに、魏の使節も、帯方郡政庁(たいほうぐんせいちょう╱魏が朝鮮半島の一角に設置した出張機関)の使節も、大海を越えて日本列島に到着することはできなかった。
 いっぽう、日本列島では[]をキャッチできる能力は高い地位と多くの富と人々から称賛される名誉を得る方法であったゆえ、[]をキャッチする習慣が栄えていた。これゆえ、倭の使節が大海を越えて帯方郡・魏と国交を結ぶことができたために、『魏志倭人伝』が著作されることとなった。
 日本列島と朝鮮半島・中国大陸を隔てる大海の名は、「玄海灘」である。この大海は「天の北極を基準にすると往来することができないが、[]をキャッチすれば往来できる陸地から遠く離れる波の荒い海」であるので、「玄海灘」と名づけられた。
 H図に示すように、玄海灘に浮かぶ沖ノ島と伊豆諸島の神津島は同緯度(北緯3415)である。沖の島は日本列島の西端に所在し、伊豆諸島は東端に所在して両島は遥か遠くに離れるが、[]をキャッチできたので沖ノ島と神津島が同緯度であることを測量できた。
 I図に示す中国の海岸線地域の北部の気候は冷たく、南部の気候は暖かいので〔北冷南暖〕ということになる。日本列島の西端の沖ノ島は冬になると雪が降るので、その気候は冷たい。日本列島の東端の神津島は亜熱帯地区であるので、冬に雪が降らず、その気候は暖かい。したがって、日本列島は〔西冷東暖〕となる。冷たい気候で中国海岸線地域の〔北冷〕と日本列島の〔西冷〕は合致し、暖かい気候で中国海岸線の〔南暖〕と日本列島の〔東暖〕で合致するので、卑弥呼王朝は「日本列島の暖かい東端は中国の海岸線の暖かい南の方に伸びる」と定める転回日本列島地理を制定した。

◆『魏志倭人伝』には「其の道里を計るに当(まさ)に会稽(かいけい)の東治(とうじ)の東に在るべし」という記事がある。学者たちが最も正しいと評価する邪馬台国畿内大和説と邪馬台国九州説の立論基盤となる実際の日本地理は、J図に示すように、〔中国海岸線地域の会稽と東治の東北にある〕ので矛盾する。ところが、玄海灘に浮かぶ沖ノ島と伊豆諸島の神津島の〔西冷東暖〕で90度方位が転位すると卑弥呼王朝が制定した転回日本列島地理は「其の道里を計るに当に会稽の東治の東に在るべし」という記事と合致する。
 『魏志倭人伝』には方位を書く記述は14ヵ所存在する。
 I図とJ図に示す転回日本列島地理は14ヵ所の全記事と合理となって、新村出編『広辞苑』(岩波書店)が「世界の一部分を対称領域とする経験的に論証できる系統的な合理的認識」と定義する【科学】を成立させる。いっぽう、邪馬台国畿内大和説と邪馬台国九州説は14ヵ所のうち大半の箇所と相違するため【科学】がまったく成立しない。
 「玄海灘」という大海の名が明確に示すように、『魏志倭人伝』の14ヵ所の方位記事と合理となる転回日本列島地理は【科学】が成立するゆえ、[]をキャッチできる倭の使節と船乗りは玄海灘を往来して魏と国交を結ぶことができたので、原則史料である『魏志倭人伝』は実際に著作されたことが事実となる。しかし、学界が信頼する邪馬台国畿内大和説と同九州説は〔天の北極〕を基にする実際の日本列島地理を立論基盤とするゆえ、倭の使節は玄海灘を往来できなかったことになるので魏と国交を結ぶことができないため『魏志倭人伝』はこの世に実在しなかったことになる。
 要するに、邪馬台国畿内大和説と同九州説の場合だと『魏志倭人伝』には1字も文字が書かれていない白紙であったことになる。したがって、両説は実際に約2000字からなる『魏志倭人伝』には文字が1字も書かれていない白紙であったことになるゆえ、「邪馬台国」という4字も「卑弥呼」という3字も消えて無かったことになる。
 
 だから、朝日新聞が支援する「邪馬台国は纏向遺跡であった」とか「卑弥呼の墓は箸墓」であったという意見は即刻ナンセンスとなる。
 
 したがって、纏向遺跡・邪馬台国説と箸墓・卑弥呼の墓説はじめ邪馬台国畿内大和説と同九州説は「学者が取り上げる資料が正しいゆえ、『魏志倭人伝』の全記事と合致しなくてもよい」という条件が必要となる。ゆえに、このように「原則史料となる文献の全記事と合致しなくてもよい」という意見は【誤読】にもとづく妄想であることは明白となる。

 

 
◆わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・69」にて、『古事記』の序の初頭にある「しかれども乾坤(けんこん)初めて分かれて、参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)を作()し」という文は、「今から約4050年前の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、名門益氏の王子と若者たちが中国大陸から出発して荒波逆巻く大海を越えて日本列島に定住したために夏音(かおん)文字の学芸が伝来した」と語るものであることを解説した。
 紀元前21世紀の中国ではD図に示した[]をキャッチする眼力と技を鍛錬する習慣が栄えていたので、中国大陸から日本列島に移住することができた。もしも益氏一行が天の北極を基準にして緯度(位置)と子午線(方角)を測量するものであったならば、彼等は日本列島に移住することができなかったので、夏音文字は伝来しなかったことになる。
 中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝には――『古事記』が完成する10年前の702年に中国に派遣された日本国の遣唐使が「後稍(のちやや)夏音を習う」と中国王朝に告げた――という記述が存在し、秋田県鹿角市に所在する夏代初頭の国の特別史跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)には現在も明確に夏音文字の学芸知識が保存されている。もちろん、B図・C図の「卑弥呼」の地上絵にも夏音文字の学芸が完全保存されている。夏音文字は『魏志倭人伝』の人名・小国名をあらわす文字となり、『古事記』の随所に〔音〕という注がつく1字1音文字として記載され、『万葉集』にも記載されて現存する。
 だから、わが国の中国古代文字研究の第一人者とされる白川静博士が著作した『字統』(平凡社)9頁末部から10頁初頭にかけて〔わが国の漢字音〕と題して「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音韻学が取り入れられ、殊にその音韻史によってえられた諸法則が、原理的にはほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」と指摘する。
 「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む字音が現在残されているもののなかで、学者たちが「漢字の最も古い祖型」と定める上古音の契文(甲骨文字)よりも古い最古の夏音文字の字音である。中国で現存する上古音だと、「卑弥呼」は「ピミカ」となる。
 わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の70回で証明し解説したように、『古事記』序の末部にある――楷書の「日下(にちげ)」は夏音文字の「玖沙訶(くさか)」と同義となり、楷書の「帯(たい)」は夏音文字の「多羅斯(たらし)」と同義となる――と記述する文章は――楷書の字源・原義は夏音文字が「文字」とした「銀河各部の形状」であるので、すべての文字の字源・原義は「銀河各部の形状」となる。だから、『古事記』に用いられた「文字」を「銀河各部の形状」に直すと、真実の歴史が解明できる――と、『古事記』に記述された歴史を解明するに必ず必要な方法を伝える役目を有していたことになる。
 なぜ夏音文字の「文字」は「銀河各部の形状」であったか、この秘密はわがブログ「卑弥呼の逆襲:【用語の解説】」の「1・漢字」、「2・秋の銀河と夏の銀河」、「3・夏音文字」、「4・倉頡が死刑と定めた3つの掟」で解説した。
 わがブログ「卑弥呼の逆襲」は、太安万侶が『古事記』序に書いた歴史を解明する必須方法の指示にしたがって「漢字(文字)」を「銀河各部の形状」に直すと、『魏志倭人伝』『古事記』『日本書紀』に記述された真実の歴史が手に取るように明らかになる事実を証明する、これを目的にして作成するものである。

◆『古事記』序の初頭の「しかれども乾坤初めて分かれて、参神造化の首を作し」という文の後に「陰陽ここに開けて、二霊群品(ぐんぴん)の祖(おや)となる」という文が直結する。この文は「陰と陽とがここに開けて、伊耶那美命と伊耶那岐命の二神がわが国のすべてのものの生みの先祖となった」と意味する。なぜならば『古事記』の上巻は伊耶那岐命と伊耶那美命の説話から本格的に開始され、『古事記』上巻は【伊耶那美命が提唱し伊耶那岐命が受け継いだ日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えるために作成されたからである。要するに、【日本建国の〔愛〕の理念】が、この日本を生んだ「陰陽ここに開けて、二霊群品の祖(おや)」ということになる。

【日本建国の〔愛〕の理念】は、わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の74回・75回で解説したように、『古事記』上巻における(1)二度目の淤能碁呂島(おのごろしま)の聖婚説話と(2)国生み神話における伊予二名島(いよのふたなのしま)つまり四国における旧国伊予・現在の愛媛県の祭神の「愛比売(えひめ)」でも示される。さらに、わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・18」で解明し証明したように、(3)伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部の千引石(ちびきのいわ)の前で伊耶那岐命は「吾(あれ)一日に千五百の産屋(うぶや)立てむ」と、亡き愛妻・伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を高らかに掲げて宣誓した。さらにさらに、【日本建国の〔愛〕の理念】は(4)三貴子の分治説話で示唆され、また(5)須佐之男命の啼きいさち説話と(6)須佐之男命が都に上る説話(定説では「須佐之男命の昇天説話」と呼ぶ)は【日本建国の〔愛〕の理念】にもとづいて作成される。
 現在、出版されるすべての書物は天照大御神を最高神と定める。この天照大御神(黄泉国の伊耶那美命)は千引石の前で「汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日に千頭絞(ちがしらくび)り殺さむ」(伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民の母親の産道が狭くなるように呪って、一日に千人の胎児の頭を絞め殺す)と誓った。
 『古事記』は伊耶那美命を最高神と定め、日本の生みの祖(おや)は【日本建国の〔愛〕の理念】と定める。これに対し、現在の全書物は【日本建国の〔愛〕の理念】を憎悪し呪い祟った天照大御神を最高神と定める――ゆえに、【誤読】の産物であることは明白である。

◆以上のごとく、3世紀に生存した建比良鳥命が夏音文字の学芸知識で作成したC図の「卑弥呼」の地上絵を注目すると、現在の日本地図で立論する纏向遺跡・邪馬台国説と箸墓・卑弥呼の墓説は倭の使節も玄海灘を渡ることができなかったことになるので、『魏志倭人伝』そのものが著作されなかったことになって立論すること自体が無意味となる【誤読】の空論である。このようなナンセンスきわまりない学者たちの【誤読】から生まれた妄想を朝日新聞は真に受けて、先人たちが失ってはなるものかと命を賭けて守った【日本建国の〔愛〕の理念】を徹底的に侮辱する悪質きわまりない暴力的なデマを吹聴する。
 纏向遺跡・邪馬台国説と箸墓・卑弥呼の墓説話は「ゴキブリ野郎の日本人め、なんで生きているんだ、とっと死ね。目障りだ。一日に日本人を千人ずつぶっ殺す」という誓いを蘇えらせるものである。だから、朝日新聞が肩入れする説は単なるウソ八百だけでなく、古代史の初歩的心得と基本原則を知らない学者たちが学問を鼻にかける、その鼻くそと【誤読】を丸めた妄想であり、「一日に千人ずつ日本人をウジ虫やゴキブリのごとくたたきつぶしてぶっ殺す」とほざいて悪魔の所業を推進させる、日本を滅ぼす祟りである。

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