日本が滅びる・86
●愛、あざやかに永遠であれ(26」・天照大御神と須佐之男命の誓約説話の解明(5)
■『古事記』における宗像大社三女神の秘密を解明する(2)
◆『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話には胸形君(むなかたのきみ╱宗像の王族)の天菩比命(あめのひひのみこと)が登場する。天菩比命一族は宗像市大島村の沖ノ島・宗像市大島・宗像市玄海町田島に鎮座する三女神に謹んで奉仕した。
この『古事記』天照大御神と須佐之男命の誓約説話にある〔宗像の三女神の記述〕によって、『魏志倭人伝』のすべての記事は真実を伝えるものであると科学的に証明できる。『魏志倭人伝』には一点も〔誤読=文献批判〕を加える必要がない。学者たちが加えるすべての〔文献批判〕は〔誤読〕であると断定すると、史実が明らかとなる。
わがブログ「愛、あざやかに永遠であれ・天照大御神と須佐之男命に誓約説話の解明」の(2)と(3)にて、天照大御神と須佐之男命が倭の大乱を回避して不戦の誓約を交した歴史を解明した。この不戦の誓約は、西暦260年ころの出来事であった。『魏志倭人伝』は280~289年に作成された。ゆえに、『古事記』天照大御神と須佐之男命の誓約説話における宗像の三女神の記述は、『魏志倭人伝』に記述された卑弥呼王朝の天文地理学と夏音文字(夏文字)を明確に伝える史料となる。
◆『魏志倭人伝』には方位を書く記事は15ヵ所ある。この15ヵ所に一点も〔文献批判〕加えないで、忠実に読解するとすべての方位記事は矛盾点も一点も存在しないことになって合理が成立してA図のごとくなる。
古代史研究家の古田武彦氏は、『魏志倭人伝』の倭女王卑弥呼が居住した女王国の名は「邪馬台国」は誤り、「邪馬壱(やまい)国」と記載されていると証明した。A図に示すように、『魏志倭人伝』は「女王国・邪馬壱(やまい)国は現在の島根県と鳥取県西部(旧国の石見・出雲・伯耆)であった」と記述する。その証拠に、「女王国の東、海を渡ること千余里にしてまた国有り。皆倭種なり」という記事がある。A図に示す女王国より東の海上に浮かぶ4つの大島と約180の小島から構成される。だから、「(群島)皆倭種なり」と記述された。
A図の転回日本列島地理は実際・現在の日本地図と90度方位が時計回りに転位する。このような転回日本列島地理は〔天の北極〕を基準にすれば方位を絶対に90度誤るはずがないと――学者たちは断定して、個々の記事に批判を加える考え方こそが正しいと主張する。でも、卑弥呼王朝はA図のごとく日本列島は転回すると思い込んだ。
だから、古代にはA図と同じくB図のような日本列島が90度転回する日本地図が存在する。B図の転回日本地図は卑弥呼王朝が制定した日本地理を描いたものである。B図は明(みん)の建文(けんぶん)4年(1402年)に朝鮮で作られた「混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくのず)」の一部分の概略図である。
『魏志倭人伝』は日本列島について「其の道里を計るに当(まさ)に会稽(かいけい)・東治(とうじ)の東に在るべし」と記す。C図が証明するように、学者たちが主張する実際の日本列島は中国の会稽・東治の東北に存在するので不合理となる。他方、『魏志倭人伝』に一点も〔文献批判〕を加えないA図・B図の転回日本列島地理は会稽・東治の東に所在して合理となる。
◆卑弥呼王朝は紀元前1世紀に中国で完成した〔天の北極〕を最も重視するシナ天文を習得していなかった。卑弥呼王朝の政権基盤は〔易〕が最も重視した〔[玄]のキャッチ〕であり、〔[玄]のキャッチ〕は富と名誉を手に入れる方法であった――だから、卑弥呼王朝は〔[玄]のキャッチ〕に則ってA図の転回日本列島地理こそが正しいにちがいないと考えた。
2世紀初頭に完成した字書の聖典『説文解字』は[易]の字源を「蜥易(せきえき)なり」と解説する。「蜥易」とは「トカゲ」のことであり、『原色現代科学大事典 5――動物Ⅱ』(学習研究社発行)は〔トカゲ〕について「かならずもとのすみかにもどるという帰家性がある」と指摘する。ゆえに、[易]は(Ⅰ)「大海に入った人、遠い地に旅した人が家へかならず帰還できる方法」であった。また、中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』の繋辞(けいじ)上伝は(Ⅱ)「易は天地と準(なぞらう)。能(よく)天地の道を弥綸(びりん)す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す」と説いているように、地理を察(あきらか)にして地図を作製する原理でもあった。ゆえに、卑弥呼王朝はA図に示した日本列島はじめ各小国の地理を明らかにして地図を作製していた。
というのも、〔易〕が最も重視した〔[玄]のキャッチ〕によると精密に緯度と子午線(経度)が計測できたゆえ、(Ⅰ)のごとく大海に入った人も遠くの地に旅した人も家に帰ることができ、(Ⅱ)A図に示す日本列島や各小国の正確な地図が作製できたのである。現在の国土地理院が作製する精密列島地図の原理は〔[玄]のキャッチ〕にもとづいて経緯度原点地を定めるもので、〔天の北極〕をもって経緯度原点を定めるものではない――だから、現在の国土地理院と卑弥呼王朝の地図作製方法の原理は同じとなるので、卑弥呼王朝は正確な地図を作製できたことになる。
なぜならば、『魏志倭人伝』には(Ⅰ)「倭には易の風習があった」、(Ⅱ)「古代より日本列島に住む使者は中国に到着した」・「倭の王、使節を魏都・帯方郡・諸韓国に遣わした」・「倭の使節難升米(なしめ)一行が魏都に到着した」・「倭の載斯烏越(そしあお)一行が帯方郡に到着した」・「倭の使節掖邪狗(ややこ)一行は魏都に到着した」という記事が存在するゆえ、倭では(Ⅰ)と(Ⅱ)が成立しない〔天の北極〕を重視する天文地理学は存在しなかったことになる。だから、(Ⅰ)と(Ⅱ)が成立する〔[玄]のキャッチ〕が卑弥呼王朝の政権基盤であったことになる。これゆえ、A図に示す地図は卑弥呼王朝が独占管理して厳重な機密とし、この正確な地図の秘密を暴露した者は即刻死刑となった禁忌(タブー)であったことになる。
◆A図の転回日本列島地図と中国地図を合体すると、D図のごとくなる。
D図に記した「玄海灘」という名は「[玄]をキャッチすれば往来することができる波の荒い海」と意味する。
E図の天頂点を通過する銀河部位の軌道は最も南の部分で〔天頂緯度線〕となり、〔天頂点と真北あるいは真南の目星(星や銀河部位)を結ぶと子午線〕となった。この「天頂緯度線と子午線」が[玄]である。
すべての人々にそなわっていなかったが特殊な人々の目は鍛錬すると、中国における北緯35度と日本列島の北緯35度1分の両地におけり1分の緯度差が計測できた。この特殊の能力を「呪力(じゅりょく)」あるいは「呪能(じゅのう)」と言った。これゆえ、〔[玄]のキャッチの呪力〕によって、F図に示す日本列島の西端に所在する玄海灘に浮かぶ沖ノ島北端と日本列島の東端に所在する伊豆諸島の神津島(こうづしま)の北端がほぼ同緯度であり、F図が示すように沖ノ島北端は神津島北端よりも少しだけ緯度が高いことが計測できた(約30秒の緯度差である)。
◆D図に示すように、中国の海岸線地域の北部の気候は冷たく・南部は暖かいので〔北冷南暖〕となる。日本列島の西端の沖ノ島は冬に雪が降るゆえ〔西冷〕となり、日本列島の東端の亜熱帯地区の神津島は冬になっても雪が降らないゆえ〔東暖〕となる。中国の海岸線地域の〔南部〕と日本列島の〔東端〕は暖かい気候で一致する。ということは、日本列島の東は中国海岸線地域の南の方へ伸びていると考えたほうが合理となる。
これゆえ、卑弥呼は〔日本列島は東に伸びるのではなく、南に伸びると考えたほうが鬼神(きじん)の真意にかなって勝る理となると指摘する転回日本列島地理〕を提唱した。この卑弥呼が立論した転回日本列島地理の出現によって、諸国の王たちは殺し合う戦争は神意に背くものと深刻に考えるようになったために倭の大乱は鎮まった。この歴史を、『魏志倭人伝』は「倭国は、もと男子が大王であった。七、八十年前から倭国は乱れ、何年ものあいだ王たちは互いに攻撃し討伐を繰り返した。しかし、一女子を女王に選んで男王と協力しあう共立国家を樹立した。この一女子の名は卑弥呼という。卑弥呼は鬼道(きどう╱鬼神の道)を祭って民衆を立派にまとめて天下を治めていた」と記述する。
多くの学者たちは「鬼道を事(まつ)って能(よ)く衆を惑(まどわす)」の[惑]の字に[妖]や[眩]の字を加えて「眩惑する」と誤読する。わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静著『字統』(平凡社発行)は[惑]について「國(国)の初文。もと国の意に用いる」と解説する。ゆえに、[國]の[囗]の中の[或]の下に[心]を加えると[惑]となるゆえ、[惑]の原義は「民衆の心をまとめて国を治めた」であった。
わがブログ「卑弥呼の逆襲」で何度も取り上げて証明したように、わが国は今から約4050年前の中国の夏代(かだい)初頭に原初漢字が伝来し、この「夏文字」をわが国では「夏音文字」と呼んだ。秋田県鹿角市に所在する国の特別史跡の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)は夏代初頭に相当する史跡であり、この史跡には夏音文字の学芸が伝来した痕跡が現在も明確に残っている。また「卑弥呼」を「ヒミコ」とする字音は夏音文字の字音であり、中国の最古の字音として残る上古音の「ピミカ」よりも古い。『魏志倭人伝』にある「倭の易における卜辞に用いる文字は令亀(れいき)の法のごとく」という文は「倭の易の卜辞に用いる文字は殷代の亀の甲羅に刻む甲骨文字(契文)のごとくである」と伝えるゆえ、倭には夏音文字があったことになる。また、「伊都国の港において、卑弥呼が書く夏音文字の文書と魏都・帯方郡・諸韓国の楷書は差錯(ささく╱相違)していたので、点検し確認して間違い・誤解が生じないようにしていた」とも証言する。
◆『古事記』天照大御神と須佐之男命の誓約説話は――F図の沖ノ島には宗像の三宮うちの奥津宮(おくつみや)が所在し、G図に示す宗像市大島には辺津宮(へつみや)が所在した――と記載する。現在は、大島には中津宮(なかつみや)が所在する。
G図に示すように、日本列島西端の玄海灘に臨む宗像の大島と日本列島東端の伊豆諸島はおおよそ同緯度である(わずか19分の緯度差)。宗像の大島と伊豆諸島の神津島の地図の形は互いに相似しあう。F図に示す神津島はD図に示す〔東暖〕の転回日本列島地理の基点となった。奥津宮が鎮座した日本列島の西端の沖ノ島はD図の〔西冷〕の基点となり、G図のごとく宗像の辺津宮が鎮座する大島と神津島の地図の形は相似し、この両島は「十字の銀河の子宮」の形に類似する。
◆H図に示すように、「十字の銀河」は[天]の字(字源・字形・字義・夏音)となった。『説文解字』は[天]の字源を「至高にして上なし。一大に従ふ」と解説する。「至高」すなわち「最も高い天体部」はE図の右上の「天頂緯度線と天頂点」である。中国とわが国では今から約6000年前から2200年前ころまで、H図に示す「十字の銀河」が天頂にめぐってきたゆえ、「十字の銀河」の各部位が各地の天頂緯度線となりまた[玄]となった。だから、「十字の銀河」は[天]の字となった。
今から約5000年前に生存した“漢字の始祖”と崇拝された倉頡(そうきつ)は、わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・8」に掲載した資料Aの「秋の銀河と夏の銀河各部の形状に類似するように図案したすべての図書を女体に相似する十字の銀河を母とし、十字の銀河の子宮から産まれるように考えれば、多数の文字が作れる」という漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕を発明した。ゆえに、わが国に伝来した夏音文字は倉頡が発明した漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕が保存される貴重な文字となった。
わがブログ「卑弥呼の逆襲:【用語の解説】」の「4・倉頡が死刑と定めた3つの掟」で指摘したように、夏音文字は卑弥呼王朝が独占管理して厳重に機密保持し、〔書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者は即刻死刑に処せられた〕ため、遺物となって発見されない文字となった。しかし、夏文字は地名・人名・物の名・言語などをあらわす〔音〕として残ったゆえ、わが国では「夏文字」を「夏音文字」と呼んだ。夏音文字は『魏志倭人伝』の人名、A図の小国名として残った。また、『古事記』上巻において〔音〕という注が付く1字1音文字として多数残って実在する。
『魏志倭人伝』は「伊都国の港において、卑弥呼が用いた夏音文字を魏都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書に変換していた」と記述する。だから、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記載された夏音文字は楷書で表記されて実在する文字となった。
◆『古事記』天照大御神と須佐之男神の誓約説話末部に記載される宗像の三女神に斎(いつ)く(謹んで奉仕する)宗像王の名を「天菩比命」と記す。『日本書紀』神代紀は「天菩比命」を「天穂日命」と表記する。ゆえに、[菩]の字義は「禾(稲の穂)」であったことになる。
I図に[禾][委][倭]の字源銀河を示した。[禾](稲の穂)の下に、「十字の銀河」が相似する〔女体〕の[女]を加えると[委]となる。「十字の銀河」は大海に入った人や遠くの地に旅した人が[玄]をキャッチして「天の神に自らの命をゆだねるところ」であったゆえ、[委]の字義は「ゆだねる」となった。[委]に[人]が加わると[倭]となった。
I図に示すように、[倭]の字源には「銀河部の東から西へと移動する日周運動に則って、〔南〕を〔西〕に転位する法則」が定められた。つまり、I図の「禾の穂」はA図の〔転回方位規定〕をあらわすものであったゆえ、宗像王の名は[倭]の字源をあらわして「天菩比命・天穂日命」となったのである。
J図が「北→東・東→南・南→西・西→北に転位する」と示すように、[倭]の字は「時計回りに90度方位が転位する法則」をあらわした。
ゆえに、卑弥呼王朝が制定したA図の「転回日本列島地理」は[倭]の字源をあらわしたので、国名は「倭」となった。
◆前回のブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・85」のK図を、今回もK図とした。前回
で解説したとおり、宗像平野の地図の形は[弥]の字源「カンムリカイツブリ」の繁殖行動する時の姿(L図参照)に相似すると見立てられた。
K図のカンムリカイツブリの想定図の顎(あご)の部分は宗像市玄海町の漁業の中心となる神湊(こうのみなと)の港が在る上中の岬に接触する。
M図に『古事記』宗像の辺津宮が鎮座した大島と、勝島(かつしま)と、神湊港を示した。
N図は、「天菩比命」という名で表示された[倭]の字源(I図・J図を参照)に則って90度方位を転回した勝島と神湊港がある上中の岬の地図である。
O図は、前回のブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・85」のM図であり――このO図は上記した『易経』繋辞上伝にある「易は天地と準う。ゆえに能く天地の道を弥綸す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す」という文をあらわすゆえ、「山東半島」は「弥綸」という語のうちの[弥]の字源地宜であることを証明した。
N図に示すように、[倭]の字源の転回方位にもとづく〔上中の岬の地図の形〕はO図に示す〔山東半島の地図の形〕にそっくりとなる。
N図に示すように矢の先端のごとく尖った勝島の磯は転回方位の西南を指差し、その延長線はC図・D図・O図に示した〔会稽〕へ至る。白川静著『字統』は「勝島」の[勝]の字源について「勝敗はすべて神事的な卜占から出た語とみてよい。ゆえに勝とは神意にかなうものであり、その結果勝利がもたらされる。」と解説する。したがって、M図に示す現在方位の上中の岬の形は神意にそむく[敗]をあらわし、N図の転回方位に則る上中の岬の形は[弥]の字源地宜の「山東半島の地図の形」に合致して神意にかなうものとなり[勝]を明確に示す。だから、N図における上中の岬の上部にある島の名は「勝島」となり、この勝島は中国海岸線地域の〔南暖〕を示す会稽を指差すゆえ、『魏志倭人伝』には「倭国の道里を計るに会稽・東治の東に在るべし」という文が記載されたのである。
◆P図は前回のわがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・85」のS図である。『説文解字』は[不]の字源を「鳥飛んで上翔し、下り来らざるなり。一に従ふ。一はなほ天のごときなり」と解説する。『説文解字』が[天]の字源を「至高にして上なし。一大に従ふ」と解説する文中にある「一大」は、H図に記したように「十字の銀河の子宮」である。
P図の長崎県・壱岐の小国名を、『魏志倭人伝』は「一大国」と記す。つまり、〔壱岐の地図の形は大字形〕であるので、「十字の銀河の子宮」に見立てられて「一大国」と名づけられた。
P図の〔津屋崎の海岸線〕は、O図の[弥]の字源「山東半島の地図の形」に相似する。また、[弥]の字源を示す〔津屋崎・宗像の平野部の地図の形〕は「[天]の字源の一部となる十字の銀河の子宮に見立てられた一大国の方に向って、まるで鳥が上空を飛翔し、地に下って来ないような形状」に観える。だから、[不]と[弥]の字源を示す宗像は「不弥国」と名づけられた。
P図の玄海灘に配した〔転回方位〕はI図の[倭]の字をあらわしたゆえ、宗像に住む王の名は[倭]の転回方位をあらわす「天菩比命・天穂日命」となったのである。
◆『魏志倭人伝』の15ヵ所すべての方位記事が合理となる〔[玄]のキャッチ〕にもとづく転回日本列島地理は、C図が証明するように会稽・東治の〔東に所在〕して合理となる。
いっぽう邪馬台国説学者たちが主張する〔天の北極〕にもとづく実際の日本列島地理は、C図に示すように〔会稽・東治の東北に所在〕して矛盾する。
学者たちは〔緯度の測定〕には(1)〔[玄]のキャッチ(天頂緯度線)〕と(2)〔天の北極の高度を緯度に換算する方法〕の二つの方法があり、〔天の北極による緯度換算する方法〕では大海を往来できなくなることに気づいていない。
〔科学の法則〕によって〔天の北極で緯度と子午線を定める航海法〕では玄海灘と大海を往来することができないということは紛れもない事実である。他方、〔[玄]をキャッチする航海法〕ならば精確に緯度と子午線が測量できたゆえ玄海灘・大海を往来できたことがいかなる権威ある学者でも否定できない〔科学の法則〕にもとづく明確な事実である。
倭の使節が大海を往来できなかったならば魏と倭は国交を結ぶことができなかったことになる。ゆえに邪馬台国学説だと、国交を結べたからこそ著作することができた『魏志倭人伝』そのものがこの世には存在しなかったことになる。だから、邪馬台国学説は学術の体をなさない空論・空想の産物であったことになる。
ゆえに、『魏志倭人伝』の15ヵ所の方位記事に文献批判を一点も加えなければすべて合理となって[倭]の字源の「転回方位」が成立し、さらに大海を往来できた方法の〔[玄]のキャッチ〕という〔科学の法則〕によって、「転回日本列島地理と夏音文字があった」と伝える全記事は【科学】が成立して真実であったことになる。
以上のごとく、『魏志倭人伝』はすべての記事は真実の歴史を伝えるものであった。次回においても、不弥国・宗像の地図の形を注目して学者たちの〔文献批判を加える思考方法〕は【科学】に反して史実と証明できない〔誤読の空論・絵空事〕であることを証明する。
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