日本が滅びる・85
●愛、あざやかに永遠であれ(25)・天照大御神と須佐之男命の誓約説話の解明(4)
■『古事記』における宗像大社三女神の秘密を解明する(1)
◆このブログ「日本が滅びる:天照大御神と須佐之男命の誓約説話の解明」シリーズの3回前の(2)・前々回(3)で解説したように――『古事記』上巻の《天照大御神と須佐之男命の誓約》説話における「天照大御神」は「第10代崇神天皇」である。
崇神天皇の実父は第8代孝元天皇、生母は伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)・後に倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)と改名した。また、崇神天皇の生母は『古事記』上巻の《伊耶那岐命の黄泉(よみの)国訪問》説話に登場する「伊耶那美神命(黄泉国の伊耶那美命)」である。『古事記』上巻の《伊耶那岐命の黄泉国訪問説話》末部にて「崇神天皇の生母の伊耶那美神命(いざなみのかみのみこと)は“黄泉津(よもつ)大神”または“道敷(ちしき)大神”と号された」と記す。
『古事記』中巻の開化天皇紀は崇神天皇の養父となった第9代開化天皇について「天皇は春日の伊耶河宮(いざかわのみや)に居住して天下を治めた。天皇は旦波(たには╱旧国の丹波)の大県主(おおあがたぬし)の由碁理(ゆごり)という方の娘の竹野比売(たかのひめ)と結婚して生まれた子は、比古由牟須美命(ひこむすみのみこと)である。また、庶母(ままはは╱継母)の伊迦賀色許売命と結婚して生まれた子は御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと╱崇神天皇)である」と説明する。
開化天皇が居住した宮殿「伊耶河宮」と「伊耶那岐命」の先頭2字は共に「伊耶」であるゆえ、「開化天皇」は「伊耶那岐命」であったことになる。したがって、正妃の「竹野比売」が「伊耶那美命」であった。伊耶那岐命(開化天皇)と竹野比売(伊耶那美命)の間に生まれた子の「比古由牟須美命」が「須佐之男命」である。
だから、『古事記』開化天皇紀における「開化天皇と第二后の継母の伊迦賀色許売命の間に生まれた子が崇神天皇である」という文の「生まれる」は「父と子の関係が生れた」と伝えるものであったことになる。というのも、『古事記』中巻の崇神天皇紀の《建波邇安王(たけはにやすのみこ)の反逆》の箇所に、崇神天皇が建波邇安王を「庶兄(まませ╱異母兄)」と呼ぶ記事があるからだ。『古事記』中巻の孝元天皇紀は「開化天皇と建波邇安王と、天皇と伊迦賀色許売命の間に生まれた比古布都押之信命(ひこふつおしのもことのみこと)は異母兄弟であった」と書く。ゆえに、「比古布都押之信命」は「崇神天皇」であり、伊耶那岐命(開化天皇)の養子となって「御真木入日子印恵命」と改名したことになる。
◆わがブログ「日本が滅びる・18」で現代語訳して歴史の真相を明確にしたように――『古事記』上巻の《伊耶那岐命の黄泉国訪問説話》の末部は、伊耶那岐命(後の開化天皇)は「千引石(ちびきのいわ)の前で離縁を告げた」と記述する。
この離縁に立腹した伊迦賀色許売命は「汝(いまし)の国の人草、一日の千頭絞(ちがしら・くび)り殺さむ」すなわち「国家繁栄の儀式である徇葬を否定して亡き伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重するあなたの国の人民の母親たちの子宮頸管(しきゅうけいがん╱A図参照)が狭くなるように呪い祟(たた)り、一日に必ず千人の胎児の頭を絞め殺すようにする」と誓った。
伊耶那岐命(開化天皇)が離縁を告げた〔千引石の前〕には、B図に示す現在の和歌山県新宮市磐盾町に所在する神倉(かんのくら)神社の社殿が建つ。千引石は、神倉神社の御神体となって現在は“ごとびき岩”と呼ばれる。神倉神社は天照大御神を主神として祭る。だから、神倉神社の社殿が建つ場所で、伊耶那岐命に離縁された崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命(倭迹迹日百襲姫命)は皇室が崇拝する至上神の皇祖・天照大御神であった。
◆前述したように、《天照大御神と須佐之男命の誓約》説話における「天照大御神」は「第10代崇神天皇」であった。
また、この説話は伊耶那美命が提唱した「【日本建国の〔愛〕の理念】を憎悪し呪い祟った天照大御神母子王朝(崇神王朝)を倒して、【日本建国の〔愛〕の理念】を国家理念にしようとした五人の王たちがB図の熊野に須佐之男王朝を創設するためにクーデターを計画した。しかし、須佐之男命は父の開化天皇の遺言“多賀”を守り、熊野王朝樹立を断念して崇神天皇と不戦の誓いを交した。崇神天皇は須佐之男命が帯びていた長剣を三つに打ち折り、この三つに折った剣を天の真名井(C図に示す師木の水垣宮より北側の狭井川の岸の水)で洗い清め、この聖水を口に含んで唇を狭めて息で霧を吹き、宗像の三女神をあらわして不戦を誓った。須佐之男命は天照大御神から多くの勾玉(まがたま)を貫き通す長い緒をもらいうけて、この緒を天の真名井で洗い清め、この聖水を口に含んで息を吐き出して霧を吹くようにして、開化天皇が併合した小国・日本と倭国の代表的な五人の王たちが須佐之男命の王朝を作らんとして崇神天皇王朝を倒すクーデターを計画していることを――五人の王たちの名を異名であらわして示唆(しさ)した。」と歴史を伝える。
◆崇神天皇と須佐之男命が不戦を誓った「さがみに噛みて、吹き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)に成れる儀式」すなわち「天の真名井の聖水を口に含んで霧吹きする儀式」について、前々回(3)にてD図に示す銀河の形状であることを証明した。
『古事記』は「崇神天皇の不戦の誓約から生まれた神の名は多岐理毘売命(たきりびめのみこと)、またの名は奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)という。次に現れた神は市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、またの名は「狭依毘売命(さよりびめのみこと)という。次に現れた神は多岐都比売命(たきつひめのみこと)である〔三柱〕。」と記述する。また、この説話の末部は「多岐理毘売命は胸形(むなかた╱宗像)の奥津宮(おくつみや)に坐す。次に市寸島比売命は胸形の中津宮(なかつみや)に坐す。次に田寸津比売命(たきつひめのみこと)は胸形の辺津宮(へつみや)に座す。この三柱の神は、胸形君(宗像王)等の以(も)ちいつく(謹んで奉仕する)三前(みまえ)の大神なり」と記す。
上記したように、前者の「多岐都比売命」と後者の「田寸津比売命」は両者とも「たきつひみのみこと」と読むゆえ同一神となる。
そうすると、《天照大御神と須佐之男命の誓約》説話末部は宗像の三柱の女神について、下記のごとく記載していることになる。
「宗像市大島村の沖ノ島に奥津宮(沖津宮)、宗像市玄海町田島に中津宮、宗像市大島に辺津宮が鎮座した。」
E図に、現在の宗像大社の三宮の配置を示した。
『古事記』の記述と現在の宗像大社の奥津宮は共に沖ノ島に鎮座したが、『古事記』に記述された中津宮は現在の宗像大社の辺津宮(E図参照)であり、『古事記』が記述する辺津宮は現在の宗像大社の中津宮(E図に示す大島)であるので――現在と『古事記』の宗像の中津宮と辺津宮の配置は異なる。
◆『古事記』に記述された宗像大社の三宮の名称は、F図の「十字の銀河」の各部の形状にもとづくものであった。その証拠に、「十字の銀河」は〔女体〕に相似する。ゆえに、宗像大社の神々は女神と定められた。
〔沖ノ島の地宜(ちぎ╱平面的に図化した地図の形)〕は瓢箪(ひょうたん)の形に類似し、「十字の銀河の頭部中央の暗黒天体部」の形は瓢箪の形に相似する。これゆえ、〔沖ノ島〕は「十字の銀河の頭部」に見立てられて「奥津宮」が鎮座することになった。
G図に示すように、『古事記』が辺津宮の所在地とする〔大島の地宜〕は伊豆諸島の神津島(こうづしま)と、そして「十字の銀河の子宮」の形に相似する。ゆえに、〔宗像大社の大島〕は「十字の銀河の子宮」をあらわす聖域となった。
G図に示すように、『古事記』の辺津宮すなわち現在の宗像大社の大島・中津宮は北緯33度54分、伊豆諸島の神津島は北緯34度13分であるゆえ、両島の緯度差は19分である。
H図に示すように、沖ノ島と神津島の北端は共に北緯34度15分で、両島の北端の緯度差は1分以下(約30秒の緯度差)である。沖ノ島の奥津宮(沖津宮)は北緯34度14分18秒であり、G図の神津島の物忌奈命(ものいみなみこと)神社は北緯34度13分であるから、両者の緯度差は約1分20秒である。このように日本列島の西端の沖ノ島と東端に所在する神津島の緯度差はおよそ1分しかない。だから、沖ノ島と神津島は「精密に天頂緯度線と子午線をキャッチする」をあらわすI図の右上に示す[玄]の字(字源・字形・字義・字音)をあらわすことになった。
これゆえE図上部中央に記すように、〔沖ノ島が浮かぶ波の荒い海〕は「玄海灘」と名づけられた。また、現在の辺津宮が鎮座する地は「玄海」と名づけられた。G図に示したように〔玄海町の大島〕は「十字の銀河の子宮」をあらわす聖域となった。
◆E図に示す現在の辺津宮を、『古事記』はF図に示す中津宮であったと記述する。
F図に示すように、「十字の銀河の胸」には“M39”と呼ばれる明るい星が集まる散開星団(さんかいせいだん)がある。電気がなかった古代では夜になると真っ暗になったので瞳孔の直径は最大に拡大されて、M39はすこし目をこらすと肉眼で見えた。
F図の「十字の銀河の“M39”」は「十字の銀河頭部と子宮部の中間にあるゆえ、『古事記』は「中津宮」と表記した。〔中津宮〕に見立てられた「M39」は〔十字の銀河の胸部にある〕ので、『古事記』の原文は「宗像」ではなく「胸形」と表記した。
J図は福岡県福津市の津屋崎(つやざき)町の海岸線と胸形の平野部の地宜である。
K図に、J図に示した地図にF図のM39と鳥の頭の絵を加えた。
J図に示した胸形の平野部の地宜は、長時間潜水するので“八丁もぐり”という俗称がある〔カンムリカイツブリの頸以下から胴体や翼〕の形に相似する。カンムリカイツブリの頸以下の体下面は銀白色で美しい。また、胸形の平野部の地宜はL図に示す〔繁殖行動する時に直立姿勢となるカンムリカイツブリの姿と波立つ水面の形状〕にも相似する。K図のM39の位置は、カンムリカイツブリの胸部に相当する。だから、M39・中津宮・田島は「胸形」ということになった。
◆M図に示す中国の海岸線を、中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』繋辞(けいじ)上伝は「易は天地と準(なぞら)う。ゆえに能(よ)く天地の道と弥綸(びりん)す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す」と記述する。高田真治・後藤基巳訳者『易経(下)』(岩波書店発行)は、文中の「弥綸」を「つくろいおさめる、洩れなく包み込む」と意味すると指摘する。
だから、M図に示す「中国全土を洩れなく包み込む海岸線」は「弥綸」と表現されたことになる。つまり、「山東半島の付け根から天津付近までと南の長江口あたりまでの海岸線」が[弥]、「長江口から杭州湾(こうしゅうわん)までの海岸線」は「綻(ほころ)びかのごとくに裂けるかのごとくになるが、つくろいおさまる杭州湾南部の海岸線はなだらかな円弧を描く」ので[綸]の字義をあらわすことになった。
N図に示すように、「杭州湾」は「鳰(カイツブリ)」の姿に相似すると見立てられた。
『説文解字』は[呼]の字源を「息を外(は)くなり」と解説する。M図の〔山東半島の付け根から杭州湾までの海岸線〕は〔虎の横顔〕あるいは〔人の横顔〕に相似すると定められた。「杭州湾」の地宜は〔虎の口〕あるいは〔人の口〕に見立てられた。これゆえ、「杭州湾」は『説文解字』が「息を外くなり」と解説する[呼]の字源地宜となった。
N図の「杭州湾」は〔鳰の姿〕に相似するので、「鳰」も[呼]の字源となった。
O図に示すように、「M39」は〔鳰と浮巣〕に相似するので[呼]の字源となった。
◆F図の「十字の銀河」の[呼]の字源銀河部「M39」は北、M39より大きな「十字の銀河の子宮」は南に位置するに対し、M図に示す[呼]の字源地宜「杭州湾」は南、杭州湾より大きな[弥]の字源地宜「山東半島」は北にある。つまり、「十字の銀河のM39と子宮と、中国海岸線の[弥]の山東半島と[呼]の杭州湾」の南北の大きさが不一致となって南北が逆転する関係」が[不]の字源となった。
『説文解字』は「十字の銀河のM39と子宮」と弥綸する中国海岸線の形状が不一致となる[不]の字源を、M図に示す「山東半島と廟島列島(びょうとうれっとう)の地宜」をもって要約した。『説文解字』は[不]の字源を「鳥飛んで上翔(じょうしょう)し、下り来らざるなり。一に従ふ。一はなお天のごときなり」と解説する。つまり、M図における[弥]の字源地宜となる「カンムリカイツブリの頭となる山東半島と廟島列島」の形状が「鳥飛んで上翔し、下り来らざるなり」となる。「鳥飛んで上翔し、下り来らざるなり」とは「カンムリカイツブリが地に下って来ないで、上空を飛翔している」と意味する。というのも、カンムリカイツブリは東部シベリアで繁殖して、中国では冬に生息する渡り鳥であるゆえ、中国の人々にとって上空から飛来する姿や上空へ去ってゆく姿が印象的となった。このため、[不]の字源は「鳥飛んで上翔し、下り来らざるなり」と解説された。
P図の[道]の字源銀河における「オス鹿の横顔に似る銀河」は、Q図の[道]の字源地宜「山東半島と廟島列島」に相似する。つまり、Q図「山東半島」は〔鹿の横顔〕のごとくに観え、「廟島列島」は〔シカの角〕に相当するので、P図の[道]の字源「オス鹿の横顔に似る銀河」に相似する。「鳥飛んで上翔し、下り来らざるなり」という形状となる「山東半島」の北側に在る「廟島列島」は、P図の「十字の銀河」に相当する。この「十字の銀河」に相当する「廟島列島」を、『説文解字』は「一に従ふ。なほ天のごときなり」と解説した。R図に示すよう、「十字の銀河」は[天]の字源であり、「十字の銀河の子宮」は[一]と[大]の字源であったので「一大」となった。だから、Q図の「山東半島と廟島列島」は[不]の字源地宜となり、『説文解字』は「鳥飛んで上翔し、下る来らざるなり。一に従ふ。一はなほ天のごときなり」と解説したのである。
◆『魏志倭人伝』にある15ヵ所の方位記事は、すべて「西→北」(北→東・東→南・南→西)にする、実際の方位を90度時計回りに改定する転回方位となる。
S図の玄海灘の箇所に、現在の〔西〕を〔北〕に改定した転回方位を表示した。
S図は、転回方位に則る『魏志倭人伝』に記載された「一大国と不弥国」の図である。
壱岐はR図に示す「一大」となった「十字の銀河の子宮」の形に類似すると見立てられて「一大国」と名づけられた。
「津屋崎の地宜」は「山東半島の地宜」に相似するので[弥]となる。転回方位に則る[弥]の津屋崎の北は〔玄海灘〕であるゆえ、Q図の[弥]の「山東半島」の北にある「廟島列島」と不一致となる。しかし、転回方位の北には[天]の字源「十字の銀河」の子宮に相当する〔一大国〕が所在するので、〔津屋崎・胸形の地宜は[天](R図)に向かって飛翔して下り来らざるカンムリカイツブリの姿〕に観える。したがって、S図の「一大国と津屋崎・胸形の地宜」の形状は[不]の字源「鳥飛んで上翔し、下り来らざるなり。一に従ふ。一はなほ天のごときなり」という解説に合致する。
だから、[不]と[弥]の字源をあらわすので「津屋崎・胸形」の小国名は「不弥国」と定められた。
S図の玄海灘の箇所に示した〔西を北に転位する転回方位〕に則ると、『魏志倭人伝』の15ヶ所の方位記事が一点の矛盾点も弱点も存在せずにすべて合理となって【科学】が成立する。だから、不弥国は卑弥呼王朝が制定した転回日本列島地理を表示する聖地であった。
次回は、不弥国は転回日本列島地理を表示する聖地であった秘密について解説する。
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