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2014年4月 6日 (日)

日本が滅びる・90

愛、あざやかに永遠であれ(30)・天照大御神と須佐之男命の誓約説話の解明(9)

 

■遠江の豪族・建比良鳥命が作った「卑弥呼」の地上絵の秘密(2)
◆今回のブログ「卑弥呼の逆襲:日本を滅びる・90」は前回(89)の続きである。これゆえ、このブログを最初に開いて閲覧する方には理解に苦しむ点や疑問点が多数存在することになるにちがいない。そのような場合には前回のブログを一読していただきたい。 

◆今から約1750年前の西暦260年ころであった――『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話の末部に記載された遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の先祖の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)は、A図に示す1千万坪の大鳥の地上絵を作製した。この大鳥の地上絵を、私は“「卑弥呼」の地上絵”と名づけた。「卑弥呼」の地上絵は、現在の静岡県浜松市北区細江町の行政区域を表示する地図の形として現存する。
 A図に示すように、「卑弥呼」の地上絵の大鳥の頭部は「夏至の日の出の方角」に向いて――「わが国に夏音文字が伝来した」とあらわしている。
 「夏音文字」とは現在においてまったく不明とされる「夏代の文字」のことであり、「夏代の文字」は一般的には「夏文字」と称される。中国の夏代は紀元前2070~同1600年までである。今から約4050年前の夏代初頭、わが国に夏文字が伝来した。
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  夏音文字(夏文字)3世紀後半に著作された『魏志倭人伝』に、人名とB図に示す小国名として記載されている。
 中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝に――702年に中国に渡った日本国の遣唐使が「後稍(のち・やや)夏音を習う」と中国王朝に告げた――という記事がある。この日本国の遣唐使が派遣された702年の10年後の712年、『古事記』が完成した。『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く1字1音読みの夏文字が多数記載されて現存する。これゆえ、遣唐使は「夏音」といい、『古事記』上巻は「音」と表記するので、私は「夏文字」を「夏音文字」と名づけることにした。
◆建比良鳥命が作製したA図の「卑弥呼」の地上絵は260年ころに着工し3040年後の290年から300年ころまでに完成したと考えられる。『魏志倭人伝』は280289年に著作されたゆえ、『魏志倭人伝』と「卑弥呼」の地上絵は同時代(3世紀後半)に作られた。
 『魏志倭人伝』は「卑弥呼は魏の正始(せいし)元年、つまりすなわち西暦240年には没していた」と記述する。また、『魏志倭人伝』末部に記載される年号は「魏の正始八年」すなわち247年である。したがって、「卑弥呼」の地上絵の作製は卑弥呼の死から約20年後、魏の正始八年から約13年後に着工されたことになる。
 『魏志倭人伝』は夏音文字について「倭の易における卜辞に用いられる文字は令亀(れいき)の法の如く」と記述する。つまり、「倭の夏音文字は殷代(いんだい)の亀の甲羅に刻む契文(けいぶん╱甲骨文字)のような文字であった」と記述する。夏音文字は中国でもわが国でも、下記にて説明する「倉頡が死刑と定めた3つの掟」のために遺跡から出土しない文字となった。このため、夏音文字はまったく不明の文字とされる。しかし、夏音文字は楷書で『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記載されて実在し、夏音文字が実在したことはA図の「卑弥呼」の地上絵をもって科学的に具体的に証明される。

 『魏志倭人伝』は上記の記事の他に、もう一つの記事で夏音文字について「倭女王卑弥呼が文書に書く文字は魏都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書と差錯(ささく╱相違)していたので、伊都国の港で点検し楷書に改めて間違いのないようにしていた」と説明する。ゆえに、夏音文字は晋(しん)の著作郎(歴史編纂官)の陳寿(ちんじゅ)が『魏志倭人伝』を著作した時に用いた資料では魏都で使用される楷書にすべて改められていたことになる。だから、当然、『魏志倭人伝』の小国名の夏音文字は楷書で表記された(B図)
 太安万侶(おおのやすまろ)が書く『古事記』序の末部もまた「夏音文字の〔玖沙訶(くさか)〕は楷書の〔日下(にちげ)〕、夏音文字の〔多羅斯(たらし)〕は楷書の〔帯(たい)〕に変換できる」と解説する。
◆『魏志倭人伝』が「卑弥呼が夏音文字で書く文書は、伊都国の港で魏都の楷書に改めた」と指摘するように、3世紀、わが国には魏都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書と夏音文字が存在した。中国でもわが国においても夏音文字はわがブログ「卑弥呼の逆襲:用語の解説」で解説する「4・倉頡(そうきつ)が死刑と定めた3つの掟」を厳重に守ったために――(3)の掟「書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者は神罰が下って即刻死刑とされたゆえ――遺跡から出土しない文字となった。この夏音文字の影響で、3世紀の楷書も倉頡の掟を厳重に守って遺跡から出土しない文字となった。
 倉頡は自ら考案した文字が最も強大な権力を手に入れる方法であることに気づき、反体制側の人々が文字の学芸を習得して革命に利用したならば王朝は容易に滅亡すると考え、上記の(3)の他に、(1)秋の銀河と夏の銀河の各部の形状から文字が作られたことを暴露した者、(2)文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を付けた者も即刻死刑に処すると定めた。
 楷書は字形が速く書けるように能率化が図られた文字であったが、上記の倉頡が死刑と定めた(1)(2)の掟を厳重に守る秋の銀河と夏の銀河の各部の形状を字源・字形・字義と定めていた。ゆえに、現在の幾つかの当用漢字でさえ銀河各部の形状の面影が残っているゆえ、3世紀の楷書の字形は銀河各部の形状に類似する面影が色濃く残っていた。だから、楷書と夏音文字は共に銀河各部の形状を字源・字形・字義としたため、夏音文字は楷書に変換できた。したがって、夏音文字と楷書の字源・字形・字義が共に銀河の形状であった事実がA図の「卑弥呼」の地上絵によって科学的に証明することができるので、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に楷書で表記された夏音文字が実在したことは決定的な事実となる。
◆中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』の繋辞(けいじ)下伝は、漢字の起源の秘密を「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜(ちぎ)を観る。(中略)。もって万物の情(イメージ)に類して文字を作った」と説明する――この漢字起源記事の秘密の解明が今回のブログのテーマとなる。
 上記の「天象」はわがブログ「卑弥呼の逆襲:用語の解説」の「2・秋の銀河と夏の銀河」のことであり、「地法」とは東から西へと移動する各銀河部の運行に対して反対方向に移動する「中国の大地を削る黄河・長江などの西から東へと流れる水の移動」のことである。次の「鳥獣の文」とは「鳥獣の足跡」とも称される「倉頡が発明した漢字作成原理の名称」であり、「地宜」とは「平面的に図化した地図の形」すなわちA図・B図が「地宜」である。
 今から約5000年前の五帝時代初頭に黄帝につかえた史官(記録官)の倉頡は中国大陸の天頂にめぐってきたC図に示す「十字の銀河」が乳房・妊婦のような円い腹部(右足と一体化する)・子宮に相似する部分を有するのに注目して、「十字の銀河」を〔秋の銀河・夏の銀河各部の形状から作ったすべての文字が生まれる母体〕と定めた。また、「十字の銀河の子宮」を〔すべての文字が生まれる子宮〕と定めた。
 D図に示す女性の生殖器の側身形は〔水鳥の姿〕に相似する。
◆わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の87回と88回にて解説したように、E図の下部に示す「杭州湾の地宜」は[]の字源となった。『説文解字』は[]の字源を「息を外()くなり」と解説する。E図の〔山東半島の付け根から杭州湾までの海岸線〕は〔人の横顔〕や〔虎の横顔〕に類似すると見立てられ、「杭州湾」は〔人の口〕あるいは〔虎の口〕と解釈すると定められた。ゆえに、「杭州湾」は『説文解字』が「息を外くなり」と解説する[]の字源地宜となった。というのも、F図に示す銭塘江(せんとうこう)の水は〔人の口〕に見立てられた杭州湾へ流れ込む様子は「息を外くなりのイメージ」となるからである。また西の上流から銭塘江の水が東の杭州湾に流れ込む様子は「西から東へ水が流れる地法」にもとづき[]の字源は「息を外くなり」と定められた。
 F図に示すように、杭州湾は鳰(にお╱カイツブリ)の姿にも相似する。ゆえに、「鳰」は[]の字源と定められ、「鳰」はD図に示す女性生殖器の側身形が相似する「水鳥」をあらわす玄鳥(げんちょう╱すなわち、漢字作成原理「鳥獣の足跡」を象徴する鳥)となった。
[]の字源を――わが国の古代中国漢字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)は下記のごとく解説する。

――否定・打消の「ず」に仮借して用いる。もと象形で花の萼柎(がくふ)の形であるが、その義に用いられることは殆どなく、その本義には柎()などを用いる。『説文解字』に「鳥飛んで上翔し、下り来らざるなり。一に従ふ。一はなほ天のごときなり」という。字形を鳥が高く天に向かって飛ぶ形とし、そのまま「下り来らず」と否定の義を導くが、その義は仮借の用法で、字はもと花の萼柎の形である。

C図に「十字の銀河の子宮」と記した箇所はD図の「女性生殖器」に見立てられ、G図に示す「女性の生殖器の正面図」と「花の生殖器官」は一見すると類似するが、「類似しない」と打消の「ず」が[]の字源・字形・字義となった。ゆえに、白川静著『字統』の――[]は否定・打消の「ず」に仮借の用法で、字はもと花の萼柎の形である」という解説は間違っている。〔花の萼柎〕の形に図案する[]の契文(けいぶん╱甲骨文字)と金文の字形は、否定・打消の「ず」の字源・字形・字義を表現するものであった。ゆえに、[]の字義は「萼柎」に使用されないことになったのである。
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 G図の上図の女性生殖器の膣(ちつ)は子(胎児)が生まれる産道である。下図に示さなかったが、上図の膣に相当する位置にある花の萼柎は花弁が集まる花冠(かかん)を支える台であり、子房が熟してなる子(すなわち、実)は萼柎から生まれない。ゆえに、「花の萼柎」の形にデザインする契文・金文の字形は――「子が生まれず」の否定・打消の「ず」が字源である――と表現するものであったことになる。

H図のごとく、F図に示した〔杭州湾〕は「花冠と萼柎」に相似すると見立てられて、その「萼柎」に見立てられた「杭州湾の奥側の湾岸(銭塘江の河口に近い海岸)」は[]の「子房が熟した子()が生まれず」の否定・打消の[]の字源・字形・字義をあらわした。というのも、銭塘江の河口の水は萼柎に相当する湾に吐き出されるので、「息を外()くなり」の[]の字源・字形・字義と定められた。言い換えると、「満潮、杭州湾の海水は銭塘江へ流れ込まず」と定められたことになる。
 内田清之助著『最新日本鳥類図説』(講談社)とフリー百科事典『ウィキペディア』は「鳰は水草の茎を支柱として、水面に草の葉茎等で浮巣を雌雄で作る」と指摘する。F図に示したように「鳰」は[]の字源となり、H図に示すように〔銭塘江〕は〔茎〕に見立てられて「鳰の浮巣の支柱となる水草の茎」は「杭」とされ、この「杭」の解釈によって「満潮、湾の海水は銭塘江へと流れ込まず」と定められた。この[]の字源・字形・字義の定義の秘密を現在に伝えて、銭塘江河口に近い地と湾の名は「杭州」となったのである。

◆I図に、現在の浜名湖の地宜を示した。

1498(明応8)825日以前の大地震によって、遠江国荒井崎(現在の新居町)が破壊されて古代浜名湖は外海(遠州灘)と通じるようになった――古代浜名湖の形は、J図のごとくであったと推定される。古代の浜名湖はH図の杭州湾の形に類似し、花の花冠と萼柎の形に相似した。J図が明確に示すように、浜名湖の支湖の「引佐細江」は[]の字源「萼柎」に相当するだけでなく、「萼柎の形」に相似する。
 K図に示すように、[]の字源となる「引佐細江」は都田川(みやこだがわ)の水が流れ込むので「息を外くなり」を示すので[]の字源をもあらわした。また、「引佐細江の西岸となる寸座岬(すんざみさき)の南北の湖岸の形」は「人の横顔」に相似し、「寸座岬より北側の引佐細江の西岸」は〔人の口の形〕となるので「息を外くなり」の[]の字源を示す。さらに、「舘山寺(かんざんじ)の湖岸」は〔人の鼻〕のような形をしているので、「内浦」は〔人の口〕に見立てられ「息を外くなり」の[]の字源となる。さらに、内浦の北岸となる「伊目(いめ)の湖岸」は「鳰の頭の形」に相似するので[]の字源をあらわした。
 このように「引佐細江」は[][]の字源、「引佐周辺の湖岸」は[]の字源を示すゆえ、B図の左下端に示すように『魏志倭人伝』に記載される「不呼(ふこ)国」は「遠江(現在の静岡県西部)」であったことになる。
 J図は推定図であるから、「引佐細江」は[]の「萼柎」である決定できないと疑念を抱く方もいらっしゃるかもしれない――しかし、3世紀後半に作られたA図の「卑弥呼」の地上絵が「遠江は不呼国であった」と明確に示す。
 わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の85回から88回まで繰り返して解説したように――E図に示す「山東半島と南北の海岸線」はL図に示す「カンムリカイツブリの頭と両翼」に相似する。ゆえに、「山東半島と南北の海岸線の地宜」は「地に下りて来ないカンムリカイツブリの上空を飛翔する姿」に観えるので、上記した『説文解字』の「鳥飛んで上翔し、下り来らざるなり」と伝える[]の字源解説に合致する。A図の「卑弥呼」の地上絵の三角測量本点の一角となる八幡宮周辺の「引佐(いなさ)町の金指(かなさし)・井伊谷(いいのや)の両地区の地宜」は、M図に示すように[]の字源「鳰」と浮巣の形に設計されている。だから、A図の「卑弥呼」の地上絵によって「遠江は『魏志倭人伝』に記載された不呼国であった」ことは確かであると証明される。
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 ◆M図上図の金指地区の〔鳰の嘴(くちばし)〕は途中から切れて無い。というのも、F図・H図に示す「鳰」と見立てられた「杭州湾の嘴(銭塘江)」は「杭」と定められたからである。E図の「カンムリカイツブリの頭」と見立てられた「山東半島」にも〔嘴〕に相当する部分が存在しない。ゆえに、M図上図の金指の〔嘴が切断される形〕は「杭州」の「杭」をあらわし、〔浮巣をつくるときの支柱を立てる形〕が連想できるように形成された。だから、杭州湾は〔西〕に鳰の顔を向けると同じく、金指の鳰の顔もまた〔西〕を向く。
 「卑弥呼」の地上絵を作った建比良鳥命の[]の字源を、『説文解字』は「朝律を立つなり」と解説する。「朝律を立つなり」とは「春分の日の朝に太陽は地平線から昇る東の地点に聿(いつ╱すなわち、杭または柱)を垂直に立てる」と意味する。A図の経緯度原点のA地点と同緯度の滝峯不動尊(たきみねふどうそん)は春分の日の出の方角に在るゆえ「朝律を立つなり」をあらわす。『古事記』上巻の「黄泉比良坂(よもつひらさか)」を『日本書紀』は「泉津平坂」と表記するので、「建比良鳥」の「比良」は「平」と同義となる。A図の経緯度原点のA地点はN図の右上に示す[]すなわち「天頂緯度線と子午線」を測定して設置されたゆえ、「比良=平」は「平らな天頂緯度線」をあらわす。「鳥」は勿論「卑弥呼」の地上絵の「1千万坪の巨大な鳥の形」があらわす。

◆O図に示すように、「卑弥呼」の地上絵における都田川流域より東方は〔鳥〕の「カンムリカイツブリ」、「卑弥呼」の地上絵の北の境界線は〔鳥〕の「鳰」をあらわし、都田川流域より西方は〔獣〕の「象の頭と鼻の形」に設計される。この「象の頭と鼻の形」はP図に示す「象の頭と鼻の形に似る夏の銀河の西南部」をあらわすとともに「天象」すなわち「万物の情(イメージ)に類似する、すべての文字が作られた秋の銀河と夏の銀河」をもあらわす。そして、O図右下の「夏至の日の出の方角に正面を向ける鳥の顔」は「足」の形に類似して「足跡」が連想できる。
 このように、「卑弥呼」の地上絵全体の地宜は「鳥獣の足跡」と読める仕組みで倉頡が発明した漢字作成原理をあらわし――夏音文字においては「地宜」は「文字」となり、地名はじめ人や物の名は「字音」となったと示して――夏音文字は用済みになると必ず消されたが、字源・字形・字義・字音で構成される実在する文字であったと後世に伝えている。
 
Q図に示すように、「都田川流域の沖積(ちゅうせき)平野」は「胎児の姿」に相似する。したがって、「都田川流域の沖積平野」からD図の「女性生殖器」が連想できる。

R図に示す「大崎半島の付け根から引佐細江の西岸までの地宜」は、S図に示す「鬼の横顔に似る銀河」に相似して「人の横顔の形」となる。その対岸のS図に示す「浜名湖と引佐細江の東岸」は倉頡が定めたC図の「すべての文字を生む母体」となる「十字の銀河」に相当し、R図における「内浦」は「すべての文字は生まれる子宮」となる「十字の銀河の子宮」に適合する。
 このように、A図の[][]の字源をあらわす「卑弥呼」の地上絵は倉頡が発明した漢字作成原理の名「鳥獣の足跡」を明確に表示し、都田川流域より西方の「象の頭と鼻の設計」(O図参照)で「天象」が「秋の銀河と夏の銀河」であることを察知できるようになっている。ゆえに、「卑弥呼」の地上絵と浜名湖の湖岸は、すべての漢字の字源が知ることができる1400字前後の基本字の字源を解明することができる。
 以上のごとく、「卑弥呼」の地上絵は『易経』繋辞下伝が「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜を観る。(中略)。もって万物の情に類して文字を作った」と伝える漢字の起源の秘密の全貌が解明できる。もちろん、「夏音文字の学芸」の全貌も科学的に具体的に解明できる世界的にも重大な史跡であり、日本における最も重大な史跡である。

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