日本が滅びる・92
●愛、あざやかに永遠であれ(32)・天照大御神と須佐之男命の誓約説話の解明(11)
■遠江の豪族・建比良鳥命が作った「卑弥呼」の地上絵(4)
◆前回のブログに続いて、今回も[卑]の字源の解明にこだわることにする。
[卑]の字部がある字に痺・顰・婢・睥・埤・陴・碑・椑・俾などがある。これら[卑]の字部がある文字はA図に示す[卑]の字源(子宮頸部と膣)と[卑]の字源銀河から派生した。また、上記の[卑]の字部が付く9字の字源銀河を明らかにすると漢字は銀河から創られ、夏音文字の字源・字形・字義・字音は銀河各部であったことが簡単に証明できる。
B図の左図のごとく、契文(甲骨文字)の[命]の上部の[亼(しゅう)]は「激流に似る銀河の先端部」を「三角形」に図案する。この[亼]は、A図に示す[卑]の字源の一部となる「子宮頸部」をあらわす。
B図の左図にもとづくと、C図に示す「激流に似る銀河の先端部から鬼の横顔に似る銀河の後頭部まで」が[卑]の字源銀河部となる。
上記した[卑]の系列文字の各々の字源を解明するには、D図の解釈も必要となる。
C図とD図は部分的に少し異なる。D図に示すように「激流に似る銀河」はC図の〔三角形〕と異なり〔正方形の一角〕に定められて「子宮」をあらわす。そして、C図の「子宮頸(子宮口)と異なり、D図における「子宮頸部」は「鬼の横顔に似る銀河のアゴにつく細い切れ長の目と隣接する三角形の暗黒天体部」が相当する。
A図に示した[尊][卑]の字源部に相当する銀河の箇所をD図の[尊][卑]の銀河の箇所に示すと、E図のごとくなる。
◆わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)は『説文解字』の〔痺]の字源解説文を「湿気による感覚の痲痺(まひ)、すなわちリウマチをいう」と指摘する。C図・D図(E図)の「激流に似る銀河」は「海・湖・河川」をあらわし、D図(E図)の「激流に似る銀河」に隣接する「細い切れ長の目と三角形の暗黒天体部」は「湿気が多い海岸・湖岸・川岸など」をあらわす。ゆえに、[痺]は「湿気による病、すなわちリウマチ」をあらわすことになったのである。
『説文解字』は[顰(ひん)]の字源を「水に渉(わた)りて顰戚(ひんしゅく)なり」と解説する。
D図の「激流に似る銀河」は「水」をあらわし、この水を渉る(渡)ると[卑]の字源「子宮頸部」に見立てられた全体が〔三角形〕となる「細い切れ長の目の銀河と三角形の暗黒天体部」に至る。「細い切れ長の目の銀河部」は〔しかめる目〕、〔ひそめる目〕、〔美人のうれえる目〕に観える。ゆえに、[顰]の字義は「しかめる。ひそめる。うれえる」となった。
◆『説文解字』は[婢(ひ)]について「女の卑しきものなり」と字源・本義を失った引伸義を用いて解説する。
『魏志倭人伝』の倭女王・卑弥呼の説明箇所にある「婢千人を以て自ら侍(じ)せしむ」と「卑弥呼以(すで)に死す。大いに冢(ちょう)を作る。径百余歩。葬に徇(じゅん)ずる者、奴婢百余人」という二つの文中に登場する[婢]は「澄んだ瞳を有する13歳ころの乙女」を意味して字源・本義を伝える。
わがブログ「日本が滅びる・82」で指摘したように、F図に示す「正方形の銀河部」は天照大御神と須佐之男命の誓約説話に登場する「天の真名井」をあらわす。F図に記したように、「激流に似る銀河」は「偽りの天の安河(やすかわ)」、「十字の銀河の右足と鬼の横顔に似る銀河の口を連結する帯状の銀河」が「真の天の安河」(「安河」とは安産と平安を約束する河・美しい聖水をあらわす銀河部)となる。「偽りの天の安河」(流産するときの羊水や戦争・戦乱や不安定な世相をあらわす)のイメージをあらわす「激流に似る銀河」の隣接するD図に示した「三角形の暗黒天体部」は〔手を洗い、口をすすいで心身の汚れを清める川岸の御手洗場(みたらし)〕や〔天頂点と重なる銀河部位を映す濁り無き清く澄んだ水鏡」に見立てられた。また、「子宮頸部」に見立てられた「三角形の暗黒天体部」に隣接する「細い切れ長の目」は「13歳ころの婢(乙女)の天頂緯度線と天頂点となる銀河部位をキャッチする目、最も瞳が澄んだ目」をあらわすと定められた。F図に示す「真の天の安河」となる「帯状の銀河」は「天頂緯度線と天頂点をキャッチする婢の鋭い視線・視力」をあらした。
昔も現在においても、最も澄んだ瞳を有するのは13歳くらいの乙女たちである。私に銀河の写真を提供して下さったわが国の天文写真家の第一人者とされる藤井旭氏は、星空・銀河を写真撮影する時に最も瞳が澄む目を有する13歳くらいの乙女を連れて助けてもらう時もあると述べたことがある。だから、[婢]の字源・本義は「最も澄んだ瞳を有する13歳くらいの乙女」であったことになる。
卑弥呼王朝の政権基盤はG図の右側上部に示す「天頂緯度線と子午線のキャッチ」すなわち「[玄]のキャッチ」であった。ゆえに、卑弥呼は政権基盤の霊威を示して千人の澄んだ瞳を有する婢を侍(はべ)らしていたのである。
また、卑弥呼の後を受け継いだ大王は[婢]の字源は「目の呪力(じゅりょく)が最も優る13歳くらいの乙女たち」であったゆえ、昇天する卑弥呼の霊が途中で迷わないことを願って婢を従わせることにした。だから、婢を殺されて卑弥呼の墓に埋葬されたのである。
◆[睥(へい)]の字義は「みる。にらむ」である。D図・E図における[顰][婢]の字源となる「細い切れ長の目の銀河部」は「にらむときの鋭い目」の形をしているゆえ[睥]の字源となる。
新村出編『広辞苑』は「睥睨(へいげい)」という語の意味を「(1)横目でにらむこと。流し目に見ること。(2)あたりをにらみつけて勢いを示すこと」と指摘する。[顰][婢]の字源となった「細い切れ長の目の銀河部」は〔「激流に似る銀河」のほうを横目でにらむ目〕」に観える。また、「激流に似る銀河」は〔水の流れ〕を示すゆえ「細い切れ長の目の銀河部」は「横目」を「流し目」といわれるようになったのである。また「激流に似る銀河」は「勢いよく流れる激流・急流・早瀬の水」に観えるゆえ「細い切れ長の目の銀河部」は「あたりをにらみつけて勢いを示すこと」になった。
H図の左図に示す「頭が誕生する胎児に似る銀河」における「細い切れ長の目の銀河部」は「鬼の横顔に似る銀河のアゴ」に付く。『説文解字』は[兒]の字源を「孺子(じゅし)なり。儿(じん)に従ふ。小兒の頭の囟(しん)、未だ合はざるに象(かたど)る」と解説する。[囟]は「小兒の縫合(ほうごう)が完成しない頭蓋骨」をあらわす。ゆえに、H図の左図の「細い切れ長の目の銀河部」はH図の右図の頭蓋骨の縫合が完成しない頭が誕生した兒(孺子・胎児)のアゴ」となるゆえ、「細い切れ長の目の銀河部」は[目]の[兒]が加わる[睨]の字源であったことになる。
『説文解字』は[睨]の字源を「邪(なな)めに視(み)るなり」つまり「横目でにらみつける」と解説する。C図・D図・E図・F図が示すように「細い切れ長の目の銀河」は〔横にある「激流に似る銀河」と「日輪の銀河」を見ている目〕に観えるということで、『説文解字』は[睨]の字源をが「邪めに視るなり」と解説した。
◆I図の右側に配する[陴(ひ)]の契文(甲骨文字)の阜偏(こざとへん)は、I図の左図に示すように「細い切れ長の目の銀河・三角形の暗黒天体部」とE図に示した「長方形の暗黒天体部」の図案である。
「細い切れ長の目・三角形の暗黒天体部」は「宮殿や城の屋根」の図案である。D図に示す「長方形の暗黒天体部の北半分」のF図に示す「天の真名井」である。F図の「天の真名井」は〔京都の金閣寺の金閣の姿をさんぜんと映す鏡湖池(きょうこち)のような池〕をあらわした。ゆえに、I図の[陴]の契文左の偏[阜]は、〔宮殿や城の池に映る姿〕をデザインするものである。
『説文解字』は[陴]の字源を「城上の女牆(ひめがき)なり」と解説する。新村出編『広辞苑』は【ひめがき(姫垣・女墻)】を「宮殿や城の上などに作るたけの低い垣」と指摘する。したがって、I図に示す[陴]の契文形の〔城の屋根〕をあらわす「三角形の暗黒天体部」の上にある「細い切れ長の目」は、『説文解字』の字源解説の「城上の女墻(牆)」をあらわす。
わがブログ「日本が滅びる・82」で解説した天照大御神(倭迹迹日百襲姫命╱やまとととびももそひめのみこと)と第10代崇神(すじん)天皇の母子が居住した宮殿の名称を『古事記』は「師木(しき)の水垣宮(みずかきみや)」、『日本書紀』は「磯城(しき)の瑞籬宮(みずかきのみや)」と表記する。F図の「激流に似る銀河」は「磯に押し寄せる波」のような形状である。ゆえに、「磯城の瑞籬(水垣)」は[陴]の字源に因む宮殿であったことになる。
[陴]と同じく[埤(ひ)]の字義もまた「女墻(ひめがき)」である。E図に示す「十字の銀河」が歩く土(通路)は[卑]の字源部を有する「鬼の姿に似る銀河」であるので、[土]に[卑]が加わる[埤]の字義もまた「女墻」となった。
◆学者たちは〔天の北極〕の高度で緯度換算する方法で中国大陸と日本列島を隔てる大海を渡ることができると思い込むが――この方法では大海を絶対に渡ることはできない。
G図の上部右側に示す〔[玄](天頂緯度線と子午線)をキャッチする計測方法〕であるならば大海を渡ることができる。
“夏の始祖”の後を受け継いで帝となった益の孫の王子と若者たちは[玄]をキャッチして大海を渡り、今から約4050年前の夏代初頭に日本列島の東北地方の男鹿半島・米代川流域の縄文文化圏に定住して〔銀河各部の形状を字源・字形・字義・字音と定める夏音文字の学芸〕を根づかせた。ゆえに、秋田県鹿角市に所在する国の特別史跡の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の万座遺跡と野中堂遺跡には夏音文字の学芸が伝来した痕跡が現在も明確に残る。
益氏が歴史上に最初に登場するのは、中国の五帝時代の第4番目の堯(ぎょう)が帝であった約4500年前である。
司馬遷(しばせん)著『史記』五帝本紀は「益氏は堯の時代から挙用(きょよう)された」と書く。また、『史記』五帝本紀は帝堯の時代の春分・夏至・秋分・冬至の星空が詳細に記載する。この星空記事の春分点は現在の春分点よりも約63度過去のほうにもどった位置にある。ゆえに、帝堯代は今から約4500年前であると算出できる。というのも、〔歳差〕という天文現象によって春分点は71.6666年で黄道の北極を中心とする円周上を角距離で1度ずつ移動するゆえ、63度×71.7=4517年となるからである。
『史記』五帝本紀の帝堯代にある星空記事は正確である。ということは、当時〔天の赤道と黄道〕が正確に測量できていたことになる。「黄道」とは「天球上において太陽が一年間に通過する道」である。
『史記』五帝本紀の帝堯代の箇所に記載された星空記事には、「鳥」という名の星が記載される。この「鳥」という星は、帝堯代の春分の日の午後6時の夕刻に子午線通過したJ図に示す北斗七星の第5星(おおぐま座ε星)である。「鳥=北斗七星の第5星」は北斗七星で最も光が強く光度1.8等である。
大湯環状列石の野中堂遺跡には、特殊組石の「日時計組石」がある。この日時計組石は、最初、学者たちは「日時計」すなわち「太陽の光線で投じられる影で時刻を計る時計」であると考えた。しかし、日時計組石では時刻が計ることができないことが証明されて、日時計説は否定された。
春分・夏至・秋分・冬至を正確に知るためには、その日の太陽の正午の高度(位置)がその日の午前零時の星空におけるどの銀河部位や星たちの位置に存在するのか、すなわち「黄道」の大円が正確に測量できなければならない。
K図に示すように、「鳥」が移動する角距離を利用すれば日時計組石で午前零時を精確に計測できる。
太陽が地平線に沈んで姿を消す薄明時(はくめいじ)は、まだ空は真っ暗にならず銀河や星たちの姿をみることができない。太陽が地平線の下18度の所まで沈むと、ようやく薄明時が終わって空が真っ暗になり、銀河や星たちの姿が出そろう。
しかし、太陽が地平線に沈むその瞬間、薄明の空にあってもJ図の光度1.8等の「鳥」は見える。
K図に示す〔日時計組石の北〕は地平線に没した太陽が円を描いて移動して真北に位置する時の「午前零時」を示すポイントとなる。ゆえに、太陽が地平線に没した時の方角を日時計組石の縁(へり)か縁の隣の土に印をつけ、同時に鳥の方角を日時計組石の縁か縁の隣の土に印すると、午前零時となる太陽が真北に位置するまでの角距離と鳥が移動する角距離を等しくすれば「午前零時」は測定できる。
L図に示すように、野中堂遺跡の中心に柱を垂直に立てて、この柱の真北にいる人が柱の背後に隠れる太陽の姿を見た時が「正午」となる。
L図の「正午を計測する垂直に立つ柱」は「ふで(筆)」を字義とする[聿(いつ)]の字源となり、M図に示す「十字の銀河」が[聿]の字源となった。「鬼の姿に似る銀河の右手」は〔聿(筆)を持つ右手〕に見立てられて、M図右上に配する[昼(晝)]の金文形の上部の図案となった。「日輪の銀河」は〔[聿]の字源「十字の銀河」の後ろに隠れる正午の太陽〕に見立てられ、「日輪の銀河」は[昼]の金文形下部の[日]の字源となった。
その日に測量した太陽の南中高度(正午の太陽の高度)をその日の午前零時における太陽の南中高度となった銀河部位を日々記録する作業を続ければ、精確な「黄道」の大円が測量できる。「天の赤道」は「真東の地平線から昇り真西の地平線に没する天球上を通過する道(大円の軌道)」である。「黄道」と「天の赤道」の二つの大円の交点が「春分点と秋分点」であり、「春分点と秋分点を結ぶ線の90度の方角が夏至点と冬至点」となる。『史記』五帝本紀の帝堯代の春分・夏至・秋分・冬至の星空記事が正確であるのは、日時計組石が発明されたからである。
N図に示す、日時計組石の中心に垂直に立つ石柱は、要するに「碑」である。[碑]の字源は「日時計組石の中心に立つ石柱」であった。ゆえに、『説文解字』は[碑]の字源を「豎(た)てたる石なり」と解説した。
益氏は[碑]の字源となった野中堂遺跡に現存する「黄道を精確に測量できる日時計組石」を発明したために、堯王朝に挙用されたと考えられる。ゆえに、白川静著『字統』は[卑]の字源を「上部は杯形の器の形。下部はその柄を手にとる形で、椑(ひ)の初文。柄のあるヒ杓(ひしゃく)のような形で、酒を酌(く)むのに用いる」と解説することになったのである。A図・C図・D図に示す[卑]の「子宮頸部と膣」は明確に「柄のあるヒ杓のような形」とは言えない。しかし、J図の日時計組石の午前零時を測定する目星「鳥」を有する星宿の「北斗七星」は明確に「柄のあるヒ杓のような形」である。だから、[碑]の字源はK図に示した北斗七星の第五星「鳥」の運行を利用して午前零時を測定する装置の「日時計組石の中心に立つ石柱」であったことになる。
また、上記の[睨]の字源を『説文解字』が「邪(ななめ)に視(み)る」と解説するのは、C図・D図・E図に示した「細い切れ長の目の銀河」の視線が斜めにある「日輪の銀河」を捕えていると解釈されていたからである。M図に示す「日輪の銀河」は、L図に示した「垂直に立つ柱の背後に隠れる正午の太陽」に見立てられた。このように、[睨]の字源は益氏の事績・歴史と密接に関わる。
2010年2月20日、東京国際交流館「プラザ平成」国際交流会議場において秋田県教育委員会と秋田県北秋田市教育委員会主催の〔縄文遺跡群世界遺産登録推進フォーラム〕がおこなわれ、私は出席した。
鹿角市教育委員会の生涯学生課主幹の藤井安正氏は、O図に示すように「野中堂遺跡の中心・日時計組石の中心と万座遺跡の中心・日時計組石の中心を結ぶと、夏至の日没方向を指差す」と、スライド映写機で拡大した写真を用いて指摘した。
万座遺跡の「日時計組石」は「銀河各部の高度を測量する時の方角を測量するための装置」であったと考えられる。というのも、万座遺跡の外帯東側の平面図は「夏の銀河像」の面影が残っているので、万座遺跡の日時計組石は「秋の銀河と夏の銀河の形」を万座遺跡の平面図に設計するための装置であったことになるからである。
また、O図に示した「夏至の日没方向」は「夏音文字の学芸」をあらわすものである。というのも、P図に示す3世紀後半に作製された1千万坪の「卑弥呼」の地上絵の大鳥の顔は「夏至の日の出の方角」に向いて「夏音文字の学芸」をあらわすからである。
◆Q図に示すように、[俾(ひ)]と[卑]の金文形は同一字形である。『説文解字』は[俾]の字源を「益なり」と解説する。ということは、[卑]は「益なり」となる。
白川静著『字統』の「益」の字の解説は――R図の右側に配する[益]の字形は「1会意 水と皿とに従うて水が器上に溢れる形。増益の字はこれに従う」とし、R図の左側に配する[益]の字形は「2象形 二またに分かれた糸の末端を縊(くび)った形。縊(い)の字はこれに従う」と解説する。そして、『字統』はR図の左右の[益]の字について「字はのち同形の益の字と釈されているが、その初文は各々別の形で、声義ともに異なる。」と指摘する。
しかし、『字統』の解説は下記の理由からして誤りであろう。
C図に示した「水が溢れ出る激流に似る銀河の先端の三角形」は「1会意 水が器上に溢れる形」をあらわす[益]である。D図に示した「三角形が狭くなる細い切れ長の目の銀河と三角形の暗黒天体部」は「縊る」と意をあらわすものとなるゆえ「2象形 二またに分かれた糸の末端を縊った形」の[益]となる。
したがって、両方とも象形であり、[益]は[溢]と[縊]の異なる両方の字義をあらわしたことになる。だから、[溢]と[縊]の初文は[益]であったので、白川静著『字統』の「初文は各々別の形で、声義ともに異なる」という指摘は誤りとなる。
出産が終了すると、羊水が溢れ出た子宮頸部は狭く縊って元に戻る。P図に示す[卑]の字源となる経緯度原点のA地がある都田川の河口は満潮になると水が溢れて狭く縊れ、干潮にはなると水が引いて広くなる。だから、[溢]と[縊]の初文はともに[益]であったと考えるべきことになる。
『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部は――皇室が崇拝する皇祖・天照大御神=黄泉国の伊耶那美命=伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)=箸墓古墳に葬られた倭迹迹日百襲姫命(ととびももそひめのみこと)は千引石(ちびきのいわ╱現在の和歌山県新宮市に所在する神倉神社の御神体の“ごとびき岩”)の前で、伊耶那岐命(のちの第9代開化天皇)に離縁を言い渡された。この離縁の言に怒り狂った天照大御神は「汝(いまし)の国の人草、一日に千頭絞(ちがしら・くび)り殺さむ」すなわち「亡き倭女王伊耶那美命が小国・日本の女王であった時、日本の国作りの柱と定めた〔愛〕の理念を尊重する母親たちの子宮頸部が狭くなるように呪い、一日に千人の胎児たちの頭を狭い子宮頸部で必ず縊(くび)り殺す」と誓った――と記述する。『古事記』の「くびり」は[縊]ではなく、原文は「くびり」を[絞]と記す。しかし、天照大御神の【日本建国の〔愛〕の理念】への呪い祟りは、R図の[縊]の字源にもとづくものであったのである。
[縊]を[絞]の字に改めた秘密によって箸墓古墳(奈良県桜井市に所在する)に葬られた倭迹迹日百襲姫命は伊耶那岐命に離縁された黄泉の国の伊耶那美命であったことが、現在も明確に証明することにできるように『古事記』と『日本書紀』の編纂スタッフは企て、また江戸幕府も今日の我々が箸墓古墳に葬られた倭迹迹日百襲姫命は天照大御神であったことが明確に誰にも容易に理解できる遺物を破壊せずに残した。
だから、箸墓古墳を卑弥呼の墓であると主張する纏向(まきむく)遺跡・邪馬台国説は唱える学者たちと学者たちが〔誤読〕でデッチあげたこの虚妄説を支援する朝日新聞は共に「なんで生きているのだ。このゴキブリ野郎めが、目障りだ。とっとと死ね! 日本人は一日に千人ずつ死ね!」と日本人であることを誇りとする人々の大虐殺を謀る、ナチスのホロコーストに匹敵する人間ではない畜生であることになる。
◆以上のごとく、[卑]の字部の字源を調べると漢字は銀河から創られたことが明確となる。また、夏音文字においては銀河各部の形状が文字であった、すなわち銀河各部の形状が字源・字形・字義・字音になったことが明白となる。
益氏は帝堯の時代に[碑]の字源となった「日時計組石」を発明し、帝舜の時代に「虞(ぐ)」と呼ばれる卑湿な中国海岸線の精密な地図を作製する官職に就いた。「虞」は、原始的な木製の刃のクワやスキでも容易に開墾・耕作することができる山林の卑湿な土地や川・沢を調査する官職でもあった。だから、[卑]の字源は「益なり」となったのである。
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