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2014年5月24日 (土)

日本が滅びる・100

愛、あざやかに永遠であれ(40)・箸墓記事と天皇の王冠(6)

三輪山・狭井神社・大神神社が秘める千引石の前の日本人抹殺の祟り


◆前回のわがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・99」において、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉(よみの)国訪問説話に登場する「伊耶那美(いざなみのかみのみこと)」は「伊耶那美命」ではなく「第10代崇神(すじん)天皇の生母の伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)」であり、「天照大御神」であることを解説し証明した。また、「黄泉国訪問説話に登場する伊耶那美命=伊迦賀色許売命=天照大御神」は、奈良県桜井市に所在する箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)に葬られた「倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)」であることも解明した。

◆学者たちは“文献批判”という名の〔誤読〕を自由自在にあやつって、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場する「伊耶那美命」を「崇神天皇の生母の天照大御神」であるという歴史の事実を抹殺した。その証拠に、明治以降出版された伊耶那岐命の黄泉国訪問神話に登場する伊耶那美命を天照大御神と解釈する書物は一冊も出版されていない。古代史学界は〔誤読〕が実体である“文献批判”に支配されたために、学者たちは〔誤読=文献批判〕の権威にひれ伏して偽りの史観の虜(とりこ)となった。
 『古事記』を旅行カバンに入れて、伊耶那岐命を主祭神とする和歌山県新宮市に所在する熊野速玉大社に旅して、『古事記』伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部に登場する千人の人々が引っ張ってようやく動くという「千引石(ちびきのいわ)」の巨岩はどこにあるかと調べると、速玉大社の約1km真南にある神倉(かんのくら)神社の神体の“ごとびき岩”が千引石であることに気づく。なぜならば、寒風吹きすさぶ26日の夜におこなわれる神倉神社の「お燈(とう)祭り」は、約1750年前の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話の光景を彷彿(ほうふつ)とさせるうえに、なによりも神倉神社の神体の“ごとびき岩”はまさに千人の人間が引っ張ってようやく動く「千引石」であるから、思わず“万歳!”(歴史をキャッチできた)と喜びの声をあげて感動することになる。
 神倉神社の主祭神は「天照大御神」である。したがって、伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場する「伊耶那美命」は「天照大御神」であったことになる。

◆『古事記』の〔序〕は、単なる「序」ではない。『古事記』の〔序〕は「古事記上巻 序并」(古事記上巻 并せて序)と記される。つまり、『古事記』は上巻・中巻・下巻の3巻から構成されるが、『古事記』の〔序〕は「上巻だけの序」であって、「中巻・下巻の序ではない」と示し、上巻には日本人にとって最も大事な真実の歴史を記載したと警告する。
 『古事記』の序の初頭部に「二霊群品(ぐんぴん)の祖(おや)となる」という文があり、荻原浅男・鴻巣隼雄(こうのす・はやお)校注・訳者『古事記 上代歌謡』(小学館)は「伊耶那岐命・伊耶那美命の二神のすべてのものの生みの親となったのです」と訳する。この文には別の読み方・訳し方もあるが、『古事記 上代歌謡』は正しい読み方・訳し方となる。
 なぜならば、『古事記』の上巻の構成は――伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念を、伊耶那岐命が受け継ぎ、さらに須佐之男命、大国主神、山幸彦(やまさちひこ)の火遠理命(ほおりのみこと)が受け継いだ。ところが、天照大御神は伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を憎悪・敵視して呪い祟(たた)り、天照大御神の呪霊(じゅれい)を天孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)受け継いだが、海幸彦(うみさちひこ)の火照命(ほでりのみこと)の代で、天照大御神が基礎を築いた大和朝廷は衰退して代わって河内王朝が栄えた――となっており、『古事記』は〔伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えるために作成されたことが明白となる。ゆえに、「二霊群品の祖となる」という文を「伊耶那美命・伊耶那岐命の二神がすべての生みの親となる」と訳する『古事記 上代歌謡』は正しいと断定できる。だから、伊耶那岐命の黄泉国訪問説話において伊耶那岐命に離縁された「伊耶那美命」は「日本のすべての生みの親となる伊耶那岐命」ではなく、【日本建国の〔愛〕の理念】を呪い祟った「天照大御神」であったことになる。

 

◆上記したように、A図に示す箸墓古墳に葬られた「倭迹迹日百襲姫命」は「第10代崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命」であり、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場する「伊耶那美神命」すなわち「天照大御神」でもあった。
Image001(C)2014 OHKAWA 

 上記した『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話を簡略化すると、以下のごとくなる。
 伊迦賀色許売命(後の倭迹迹日百襲姫命)は伊耶那美命の陵墓を、B図に示す熊野本宮大社の旧社地の大斎原(おおゆのはら)に築いた。伊耶那美命の墓を作るとき、伊迦賀色許売命は多数の18歳くらの青年と13歳くらいの乙女を殺して雷神の犠牲(いけにえ)にささげて豊かな実りと国家繁栄を祈願する徇葬(じゅんそう)を陣頭指揮した。ゆえに、徇葬者たちは「八雷神(やくさのいかづちがみ)」と表記される。
 伊耶那岐命(後の第9代開化天皇)の正妃は伊耶那美命(丹波出身の竹野比売)であり、第二后が伊迦賀色許売命であった。小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)の伊耶那岐命は残虐な徇葬に憤激し、配下の日本兵と熊野に住む戦士たちが協力するクーデターを断行し、倭政府の大軍=千五百之黄泉軍(ちいほのよもついくさ)を黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本=現在の熊野速玉大社の境内(B図参照)で、伊耶那岐命軍は撃破して勝利した。
 捕虜となった伊迦賀色許売命は、B図に示す神倉神社の神体となる千引石の前で、伊耶那岐命に離縁を言い渡された。
 離縁を言い渡された場所となる神倉神社の神体の千引石は、現在、“ごとびき岩”と呼ばれる。当時は空洞であった千引石=ごとびき岩の前には、現在、神倉神社の社殿が建てられる。この神倉神社の主祭神は「天照大御神」である。だから、「崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命=崇神天皇の姑の倭迹迹日百襲姫命」は朝廷が至上神と崇拝した皇祖の「天照大御神」であったことになる。

◆朝廷は皇祖の天照大御神の聖性は絶対に汚してはならないと厳重に禁止したので――伊耶那岐命(9代開化天皇)の熊野(黄泉国)におけるクーデターによって、残虐な徇葬を陣頭指揮した皇祖の天照大御神(倭迹迹日百襲姫命・伊迦賀色許売命)は倭女王の地位を奪われ、離縁され、さらに前の倭女王の伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を呪い祟(たた)った歴史――を伝えようとした『古事記』編纂スッタフは朝廷が敵視して憎悪した「伊耶那美命」の名を利用して「天照大御神」を「伊耶那美命」と表記する苦渋の選択をして『古事記』を正史にしようと企んだ。
 しかし、元明天皇は「天照大御神」を「伊耶那美命」に仕立てる、この方法を認めず献上拒否したので『古事記』は正史になれなかった。

◆『古事記』上巻の三貴子の分治説話に登場する「高天原(たかまのはら)を分治された天照大御神」は「天照大御神・倭迹迹日百襲姫命が生んだ第10代崇神(すじん)天皇」である。したがって、『古事記』の天照大御神と須佐之男命説話に登場する「天照大御神」は弓矢で武装する男性として記載されているゆえ「崇神天皇」である。
 崇神天皇は生母の倭迹迹日百襲姫命と一心同体となって、天下を奪った伊耶那岐命・開化天皇への復讐を願った。これゆえ、「崇神天皇」は生母とともに「天照大御神」と表記されることになった。
 前回のわがブログ「日本が滅びる・99」で指摘したように、『古事記』崇神天皇紀の建波邇安王「たけはにやすのみこ」の反逆記事において――崇神天皇は「庶兄(まませ)建波邇安王」と呼ぶ――記事が存在するので、第8代孝元天皇を父とする第9代開化天皇(伊耶那岐命)と建波邇安王は崇神天皇の異母兄(庶兄)であった。
 倭迹迹日百襲姫命(伊迦賀色許売命)は開化天皇の父孝元天皇とも結婚しているので、崇神天皇は孝元天皇と倭迹迹日百襲姫命が結婚して生まれた皇子ということになる。

◆伊耶那岐命・開化天皇の墓(前方後円墳)は、奈良県奈良市油坂町に所在する。開化天皇の陵墓(全長約105)は、墳丘規模などから3世紀後半に築造されたものではなく、5世紀末から6世紀初頭の時期に作られたと推定されている。3世紀後半に生存した崇神天皇は生母の倭迹迹日百襲姫命とともに伊耶那岐命・開化天皇に復讐して陵墓を作らなかった。
 伊耶那岐命・開化天皇は伊耶那美命(正妃の竹野比売)が生んだ比古牟須美命(ひこむすみのみこと╱須佐之男命)に譲位せずに、崇神天皇(天照大御神)に譲位した。というのも、須佐之男命に譲位したならばさらに復讐の念を強める倭迹迹日百襲姫命の息子(崇神天皇)はクーデターに訴えるにちがいないと予測できたからである。平和を願う開化天皇はクーデターの連鎖を断ち切るために崇神天皇に譲位した。しかし譲位の恩に報いず、崇神天皇は開化天皇の陵墓を作らなかった。

◆『日本書紀』崇神天皇紀は倭迹迹日百襲姫命を「天皇の姑(おば)」と記載する。前回のわがブログ「日本が滅びる・99」で解明したように、千引石の前で離縁された天照大御神・=伊迦賀色許売命は戸籍を失ったので、崇神天皇の父の孝元天皇の年下の妹の叔母()の名を受け継いで「倭迹迹日百襲姫命」と名乗った。
 箸墓に葬られた倭迹迹日百襲姫命が崇神天皇の叔母()であったとしたならば、崇神天皇は譲位された養父の開化天皇の恩に報いないばかりか、生母の陵墓をも作らなかった恩知らずの人非人(ひとでなし)であったことになる。しかも、崇神天皇は生母の陵墓を作らずに、全長約280mの前期古墳で最大級の古墳である箸墓を叔母のために作った不可解きわまりなく常識外れの人物であったことになる。
 しかし倭迹迹日百襲姫命は崇神天皇の生母であったゆえ、崇神天皇は愛する生母のために前期古墳で最も巨大な箸墓を築造した――これが歴史の真相であったのである。
 この歴史の真相は、上記した伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部の(1)千引石の前で誓った倭迹迹日百襲姫命(伊迦賀色許売命)の呪いと、(2)奈良県桜井市三輪町に所在する三輪山の山頂、大神(おおみわ)神社、狭井(さい)神社の配置を注目すれば証明できる。

◆『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部は――千引石の前で伊耶那岐命に離縁を言い渡されたとき、倭女王失脚と離縁の屈辱で激怒した天照大御神=倭迹迹日百襲姫命は「汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日に千頭絞(ちがしら・くび)り殺さむ」と誓った。つまり、天照大御神の誓いは「亡き倭女王の伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民の母親たちのC図に示す子宮頸部(しきゅうけいぶ)が狭くなるように呪って、一日に必ず千人ずつの胎児の頭を狭い子宮頸部で絞め殺す」と意味した。
Image002(C)2014 OHKAWA

◆D図中央の大神神社は、三輪山を神体山と定める。
 
 E図は、公開されるブログ「大神神社 泰山の古代遺跡探訪記」から転載した。
Image

 D図では、狭井神社は北を正面にすると大神神社の右手側に所在する。
 E図が示すように、大神神社と三輪山の頂上を視線(の糸)で結ぶと、D図で北に向いて右手側にあった狭井神社は大神神社の左手側に移動する。D図においても大神神社と三輪山を線()で結ぶと、北を向いて大神神社の右手側にあった狭井神社は左手側に移動する。
 この大神神社の子午線と大神神社・三輪山の頂上を結ぶ視線の二つの糸が狭井神社をからへと移動させて交わる状況は、千引石の前で天照大御神が「汝の国の人草、一日に千頭り殺さむ」という呪いにある[]の字([][]が加わる字)をあらわす。
 大神神社には神殿がなく拝殿のみしかしか存在せず、拝殿の奥に三つの鳥居があり、その向こうに神体山の三輪山がある。ゆえに、拝殿から三輪山を眺めて参拝する人々は天照大御神の祟りの秘密を知らずに天照大御神の霊になりかわって「汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」と呪うことになり、伊耶那岐命が「吾一日に千五百の産屋立てむ」と誓ってあらわした伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】に祟ることになる。

◆以上のごとく、三輪山・大神神社・狭井神社の配置を注目すると箸墓に葬られた倭迹迹日百襲姫命は崇神天皇の生母の天照大御神であると証明できる。
 前回のわがブログで証明したように、〔誤読〕を駆使する幾人かの学者たちと〔誤読〕の史観にひれ伏す朝日新聞は纏向(まきむく)遺跡(A図参照)を邪馬台国であったと捏造(ねつぞう)するために、強引に“箸墓は卑弥呼の墓であった”と改ざんした。
 箸墓・卑弥呼の墓説と纏向遺跡・邪馬台国説は大神神社の拝殿から三輪山を眺める参拝者たちの視線で天照大御神の祟りを蘇えらせる空論であり、【日本建国の〔愛〕の理念】を抹殺する暴論である。我々は日本人として生きる権利があり、古代から受け継がれる命と血の尊厳、日本人としての魂の尊厳を〔誤読の空論〕で踏みにじられ、愚図(ぐず)・クズと呼ばれて侮辱される筋合いはまったくございません。纏向遺跡・邪馬台国説を唱える学者とマスコミは天照大御神の祟りを蘇えらせて「なんで生きているのだ。愚図め。クズ野郎め。とっとと頸(くび)を絞(くび)って死ね。生きる価値がない」とすべての日本人を急きたてていることになる。
 だから、私は有力説の纏向遺跡・邪馬台国説が〔誤読の妄想〕である実体を暴くことを止めない。
 次回でも、箸墓古墳は「汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」と祟る天照大御神・倭迹迹日百襲姫命の墓であることの証明を続ける。
  

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