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2014年5月 2日 (金)

日本が滅びる・96

愛、あざやかに永遠であれ(36)・箸墓記事と天皇の王冠(3)

 

■三輪山の奥津磐座の石像の祟りと水器があらわす【日本建国の〔愛〕の理念】 


 
◆前々回と前回のわがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の9495で指摘したように、A図の奈良県桜井市に在る三輪山の奥津磐座の石像は――天照大御神の「伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人々の胎児の頭を、B図に示す子宮頸部を狭くなるように祟(たた)って一日に千人ずつ絞め殺す」――という呪(のろ)いをあらわす。
 だからA図の石像はC図の左図に示す天照大御神の祟りをあらわす。
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◆イワクラ(磐座)学会による2009118日掲載の調査報告電子版のブログ「三輪山のイワクラ(磐座)めぐり」は奥津磐座について下記のごとく説明する。

「奥津磐座は長径四十数メートル、短径十数メートルの楕円形をした、高さ1メートル以下の小ぶりの岩が域内に多数集まった岩群である。岩群れは無数の筋状の列石のように見えるが、人為の介在の有無は不明である。長軸をほぼ南北に置き、南端に小さな拝所が注連縄のかけられた岩の前に設けられる。(中略)。

三輪山の山頂には太陽信仰にかかわるとされる大神神社の摂社である高宮神社(こうのみや)がある。

大神神社の説明によれば、高宮神社は三輪山の頂上、いわゆる高峯(こうのみや)(あるいは神峯とも書く)に鎮座、御祭神は大物主神の御子、日向御子神である。

本殿は小さな池の中にあり、古来、旱魃の時には郷中の氏子が登拝し、降雨を祈れば霊験ありとされている。」

A図の石像は奥津磐座の一角に在る主石である。そして、天照大御神は多数の岩が群がって集まる奥津磐座には、【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人々の子どもたちを一日に千人ずつ殺すと呪力(じゅりょく)が充満していると考えた。
 だから、高宮神社の日向御子神は天照大御神が雷神(いかづちがみ)に「【日本建国の〔愛〕の理念】を尊ぶ人民の胎児の千人の頭を一日に狭い子宮頸部で絞め殺して犠牲(いけにえ)にささげる」と誓い雨乞いをするための祭神であった。これゆえ、「日向御子神」というぐあいに祭神の名に[]の字が配されることになった。「日向」は「東」を意味するゆえ「高宮神社の東方に在る奥津磐座」を指す。

◆小国・日本の女王であった伊耶那美命は国作りの柱を〔愛〕と定めた。この【日本建国の〔愛〕の理念】を提唱した伊耶那美命は倭女王に就任し、伊耶那美命が死去すると天照大御神が倭女王に就任した。
 天照大御神は国家に繁栄をもたらす豊かな農作物の実りを祈願する雨乞いのために多数の奴婢(ぬひ╱18歳くらいの青年と13歳くらいの乙女たち)や多数の【日本建国の〔愛〕の理念】を尊ぶ人民の生子たちを殺して雷神にささげるのは当然であると考えた。ゆえに、伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】は天照大御神の考えを強力に批判することになったため、天照大御神は【日本建国の〔愛〕の理念】を敵視し憎悪した。

◆『古事記』が作成された当時(7世紀末から8世紀初頭)、天照大御神は皇室が最も崇拝する皇祖であり、天照大御神の聖性を汚すことは絶対にしてはならないと禁止されていた。しかし、『古事記』の編纂スタッフは――倭女王に就任した天照大御神は雷神に豊かな実りを祈願して残虐な徇葬(じゅんそう)を決行し、伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人々を迫害した歴史――を『古事記』上巻に記述した。
 『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話において――残虐な徇葬を決行した「天照大御神」の名を用いることができなかったので、編纂スタッフは「伊耶那美命の墓が作られた地域」を「黄泉国」と記し、「黄泉国で徇葬を決行した天照大御神」は「伊耶那美命の後を継ぐ倭女王」であったゆえ、「天照大御神」を「黄泉国の伊耶那美命」と表記した。
 「天照大御神」を「黄泉国の伊耶那美命」と表記すれば、朝廷の「天照大御神の聖性を絶対に汚してはならぬ」という欲求に応じたことになるゆえ、元明天皇は『古事記』献呈を承認するであろうという策略に編纂スタッフは賭けたのである。
 この編纂スタッフの企みを示すために、太安万侶(おおのやすまろ)は『古事記』序の初頭に「陰陽ここに開けて、二霊群品(にれい・ぐんぴん)の祖(おや)となる」という文を配置した。この文は「陰と陽の伊耶那美命と伊耶那岐命の二神がわが国の開祖となりすべてのものの生みの親となる」と解釈しなければならない。だから、『古事記』は天照大御神が伊耶那美命と伊耶那岐命が掲げた【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重した人々を迫害した事実を記述した歴史書であったことになる。
 『古事記』上巻に登場する主な先祖は八人いるが、伊耶那美命、伊耶那岐命、須佐之男命、大国主神、山幸彦(やまさちひこ)の火遠理命(ほおりのみこと)の五人は国民に慕われる先祖であったゆえ【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重したと示す。残る天照大御神、天孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)、海幸彦の火照命(ほでりのみこと)の三人は国家権力を誇示して【日本建国の〔愛〕の理念】を抹殺せんとした――と、『古事記』は記述する。
 だから、「黄泉国の伊耶那美命」は「天照大御神」であると編纂スタッフは記述していたことになる。

◆『古事記』を旅行カバンにつっこんでD図の熊野に旅行すると――『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話における「黄泉国」は「伊耶那美命の墓が築造された熊野本宮大社の旧社地の大斎原(おおゆのはら)」であると察知できる。また、「黄泉国(大斎原)の墓の玄室から伊耶那美命の棺を奪い、棺を神輿に担ぐ日本兵と棺を担ぐ兵が転ばないように真っ暗な熊野路を照らす燃え盛る松明(たいまつ)を手にかざす日本兵の一行と共に伊耶那岐命が逃亡して目指した黄泉比良坂之坂本(よもつひらさかのさかもと)」は「現在の熊野速玉大社の境内」であることも察知できる。
 『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話の後半は下記のごとく歴史を記述する。

「日本兵たちの松明の灯で誘導された伊耶那美命の墓を守備していた倭政府の大軍は、伊耶那岐命の指揮する熊野速玉大社の境内に待機する日本軍の本隊と熊野に住む戦士たちに撃破されて大敗した。

この後、驚くべきことに夜の熊野路をか弱い足で追跡してきた天照大御神が捕えられ、日本国の軍王(いくさのおおきみ)の伊耶那岐命がいる千引石(ちびきのいわ)の前に連行されて、夫の伊耶那岐命に離縁を言い渡された。
 この千引石は、D図に示す現在の和歌山県新宮市に所在する神倉神社の参道を塞ぐ神倉山にある“ごとびき岩”である。この「千引石=ごとびき岩」は神倉神社の御神体である。
 離縁を告げられた天照大御神は千引石の前で「汝(いまし)の国の人草、一日に千頭絞(ちがしら・くび)り殺さむ」と呪い、「【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民の胎児の頭を一日に千人ずつ絞め殺す」と誓った。
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◆『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部は「天照大御神(黄泉国の伊耶那美命)は千引石の精霊となって道反之(ちかえしの)大神、またの名は黄泉戸(よみどの)大神と呼ばれた」と記す。だから、千引石はD図に示す神倉神社の御神体となり、天照大御神は神倉神社に主神として祭られることになった。ゆえに、「黄泉国の伊耶那美命」の正体は「黄泉戸大神(道反之大神)と呼ばれた天照大御神」であったことになる。
 伊耶那岐命の黄泉国訪問説話は、「伊耶那美命の墓に埋められた徇葬者たち」を「八雷神(やくさのいかづちがみ)」と記す。このように、天照大御神は雷神に雨乞いを祈願して残虐な徇葬を決行したために伊耶那岐命のクーデターによって倭女王の地位を失って天下を奪われた。ゆえに、天照大御神は伊耶那岐命に復讐するために、離縁が告げられた場所にあった千引石が天照大御神の怨み骨髄(こつずい)に徹する呪力によって千個に砕け散った岩が群がり集まるような奥津磐座で――千人ずつの胎児たちの頭を一日に絞め殺して犠牲(いけにえ)にささげると呪い雷神に雨乞い祈願していたことになる。
 『日本書紀』崇神天皇紀は「倭迹迹日百襲姫命(やもとととびももそひめのみこと)を箸墓(はしはか)に葬った」と記述する。またわがブログ「日本が滅びる」シリーズで幾度も詳細に解明したように、E図に示す箸墓に葬られた倭迹迹日百襲姫命は天照大御神の晩年の名前であった。箸墓は全面を葺石(ふきいし)で覆った全長280mの大型前方後円墳である。上記したように『古事記』上巻が「天照大御神は神倉神社の神体となる千引石の精霊となった」と記述するように、倭迹迹日百襲姫命=天照大御神の伊耶那美命と伊耶那岐命への怨みは千引石を千個に砕いたような石や岩にのりうつり強い呪力を有することになったとされたゆえ、彼女の墓(箸墓)は全面を石で覆う造りとなったのである。したがって、箸墓からほど近い南南東の三輪山(E図参照)の山頂にある多数の岩が群がる奥津磐座において、天照大御神は雷神に一日に【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民の胎児を千人ずつささげて降雨を祈願する呪術(じゅじゅつ)の儀式をおこなっていたことになる。

◆D図の左下の熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山)の主神は、【日本建国の〔愛〕の理念】を提唱した伊耶那美命である。
 日本最高の高さ130mの那智の大滝は那智大社の神体である。
 13歳で小国・日本の女王となった伊耶那美命は、『魏志』倭人伝末部に登場する倭女王であり、夏音名(夏音文字の名前)で「壱与(いよ)」と表記された。伊耶那美命は『魏志』倭人伝の記載される倭国に属する小国・伊耶(いや)国出身者であったために、「伊耶国出身の美しい女王」と尊敬され「伊耶那美命」と愛称された。伊耶国は旧国の丹波(現在の京都府中部と兵庫県の一部)であり、“霧の丹波”と呼ばれるほど霧が深い地域として有名であるので丹波出身の伊耶那美命は雨・霧などの水に強い呪力を有するとされた。ゆえに、丹波のごとく霧深い山中にある那智の大滝は伊耶那美命の精霊をあらわすことになった。このように、那智の大滝=伊耶那美命の精霊であったゆえ最初は本殿を設けられず、拝所だけが存在した。

 F図は、那智の大滝の正面にある伊耶那美命を祭る三体の神具図である。
 F図の上段中央の神具は「牛頭天王(ごずてんのう)」と称される。
 G図は『説文解字』の[]の字源解説をあらわす。『説文解字』は[][]を加える[]の字源を「牛、人に触()れる。角に横木を著()く。人の告げる所以(ゆえん)なり」と解説する。G図が示すように、「牛の頭に似る銀河のおける口部」は「人の横顔の酷似する銀河の頭髪部」に接触するので「牛、人に触れる。人の告ぐる所以なり」となった。「牛の頭に似る銀河における角の部分」は「十字の銀河の子宮」に付く(著く)ので「角に横木に著く」と解説された。
 H図の[]の字源解説図に示すように、「十字の銀河」は〔横〕になり〔木立〕に見立てられたので「横木」と呼ばれ、この「横木」の解釈にもとづいて多数の文字が作られた。
 G図に示すように、壱与・伊耶那美命が生存した3世紀半ば、天頂に「長方形の暗黒天体部」がめぐってきた。F図の〔牛頭天王の頭部〕は、I図に示す「長方形の暗黒天体部」を表現する。〔牛頭天王の両脇の飾り〕は、I図の「二連菱形」をあらわす意匠である。
 これゆえ、天頂にめぐってきたG図に示した「牛の頭に似る銀河」からF図の上段中央の神具の名は「牛頭天王」となった。

◆白川静著『字統』(平凡社)[()]の字源を――〔広義校訂(こうぎていせい)〕に、字は水に従うものであるから、急流の水を本義とすべしという。わが国の〔万葉(『万葉集』)〕の用法はその意で、「雨零()れば瀧(たぎつ)山川」(巻十・2308)のようにいう。いわゆる瀧は、古くは垂水(たるみ)といった――と解説する。
 この『字統』の[]の字源解説は、J図に示す「十字の銀河」から発する「激流に似る銀河」の形状に合致する。というのも、「激流に似る銀河」は「急流の水」をあらわすイメージとなり、また「雨が降ってたぎつ流れる山谷の川」にも観え、さらに「垂水」の形状をあらわすものとなるからである。
 J図の[]の字源銀河から壱与・伊耶那美命は那智の大滝の精霊となったのである。

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◆『説文解字』は[]の字源を「壺に従ひ、吉の聲なり」と解説する。
 B図に示す「子宮」が「壺」であり、「子宮()に宿る胎児」は「目出度い」[]を示すことになるので、[]の篆文の字形は「[]の中に、[]の字が入る」ことになった。
 したがって、K図の左図に示す「十字の銀河の子宮」が[]の字源銀河となった。

 白川静著『字統』は[]の字について「正字は與。上下左右の手で四方からものをもつ舁()と、与えとに従う。四方より与をかつぐ形である。与は象牙のような貴重なものの形であろう」と解説する。K図に示すように、[]の字源となる「四方からもの()をもつ、上下左右の手」は「十字の銀河、鬼の姿に似る銀河、東側の二連菱形、西の二連菱形」である。そして、「正方形の銀河」が「貴重なものをあらわす」の[]の字源となる。[]の字源銀河にはJ図の[]の字源となる「激流に似る銀河」が隣接するので、小国・日本の女王にして倭女王であった壱与は那智の大滝の精霊となった。

◆E図に示す熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三熊野(みくまの)には“牛王神璽(ごおうしんじ)”と呼ばれる悪魔退散、陰陽和合の護符(ごふ)がある――本来、牛王神璽が有するとされた呪力(じゅりょく)の「悪魔退散」の「悪魔」は「天照大御神の祟り」を指し、「陰陽和合」は「日本建国の〔愛〕の理念」を指すものであったのである。
 三熊野ではそれぞれの意匠の牛王神璽を売っている。三熊野では年の初めに牛王神璽を刷る神事が現在も残っている。L図の熊野那智大社の牛王神璽は最も古い形式を伝える。

それぞれデザインが異なる三熊野の牛王神璽では、中央に「日本第一」と4文字がある点が共通する――この「日本第一」は『古事記』序の初頭の「陰陽ここに開けて、二霊群品の祖となる」という文で示された「日本人にとって第一に大切なものは伊耶那美命と伊耶那美命が掲げた【日本建国の〔愛〕の理念】である」と表現するものであった。
 L図の那智大社の牛王神璽の中央の最下部は八咫烏(やたがらす)を組み合わせる宝珠(ほうしゅ)の意匠でK図に示す「十字の銀河の子宮」の[]をあらわし、宝珠紋の中に入る[]が加わって、[]の字をあらした。これゆえ、[]の字を形成する宝珠紋は「伊耶那美命は『魏志』倭人伝末部に登場する壱与であった」とあらわしている。

F図の下段の右側の盤(ふね)の上に載()る神具を、M図に示した。

M図の盤上の右側の神具は「赤い皿」の上に「富士山の形」が載る。

元明天皇に献呈拒絶されて正史になれなかった『古事記』上巻のテーマの【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えることを作成目的とした『万葉集』は、巻二十の43214436番までの防人歌(さきもりうた)で伊耶那美命が赴任した小国・日本の範囲を示す。
 N図に示す防人歌の作者たちの出身国の範囲となる東国が、小国・日本であった。

 N図に示す範囲は富士山が見える地域であるゆえ、M図の「富士山の形」をした神具は「伊耶那美命は小国・日本に赴任した女王であった」と表現していることになる。

◆M図の盤上に載る左側の神具は、現在、家々の神棚に載る「水器(すいき)」である。

神棚に載る水器を手の平に載せて見つめれば、水器は〔愛〕を造形するものであると確信できる。家に神棚を有さない人は、神具店や瀬戸物屋などで手の平に載せてまじまじと水器を見つめるとよい。

O図に示すように、水器の水を入れる「容器」は〔妊婦のおなかの形〕に似るように作られているゆえB図に示す「子宮」をあらわす。上から見ると同心円形のミゾが刻まれる「水器の蓋(ふた)」は、B図でミゾが描かれる「子宮頸部」と「膣(産道)」をデザインする。ゆえに、「水器の蓋の底」は〔容器の大きな口〕を塞ぐゆえ「水器具の蓋の下部」は「広い子宮頸」をあらわし、「水器の蓋の上部(突起部)」は「膣(産道)」を表現する。そして、「毎朝、取り替える水」は「羊水」をあらわす。
 『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話の末部は「天照大御神の祟りのために一日に必ず千人死ぬことになったが、伊耶那岐命の【日本建国の〔愛〕の理念】を継承する宣言によって一日に必ず千五百人生まれることになった」と記す。だから、F図の滝の正面に向かって右側の盤上に載る「一対の酒器」は「伊耶那美命と伊耶那岐命」をあらわし、L図の「日本第一」という4字は「伊耶那美命と伊耶那岐命が掲げた【日本建国の〔愛〕の理念】が日本人にとって最も大事である」と伝えていることになる。

O図の家々の神棚に載る水器は【日本建国の〔愛〕の理念】をあらわす。

A図の石像は【日本建国の〔愛〕の理念】を憎悪した箸墓に葬られた倭迹迹日百襲姫命・天照大御神の祟りをあらわす。
 A図の石像とO図の水器によって、『古事記』上巻・日本神話は史実を語るものであったと解明できる。だから、天照大御神の祟りをまったく解明しない学者たちの意見は〔誤読=文献批判〕を駆使して真実の歴史を抹殺した虚偽説であったことになる。

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