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2014年5月22日 (木)

日本が滅びる・99

愛、あざやかに永遠であれ(39)・箸墓記事と天皇の王冠(5)
 
■箸墓は崇神天皇の生母・倭迹迹日百襲姫命の陵墓であった
 

 
『日本書紀』崇神(すじん)天皇紀は「倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)を箸墓に葬った」と記す。
 この記事を無視して幾人の学者たちと朝日新聞は、A図に示す纏向(まきむく)遺跡を卑弥呼が居住した王国の邪馬台国であったと捏造(ねつぞう)するために、強引に“箸墓は卑弥呼の墓であった”と改ざんする。
Image001(C)2014 OHKAWA


 前回のわがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・98」で、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の「布留0式」と呼ばれる土器の放射性炭素年代測定は“箸墓は卑弥呼の墓であった”と指摘できる理由・根拠としてまったく無意味・無関係であることを明確に証明した。また、放射性炭素年代測定に代わる他のいかなる理由・根拠を提示しても、最初から纏向遺跡・邪馬台国説は空想・妄想となる方法で立論するものであることを誰にでも容易に理解できるように証明した。
 
箸墓に葬られた倭迹迹日百襲姫命は、『古事記』に記載される第10代崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)である。

◆しかし、『日本書紀』崇神天皇紀は「倭迹迹日百襲姫命は、天皇(崇神帝)の姑(おば)である」と記す。
 『日本書紀』孝霊天皇紀は「倭迹迹日百襲姫命は天皇(孝霊帝)の娘であった」と記す。
 伊迦賀色許売命は第7代孝霊天皇の息子の孝元天皇と結婚して崇神天皇を生んだ。ゆえに、孝霊天皇の娘の倭迹迹日百襲姫命は崇神天皇の父(孝元帝)の年下の妹の叔母(おば)であるから、『日本書紀』は崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命を「姑」と表記した。
 というのも、『古事記』中巻の開化天皇紀に記載されているように、伊迦賀色許売命は第9代開化天皇と結婚し、彼女は第9代開化天皇に離縁されたために戸籍を失ったからである。戸籍を失った崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命は崇神天皇の叔母の「倭迹迹日百襲姫命」という名を襲名したので、『日本書紀』に「姑」と表記されたのである。

◆『古事記』開化天皇紀は「天皇は春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に居住して天下を治めた。この天皇が丹波の大県主(おおあがたぬし)の由碁理(ゆごり)という方の娘の竹野比売(たかのひめ)と結婚して生まれた皇子は比古牟須美命(ひこむすみのみこと=『古事記』上巻の須佐之男命)である。また継母の伊迦賀色許売命と結婚した息子となった皇子は御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと=崇神天皇)である」と記す。
 開化天皇が居住した宮殿「伊耶河宮」の先頭2字「伊耶」は『古事記』上巻に登場する「伊耶那岐命」と「伊耶那美命」の先頭2字である。ゆえに、開化天皇は伊耶那岐命であり、正妃の竹野比売が伊耶那美命であった。
 『古事記』孝元天皇紀に記載されるように、崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命(後の倭迹迹日百襲姫命)は伊耶那岐命・開化天皇の父の第8代孝元天皇とも結婚しているので、『古事記』開化天皇紀に記載されたように、伊耶那岐命・開化帝の継母であった。
 『古事記』崇神天皇紀にある〔建波邇安王(たけはにやすのみこ)の反逆記事〕は――崇神天皇が「我が庶兄(まませ)建波邇安王」と呼んだ――と記す。ゆえに、『古事記』開化天皇紀では崇神天皇は伊耶那岐命・開化天皇と伊迦賀色許売命・倭迹迹日百襲姫命のあいだに生まれた子ではなく伊迦賀色許売命の連れ子であったことになる。崇神天皇は孝元天皇と伊迦賀色許売命が結婚して生まれた皇子・比古布都押之信命(ひこふつおしのまことのみこと)であり、孝元帝を父とする開化天皇と建波邇安王は崇神天皇の異母兄(庶兄)であった。

◆わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・25」において、『魏志』倭人伝末部に登場する「倭女王の壱与(いよ)」は「伊耶那美命・竹野比売」であると証明した。壱与・伊耶那美命・竹野比売は小国・日本=旧東鯷人(とうていじん)国に襲来すると予測された呉の遠征軍の呪的な戦力を奪う魔女として、小国・日本を防衛する女王として倭から赴任した。
 また、『魏志』倭人伝末部の魏の正始八年(西暦247)の記事に登場する「載斯烏越(そしあお)」は「伊耶那美命の夫の伊耶那岐命(後の開化天皇)」であり、伊耶那岐命は呉軍との戦いを指揮する小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)であることを解説し証明した。
 『魏志』倭人伝末部は「13歳の時に王(小国・日本の女王)に選ばれた卑弥呼が率いる宗女(そうじょ╱巫女界を代表する女性)の壱与(伊耶那美命・竹野比売)を倭に帰還させて倭女王に就任させた。当時、卑弥呼の墓を作った時に奴婢(ぬひ)百余人を殺して犠牲(いけにえ)にささげた徇葬(じゅんそう)を憎悪する反乱が国中に拡(ひろ)がっていたが、壱与が倭女王に就任するとついに反乱は鎮まって倭国は安定した」と記述する。
 かつて小国・日本の女王であった壱与・伊耶那美命・竹野比売は、小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めた。〔愛〕の女王・伊耶那美命が倭女王に就任したため、徇葬を憎悪して戦う反乱者たちは、伊耶那美命ならば必ず残虐な徇葬を禁止するにちがいないと信頼して武器を捨てた。ゆえに、国中に拡大した反乱は終息したのである。
 この反乱の終息によって壱与・伊耶那美命が小国・日本で提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】は徇葬を行った国家権力に勝ることが示された。
 伊耶那美命が没すると、崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命(伊耶那岐命の第二后)が倭女王に就任した。伊迦賀色許売命は、国家権力はなによりも強力でなければならないと考えた。いっぽう、伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】は国家権力に対抗する人民が欲求する理想と夢となった。ゆえに、国家権力至上主義の伊迦賀色許売命は伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を敵視し憎悪した。

◆伊耶那美命の徇葬廃止の遺志を無視して倭女王・伊迦賀色許売命は国家権力がなによりも勝って強力であることを示すために、伊耶那美命の墓を作る時に徇葬を陣頭指揮した。
 この伊迦賀色許売命が残虐な徇葬を陣頭指揮した歴史は、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国(よみのくに)の訪問説話に記述された。
 わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・18」に、『古事記』伊耶那岐命の黄泉国訪問説話の現代語訳を掲載した。
 伊耶那岐命の黄泉国訪問説話は、要するに――日本の軍王の伊耶那岐命は熊野におけるクーデターに成功して、徇葬を陣頭指揮した倭女王・伊迦賀色許売命から天下を奪った歴史――を伝えている。
 B図は伊耶那岐命のクーデターの舞台となった熊野=黄泉国の地図である。
Image001_2(C)2014 OHKAWA

 この説話の末部は、「徇葬を陣頭指揮した伊迦賀色許売命」を「伊耶那美神命(いざなみのかみのみこと)」と記載する。つまり、伊迦賀色許売命は「倭女王・伊耶那美命の徇葬墓を作る倭女王」であったゆえ「伊耶那美神命」と表記された。
 伊耶那美命の墓は、熊野本宮大社の旧社地の大斎原(おおゆのはら╱B図)に築造された。
 伊迦賀色許売命は国家権力の威力を示すために多数の奴婢(18歳くらいの青年と13歳くらいの乙女)を雷神に雨乞いの犠牲(いけにえ)にささげて豊かな実りと国家繁栄を祈願する徇葬を陣頭指揮した。これゆえ、「多数の徇葬者たち」は「八雷神(やくさのいかづちがみ)」と表記される。
 伊耶那美命陵を徇葬墓にする行為に怒った伊耶那岐命は夜中におこなうクーデターを企て、配下の数人の日本兵を率いて大斎原に築かれた陵墓の玄室から伊耶那美命の棺を奪うと――棺を載せた神輿を担ぐ日本兵たちと神輿が転ばないように真っ暗な熊野路を燃え盛る松明(たいまつ)の炎の灯で照らす日本兵たちと伊耶那岐命の一行は、日本軍の本隊と熊野に住む戦士たちが待機する黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本(現在の和歌山県新宮市にある熊野速玉大社の境内╱B図)へ目指して逃走した。
 伊耶那美命の陵墓を守った「倭政府の大軍」は「千五百之黄泉軍(ちいほのよもついくさ)」と記され、逃走する伊耶那岐命一行の松明の灯に誘導されて伊耶那岐命の作戦の罠にはまった千五百之黄泉軍は熊野速玉大社の境内にて撃破されて大敗した。
 かくしてクーデターは成功したが――驚いたことに女性のか弱い足で伊迦賀色許売命は大斎原から夜中の熊野路を歩きつづけて夫の伊耶那岐命を追跡してきた。彼女は捕虜となって、伊耶那岐命が居る千引石(ちびきのいわ)の前、つまり現在の和歌山県新宮市磐盾(いわたて)町の神倉(かんのくら)神社(B図)の神体“ごとびき岩”の前に連行された。
 千引石の前で天照大御神は伊耶那岐命に離縁を言い渡された。
 倭女王失脚と離縁の屈辱で五体が砕け散り裂けるような呪わしい状況となった伊迦賀色許売命は「汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日に千頭絞(ちがしら・くび)り殺さむ」と誓った。つまり、彼女は「亡き伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民の母親たちのC図に示す子宮頸部(しきゅうけいぶ)が狭くなるように呪い、一日に必ず千人の胎児の頭を狭い子宮頸部で絞め殺す」と誓った。
Image002

 この呪いに対して伊耶那岐命は「吾一日に千五百の産屋(うぶや)立てむ」と宣言し、伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を国作りの柱とする政事(まつりごと)を受け継ぐと誓った。

◆現在、伊耶那岐命が離縁を言い渡した千引石=ごとびき岩の前の空洞には、神倉神社の社殿が建造されている。この神倉神社に祀られる主祭神は、天照大御神である。だから、『古事記』に「伊耶那美神命」と記載された崇神帝の生母の伊迦賀色許売命は、朝廷が最も崇拝した皇祖の「天照大御神」であったのである。
 朝廷は大和朝廷の基礎を築いた皇祖・天照大御神の聖性を絶対に汚してはならぬと厳重に禁止した。これゆえ、編纂スタッフは天照大御神・伊迦賀色許売命が敵視し憎悪した「伊耶那美命」に“天照大御神”の「神」の1字を加えて「伊耶那岐神命」と表記した。編纂スタッフは「天照大御神・伊迦賀色許売命」を「伊耶那美神命」と表記して、『古事記』を元明天皇に献上して正史として承認されることを企んだ。しかし、元明天皇はこの「天照大御神」を「伊耶那美命」のごとく仕立てる表現方法を認めず、『古事記』は〔皇祖の天照大御神・伊迦賀色許売命が伊耶那岐命に天下を奪われた史実を伝える、皇祖・天照大御神の聖性を著しく汚す反逆の書物である〕と元明帝は批評して献呈を拒否した。だから、『古事記』は正史になれなかった。
 このブログの初頭部で指摘したように、千引石の前の空洞(現在の神倉神社の社殿が建つ場所)で伊耶那岐命・開化天皇に離縁された後、天照大御神・伊迦賀色許売命は「倭迹迹日百襲姫命」と改名した。

◆天照大御神・伊迦賀色許売命・倭迹迹日百襲姫命と崇神天皇の母子は一心同体となって、伊耶那岐命(開化天皇)に天下を奪われたことを怨み呪い復讐の好機をうかがう日々を悶々と過ごした。ゆえに、『古事記』上巻と『日本書紀』神代紀は、天照大御神・伊迦賀色許売命と一心同体となって復讐を心願とした「崇神天皇」をも「天照大御神」と表記した。
 伊耶那岐命・開化天皇は伊耶那美命が生んだ須佐之男命に譲位しても、天照大御神母子が必ずクーデターを起こすにちがいないと考えて、クーデターの連鎖を絶つために伊迦賀色許売命・倭迹迹日百襲姫命の息子(崇神天皇)に譲位した。したがって、『古事記』上巻の三貴子の分治説話に記載される「天照大御神」は「崇神天皇」であった。

◆奈良県奈良市油坂町に所在する伊耶那岐命・開化天皇の陵墓(全長約105)は、墳丘規模等から3世紀後半に築造されず、5世紀末から6世紀初頭の時期と推定されている。このため、現陵は開化天皇陵とするには疑問点が多いということで、幾人かの学者たちや研究者たちによって開化天皇は歴史上に実在しなかったと指摘されている。
 崇神天皇は養父の伊耶那岐命・開化天皇の譲位の恩に報いず、生母の伊迦賀色許売命・倭迹迹日百襲姫命とともに、伊耶那岐命・開化天皇の熊野・黄泉国のクーデターに復讐して開化天皇陵を築造しなかった。だから、開化天皇の陵墓は、3世紀後半に築造されなかったのである。

◆箸墓に葬られた倭迹迹日百襲姫命が崇神天皇の祖父・孝霊天皇の娘であったとしたならば、崇神天皇は譲位された養父の伊耶那岐命・開化天皇の恩に報いないばかりか、生母の陵墓をも築造しなかった恩知らずの親不幸者であったことになる。しかも、崇神天皇は生母の陵墓を作らずに、全長約280mの前期古墳で最大級の前方後円墳である箸墓を叔母のために作ったとなってまったく不可解となる。だから、箸墓に埋葬された倭迹迹日百襲姫命は崇神天皇の叔母ではなく、崇神天皇が愛した生母・伊迦賀色許売命であったと考えるべきことになる。
 また、崇神天皇と生母の伊迦賀色許売命は一心同体となって伊耶那美命と伊耶那岐命を敵視し、【日本建国の〔愛〕の理念】に勝る強大な権力を手に入れて大和朝廷の基礎を築いた二人を『古事記』と『日本書紀』は“天照大御神”と同名で記すことからしても、前期古墳最大級の箸墓に葬られた倭迹迹日百襲姫命は崇神天皇が愛した生母の伊迦賀色許売命であったと考えるべきことになる。
 さらに、箸墓に葬られた倭迹迹日百襲姫命が崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命であったことは、『日本書紀』巻第五の崇神天皇紀にある箸墓記事でも証明できる。
 わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の94回、95回、96回で、すでに箸墓が天照大御神・伊迦賀色許売命・倭迹迹日百襲姫命が葬られた墓である証明をおこなった。
 次回は、箸墓記事にさらなる追究を加えて倭迹迹日百襲姫命が天照大御神・伊迦賀色許売命である証明をおこなう。

 

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