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2014年5月16日 (金)

日本が滅びる・97-1

愛、あざやかに永遠であれ(37)・箸墓記事と天皇の王冠(4)

 

■日本は誤読の空論のデタラメの纏向遺跡・邪馬台国説で絶滅する・1

 

◆去る416日に韓国南西部・珍島(チンド)付近で旅客船セウォル号が沈没した事故が起きて犠牲者は304名となり、また52日午後3時ごろにソウル市内の地下鉄が停車中の列車に後続の列車が追突事故を起こし、「役人による災害」すなわち「官災」によって安全危機管理が崩壊したと韓国の人心は激しく動揺する。
 わが国には韓国の官災よりもさらに深刻な日本人の命と魂の尊厳と国家にとって最も重大な先人たちが命を賭けて守った【日本建国の〔愛〕の理念】を〔誤読〕で闇に葬る学者たちによる災いすなわち学災(がくさい)が存在する。
 3世紀から18世紀まで先人たちは【日本建国の〔愛〕の理念】を日本の理想と夢と考えて守った。ところが新井白石以後の学者たちは空理空論の邪馬台国説をとなえて【日本建国の〔愛〕の理念】の出発点となる『魏志』倭人伝に記述された真実の歴史を排除し、戦後は『古事記』と『日本書紀』に〔誤読=文献批判〕を加えて歴史を改ざんする日本神話説をもって【日本建国の〔愛〕の理念】を抹殺した。この学者たちの〔誤読の空論〕による【日本建国の〔愛〕の理念】の抹殺によって現に少子化が進み人口減少がおこっている。つまり、先人たちが【日本建国の〔愛〕の理念】を失うと日本は絶滅すると心配した通りの災いが忍び寄る状況となる。
 【日本建国の〔愛〕の理念】は平和憲法を支える盤石の土台となり、日本が前進する原動力となるにちがいない。また、【日本建国の〔愛〕の理念】を失ったならばこの国は「日本」と呼べず、われわれは「日本人」と呼べない。だから、先人たちは3世紀から約1450年も【日本建国の〔愛〕の理念】を守って、われわれに残した。

◆昨日(2014515)、安倍晋三首相は他国のために自衛隊の武力を使うことができる集団的自衛権の行使を検討する考えを表明した。首相は国民に被害が及ぶ予想の事例をもって訴えたが、この方法は現代の戦争史における国民に脅迫観念を植え付けて戦争にひきずり込む政治家たちの常套手段である。ゆえに、実に危険な扇動(せんどう)であるのではあるまいか。
 わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」は1回から今回(97)まで、さらに続く最終回まで首尾一貫して学者たちが〔誤読〕を用いて【日本建国の〔愛〕の理念】を抹殺する事実を史跡・遺跡・遺物を提示して明白に暴露するために掲載している。
 私が研究する【日本建国の〔愛〕の理念】と日本国憲法の前文を連結させると「わが日本国は〔愛〕の理念を高らかに掲げて起源し、先人たちは〔愛〕の理念が永遠に存続することを願った。この【日本建国の〔愛〕の理念】の精神にもとづき、日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。(中略)。日本国民は、愛〕の理念のもとに建国された国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」となり、何ら違和感がない。(太く赤色の文字は、私が前文に加えた部分である)
 この【日本建国の〔愛〕の理念】の歴史は、『魏志』倭人伝末部の「壱与(いよ)」の記事が出発点となる。

1716年に幕政から追放された新井白石(16571725)は著書『古史通或問(こしつうわくもん)』で最初「邪馬台国は大和である」と比定し、晩年は『外国之事調書』などで「邪馬台国は筑後山門(やまと)郡である」と比定した。
 白石の邪馬台国説は「ヤマトはヤマタイである」とこじつける語呂合わせの単純な思いつきにもとづく〔誤読〕を学説に仕立て上げようとする試みであった。しかし、『魏志』倭人伝はすべての記事を忠実に読解すれば真実(ほんとう)の歴史が明らかになる史書であった。この重大な事実を白石はまったく気づかなかった。

 この白石の最初の躓(つまじ)きを学者たちは今日まで約280年間も踏襲(とうしゅう)し、日本国民に誤読の空論を押しつける。
 すべての邪馬台国説は紛(まぎ)れもなく〔誤読の空論〕であり、この〔誤読の空論〕の究極の極みは現在において最も有力説とされる纏向(まきむく)遺跡・邪馬台国説である。この纏向遺跡・邪馬台国説は〔完全なる誤読の空論〕であるばかりか、“日本人大虐殺”と言っても過言ではないほどに滅多打ちに日本人の命の根元と尊厳を踏みにじる根も葉もないデマであり荒唐無稽(こうとうむけい)のデタラメである。
 纏向遺跡・邪馬台国説が日本人大虐殺するデタラメであることは、下記にて説明する〔[]のキャッチ〕によって簡単明瞭に証明できる。

3世紀後半(280289)、中国の晋王朝につかえた著作郎(歴史編纂官)の陳寿(ちんじゅ)は『三国志』65巻を作成した。この《『三国志』の魏書東夷伝末部の倭人伝》を通称“『魏志』倭人伝”と呼ぶ。『魏志』倭人伝は約2000字で構成される。(陳述が記した1983字と5世紀の裴松之が加える56字の注で構成される)

魏・蜀・呉が鼎立(ていりつ)した三国時代(220280)229(呉の黄竜元年)の状況はA図のごとく魏を倒さんとする前面の敵は呉と蜀であり、燕(えん)の公孫淵(こうそんえん)が魏の背後の脅威であった。呉の皇帝の孫権(そんけん)は燕を治める淵を味方に引き入れようとして密使を派遣したが、淵は軍事同盟を結ぶ魏と倭の挟み討ちにあって燕が滅亡することを心配し呉との軍事同盟をことわった。
Image(C)2014 OHKAWA

 そこで、B図に示す倭の隣国にして倭の背後の東鯷人国(とうていじんこく)に注目した孫権は、翌230(呉の黄竜二年)に「将軍衛温(えいおん)と諸葛直(しょかつちょく)を遣わし、甲士(武装兵)万人を将(ひきい)て海に浮かべて」と『三国志』呉書孫権伝に記述される東鯷人国遠征を命令した。
 208年、中国の戦争史で有名な赤壁(せきへき)の戦いがあった。わずか5万の呉・蜀の連合軍は80万の曹操(そうそう)が率いる魏の大軍を撃破して劇的な大勝利をおさめた。呉・蜀連合軍を勝利に導いた中心的役割は2万の呉の水軍が担った。ゆえに、東鯷人国に遠征する1万の水軍は、ザックリ言えば赤壁の戦いにおける40万の魏の大軍に匹敵した。
 孫権は――呉の1万の水軍が東鯷人国の海上に出現すれば、呉に占領されまいと東鯷人国王は倭の卑弥呼に防衛を要請するにちがいない、卑弥呼は隣国が呉軍に占領することを憂慮して大軍を東鯷人国に派遣すれば燕を背後から討つ倭軍の脅威が減殺するので、魏につかえて不満を抱く淵に燕王の位を約束すれば必ず淵は呉と蜀の味方につくはずである――と考えた。したがって、遠征軍は東鯷人国・倭国連合軍と一戦も交えずに呉軍の威力を示したならば、ほんとうの目的である魏を倒すために1万の水軍は直ちに帰還せよと孫権は命令するものであったと推測される。
 しかし、呉の1万の遠征軍は大海に入るや直ちに緯度と方角を見失い、8割から9割の兵士たちは大海に消えて壊滅した(『三国志』呉書孫権伝)

◆呉の水軍は東鯷人国の海上に到着する以前に、大海に敗北したのである。
 というのも――中国では紀元前1世紀に〔天の北極〕を最も重視するシナ天文が完成して、C図に示す〔[]をキャッチする眼力と技(わざ)を鍛錬する習慣〕が廃(すた)れていたからである。
Image001 (C)2014 OHKAWA

 呉軍がおこなった〔天の北極の高度を緯度に換算する航法〕では、中国と日本列島を隔てる大海を渡ることができない――この事実は、古代史学で最も権威ある学者が“ウソだ!”と反論しても覆(くつがえ)すことができない【科学】における絶対法則にもとづく真実である。
 当時、〔大海を往来する方法〕はC図に示す〔[]をキャッチする方法〕のみであった。C図右上にある[]は「46秒ぐらいで、天頂緯度線と子午線をキャッチする術」を示すものであり、「大海を往来する人や遠くに旅する人はじめ山や谷や森などで迷った人が、家族が待つ家に帰還できる方法・技術」であった。つまり、家族が待つ家に帰る方法は、当然、精密に緯度(位置)と子午線(方角)が測量できる方法ということになるゆえ、〔[]のキャッチ〕は唯一精密に緯度と子午線が測量できる技術であった。

◆中国の正史『後漢書(ごかんじょ)』倭伝は「紀元前3世紀に生存した秦の始皇帝は、蓬莱(ほうらい)の神仙にある不老長寿の薬を求めてくるように、方士の徐福に命じた。徐福は童男女数千人を将(ひきい)て海に入ったが、不老長寿の薬を探すことができなかったので誅殺(ちゅうさつ)を畏れて帰還しなかった。この徐福一行の末裔は卑弥呼が統治した倭の隣国の東鯷人国に定住し、3世紀においては数万家となっていた。この東鯷人国の人民は、呉の会稽(かいけい╱A図参照)に到着して定期的に交易していた。しかし、中国の人々には東鯷人が通う海の道は遥かに遠く途中で絶えてしまうので往来することができない」と記述する。
 上記のごとく――紀元前3世紀にはシナ天文が完成していなかったのでC図に示す〔[]をキャッチする術〕で徐福一行は大海を渡って日本列島に到着できたが、シナ天文が完成して最も〔天の北極〕が重視されることになった3世紀になると大海を往来できる方法であった〔[]をキャッチする眼力と技〕を鍛える習慣が廃れたため、呉の遠征軍が壊滅したように中国の魏・蜀・呉の人々は大海を渡ることができなくなったのである。
 このように『三国志』呉書孫権伝と『後漢書』倭伝には「天の北極では大海を渡ることができないが、[]をキャッチする術ならば大海を往来できた【科学】の法則」が記述されている。

◆この【科学】に則る事実は、『魏志』倭人伝にある下記の6つの記事もまた示す。

(1)(いにしえ)より以来、倭の使者は中国に到着すると、皆みずから“大夫”と称した。
(2)
魏の景初二年(238)六月、倭の大夫の難升米(なしめ)等を帯方郡に派遣した。

(3)魏の正始四年(243)、倭王が大夫の伊聲耆(いてき)・掖邪狗(ややこ)の八人の使節を派遣した

(4)魏の正始六年(245)、魏の斉王は倭の外相の難升米に魏の軍旗の黄幢(こうどう)を仮に授けた

(5)魏の政始八年(247)、倭は載斯烏越(そしあお)等を派遣して帯方郡政庁に到着した。載斯烏越一行が帰還する船に帯方郡使の張政(ちょうせい)等は便乗して倭に到着した

(6)倭は大夫の掖邪狗等二十人を派遣して、帯方郡の使節・張政一行を帰還させた後、さらに倭の使節一行は魏都(洛陽)へ目指して到着した

上記の6つの記事は、倭ではC図に示す〔[]をキャッチする術を鍛錬する習慣〕が栄えていたので倭の使節は大海を往来できたと事実を語っていることになる。
 しかし、学者たちは【科学】の法則にもとづいて大海を渡ることができなかった〔天の北極〕で方位を規定する実際の日本地図を用いて邪馬台国説を立論する。上記の6つの記事を無視して〔誤読〕に“文献批判”という名をつける方法を用いる邪馬台国説は、下記に示すがごとく完全なる空理空論であることが簡単明瞭に証明される。
――魏と帯方郡の使節は、[]をキャッチすることができなかった。だから、〔[]をキャッチする術〕を鍛錬した倭の船乗りと使節が大海を往来して魏と倭の国交が結ばれて『魏志』倭人伝が著作されたことが事実となる。ところが、邪馬台国説は卑弥呼王朝が〔天の北極〕で制定できる実際の日本地図を立論基盤とするゆえ、倭の使節もまた大海を渡ることができなかったことになる。そうすると魏・帯方郡と倭の使節は大海を渡れなかったことになって魏と倭は国交を結ぶことができなかったことになり、『魏志』倭人伝には1字も文字が書かれていなかい白紙となる。『魏志』倭人伝が1字も書かれていない白紙になると「卑弥呼」の3字も「邪馬台国」の4字も記載されていなかったことになって立論がまったく不可能の空論となる。

このように実際の日本地図で立論すると完全なる空論となる状況を学者たちは無視して卑弥呼や邪馬台国について語る意見はまさに空理空論であり、荒唐無稽のデタラメとなる。
 以上のごとく、〔天の北極の高度を緯度に換算する航法〕では大海を渡ることができない【科学】の法則によって――白石から始まった〔誤読の史観〕を正しい考え方であると定めるすべての邪馬台国説は荒唐無稽の空論であることが簡単明瞭に証明される。

次回は今回の続きである。
 次回では、卑弥呼が統治する倭では〔天の北極〕を重視する学術・風習は存在せず、〔[玄]をキャッチする高度の学術〕が栄えていたことを証明する。
 したがって、『日本書紀』が「箸墓に倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)を葬った」という記述を無視して、〔誤読」を用いて強引に“箸墓は卑弥呼の墓である”と改ざんして、箸墓が所在する纏向(まきむく)遺跡を卑弥呼が居住した邪馬台国であったと捏造(ねつぞう)する学者たちの意見は荒唐無稽(こうとうむけい)のデタラメである。
 なにゆえ、私が箸墓・卑弥呼の墓説と纏向遺跡・邪馬台国説が〔誤読の空論〕である証明に執着するかといえば、この説は先人たちが約1450年間も命と魂の根元として必死にまもった【日本建国の〔愛〕の理念】を抹殺するからである。
 このブログの初頭にて証明したように、【日本建国の〔愛」の理念】と日本国憲法の前文のドッキングはまったく違和感がなくピッタリと一体化する。つまり、日本国憲法は米国から押し付けられたものではなく、【日本建国の〔愛〕の理念】が日本国憲法の生みの母(おや)であり根幹的精神となるものであったことになる。
 これゆえ、〔誤読の空論〕による【日本建国の〔愛」の理念】の抹殺をこのまま放置していると、集団的自衛権の行使が欲求された次は日本国憲法が破壊され、一気に戦争突入してこんなはずではなかったと国民が後悔して絶望する日本崩壊が迫る状況が待っているのではあるまいか。

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