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2014年6月10日 (火)

日本が滅びる・104

愛、あざやかに永遠であれ(43)・箸墓記事と天皇の王冠(9)

箸墓記事の「櫛笥の小蛇」に秘められた天照大御神の祟りの解明(2)

◆このブログを閲覧する方々にとって疑問点を抱きまたは説明不足や消化不良を感じたならば、前々回のわがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・102」を読んでいただきたい。


◆日本古代史学者たちは〔誤読〕を“文献批判”と呼ぶ方法を考案して確立させた。
 この〔誤読〕を自由自在にあやつって、『古事記』や『日本書紀』に記載された伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】と天照大御神が【日本建国の〔愛〕の理念】を呪い祟(たた)った歴史を抹殺した。ゆえに、学者たちの〔誤読の空論〕によって、日本人は日本人として生きてゆく尊厳を奪われることになった。
 現在、奈良県桜井市に所在する箸墓(はしはか)古墳は卑弥呼の墓とする意見が有力説であるが、この箸墓・卑弥呼の墓説は荒唐無稽(こうとうむけい)のデタラメである。

というのも、『日本書紀』巻第五の崇神(すじん)天皇紀にある箸墓記事は――箸墓に葬られた倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)であり、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場する「伊耶那美命」である。「伊耶那美命」の正体は「伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を呪い祟る、雷神に雨乞いする蛇巫(へびふ)であった天照大御神」である――と、3世紀後半の歴史を伝えるものであると史跡・遺物で証明できるからである。
 わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・101」において、奈良県桜井市に所在する大神(おおみわ)神社が祀る主祭神の「大物主神」は「天照大御神(伊耶那美)の祟り」をあらわすものであることを証明した。

◆また、前々回のブログ「日本が滅びる・102」では、大神神社の東隣の狭井(さい)神社の神体の「櫛笥(くしげ)に入っている小蛇(こおろち)」は「天照大御神(伊耶那美)の祟り」をあらわすことを証明した。つまり、「大物主神」と「櫛笥に入っている小蛇」は共に「天照大御神の【日本建国の〔愛〕の理念】への祟り」をあらわした。
 『日本書紀』の崇神天皇紀の箸墓記事において、「櫛笥に入っている小蛇」が登場するまでの概要は下記のごとくである。
――天照大御神・倭迹迹日百襲姫命は、大神神社の主祭神の大物主神の妻となった。天照大御神は昼間に姿をあらわさず、夜だけ登場する夫にもうしばらく留まって顔を見ることができる朝まで一緒に居てくれるように願ったところ、夫は「明旦(あしたの朝)、あなたの櫛笥にはいっていよう。どうか私の形に驚かないように」と約束した。天照大御神が夜の明けるのを待って櫛笥を見ると、美麗な小蛇が入っていた。

◆前々回のわがブログで、箸墓記事の「櫛笥に入っている小蛇」について日本民俗学会会員で学習院短期大学講師であった吉野裕子女史は、相賀徹夫編集著作『神々のふる里 5 飛鳥から難波へ』(小学館)53頁において下記のごとく指摘していることを紹介した。
 「日本古代蛇信仰は種々な要素を入れ、複雑の内容をもって展開するが、縄文につづいて弥生・古墳時代にも蛇巫(へびふ)は存在し、彼女らは祖神の蛇と交わり、幼蛇を生むことになっていた。しかし、現実には山野から蛇を捕えて来て、これを甕(みか)・桶・笥(はこ)のなかに飼い、祖霊としてこれを祀っていたのである。三輪山伝説のヤマトトトヒモモソヒメノミコトや『常陸(ひたち)風土記』のヌカヒメ伝承はその様相を伝えるものとして受けとられる。皇祖神の天照大神も、本来は蛇を祀る蛇巫であったが、彼女はその後、祀るものから、祀られる伊勢大神にまで昇格したのである。天照大神の本質を受けつぐ後代の伊勢斎宮(いせさいぐう)は、夜毎祖神と交わるが、その衾(ふすま)には蛇のウロコが落ちているから、伊勢大神は蛇であろうという伝承からもそれはうかがわれるのである。」

 
◆上記の吉野裕子女子の文は、これから説明する長野県の遺跡から出土した「頭上にマムシを乗せた土偶」を注目して作成された。
 この土偶は今から約4500年前の中期縄文時代中半に作成されたと考えられている。
 天文学では秋の星座が漬かる銀河の範囲を「秋の銀河」、夏の星座が漬かる銀河の範囲を「夏の銀河」と呼ぶ。頭上に蛇(マムシ)を乗せた土偶が作られた約4500年前、「秋の銀河の西部」と「夏の銀河の東北部」が連結する部分に位置する、私が「三つ輪の銀河」「十字の銀河」(秋の銀河の西部)「鬼の姿に似る銀河」(夏の銀河の東北部)と名づけた3つの銀河部が長野県の天頂にめぐってきた。
 〔歳差〕という天文現象を用いて、約6000年前の前期縄文時代初頭、約4000年前の後期縄文時代初頭における、北緯3736(新潟県の信濃川河口付近)から北緯3520分の神奈川県の湘南(茅ヶ崎、藤沢、鎌倉)の天頂緯度線を再現すると、A図のごとくになる。
 縄文前期、A図に示す緯度圏内における関東地方で土器芸術革命が起こった。
 B図に示すように、山梨県では渦巻文で装飾する土器が前期縄文時代に作られ、中期になると渦巻をモチーフとする新潟県信濃川流域で火炎様式の土器が作られ、関東地方では勝坂様式の渦巻文が胴体一面を飾る土器が作られた。これらの渦巻文は、天頂にめぐってきた無数の星が渦巻を描く壮麗な「三つ輪の銀河」を表現するものであったのである。

Image005_2(C)2014 OHKAWA
 
◆C図は、上記の吉野裕子女史が注目した「頭上にマムシを乗せた土偶」の写真である。
Image006(C)2014 OHKAWA
 
 南北に長い長野県の中央部にある茅野市は北緯36度である。
 D図に示す長野県(北緯36)中央部の中期縄文時代初頭と後期縄文時代初頭の中央となる点線が、中期縄文時代中半における天頂緯度線となる。
Image007(C)2014 OHKAWA

   点線で示した中期縄文時代中半における長野県の天頂緯度線は、D図の下部となる「鬼の姿に似る銀河の後頭部に付く目の形をした銀河」からD図上部の「三つ輪の銀河の北側の輪の銀河の南端」を貫通していた。
 E図左図に示す「三つ輪の銀河の北側の輪の銀河」は渦巻きの形をしているので「蛇の首と、体を渦巻のような形に巻く蛇のトグロ」に観える。
 さらにE図右図の「鬼の横顔の頭に生える1本の角(つの)」は、F図に示す蛇の脊椎(せきつい)の骨の〔棘(とげ)突起〕と〔前軛(ぜんやく)突起〕に相似する。
Image003(C)2014 OHKAWA
 
 G図に示すように〔天頂緯度線〕は〔人の頭上〕に存在し、G図右端に示す〔天頂緯度線=[]〕は人が顔を天頂に向ければキャッチできる。
 E図右図にて円弧を描いて「頭」と記したように、「鬼の首に付く蛇の両目に似る銀河」における「〔蛇の頭〕となる銀河部」は、「鬼の横顔に似る銀河」と重なる。
 
 ゆえに、E図右図の「鬼の横顔に似る銀河」は、G図に示した〔人の頭上にある天頂緯度線を、顔を天頂に向けてキャッチする行為〕をあらわすことになった。

◆H図に示すように(D図参照)、点線より北側は中期縄文時代前半の天頂緯度線が貫通することになるので、中期縄文時代前半においては「十字の銀河の顔」が天頂にめぐってきたことになる。この「十字の銀河の顔」は、H図に示すように「十字の銀河の頭」とも解釈できる。
 I図の頭にマムシを乗せた土偶図の〔首・両腕・胸〕は、H図の「十字の銀河の両腕・胸部」と同じく〔十字形〕である。また、I図の土偶の胸部の〔菱形文〕と同じく、H図に記したように「十字の銀河の両腕」もまた〔菱形〕である。ゆえに、I図の〔土偶の蛇が乗る頭〕のモデルは天頂緯度線が貫通する「十字の銀河の顔・頭」であったことになる。
 ゆえに、I図の土偶の十字形となる首・両腕・胸部に刻まれる〔二本線で構成される菱形文〕は、H図の中期縄文時代中半から後期縄文時代初頭までの天頂緯度線が貫通した「十字の銀河の胸部と両腕」をあらわすものであったことになる。
 だからI図の〔頭に乗る蛇〕は、E図に示した天頂にめぐってきた〔二ヵ所の銀河(つまり、「三つ輪の銀河の北側の輪の銀河」と「鬼の姿に似る銀河と後頭部に付く蛇の目に似る銀河」)の形状〕から〔蛇の姿をした神〕が生まれて、崇拝されていたことになる。
Image004(C)2014 OHKAWA

◆大海を往来する人、遠くの地へ旅する人、山や森林などで迷って人、日々の生活にあって色々の場所で道に迷った人々は、G図の右端の上部に示す[]の字源となった「天頂緯度線と子午線」をキャッチすれば精密に緯度(位置)と経度(子午線・方角)が測定できたゆえ、迷わずに最も大事な命が与えられて家族が待つ家に帰ることができた。だから、彼等は日々〔天頂緯度線と子午線をキャッチする眼力と技(わざ)〕を鍛錬し、「天頂緯度線と子午線をキャッチできる印象深い形をした銀河部」は命を与える「天の神」であると感じていたのである。
 J図右図の〔天頂緯度線と子午線〕をあらわす菱形は、I図の〔頭にマムシ()を乗せる土偶〕の両腕・胸部に刻まれる〔菱形文〕に合致する。
 小児は頭蓋骨の縫合(ほうごう)が完成していない。このため、J図左図に示すように頭上(頭蓋骨中央)にある骨どうしの間が膜となる部分を「大泉門(だいせんもん)」と呼ぶ。そして、小児の〔前頭骨と頭頂骨の間にある縫合の線〕はG図左端の〔東北の地平線から昇り西北の地平線に没する、天頂緯度線となる銀河部の軌道〕に適合する。それゆえJ図の左図の大泉門の中央〕は〔天頂点〕に相当し、〔左右の前頭骨と頭頂骨が縫合する線〕は〔子午線〕に適合する。
Image004_2(C)2014 OHKAWA  
 
◆出産直後の新生児から2歳児までの頭蓋骨の縫合の形状は、J図右図のように考えると〔天頂緯度線と子午線〕をあらわすことになる。ゆえに、J図右図の〔天頂緯度線と子午線をデザインする菱形文〕をJ図左図の〔新生児の頭蓋骨の縫合の形状〕に見立てると、H図の〔中期縄文時代中半から後期縄文時代初頭までの天頂緯度線が貫通する「十字の銀河の両腕と胸部」〕をあらわすことになるので、I図の〔土偶の両腕と胸部〕には「十字の銀河の両腕」と「天頂緯度線と子午線」をあらわす〔菱形文〕が刻まれたのである。
 そして、I図の〔土偶の両腕と胸部に刻まれる菱形文〕は、K図右図の出産する胎児が通過する中央図に示す〔子宮頸管(しきゅうけいかん)と子宮口(内子宮口・外子宮口)〕をあらわした。
 G図の右端に示す軌道にあって「精密に緯度と子午線を測定できる[]の部分」と「胎児が無事に通過して出産する子宮頸管」は共に狭くて小さな部分である。ゆえに、縄文の人々にとっては――狭い小さな[]をキャッチして【たくましく生きてゆく力】と【狭い子宮頸管を通過する胎児の生命力】は共に【天の神が与える「いのち」】と解釈されることになった。だから、彼等は[]とK図中央の「子宮頸管」を同一視して、この考えをI図とK図に示した〔土偶の両腕と胸部に刻まれる菱形文〕であらわした。
 したがって、I図の土偶の〔菱形文〕はK図中央図に示す〔子宮頸管〕をあらわしたことになる。
 K図右図の出産第1期において羊水が蛇の卵の膜に似た卵膜の一部をふくらませて子宮頸管を押し開いてゆき、蛇がくねるがごとく胎児の頭は向きを変えながら顔をすっかり後方に向ける位置をとると子宮頸管・子宮口がすっかり開く・全開大(ぜんかいだい)となる。
 出産第2期では子宮頸管は全開大し、胎児の頭が母体の直腸を圧迫するので自然に怒責(どせき╱母体が大きな声を挙げていきみ、きばる行為)がおこり、陣痛の発作の時には胎児の頭は羊水で湿潤(しつじゅん)する蛇身のようにヌルヌルとした産道を進んで膣の入口から頭が見えるようになる。さらに進んで胎児の頭の最も大きい部分が膣入口を通過しようとする時に頭は母体の左または右を向くが、これは肩の部分が骨盤出口を通るためである。肩は先ず上(母体の腹側)にあるほうから先に、次いで下(母体の背側)の肩が出ると、あとは一気に生まれる。このような肩のくねる様子は、蛇身のくねる様子に相似する。
Image005_3(C)2014 OHKAWA 

ゆえに、K図右図の〔菱形の外側の線〕はK図左図の出産第1期終わりごろの〔子宮全開大の子宮頸管〕をあらわし、〔菱形の内側の線〕は〔妊娠前や出産期以前の閉じる子宮頸管〕をあらわすものであったと考えられる。

◆以上のごとく、D図に示した中期縄文時代中半の天頂にめぐってきた銀河部は〔蛇(マムシ)〕に見立てられ、「[](天頂緯度線と子午線)のキャッチ」と「胎児が通過する狭い子宮頸管」は同一視線されて天頂には人々に命を与える「神」が存在するにちがいないと信仰されることになった。この由来によって、〔頭にマムシを乗せた土偶から祖神の蛇と交わって生まれる幼い蛇〕という解釈が確立されて、吉野女史が「山野から蛇を捕えて来て笥(はこ)・甕(みか)・桶のなかに飼って祖霊と祀る弥生・古墳時代の蛇巫の行為は、祖神の蛇と交わり幼い蛇を生むことになった」と指摘する蛇信仰が出現することになったのである。
 箸墓記事に登場する「櫛笥に入っている小蛇」は「櫛を挿()す頭が笥となる、その笥に入っている小蛇」ということになる。だから、吉野女史が指摘したとおり「櫛笥に入っている小蛇の祖型」は中期縄文時代中半に長野県で作られた「頭上にマムシを乗せた土偶」であったことになる。

◆『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部に登場する「千引石(ちびきのいわ)」は、現在の和歌山県新宮市磐盾(いわたて)町に所在する神倉(かんのくら)神社の神体“ごとびき岩”である。この千引石の前で、伊耶那岐命に離縁を言い渡された「伊耶那美命」は「箸墓古墳に葬られた倭迹迹日百襲姫命=天照大御神」であった。なぜならば、千引石(ごとびき岩)を神体とする神倉神社は「天照大御神」を主祭神として祀っているからである。
 伊耶那岐命の黄泉国訪問説話は――天照大御神は死去した伊耶那美命の墓を熊野本宮大社の旧社地の大斎原(おおゆのはら)に築造するとき、伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】よりも国家権力のほうが勝ると示すために多数の青年と乙女たちを殺して伊耶那美命の墓に埋める残酷な徇葬(じゅんそう)を陣頭指揮した。この徇葬を伊耶那岐命は愛妻・伊耶那美命の遺志を無視して侮辱するものと怒った伊耶那岐命は配下の小国・日本の兵士たちと熊野に住む戦士たちの協力を得てクーデターを断行し成功した。これゆえ、天照大御神を倭女王から失脚し、上記した千引石の前(神倉神社が建つ場所)で離縁された。
 倭女王失脚と離縁の屈辱で激怒した天照大御神は「汝(いまし)の国の人草、一日に千頭絞(ちがしら・くび)り殺さむ」と誓った。この誓いは「前の倭女王・伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民の母親たちの子宮頸管が狭くなるように呪い、一日に必ず千人の胎児の頭を狭い子宮頸管で絞め殺す」と意味した。
 前回のわがブログ「日本が滅びる・102」で証明したように「櫛笥に入っている小蛇」は天照大御神が「汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」と誓った呪い・祟りをあらわした。
 K図左図の出産第2期における母体の大きな声を挙げる〔怒責〕は〔雷鳴=神鳴り〕に見立てられた。ゆえに、天照大御神が陣頭指揮して殺された徇葬者たちの名を『古事記』は「八雷神(やくさのいかづちがみ)」と表記した。だから、伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場する「伊耶那美命」に配される「神」は「神鳴り=雷鳴」の[]であったことになる。
 『日本書紀』の雄略天皇紀は――七年秋七月三日、天皇は小子部連(ちいさこべのむらじ)スガルに三輪山の神の姿を見たいので捕まえるように命令し、スガルが三輪山に登って大蛇を捕えて天皇に見せた時に天皇が斎戒(さいかい)しなかったので、大蛇は雷のような音をたて、目はきらきらと輝いた。天皇はあわてて逃げ隠れた――と記述する。
 これゆえ、三輪山は多数の徇葬者を殺して雷神に犠牲(いけにえ)としてささげた蛇巫の天照大御神が千引石の前において倭女王から失脚し離縁された怨念(おんねん)を、また復讐を、そして祟りをあらわす神体山であったことになる。
 以上のごとく、『古事記』伊耶那岐命の黄泉国訪問説話と『日本書紀』崇神天皇紀の箸墓記事は3世紀後半の歴史を伝えるものであったと史跡・遺物をもって証明できる。
 ゆえに、学者たちは〔誤読〕を自由自在にあやつって日本人にとって最も重大な日本古代史を抹殺したことになる。

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