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2014年6月13日 (金)

日本が滅びる・105

愛、あざやかに永遠であれ(44)・箸墓記事と天皇の王冠(10)

箸墓記事の「櫛笥の小蛇」に秘められた天照大御神の祟りの解明(3)
 
◆わがブログでこれまで数回、『古事記』と『日本書紀』に登場する伊耶那岐命は後の第9代開化天皇であり、伊耶那岐命(9代開化天皇)の第二后の伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)が箸墓古墳に葬られた倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)であり、彼女の異名(あだな)が天照大御神であることを証明した。
 また、わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の76回・77回・78回・81回・82回・83回などで解説したように、伊迦賀色許売命(倭迹迹日百襲姫命)と第8代孝元天皇の間に生まれた第10代崇神(すじん)天皇の異名も天照大御神であると証明した。
 つまり、崇神天皇は伊迦賀色許売命(後の倭迹迹日百襲姫命)の連れ子であったゆえ、『古事記』中巻の開化天皇紀は崇神天皇を「開化天皇の子」と記したことになる。開化天皇の父は孝元天皇であるから、孝元天皇の子である崇神天皇は開化天皇の弟であった。

◆上記したように、崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命(倭迹迹日百襲姫命)の異名は「天照大御神」、また伊迦賀色許売命が生んだ崇神天皇の異名も「天照大御神」であった。
 崇神天皇の異名が「天照大御神」であったことは、下記に示す『日本書紀』巻第五の崇神天皇紀の六年の記事で容易に知ることができる。
 「六年、百姓(人民の諸氏族)たちにあって服従しないで流離(りゅうり)するもの、あるいは政策に反逆するものがあり、その勢いは徳をもって治めようとしても難しかった。それゆえ、天皇は朝夕天神地祇に祈った。これより先、天照大御神と倭大国魂(やまとのおおくにたま)の二神を、天皇の御殿の内に並べて祭った。ところが、両神は互いの勢いを畏れ、共に安んじて住もうとしなかった。そこで天照大御神を豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託し、倭(大和)の笠縫邑(かさぬいのむら)にて祭ることにした。よって、(笠縫邑に)堅固な石の神籬(ひもろぎ)を造った。また、日本大国魂神(にほんおおくにたまのかみ)は、渟名城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)に託して祭らせた。ところが、渟名城入姫命は、髪が落ち体が痩せて祭ることができなかった。」
 わがブログ「日本が滅びる・83」で解説したように、天照大御神母子王朝を倒して熊野に須佐之男命王朝を創設するとクーデターを計画した五人の王のうちの天津日子根命(あまつひこねのみこと)と活津日子根命(いくつひこねのみこと)の二人を、崇神天皇は即位直後に討伐した。しかし、崇神天皇六年当時、クーデターを計画した正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)と天之菩卑能命(あめのほひのみこと)と熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)の三人の王と、そして山陰出雲に居住した須佐之男命の四人の反逆者たちを討伐するものではなかった影響で、その他の多数の氏族も崇神天皇に服従していなかったことになる。ゆえに、崇神天皇六年の状況を、『日本書紀』は「百姓(多数の氏族)たちは服従しないで流離するものの、あるいは反逆するものがあり」と記述したことになる。
 この反逆者たちにあって、山陰出雲に居住した須佐之男命と小国・日本の軍王を受け継いだ正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命の二人は崇神王朝にとって最強の敵であった。
 『古事記』上巻の須佐男命の大蛇退治説話が記述するように須佐之男命は山陰出雲に居住し、須佐之男命の後に山陰出雲を治めた王は大国主神である。ゆえに、上記の天皇の御殿の内に祭った「倭大国魂」は大国主神が統治する以前において「崇神天皇が敵視した山陰出雲を支配していた須佐之男命を呪い祟るための神体」であったことになる。
 そして、後者の髪がぬけ落ち体が痩せて渟名城入姫命が祭ることができなかった「日本大国魂神」は「崇神天皇が最強の敵と恐れた小国・日本に住む正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命と、倭大国魂の須佐之男命の二人を呪い祟るための神体」であったことになる。
 渟名城入姫命の先頭字の[]の字義は「水が止まって流れないこと」であるゆえ、「水すなわち羊水が止まって流れない、子どもたちが出産できない」という呪い・祟りを意味するものであろう。
 わがブログ「日本が滅びる・21」で詳細に解説したように――伊耶那岐命・開化天皇は伊耶那美命が死因となったスキやクワの鉄の刃先を作る事業を禁止したために、開化王朝は豊かな農作物を収穫できず倭迹迹日百襲姫命母子王権より財力が劣って衰退した。いっぽう、倭迹迹日百襲姫命母子(天照大御神)王権はスキやクワの鉄の刃先を作る事業に成功して豊かな実りを手に入れることができたため財力が勝った。[]という字は「スキ」または「クワ」とも読むので、豊鍬入姫命の「豊鍬」は「豊かな実りを手に入れることができた崇神王朝の鍬の鉄の刃先を作る事業」をあらわすことになる。
 以上のごとく、倭迹迹日百襲姫命と崇神天皇母子は天照大御神を祭るものであったゆえ、両人は「天照大御神」という異名で呼ばれたのである。

◆A図の中央に、奈良県桜井市に所在する大物主神を主祭神とする大神(おおみわ)神社を示した。大神神社の神体山は、A図右端に示す三輪山である。
 『日本書紀』崇神天皇紀にある箸墓記事は「箸墓古墳に葬られた倭迹迹日百襲姫命は、大神神社の主祭神の大物主神の妻となった」と記す。また、箸墓記事には「旦(早朝)の大物主神は、櫛笥(くしげ)に入る小蛇(こおろち)の姿に変身していた」と記述する。
Image(C) 2014 OHKAWA


 B図中央の石像は、三輪山山頂近くに所在する奥津磐座(おくついわくら)の主石である。この石像が箸墓記事に登場する「櫛笥に入る小蛇」を表現することを、わがブログ「日本が滅びる・102」で証明した。つまり、C図に「子宮頸(しきゅうけい)」と記した「台座の石」は「櫛笥」を、「台座の中央から上へ首が伸びる石」は「鎌首を擡(もた)げる小蛇」をあらわす。
 またC図に示すように、「櫛笥に入る小蛇」の石像は千引石の前で伊耶那岐命に離縁された倭迹迹日百襲姫命が「汝(いまし)の国の人草、一日に千頭絞(ちがしら・くび)り殺さむ」と誓った呪いをあらわす神体であった。だから、「櫛笥に入る小蛇」の石像は「前の倭女王・伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民の母親たちの子宮頸管(しきゅうけいかん╱D図)が狭くなるように呪い、一日に必ず狭い子宮頸管で千人の胎児の頭を絞め殺す」という祟(たた)りをあらわす神体であったことになる。
 わがブログで幾回もくりかえして解説し証明したように、『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場する「伊耶那美命」は「天照大御神=倭迹迹日百襲姫命」である。この理由は、千引石は神倉(かんのくら)神社(和歌山県新宮市磐盾町に所在する)の神体である“ごとびき岩”であり、伊耶那岐命に離縁された場所「千引石(ごとびき岩)の前」に現在は神倉神社の社殿が建ち、この神倉神社の主祭神は天照大御神である。だから、「伊耶那美命」は「伊耶那美命」ではなく「天照大御神」であったことになる。

◆“字書の聖典”と尊ばれる『説文解字』は[]の字源を「牛を大物と為()す」と解説する。[]の字源はE図左図の「ジャコウウシ」であった。ジャコウウシはわが国では生息しなかったので、『魏志』倭人伝は「倭地には、牛が無い(生息していない)」と記述する。したがって、倭迹迹日百襲姫命は「大物主神=ジャコウウシの呪霊」と結婚した、つまり「ジャコウウシの呪霊を祀る巫女」であったことになる。ジャコウウシはE図中央図の「第五週初めごろの胎児の姿」に相似すると見立てられた。
 『説文解字』は[(すい)]の字源を「神の禍(わざわい)なり」つまり「祟(たた)る」と解説し、わが国の中国古代漢字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)[]の字源を「呪霊(じゅれい)をもつ獣の形。(中略)。卜文・金文の字形では、毛の深い獣の形にかかれている」と解説する。E図右上の[]の「契文(甲骨文)」を『字統』は「卜文」と呼ぶ。『字統』が[]の字源を解説する獣は、E図中央の「胎児の姿に相似する」に見立てられた「ジャコウウシ」であった。
 ジャコウウシは有史以前において広く北半球に分布していたが、その肉は麝香(じゃこう)の香りがして美味しく、その毛皮は最高の防寒具となり、天敵のオオカミに襲われると子を真ん中に隠して群れが円陣を組む習性が神聖視されて神に捧げる供え物の中で最も優れる生贄(いけにえ)となったので牛偏がつく[][]の字源となり、[][]の字義はともに「生贄」となった。このため、中国においてジャコウウシは乱獲されて絶滅したので、「ジャコウウシ」は「祟る」をあらわす呪霊となった。 
 だから、「倭迹迹日百襲姫命は[]の字源となるジャコウウシ(大物主神)の呪霊を祀って【日本建国の〔愛〕の理念】を尊ぶ人民を呪い祟ったこと」を、箸墓記事は「倭迹迹日百襲姫命は大物主神の妻になった」と表現したことになる。
Image_2(C) 2014 OHKAWA


◆E図右図の[]の契文形はF図に示す「三つ輪の銀河の北の輪の銀河」からデザインされ、E図右図の金文形はF図の「十字の銀河」から図案された。
 G図に示すように、「三つ輪の銀河の北の輪の銀河の北端の銀河部」を〔ジャコウウシの首〕に見立て、「北の輪の銀河」を〔子を真ん中に隠し円陣を組むジャコウウシの群れ〕に見立てて、[]の契文形はデザインされた。
 〔胎児が宿る子宮は骨盤に包囲されて防御されている〕ので、〔天敵のオオカミに襲われると、子を真ん中に隠して円陣を組んで防御の体勢となるジャコウウシの群れ〕は〔女性の骨盤〕に見立てられて、G図右図に示すように〔妊婦の姿〕に相似する「十字の銀河」から[]の金文形が作られた。
Image001(C) 2014 OHKAWA


 前回のわがブログ「日本が滅びる・104」で証明したように、H図の中期縄文時代中半に作られた「頭上にマムシを乗せた土偶」は、G図の「三つ輪の銀河の北の輪の銀河の北端の銀河部」をI図に示したように〔蛇(マムシ)の首〕、「北の輪の銀河」を〔蛇のトグロ〕に見立て、J図に示す「十字の銀河の顔=頭」を〔トグロを巻く蛇〕の形にしてデザインするものであった。また、「頭上にマムシを乗せた土偶の首・両腕・胸部」は「十字の銀河の首・両腕・胸部」を表現するものであった。

◆わがブログ「日本が滅びる・104」で紹介したように、学習院短期大学講師の吉野裕子女史は、相賀徹夫編集著作『神々のふる里 5 飛鳥から難波へ』(小学館)53頁でH図の「頭上にマムシを乗せた土偶について「縄文につづいて弥生・古墳時代にも蛇巫(へびふ)は存在し、彼女らは祖神の蛇と交わり、幼蛇を生むことになっていた。しかし、現実には山野から蛇を捕えて来て、これを甕(みか)・桶・笥(はこ)のなかに飼い、祖霊としてこれを祀っていたのである。三輪山伝説のヤマトトトヒノモモソヒメノミコトや『常陸風土記』のヌカヒメ伝承はその様相を伝えるものとして受けとれる。皇祖神の天照大御神も、本来は蛇を祀る蛇巫であったが、彼女はその後、祀るものから祀られる伊勢大神にまで昇格したのである。天照大御神の本質を受けつぐ後代の伊勢斎宮(いせさいぐう)は、夜毎祖神と交わるが、その衾(ふすま)には蛇のウロコが落ちているから、伊勢大神は蛇であろうという伝承からもそれはうかがわれるのである。」と指摘する。
 上記の吉野女史が「縄文の蛇巫」と指摘する史料となったH図の「頭上にマムシを乗せる土偶」は、箸墓記事に登場するB図の「櫛笥に入る小蛇」の祖神であった。
 「頭上にマムシを乗せた土偶」のモデルとなったI図の「三つ輪の銀河の北の輪の銀河」とJ図の「十字の銀河」は、G図に示した[]の字源銀河である。
 だから、箸墓記事に登場する「櫛笥に入る小蛇の石像」は千引石の前で離縁された倭迹迹日百襲姫命=天照大御神が「汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」と誓った呪いのために祀った蛇神の祟りをあらわすものであったことになる。
 倭迹迹日百襲姫命(天照大御神)は伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民に呪い祟るために――三輪山の山頂近くにある「奥津磐座の広場」を「大物主神・ジャコウウシの祟り」をあらわす祭場とし、さらに主石の石像で狭い子宮頸管に棲んで胎児の頭を絞め殺すための「櫛笥に入る小蛇の祟り」を祀って祈っていたのである。

◆三輪山の山頂付近は北緯3432分、大神神社は北緯343144秒、箸墓は北緯343221秒である。ゆえに、3ヵ所の緯度を北緯3432分と定める。
 上記したように、[][]の字源は「大物主神」をあらわす「ジャコウウシ」である。
 [牛]の下に[口]が加わる[告]の字源を、『説文解字』は「牛、人に触れる。角に横木を著()く。人に告ぐる所以(ゆえん)なり」と解説する。
 K図は、『説文解字』の[]の字源解説図である。『説文解字』の[]の字源解説文に登場する「人」は「人の横顔に酷似する銀河」を指す。「横木」は「十字の銀河」である。というのも、L図の[]の字源解説図において[(べん)]の字源となる「十字の銀河」は「横」になり、「木や枝」に見立てられたので「横木」と呼ばれ――多くの字の字源で「十字の銀河」は横になるので「横木」と『説文解字』は表現したのである。
 K図に、〔歳差(さいさ)〕にもとづいて倭迹迹日百襲姫命=天照大御神が生存した3世紀後半の北緯3432分の三輪山・大神神社・箸墓古墳の天頂緯度線を加えた。
Image002(C) 2014 OHKAWA

K図における〔牛(ジャコウウシ)の目〕となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」を、M図に示した。暗い場所から見れば、満月の約3倍の大きさの北アメリカ星雲は肉眼で見ることができる。北アメリカ星雲の隣のペリカン星雲も肉眼で見える。
 N図は「北アメリカ星雲からはくちょう座γ星付近までの銀河」の写真である

O図にN図の写真における銀河各部の名称を記した。

観察者の瞳孔径(瞳孔の直径)がN図のカメラの絞りと同様になると、N図が示すように「鬼の横顔に似る銀河」が白く見え、「北アメリカ星雲」は炎のように赤く見え、「ペリカン星雲」は暗く幽(かす)かにしか見えない。
Image_3

  また、O図にて太腺で囲うようにした「ペリカン星雲より南隣の暗黒天体部」はB図の「櫛笥=台座の石」に合致する円錐台の先端をちょん切った形となり、「北アメリカ星雲」はB図の「鎌首を擡げる蛇の頭」に見立てられ、「ペリカン星雲」は「櫛笥=台座の石の中央から上へ伸びる蛇の首」の部分に適合する。

◆だから、吉野女史が指摘した倭迹迹日百襲姫命=天照大御神が生存した弥生・古墳時代において山野から捕えてきた蛇を甕・桶・笥の中に飼って祖霊として祀る蛇巫の信仰は、O図に示す「北アメリカ星雲と台形の暗黒天体部」から生まれたものであったことになる。
 また、N図の「白い鬼の横顔に似る銀河」は「血の気を失って死産した白い胎児の顔」に見立てられて、O図に示す「北アメリカ星雲と台形の暗黒天体部」は三輪山山頂付近に所在する奥津磐座の主石の「櫛笥に入る小蛇の石像」をあらわすことになったのである。

◆『日本書紀』巻第五の崇神天皇紀にある箸墓記事は――倭迹迹日百襲姫命が大神神社の主祭神の大物主神の妻となった――と伝える神秘的・非現実的な伝説を記載したものであると断定されている。
 しかし、箸墓記事は非現実的な伝説をそのまま引用したかのごとく偽装して、これまで証明したように伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を倭迹迹日百襲姫命=天照大御神が呪い祟った歴史を、当時三輪山の天頂近くにめぐってきた銀河のO図に示す「櫛笥に入る小蛇」に観える形状でリアルに伝えるための記事であったことになる。

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