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2014年6月21日 (土)

日本が滅びる・107

邪馬台説と日本神話学説は誤読の空論であると証明できる

愛、あざやかに永遠であれ(46)・箸墓記事と天皇の王冠(12)

■太安万侶が書いた『古事記』の序の秘密の解明(1)

◆前回のわがブログ「卑弥呼の逆襲:106」において、『古事記』の序を書いた太安万侶(おおのやすまろ)が作った『万葉集』1683番と1684番の「舎人皇子に献(たてまつ)る歌二首」に注目して、下記のごとく現代語に訳した。
 「妹(いも)が手を 取りて引き攀()ぢ ふさ手折り 我がかざすべく 花咲けるかも」
 この1683番の和歌は「『古事記』の編纂を指揮した主君の舎人皇子は木の枝から折って取った花を引き寄せて奥方の頭に挿()すがごとく、〔花〕で象徴される〔伊耶那美命〕が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】の歴史を記述する『古事記』の頭(はじめ)となる序を書く名誉を吾に与えてくださいました」と表現していることになる。
 「春山は 散り過ぎぬとも 三輪山は いまだ含(ふふ)めり 君待ちかてに」(1684)
 1684番を訳すると「春山の〔春〕や〔花〕で象徴される〔伊耶那美命〕が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を伝える『古事記』は元明天皇に献呈を拒否されて散ってしまいましたが、皇子がお住まいになられる高屋より西方の三輪山を含む箸墓古墳や纏向(まきむく)の地の桃の花はいまだ蕾(つぼみ)です。わが家に伝わる桃の花の蕾のごとく『多氏(おおのうじ)古事記』は、いまだ世に出て花開いていません。この『多氏古事記』を利用して新しい歴史書を作成しようではありませんか。われ太()安万侶は主君・舎人皇子のご到来を切に切にお待ち申しあげています」となる。
 『多氏古事記』は現存しないが、『日本書紀』の最古の注釈書の『釈日本紀(しゃくにほんぎ)』が引用する『土左国風土記』の逸文(いつぶん)は「『古事記』とは別書の『多氏古事記』が存在した」と記述し、「弘仁私記序(こうにんしきじょ)」という文書には、「『日本書紀』の編纂に、太安万侶が舎人皇子と共に携わった」と記されている。
 太安万侶は多氏の一族であったとされ、多氏の祖の神八井耳命(かむやいみみのみこと)は神武天皇の皇子である。神八井耳命は、A図に示す三輪山の西の多(おお)神社のあたりに住んでいたと伝わる。A図右端の舎人皇子が居住した高屋からA図の左上の多神社は約18km西方に位置し、三輪山から6km西方に多神社は所在する。
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(C) 2014 OHKAWA

◆A図の三輪山と多神社の中間に、B図に示す纏向(まきむく)遺跡と箸墓古墳が所在する。
 最近、纏向遺跡から2千個を越える桃の種(たね)が発掘された。『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話は〔倭政府の大軍を撃破した日本兵と熊野に住む戦士たち〕の名称を「桃の子三箇(みみつ)」と表記する。したがって、大量の桃の種は天照大御神が桃の子三箇に呪い祟るために集めることを命令したものか、あるいは纏向集落の住人たちが桃の子三箇に祟る呪術のために使用したものであったにちがいない。
 『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部は――千引石(ちびきのいわ╱現在の和歌山県新宮市に所在する神倉神社の神体の“ごとびき岩”)の前で、天照大御神(後の倭迹迹日百襲姫命)は伊耶那岐命に離縁を言い渡された時に「汝(いまし)の国の人草、一日に千頭絞(ちがしら・くび)り殺さむ」と述べ、伊耶那美命を提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民(人草)を憎悪して呪い祟(たた)ると誓った――と記載する。
 上記した「三輪山」が登場する1684番の和歌は――箸墓に葬られた倭迹迹日百襲姫命(天照大御神)が大神(おおみわ)神社の主祭神の大物主神の妻となったと語る箸墓説話を利用すれば、後世の人々は千引石の前で天照大御神が「汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」と誓った呪いに気づくにちがいない――と安万侶が思いついた発想を示す和歌であった。
 というのも、わがブログ「日本が滅びる」の102回・104回・105回で詳細にて証明したように、三輪山の頂上付近に在る〔奥津磐座(おくついわくら)の岩石群〕と〔櫛笥(くしげ)に入る小蛇(こおろち)の石像〕は天照大御神が【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民を憎悪した祟ったことを証明できる遺物だからである。したがって、『日本書紀』崇神天皇紀にある箸墓記事は学者たちが断定するような神秘的な非現実的な伝説を記載したものではなく、三輪山の山頂付近の遺物を利用して歴史的事実を証言する史料であったことになる。
 だから、学校教育で押しつけられた学説や現在の出版物は日本人の命と魂の原点である【日本建国の〔愛〕の理念】を抹殺する完全なる〔誤読の産物〕であったことになる。
 ここまでは、前回のわがブログの文に一部分を省略して記載した。

◆現存する最古(1372)に写本された国宝『真福寺本』の『古事記』の序は「古事記上巻 序并」、次に古い1381年に写本された『古事記』の序も同じく「古事記上巻 序并」である。
 つまり、『古事記』は「上巻」、「中巻」、「下巻」の3巻から構成されるが、『古事記』の序は上巻だけの序であって、『古事記』の序は中巻と下巻の序でない」と明確に示すために、「古事記上巻 序并」と表記された。
 というのも前回のブログで解説したように、当時、多数の天武天皇が生んだ皇子において皇位継承順位が最高位の第三皇子・舎人皇子が――『古事記』は、伊耶那美命が提唱した【日本建国〔愛〕の理念】を後世に伝えるために作成せよ――と欲求したからである。
 『古事記』上巻に登場する主なる神々は、(1)伊耶那美命、(2)伊耶那岐命、(3)天照大御神、(4)須佐之男命、(5)大国主神、(6)天孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)(7)山幸彦(やまさちひこ)の火遠理命(ほおりのみこと)(8)海幸彦(うみさちひこ)の火照命(ほでりのみこと)などの8人である。この神々のうち、【日本建国の〔愛〕の理念】を提唱した伊耶那美命はじめ伊耶那岐命、須佐之男命、大国主神、山幸彦の火遠理命の5人は【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重した。しかし、天照大御神、天孫の邇邇芸命、海幸彦の火照命の3人は【日本建国の〔愛〕の理念】を敵視し憎悪して強大な権力を誇示したと記述する。
 だから、『古事記』上巻は【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えることを作成目的にしたことを明確に表示するために、『古事記』の序は「古事記上巻 序并」と表記する極めて特殊な序となった。

◆再度繰り返すが――『万葉集』1683番と1684番の「舎人皇子に献る歌二首」のうちの「三輪山」が登場する1684番は、前述したように――多氏(おおのうじ╱太氏)が所蔵する『多氏古事記』を利用して新しい歴史書(『日本紀』のちの『日本書紀』)を作成しましょうという案を安万侶が舎人皇子に提示した――と伝える和歌であった。
 なぜならば前述したように、安万侶の時代はもちろん現在も残存する三輪山の頂上付近に所在する〔奥津磐座の岩石群と櫛笥に入る小蛇の石像〕は、天照大御神が【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民を呪い祟って迫害した史実を明確に伝える遺物であったからである。これゆえ、『日本書紀』の崇神天皇紀にある箸墓記事は「倭迹迹日百襲姫命に恥をかかせられた大物主神が人の形となって、三輪山に登った」と説明する文で三輪山の山頂付近に倭迹迹日百襲姫命=天照大御神の祟りをあらわす〔奥津磐座の岩石群と櫛笥に入る小蛇の石像〕が所在することを告げて、【日本建国の〔愛〕の理念】を後世の人々が察知できるようにした。
 C図に、天照大御神(倭迹迹日百襲姫命)が葬られた箸墓古墳東方の三輪山頂上付近にある奥津磐座の岩石群における主石の「櫛笥に入る小蛇」をあらわす石像を示した。
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(C)2014 OHKAWA


◆わがブログ「日本が滅びる」の104回・105回で詳細に解説し証明したように、C図に示す「櫛笥に入る小蛇」の石像はD図に示す中期縄文時代中半(今から約4500年前)に作られた「頭上にマムシを乗せた土偶」を祖霊として祀るものであった。
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(C)2014 OHKAWA

 D図の「頭上にマムシを乗せた土偶」は、E図に示す〔縄文人たちの日々眼力と技(わざ)を鍛錬して精密に緯度と子午線をキャッチする習慣〕を表現する遺物であった。
 縄文人たちは大海を往来する時、遠くの地に旅する時、山や谷や森で迷った時、日々の生活で道に迷った時などに、E図に示す〔精密に天頂緯度と子午線をキャッチする方法=[]をキャッチする方法〕ならば、家族が待つ家に帰還することができた。
 E図に示す〔[]のキャッチ〕は縄文人たちが命を保持するために、たくましく上手に生きる術(すべ)であった。この〔[]をキャッチする術〕は、人間の頭脳に本来有している本能行動・情動行動・適応行動・創造行為が一体化して発揮される能力であった。要するに〔[]のキャッチ〕は“命あっての物種”とする「命」と直結する術であったゆえ、すべてのものより優る「命」を確保することができる〔[]=天頂緯度線と子午線〕は縄文人たちにとって「神」となった。

◆人間の頭脳に本来そなわっている能力からなる術の〔[]のキャッチ〕は、上記したように創造行為とも一体化する。ゆえにわが国ではF図に示すように、今から約6000年前の前期縄文時代初頭に関東地方(西暦234年頃に誕生した小国・日本)で土器を創造する芸術革命が起こり、中期縄文時代には現代の多くの芸術家を感歎せしめた芸術性豊かな土器や土偶が関東地方で多数作成された。F図の縄文土器を飾りまた造化(造形)モチーフとなった〔渦巻〕は当時の天頂にめぐってきた無数の星が渦を巻き円を描き奔放な曲線となる「三つ輪の銀河」の形状を造化(デザイン)するものであった。「三つ輪の銀河」は縄文人にとって「天」のイメージとなったゆえ、F図の渦巻を造化モチーフとなる縄文土器は現在に「三つ輪の銀河を貫通した天頂緯度線」を「神」と定めたことを伝えていることになる。
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(C)2014 OHKAWA

この関東地方における芸術文化が花開いた様子を――D図の「頭上にマムシを乗せた土偶」が作られた信濃・長野県の天頂にめぐってくる銀河部を安万侶は「造化(ぞうか)の参神(さんしん)」と呼んで――『古事記』序の冒頭で下記のごとく表現した。

「臣安万侶言(もう)す。それ混元すでに凝()りて、気象未だ効(あらは)れず。名も無く為(わざ)も無し。誰(たれ)かその形を知らむ。しかれども乾坤(けんこん)初めて分かれて、参神造化の首(はじめ)を作()す。」
 現代語に訳すると「臣下の安万侶が陛下に申し上げます。大昔、混沌(こんとん)としながらも万物の根元が固まる形の銀河が天頂にめぐってきましたが、その銀河の形状には天と地や万物の気(きざし)と象(かたち)の情(イメージ)があらわれず、何とも名をつけることもできず、その銀河の印象を造化(造形)する技(わざ)もありませんでした。ですから、その大昔の天頂を通過した銀河の形について誰も知ることができません。しかしながら天頂に“天”のイメージとなる銀河と“地”のイメージとなる銀河が初めて分かれてめぐってくる時代がやってきて、造化(芸術)の参神を初めて表現することができました」となる。

◆D図の「頭上にマムシを乗せた土偶」は、G図に示す信濃・長野県の遺跡から出土した。
 南北に長い信濃・長野県中央部は、北緯36度である。
 わがブログ「日本が滅びる・104」で解説したように、〔歳差(さいさ)〕という天文現象に則ると――H図に示す信濃・長野県中央部(北緯36)の②中期縄文時代初頭と③後期縄文時代の中間の点線が、D図の「頭上にマムシを乗せた土偶」が作られた中期縄文時代中半における天頂緯度線となる。
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(C)2014 OHKAWA 

 H図の上部の「最北の輪の銀河」を安万侶は『古事記』序の冒頭で「それ混元すでに凝りて、気象未だ効れず。名も無く為も無し。誰かその形を知らむ」と表現した。そして、①②③の縄文時代の天頂緯度線が貫通した様子を安万侶は「しかれども乾坤初めて分かれて、参神造化の首を作す」と表現した。というのも、H図の下部の「鬼の姿に似る銀河」を〔天を仰ぎ見る地に住む人〕に観え、中央の「十字の銀河」は〔天〕あるいは〔地に住む人の歩く姿〕に酷似し、前述したように「三つ輪の銀河」は〔天〕あるいは〔東の地平線から昇る夏至、春分・秋分、冬至の太陽〕または〔渦を巻く雲〕に観えるからである。

◆『古事記』上巻冒頭の創世の神々説話の初頭は『古事記』序に登場する「参神造化」の「参神」について、「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天原(たかまのはら)に成れる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に神産巣日神(かむむすひのかみ)である」と記載する。
 安万侶が書く『古事記』序の初頭部に登場する「参神造化の首(はじめ)」という語の中にある「首」はI図に「首」と記した銀河部を指す。
 創世の神々説話に登場する「高天原」という語を「信濃における最も高い天体部となる天頂」を示す。ゆえに――H図の①前期縄文時代初頭の天頂緯度線はI図の①天之御中主神、H図の中期縄文時代初頭の天頂緯度線はI図の②高御産巣日神、H図の③後期縄文時代初頭の天頂緯度線はI図の③神産巣日神の参神を各々表示していることになる。
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(C) 2014 OHKAWA 

 []の字義は「ふせぐ」である。J図左図に示す「ジャコウウウシ」は漢字作成原理を象徴する聖獣となった。ジャコウウシは天敵のオオカミに襲撃されると、子どもを中心に隠して群れは円陣を組んで防御した。ゆえに「ジャコウウシの防御」は[]の字源・字形・字義となった。ゆえに、「御中」の意味は「子を中心に隠す防御方法」であった。そして、I図に「首」と記した銀河部はJ図右図に示したごとく〔ジャコウウウシの首〕、「北の輪の銀河」は〔ジャコウウシの円陣〕に見立てられて、「天の御中主神」と名づけられた。
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 I図の②の天頂緯度線が貫通するJ図右図に示す「北の輪の銀河」は〔真上から見た鳥が卵を〕の形に相似し、また〔(日輪・太陽)〕の形に見立てられて「産巣日」となり、「高御産巣日神」と名づけられた。
 J図の③の「神産巣日神」の先頭字の[]は、「神鳴り(雷鳴)」である。この「神鳴り」についてはわがブログ「日本が滅びる・104」末部で詳細に解説した。
 安万侶が書いた『古事記』序の「参神造化の首を作す」の次の文は「陰陽ここにけて、二霊群品(ぐんぴん)の祖(おや)と為()る」である。この文で「ここに陰と陽がけて、陰の伊耶那美命と陽の伊耶那岐命の二神がすべての生みの親となりました」と解釈できるようにして伊耶那岐命は後に伊耶河宮(いざかわのみや)で天下を治めた開化天皇であることを示唆した。『古事記』の伊耶那岐命(開化天皇)の黄泉国訪問説話では、伊耶那美命の陵墓に天照大御神が徇葬(じゅんそう)を陣頭指揮して殺して埋めた多数の犠牲(いけにえ)たちを「八雷(やくさのいかづちがみ)と表記する。だから、「神産巣日神」の先頭字の「神」は「神鳴り」をあらわした。
 わがブログ「日本が滅びる・104」で証明したように、C図に示した「櫛笥に入る小蛇」の石像」は「雨乞い祈願する神鳴り(雷神)」であり、また「神産巣日神」の「神」は「雨乞い祈願する神鳴(雷神)」であった。

◆「神産巣日神」の「神」が「神鳴り」を意味することを、安万侶は序の中ほどに「洊雷(せんらい)期に応ず」という語句を挿入して示した。
 そして、『古事記』序の末部に安万侶は「玖沙訶(くさか)」と「多羅斯(たらし)」という夏音文字を配置して、前期縄文時代の「天之御中主神」は日本には生息していなかったL図左図の「ジャコウウシ」をもって、神産巣日神の時代(今から約4050年前の中国の夏代初頭)にわが国に夏音文字が伝来した史実が察知できるようにした。
 安万侶は「参神造化の首を作し」の文の次に「陰陽ここに開けて、二霊群品の祖と為る」という文を続けて「参神造化の生みの親の〔[]のキャッチ〕とともに、伊耶那美命が提唱し伊耶那岐命が受け継いだ【日本建国の〔愛〕の理念】は最も重大な日本人を形成する原点である」と表現して、『古事記』は【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えるために作成されたと表示した。
 以上のごとく、『古事記』序文を書いた安万侶は『万葉集』の1683番と1684番の「舎人皇子に献る歌二首」の和歌を作って、箸墓築造説話を利用すれば『古事記』の作成目的の【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えることができると舎人皇子に提案した。
 次回(108)は『古事記』序の中半にある「洊雷期に応ず」という語句の秘密を、続いて109回で夏音文字の「玖沙訶」「多羅斯」の語源を解明して、『万葉集』の1683番・1684番の和歌は作って安万侶が箸墓説話で天照大御神が【日本建国の〔愛〕の理念】が祟った歴史を伝える方法を舎人皇子に提案したことがさらに確かになる証明をおこなう。

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